4.飲み込んで、貯まり、澱む。
この世界には"厄災"と呼ばれる災害が存在する。
ある時は全てを壊す"嵐"が、
ある時は全てを侵す"病"が、
ある時は全てを殺す"霊"が、
現れて、街を襲い、多くの人を殺していく。
原因は解っていない。ただ、天界や冥界でも起きていて、甚大な被害が出ていることは、確かだ。
そして7年前の、あの日―――。
街が光に包まれたかと思えば、
雷を何十本も束ねたような、轟音と衝撃。
何十mという巨大な体躯に、
真っ白な毛。鋭い爪と牙を生やして。
―――俺達の街に、"獣"が現れた。
"獣"は暴れた。街全体を破壊し尽くす勢いで。
何百人という人が殺された。
多くの街がそうなったように、
この街も、"厄災"に滅ぼされてしまう。
そう、街の人達が思っていたとき、
"獣"を止めたのは、俺の先生だった。
ジル・ヴァージュ先生。
孤児だった俺を拾って、育ててくれた、大恩人。
先生が全力で"獣"と戦い、"獣"を倒した。
自分の命と、引き換えにして。
"獣"が消えた後、それでも街はボロボロだった。
半分以上の建物が破壊されて、
そこらじゅうに死体が転がっていた。
生き残った人達も、明日からどう生きていけばいいか、わからない有り様だった。
でも、街の人達は諦めなかった。
誰にも手出し出来なかった"厄災"、
それを打ち倒す、"英雄"が居たから。
そうして、皆が必死になって、街の復興を成し遂げ、
今では、かつての姿を取り戻している。
それでも、街の人達の中には、
あの"獣"の姿が焼き付いて、残っている。
大切な人を奪われた、記憶と共に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街の北側、市場とは反対側の位置に、駐在所があります。中心にある4階建ての大きな建物が庁舎で、青みがかかった白色の壁が特徴的です。これは、防水と強度を高めるために、ある植物を燃やした灰をレンガに混ぜ込んでいるからだそうです。
そこでは70人以上の駐在兵達が働いており、街の巡察や、住民からの相談を受け付けています。敷地には、武器や食料の倉庫、見張り台や通信施設にその他諸々――、いくつも建物が立っています。
その駐在所の斜め後ろに、墓地があります。街の住民は勿論、この街で無くなった商人や旅人も、身元がはっきりしていない場合や、住んでいた街が遠くて運べない場合は、ここに埋葬されます。
ぱしゃ、ぱしゃり
墓地の石段をシロが登ります。登るたびに右手に持った水桶から水音がしました。
手には花束。垂れ下がった、小ぶりな花が約10個連なって咲いています。
"泣き鈴蘭"と呼ばれる花で、雨が降った翌日、垂れた花弁から水がポタポタ落ちる姿から、この名前が付けられました。
シロが石段を登り終えると、そこは墓地の一番奥。目の前には慰霊碑がありました。
なめらかな肌触りの黒い石で作られており、大きさ2m、横幅は4~5mほどです。後ろには木が2本植えられており、春先にはピンク色の綺麗な花が咲き誇ります。
この慰霊碑は、"厄災"の被害者を慰めるために建てられました。表面には"厄災"の経緯が書かれ、裏には犠牲者の名前がズラリ。そして、名前の最後には『"厄災"から街を救った英雄』として、他の犠牲者よりも二回りも大きな字で、ジル・ヴァージュと刻まれていました。
シロはポーチから布を取り出すと、水桶の水を使って、慰霊碑を拭いていきます。掃除が終わると、持ってきた 泣き鈴蘭を供え、手を合わせて祈りました。
シロはしばらくの間、何かを考え込むように、じっと目をつぶっていました。
しかし、やがてゆっくり口を開くと、
「ごめ――――」
「ねぇ?」
何かを呟こうとしたとき、石段の下から声が聞こえました。シロが、言葉を飲み込んで振り返ると、そこにはサラがいました。先ほどまでと同じように、ボーラーハットは付けず、肩掛け鞄を下げています。そして、後ろ手には大きな籠を持っていました。
少し気まずそうにシロの様子を伺い、
「そっちに行っても良いかな~。なんて」
と、誤魔化すように微笑みました。
シロは何も言わずに、石段を半分ほどまで降りると、手を伸ばします。サラはその手を嬉しそうに握ると、パタパタと石段を上がります。
「えへへ、ありがと☆」
「よく解ったな。ここに居るって」
「何年一緒に居ると思ってるのさ」
「……そうだな」
シロは素っ気なく答えました。逃げだすようにあの場から離れてしまったことを、少し後悔していました。じっとこちらを見てきますが、ちょっと、目は合わせられません。シロが手で頭の後ろを触ると、彼の癖毛がもしゃりと動きます。
「……」
「……」
2人の間に沈黙が流れます。でも、それはわずかな時間でした。
こういうときに我慢できないのが、サラという少女の性分なのです。
「ねぇ、シロ! お腹空いてるよね!?」
持っていた籠をシロの顔へ"ずい"と差し出します。
「お昼まだでしょ? 簡単なやつだけど、ボク作ってきたから」
「え、いや、別に腹なんて……」
「ボクが!! せっかく!! 作ったから!!!」
狼狽えるシロに、再度籠が差し出されます。
こういうときに断りきれないのが、シロという少年の性分なのです。
「……あー、わかったよ」
風が吹くと、近くに植えてあった木々が、ざあざあと揺れ、赤い大きな花びらに続いて、小さな白い花びらが舞い散りました。
籠の中から布を取り出して敷くと、慰霊碑を背中に石段へ2人並んで座ります。続けて籠から出てきたのは、大きなサンドイッチが二つ。サラは一つをシロへと差し出しました。
「ありがとな」
「どうぞ」
サラは既にむしゃむしゃと食べ始めていました。墓場で食事なんて、大分罰当たりじゃないか、ともシロは思いましたが、今更でしょう。それに、この辺りで食事が出来る場所は、他に駐在所くらいしかありません。
いつもであれば、敷地の端っこを借りるくらいは出来るのですが、今のシロはそうもいきません。
――セルフ出禁状態ですので。
なので、つべこべ考えるのは止めて、
「いただきます」
と、両手を合わせてから、食べ始めました。
ふんわりとしたパンに、歯ごたえの良いレタス。輪切りにしたトマトの間にはベーコンが挟んであります。具の間にサラ特製のソースが塗ってあり、丁度良い酸味と辛さがそれぞれの味を引き立てます。
「……うまい。流石だな、サラ」
「んふふ~☆ でしょ?」
そう言いながら、サラは籠から水筒を取り出すと、コップに注いでシロへと差し出します。中身はハーブティーで、一口飲むとスッキリとした味わいです。
「うん。こっちも美味しい」
「お気に召して何よりですよ~」
想像以上にお腹が空いていたのか、あれほど大きいと感じたサンドイッチも、ペロリと平らげてしまいました。
シロは再び静かに手を合わせ、「ごちそうさま」と頭を下げました。
「ね、元気出た?」
「っ!?」
顔を上げた瞬間、横からひょっこりと、こちらを覗き込むサラに、シロの身体はびくりと跳ねました。
「お、驚かすなよっ!?」
「元気出た?」
「……そ、それは。うん。気を使わせて、悪かった」
「ありがとう、って言ってよ」
「えっと……ありがとう」
「うんうん☆ そしたら、ボクからはこれでおしまい。そんでもって、次は、これね」
続けてサラが籠から取り出したのは、紙袋。中を見てみると、リンゴが5、6個入っていました。
「駐在さんか?」
「言い過ぎちゃったお詫び、だって」
「お詫びだなんて、要らないんだがな。あの人の言たいことも間違っちゃいない」
「そう? "厄災"やヴァージュ先生の話を出すなんて酷いよ。ましてやシロが死んじゃうかも、なんて、言って良いことと悪いことがあるよ!」
「……あの人も"獣"の被害者だ。街を守るためなら、何だって考えるだろ」
「それはキミだって同じじゃないか。キミだけに押し付けるのは、やっぱりおかしいよ」
「……………」
むくれるサラを尻目に、シロはリンゴを2個取り出して立ち上がると、慰霊碑の前に置きました。
碑に刻まれた名前には、サラのお父さんとお母さん、それから、駐在さんの奥さんと息子さんの名前もあります。
「結局、シロはさ、グルヴーさんの話、受けるの?受けないの?」
「……受けないな、多分」
再び石段に座り、答えます。
「やっぱり、街が心配だから?」
「それもあるが……」
シロはそこまで言いかけたものの、一度黙ってしまいました。
「何だよ~! ボクには言っても良いじゃん」
怪訝そうな顔で見てくるサラに、シロは渋々口を開き、彼女の様子を伺うように言いました。
「先生なら、行かないから。……かな」
「え? 何、その理由!?」
「だ、だから言う嫌だったんだ」
「いくら何でも、そこまでヴァージュ先生に合わせる!?」
「あくまで最後の決め手だって!! そ、それよりサラ! 慰霊碑に来たんだから、いつもの、やるんだろ?」
「あーっ! 露骨に話を反らしたぁ~!」
むくれるサラに、なだめるシロ。
晴れ渡る空に、青い鳥が飛んでいきます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サラは慰霊碑の前にしゃがみ込むと、キャソックのすそを整えます。鞄からボーラーハットと"彼約聖典"を取り出すと、帽子を被り、聖典を開きます。
そして、右手は指先に魔力を込めて、宙に何かを描き、左手は握りしめたまま顔の前に当て、"鎮魂の祈り"を始めました。
『魔力には魂が宿る』
――という言葉が、この世界には存在しています。
そもそも、魔力とはエネルギーの一種です。目には見えませんが、この世界にある全ての物が持っています。人間、天使や悪魔は勿論、鳥や動物、草木や石といったものにさえ、存在しています。
そして、生き物から放出される魔力は、大気中へと散っていきます。その魔力を植物が吸収して、植物を昆虫や小さな動物が食べて、虫や動物をより大きな動物が食べて……。と、食物連鎖に組み込まれる方法で、世界を巡っていきます。
これが、正しい魔力の流れなのです。
さて、ここまで聞くと、1つの疑問が出てくると思います。今のが「正しい」魔力の流れなら、「悪い」魔力の流れもあるのだろか?
――その答えが、最初の言葉です。
生き物の持つ魔力は、その生き物の感情に左右されます。
例えば、料理を作るとき「愛情を込めると美味しくなる」だなんて、よく聞きませんか?
勿論「愛情を込める」ことは、食べる人に喜んで貰おうと、色々と工夫をすることですから、何も考えないよりも、美味しくなりやすいのでしょう。
しかし、それだけではありません。この世界においては、料理を作る人の「美味しくなって欲しい」という意志は、その人の放出する魔力に影響を与えます。
もっと言えば
「作っている料理を、その人が美味しいと思う味に変える」
という性質を、魔力が持ってしまうのです。
結果として、魔力が料理に吸収されて味が変わる。ということが、実際に起きるのです。
とはいえこの場合、一人の人間から放出される魔力なので、与える影響はほとんどのありません。
今までの、料理の例で言うなら「大鍋のスープに水を1滴加える」ようなもの。普通の人はまず変化に気づかないでしょう。
唯一例外を挙げるならば、生き物が死んでしまったときで、このときは身体に残る全ての魔力が放出されます。当然その量は、生きていたときとは比べものになりません。
例えばこのとき、誰かに殺されて死んだとしたら、強い怨念を持った"負の魔力"が放出されます。
そして、"負の魔力"同士が少しずつ集まり、貯まって、澱んでいくと、何かしらの形となって現れてきます。
幽霊が見えた、死んだ人の声が聞こえた、なんてことはその代表例です。
さて、色々と話が脱線していましたが、ようやく本題に戻れますね。
皆さん、一つ疑問に思いませんか?
1人死んだだけで、影響が出るなら、
大勢の人達が、虐殺されたなら?
それこそ"厄災"で死んだ人達の魔力は、
どうなるのか――?
―――そうです。
それがこの儀式を行う理由です。
"厄災"によって生まれる"負の魔力"は膨大です。
土地に"呪い"を与えたり、"魔獣"に姿を変えて、人々に襲いかかったりします。"厄災"で生まれた"負の魔力"が新たな"厄災"の原因だ、という学者もいるくらいです。
"鎮魂の祈り"には、大気中の魔力を混ぜて"負の魔力"が貯まらないようにする効果があります。
魔力が感情による影響を受けるのは、一定期間だけなので、何度も繰り返す内に、徐々に"負の魔力"が浄化され、大気中に溶けていき、最後には「正しい」魔力の流れに戻っていくのです。
サラは"鎮魂の祈り"をずっと続けています。
実際には"厄災"から7年過ぎているので、せいぜい年に1回か2回やれば充分ですが、それでも週の半分以上はここに来て、祈りを捧げています。
普段こそ、あっけらかんとしているサラですが、彼女なりに、思うところはあるのでしょう。
そんなサラの様子を、グルヴーから貰ったリンゴを食べながら、シロは眺めていました。
勿論、サラの分も剥いて切り分けた上で。
でなければ、戻って来た彼女に、怒られてしまいますから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魂よ、標を見つけ、定めよ。
魂よ、苦しみ、怒り、憎しみに留まることなかれ、
魂よ、あらゆる悪しき色に染まるな。
界より新たに生まれよ。
標を見つけ定めよ。
黒き魂よ、還れ、還れ、
色なき姿へと還れ。
界より新たに生まれよ。
染まりし魂よ、穢れを棄てよ。
されば赦されん
――元より魂に、罪は無し
繰り返し聞いた、その祈り。
何度も何度も、繰り返す。
何度も何度も、咀嚼する。
それでも、飲み込めるのは、一欠片の林檎だけ。
飲み込んで、貯まり、澱む。
ただそれだけが、繰り返される。
放たれた魂は、穢れを棄てられても
留まる魂に、穢れを棄てる術は無い。
いずれ、器が壊れるまで、
飲み込んで、貯まり、澱む。
ひたすらに、ひたすらに。
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