天国へのパスポート
大気圏を抜けるとき、宇宙船がものすごく揺れたので、怪我した足がちょっぴり痛みました。でも、窓から見えたニコニコ惑星は、黄色く光って、まるでたんぽぽのように美しかったから、痛みのことなんか忘れてしまいまいました。
「よし、もう動いて大丈夫だぞ。あっ、怪我してるんだから無理に動くなよ」
「もう、どっちなの」
私はベルトを外しました。初めての宇宙......私は渡星をしたことがなかったから、こうして宇宙へ来るのは初めてなんです。すごく、ドキドキします。
「はい、エナドリ」
「え?若鶏?」
振り向くと、パイポがジュースの缶らしきものを持っていました。な、なんかすごいカッコつけたデザインの缶......
「お前、エナジードリンクを知らないのか?宇宙旅行って言ったら、エナドリで相場は決まってんだろ」
「私、宇宙は初めてだから」
「マジかよ!田舎者〜」
「ぶー!」
私はパイポからエナドリというものを奪い取って、プシュと蓋を開けました。ごくごく......なんか、甘ったるい味だけど、キンキンに冷えてて美味しい。不味い飲み物ではないみたい。
「あ、あとこれもな」
「きゃ!冷たい」
「動くなよ、巻きにくいだろ」
パイポは、私の足に保冷剤を巻いてくれました。冷たくて気持ちいい。
「さて、基地まではあと24時間で着くから、それまでゆっくりしててくれ」
「そんなにかかるの!?」
「当たり前だろ、宇宙ってのは広いんだ。それに、少し回り道しないと、警察に見つかったら厄介だからな」
「ふーん」
宇宙だから、外はずっと真っ暗だけど、そろそろ眠る時間みたいです。パイポは、私にベッドを譲ってくれました。
「いいの?私がこっちで」
パイポは、その下に毛布を敷きながら言いました。
「お前、怪我人だからな」
私がベッドの奥に足を伸ばすと、ふわふわのクッションに当たりました。
「あれ、クッションが入ってるよ」
「ニャ〜オ」
「うわああああ!?」
私はびっくりして、ベッドから落ちるかと思いました。
「ど、どうしたんだ!?」
パイポも驚いて飛び起きます。な、何!?
「べ、ベッドの中に、何かいる!」
「なんだと!?」
クッションじゃない。今、確かに鳴き声がしました。パイポが恐る恐る、掛け布団を捲ると......
「ニャ〜」
「ね、猫?」
「わあ!ハイナハイナ!」
中から、小さな黒猫が出てきました。黒猫は、眩しそうに目をパチパチします。
「おかしいな、いつ紛れ込んだんだろう。宇宙船の鍵は確実に閉めていたのに」
「いいじゃない、ただの猫ちゃんだもん。何もしないよ」
子猫は、ベッドの上で寝転んで遊び始めました。可愛いな〜。
「悪いけど、この猫は殺さなきゃならない」
「えっ!?」
パイポはとんでもないことを言いました。この子を、殺す!?何を言っているの!
「どうして!?なんでそんな酷いことを言うの!」
私は結構強い口調で言いました。子猫はびっくりして、目を丸くしています。パイポは、一瞬戸惑って、でもすぐ冷静に言い返しました。
「俺はスパイなんだ。例え猫でも、ここにある機密文書を誤って持ち出されるだけで、大変な騒ぎになる。もし体内に盗聴器や発信器を仕掛けられてたら、情報は筒抜けだ。俺だって殺すのは嫌だけど、この猫を生かすのは、それだけ責任の重いことなんだ」
「だったら私も殺しなさいよ!私だって、体内になにか埋め込まれてるかも知れないじゃない!秘密情報をバラさないとも限らないじゃない!」
「そ、それは、そうだけど......」
「ニャーニャー」
子猫は、話を割るように鳴きました。大きな声が怖かったのかな、ごめんね。私は子猫を抱き上げて、撫で撫でしました。子猫は私の腕の中で、目を閉じてウトウトしています。私は、パイポを睨みつけます。
「あなたは、この子を本当に殺したいと思っているの?」
「......信用できないものは、殺すしかない」
「それは間違ってる。あなたが信用してないのは、あなた自身よ。不幸になるのが怖いから、それを他人のせいにしてるだけ。そんな弱さのために、猫ちゃんを殺させるわけにはいかない!」
私は言い放って、猫ちゃんをぎゅっと抱きしめました。ちょっと強く抱きしめてしまって、猫ちゃんはジタバタします。あ、ごめんね......
「冷蔵庫にミルクがある」
「え?」
「お前の言うとおりだ。俺が間違ってた」
パイポは私に歩み寄って、手を差し出しました。
「改めて、アリサ、よろしく頼むよ。やっぱり、この世界にはニコニコ星人が必要だ」
私は、猫ちゃんを膝の上に乗せて、差し出された手をぎゅっと握りました。
「うん!」
「ニャー」
猫ちゃんも、膝の上で嬉しそうに鳴きました。ロケットは、宇宙を順調に進んで行きます。窓の外には綺麗な天の川が見えました。満天の星の中で眠るなんて、とても素敵なことだと思いました。
「ニャー!ニャー!ニャー!」
「......うー、重いよ〜」
目を覚ますと、私のお腹の上で、猫ちゃんがピョンピョン飛び跳ねていました。ヴー、ヴー!あ、しかも電話鳴ってるみたい。
「もしもし〜」
「アリサ!?やっと繋がった!」
寝ぼけ眼で電話を取ったら、ユキちゃんが出ました。
「もう、昨日急にいなくなったから、びっくりしたよ!今日もまだ集合場所に来てないし」
「ああ、ごめんね。昨日から体調悪くて、今日もお休みする」
私は咄嗟に嘘を言いました。しまった、ユキちゃんに連絡するの忘れてたよ。
「えー!そうなの?大丈夫?じゃあ今日はお休みだね。先生に言っておくよ。ゆっくり休んでね......」
「ニャー」
あっ、こら!今、鳴いちゃダメ!!
「ニャン!」
「あれ、アリサ、猫飼ってたっけ?」
「あ、ま、窓開けたら入って来ちゃって!?」
「そうなの?引っ掻かれたりしてない?見に行こうか?」
「いや!大丈夫!もういなくなったから!」
「ニャー」
「まだいるみたいだけど......やっぱり様子見に行こうか?今なら走ったら間に合うし」
「きっ、気のせいじゃない!?お腹すいたから切るね!」
私は咄嗟に電話を切りました。って、お腹すいたから切るって何!絶対怪しまれたじゃん!
「ニャー」
「もー、にゃーじゃないよ〜」
猫ちゃんは、私の顔を見て首を傾げました。それから顔をゴシゴシ。全く、気楽だなあ。
「やっと起きたのか。朝飯できてるぞ」
パイポがエプロンを着て立っていました。私は猫ちゃんを抱っこして、起き上がりました。
「パイポ、料理ができるの?」
「まさか、宇宙食だ」
パイポはテーブルの上に料理を並べます。お皿にはピザが1枚ずつ乗っていて、その横にはコーヒーが置かれています。
「宇宙食なら、エプロンしなくてもいいんじゃないの?」
「服が汚れると嫌だからな」
私は、冷蔵庫からミルクを取り出し、お皿に入れてチンしました。
「ニャー」
「ちょっと待ってね」
ミルクは人肌にしないと、猫ちゃんが下痢になってしまうので気を付けます。やっと丁度良くなったので、猫ちゃんの側に置きました。
「よく飲んでるな」
エプロンを取りながら、パイポが横目で言いました。私も席について、コーヒーを飲みます。苦〜い。
「お砂糖はないの?」
「ねーよ」
私はもう一度冷蔵庫からミルクを取り出して、自分のコーヒーに入れました。
「ニャー」
「うん、お揃いだね!」
パイポはリモコンで何かのスイッチを入れました。すると、音楽が流れ始めます。静かなピアノの音色......
「これ、なんの曲?」
「ジムノペディ」
「ふーん」
パイポはピザカッターでピザを切ります。よく見ると、首元にナフキンを着けています。ここは宇宙だから、窓の外は相変わらず真っ暗なのに、いつもの朝より朝って感じがする......なんでだろ、この曲のせいかな。
「あ、このピザ、美味しい」
「お前、手で千切るなよ」
パイポが私の手元を見て、不快そうに言いました。別にいいじゃない。私は無視してピザを頬張ります。
「そう言えば、さっき話してたの、ユキちゃんってやつか」
「そうだけど、どうして知ってるの?」
まあ、スパイなんだから、それくらいは知ってそうだけど。パイポはピザカッターを、ピザとは別に用意していたお皿の上に置きました。
「マリネに聞いたんだ」
「え?マリネちゃんを知ってるの?」
私は口元にピザを構えたまま、聞き返しました。パイポはようやく切り終えたピザを、やっと手に取りました。
「スパイとして、あんまり親縁関係をバラしたくはないんだけど、マリネは俺の妹だ」
「そうなの!?」
マリネちゃんは、タガイ星から渡星していた渡星人の女の子です。先日の緊急渡星禁止令で強制送還されるまでは、私とユキちゃんと一緒に、仲良し三人組を形成していました。その、マリネちゃんの......お兄ちゃん?
「マリネからお前らのことは聞いている。もちろん、任務の為に聞き出したとかではなく、普通にお前らのことはよく話してたからな」
「ふーん、そうなんだ」
私はコーヒーを啜りながら、相槌を打ちました。ミルクをいっぱいまで入れたのに、まだ苦いです。
「じゃあ、マリネちゃんもスパイなの?」
「お前、短絡的だな。マリネはスパイじゃない。それに、俺がスパイってことも知らない」
「へー、そっか」
「ニャー」
猫ちゃんはミルクを少し残したまま、私の膝に乗ろうとして、椅子をペタペタ触っています。私はピザの最後の一枚を頬張って、猫ちゃんを膝の上に乗せました。
「革命軍は、ニコニコ惑星の破壊が、満場一致で決定されたことに怒ったんだ」
パイポは、自分の皿と私の皿を見比べて、また不快そうな顔をしながら言いました。私は気にせずコーヒーを啜ります。
「しかも、その惑星会議に、ニコニコ星人は参加させられなかった。当人不在で、一方的に破壊が決定されたんだ」
パイポは、2枚目のピザを噛み切って言いました。このペースだと、全部食べ終わるまでかなりかかりそう。気づいたら、猫ちゃんは丸くなってスヤスヤ眠っていました。私は、猫ちゃんを起こさないように、優しく撫でながら、パイポの話を聞きます。
「俺に与えられたミッションはこうだ、ニコニコ惑星の代表者を呼び出せ。そして、革命軍の目的は、その代表者を惑星会議に連れ出し、反対の意を表明させることだ」
「ふーん、あれ?ちょっと待って。だとすると、ニコニコ惑星の代表ってどこにいるの?」
「え?お前だけど」
「えええええええええっ!?」
「ニャン!」
私は驚いて椅子から落ちそうになりました。私が突然動いたので、猫ちゃんもびっくりして膝の上から飛び降り、ロケットの隅に逃げて行ってしまいました。
「どう言うことよ!?なんで私がニコニコ惑星の代表なわけ!?ふ、普通大統領とかじゃないの!?」
テーブルの上のコーヒーが少し溢れてしまいっています。パイポのナフキンにも、ピザのケチャップが付いてしまっています。一瞬止まった時間に、ジムノペディが流れています。
「全く、騒がしいやつだな」
ぶっきらぼうに、パイポは沈黙を破りました。猫ちゃんは隅からこっちの様子を伺っています。動物は感情の変化に敏感です。
「......で、私が代表ってどう言うこと?」
パイポは3枚目のピザを飲み込んでから、私の目を見上げるように見つめました。これを睨んでいると思わなくなったのは、パイポに慣れてきたってことだと思います。
「ニャー!」
パイポが何か言おうとしたと同時に、猫ちゃんが鳴きながら駆け寄って来ました。どうしたんだろう?さっきまで嫌がってたのに。抱っこしたら、猫ちゃんは震えていました。大変!ミルクでお腹壊しちゃったのかな......
「おい、ヤバいぞ!サツに見つかった!」
「え?」
窓の外を見ると、大量の宇宙船らしきものが、こちらに迫って来ているのが見えました。慌ててパイポが走って、操縦席に座ります。
「何やってんだ!早くこっちに座ってベルトを締めろ!」
「は、はい!」
私も慌てて隣に座り、ベルトを締めます。多分、大変な事態になったんだな。猫ちゃんは、ベルトがないから、落ちないように抱きしめます。
「このまま逃げたら目的地がバレてしまう!ワープするぞ、衝撃に備えろ!」
「きゃーあ!猫ちゃん!!」
ドドドドドドドドドドドド!!ものすごい音がして、私たちは光の中に突っ込みました。眩しくて、前が見えない......
「ニャン、ニャン」
「ね、猫ちゃん......?」
気づいたら、宇宙船は止まっていました。窓の外には雲が見えます。体は傾いてるみたい。猫ちゃんは私のほっぺを、前足でムニムニしていました。
「ありがとう......起こしてくれたんだね」
「ニャー」
私は猫ちゃんを抱きしめました。大丈夫、みんな無事みたい......
「はっ!!」
私が隣の席を見ると、そこには血だらけの......血だらけのパイポがいました。
「パイポッ!?」
私はベルトを外して立ちあがろうとしました。
「うっ、痛い......」
でも、体のあちこちが痛い。私も、相当な衝撃を受けたみたいです。なんとか立ち上がって、パイポのベルトを外しました。
「う......あう......」
よかった、息はあるみたい。私はパイポを抱えて、割れた窓から宇宙船の外に出ました。こういうの、火事場の馬鹿力って言うのかな。外は、美しい青い空で、目の前にはどこまでも続く花畑が広がっています。まるで天国のです。私は力尽きて、ついにパイポを落としてしまいました。美しい花の上に、鮮血が滲みます。
「ニャン......」
それを見た猫ちゃんが、すごく悲しそうな声で鳴きました。今まで、猫ちゃんのこんな声、聞いたことがありません。それを聞いて、私は恐ろしくなりました。
「そんな悲しい声、出さないでよ。本当の天国じゃないんだからさ.....」
私は震えながら言いました。パイポの出血は酷くて、体の周りのお花は、白いのもピンクのも、のべつまくなし真っ赤に染まりました。本当に、もう、ダメかも知れない。視界が涙で滲みました。悲しみがこんなに深いのは、生まれて初めてのことです。
「猫ちゃん、ここ、やっぱり天国なのかも......」
気づいたら、あれ?私はパイポの横に倒れていました。私、今、立ってた筈なのに......
「ニャン!ニャン!ニャン!ニャン!」
遠くで、猫ちゃんの声が聞こえました。鳴き声というより、吠えてるように聞こえます。必死で、とても愛らしいです。可愛い。血の匂いに混じって、微かにお花の匂いがします。死ぬときって、こんななのかな。案外、幸せな気分だな。それからどうなったのか、私は覚えていません。




