第十話「エルバートン計画」
「トウコは完成しましたか?ヨハン様。」ゼノンは慇懃に尋ねた。
「かか完成しました。テテテストも終了しています。」目線を合わせないままヨハンは答えた。
「見せて頂けますか?」有無を言わせない空気。ヨハンは別室に向かって声をかけた。
「博士。」すると暗がりから1人の女性が現れた。
トウコ・アマミヤ。40代。女性。日本人。
エクピロシス計画の発案者であり、統括責任者でもある。ノーマルスーツの上にクリーム色のジャケットを羽織り、静かに近づいてくると手近な椅子に座った。
「うむ。素晴らしい。想像以上の出来栄えですな。」感心した様に唸るゼノン。
「しかし髪型がいただけない。」そう言うと徐ろに立ち上がりアマミヤ博士のそばまで行くと突然髪の毛を剥ぎ取った。
髪の毛はウィッグだった。取り去られた頭部には剥き出しの配線が走っていた。
「そそそれはワン博士のじゅじゅ準備したものです。ぼぼ僕はAIの調整を担当しただけで…」
「ああ、いや結構。少し気になっただけです。この状態でもとてもロボットには見えない。見事なものです。」無造作にウィッグを放り投げると、ゼノンは元の場所に戻り「それでは始めましょうか。」そう言ってヨハンに顎で促した。
命じられるままにヨハンはこめかみのナノフォンのスイッチを押す。
部屋の明かりが薄暗くなり、テーブルの上にスフィアホログラムが展開された。
ホログラムは変形してテーブルを取り囲む様にして3人の人物を立体的に映し出した。
イブラヒム・セック、ワン・ショウラン、マヌエル・ロドリゲス。
ノアズアークの主要な搭乗員が一堂に介していた。「グローバルオーダーの皆さん。ようやくここまで辿り着きました。ひとまず感謝申し上げます。」慇懃な態度を崩さないまま挨拶をするゼノン。
「しかしまだ計画は第一歩を記したに過ぎません。すべき事は山積みです。今から半年間。くれぐれも油断なさらぬ様、重ねてお願い申し上げます。」
「その前にまずつまみ食いの犯人を挙げたいわね!」間髪入れずにショウランが吠えた。
「まだ言ってるのか。」呆れた様にイブラヒムが言う。
「ちょっと!私はあんたが犯人だと思ってんのよ!」ホログラム越しに指を刺すショウラン。
「無くなったのはクローン素体だったのでは?」マヌエルが間に入る。
「だから!クローンが一体消えてるって言ったでしょ!」
「食料ってクローンの事だったんですか…」呆気に取られるマヌエル。
「なんか間違ってる?!」
「良いかな?私はつまみ食いなぞしとらん。」憮然とした表情でイブラヒムが割り込んできた。
「あんたサンドイッチ食べてたじゃない!あれ何なのよ!」
「あれは私が自分で用意したものだ。言っとくが私の食料は全てオーガニック素材だ。ここの培養肉なぞ口にする訳なかろう。」
「ちょっ…!船長!これ不正積載じゃないの?!許して良いの?!」
「その話は後回しにしてもらえませんか。まずはトウコの今後の稼働予定を決めたい…」
「クローンが一体無くなってるのよ!ろくに管理も出来てないのに予定も何もないでし…」唐突にショウランの姿が消えた。ゼノンが彼女だけスワイプしたのだ。
「失礼。先を続けましょう。我ら5人の結束は変わらない。だが自ら結束を壊す様なことがあれば掟に従うしかない。お忘れなく。」威圧感を漲らせたままゼノンは周りを見回すと「さて。トウコですが、公式には今は体調不良という事にしています。」
「殺されたという噂は?」不機嫌なままイブラヒムが聞いた。
「いや、あれには参りましたね。意図的に反乱分子を乗せはしましたが、そこと結びつけて、まさかそんな話をでっち上げてくるとは。」苦笑するゼノン。
「余りにバカバカしくて一瞬我を忘れる程腹を立ててしまいましたよ。」
「クルーガー保安統括官自身が反乱分子という事は?」恐る恐るマヌエルが尋ねる。
「うむ。あり得ますね。不穏な噂をばら撒いて統率を乱す。奴らのやりそうな手だ。彼も監視対象の1人にしましょう。」
鼻を鳴らしてから「ともかく。優先すべきは我々が方舟の人々を導く新世界の指導者として、新しい肉体を手に入れなければならないという事です。その手がかりとしてこのトウコを人々にどのタイミングでお披露目するか。人々が何の疑いも持たずこのロボットを、彼らが希望と謳った救世主として受け入れるか。そこが重要です。
上手くすれば我々も、火星につく前にロボット化する事が可能です。ニューロメモリの導入から、確かにクローン技術は飛躍的に向上した。しかし耐久性の面ではやはり信頼度は低い。
ロボット化は新時代のキーアイテムとして、皆さんにもご承知頂きたい。」イブラヒムを一瞥するゼノン。
一瞬、イブラヒムは顔を顰めたものの反対はしない。
その様子を確認してからゼノンはマヌエルに向かって「ロドリゲス技師。準備は?」
「は、はい。本体は全員分完成済みです…」
「何か?」
「ア…アマミヤ博士は…。本物のアマミヤ博士は本当に船に乗らなかったのですか?」
「乗っていません。あれはダメだ。…いや。リルを開発した事。エクピロシス計画を取りまとめた事は偉大な業績だった。だがあの女の本質は権力にすり寄る事しか考えていない、浅はかな人間だった。我々の仲間として迎え入れる資格は残念ながらなかった。」
「ほ、本人は…」
「何も。簡潔に言えば離婚したんです。」
「えっ?!」絶句するマヌエル。
「大した事ではない。エクピロシス計画はエルバートン計画の中の一事業だ。我々にはリルがある。問題ありませんよ。」事もな気に話すゼノン。
「問題あるんじゃないのか船長。あの助手の事はどうなってるんだ。」イブラヒムが口を挟む。
「エレナ・ローウェルですね。確かにそこを突かれると返す言葉がありません。しかしご理解いただきたい。我々の理念、無限の調和を求める真、美、愛。恥ずかしながら私は今、その言葉の意味を身をもって感じている最中なのです。彼女のおかげで。」目を閉じながらゼノンはわざとらしくゆっくり語った。
「今どこにいるんですか?」マヌエルが尋ねる。
「分かりません。探していますが…ただご理解ください。私は本気なんです。皆さんも会えば分かる。彼女は他とは違う。我々の仲間として申し分ない存在です。」
「いい加減話の途中で回線切るのやめてくんないっ!!!」ショウランが怒声を上げながら部屋の中に入ってきた。汗まみれで息も荒い。
「走ってきたのか。」イブラヒムが笑いながら言った。
「私も歴としたメンバーの一員なのよ!こんな扱い我慢ならないわ!」
「ならメンバーらしい振る舞いをお願い致します。ワン博士。」相変わらず慇懃な態度のゼノン。
「フン!あなたも敵の多い人物である事を忘れないでね!オザキ首相!」意地の悪い笑みを浮かべて答えるショウラン。すると「ハッハッハッ!」ゼノンは突然豪快な笑い声を上げた。
「いや失礼。その名前で呼ばれるのは何年振りかな。すっかり忘れていましたよ自分の事を。」まるで意に介さない様な顔でショウランに椅子をすすめる。
「そうですね。ご存知の方もいるとは思いますが、エレナの事もある。良い機会かもしれん。少し私の話をしておきましょうか。」居住まいを正すとゼノンは話し出した。
第十一話に続く
*今回の引用元「チャッピー」(2015年の映画)




