2.ハーバル邸にて
その荘厳なゴシック様式の建物を前にロリアは立ち尽くした。
ハーバル領の領主である男爵の城はとても大きかった。使用人が20名ほどおり、領地を守る為の警備軍もある。
神途境の住人ならこの城に隙間なく密集し5000人は住みつけるだろう。それでも余裕のある広さだった。
そんな広くても掃除が行き届き、城が寂れていないのは、それぞれ使用人の魔力が高く質も良いからだろう。魔法で綺麗に建物を保ち維持管理しているのだ。
広大な庭は色とりどりの花が咲き、蝶が舞っている。まるで絵物語に出てくる楽園のようだった。
建物自体は古かったが、それもまた趣があった。
ロリアが無魔人である事は今のところバレていない。奴隷である事が幸いした。魔力制御の首輪のおかげだ。これがあるおかげで普通の人間が魔法を使う場面に遭遇しても言い訳が効く。
11歳の主人のおかげか待遇も悪くない。むしろ良いくらいだ。血統書付きの犬のように大事にして貰っている。
「アトゥ、おはようございます。今日も私が髪を結ってあげますね。」
ロリアはアトゥという新しい名前を付けられた。奴隷には名乗る権利も無く、主人が許可をしなければ喋る事も動く事も出来ないのがこの国での奴隷のあり方だった。
幸運にもロリアの扱いは、サンドバッグではなく人形そのものだった。
着いた日には、これまで見た事ないほど透明な水で体を洗われ、清潔な衣服を見に纏い、ボサボサの汚かった髪は綺麗に整えられた。
寝床も一緒で、幼い子供がぬいぐるみを連れて歩くようにロリアも一緒についていく。主人と四六時中一緒な為、他の使用人に虐待を受ける事もない。
しかし、今まで汚く不便で不自由ながらも気ままに生きてきたロリアにとって少々窮屈ではあった。首輪をつけられ檻から出られない。まさに籠の中の鳥のようだった。
今までの生活からは想像がつかないほど豪奢な部屋で、金細工のついた豪華絢爛なドレッサーの前に座らされる。雲の上に座っているのかと思うほどフカフカな椅子だった。
鼻歌まじりに、小さな手が丁寧な仕草で髪を梳かしていく。あっという間に綺麗な三つ編みが作られていった。
妹や弟がいたらこんな感じなのだろうか。まるで子守りをしている気分だった。
「出来ました!アトゥ、今日は天気が良いのでお庭へ散歩に行きましょう」
「はい、ご主人様。」
主人に連れられ、きちんと手入れのされた庭を歩く。自然豊かで神途境にはない色彩だった。
「アトゥ、この庭の中でなら好きにしていいですよ。」
「はい、ご主人様。」
主人からの許しを得て束の間の自由を楽しむ。黄色の花に触れると、少しシットリとして良い香りがした。乾燥した葉っぱばかり触っていた数日前の生活が懐かしい。
だが、ロリアの狙いは他にあった。不自然にならないように花や草を見ながら庭の端ギリギリを歩く。
すぐ近くには門があった。隙間から覗くと、扉の向こう側には門番がいるのが見える。
土地を囲っている塀は3メートルくらいだ。頑張ればイケるかもしれない。だが今は無理だ、兵士も使用人もいる。警備が手薄になるよう作戦を立てなければならないだろう。
ギリッと歯を食いしばり手に持っている花を食べた。あまり美味しくなかった。
「アトゥ、その花は観賞用で食べ物ではありません。はしたないのでやめて下さい。」
年下の主人が呆れたように言った。
「メアリー!ここに居たのか!」
ハーバル男爵が執事と使用人、複数の奴隷を引き連れてドタドタと歩いて来た。
この屋敷に5人の奴隷がいる。一人はロリアで後の4人はハーバル男爵の奴隷だった。そしてその奴隷達は今目の前にいる。どの人も目は虚で覇気はなく、薬でもやっているかのような風貌だった。
「一緒にお茶をしよう。」
「はい、旦那様。」
今まで気にした事も無かったが、ご主人様の名前はメアリーと言うらしい。ニコリと貼り付けたような美しい笑みを浮かべた。ハーバル男爵が手を軽く挙げると一人の奴隷が前に出て四つん這いになった。慣れた手つきで使用人がその奴隷の背中にハンカチを掛ける。
ハーバル男爵は慣れたようにハンカチの掛かったその背中に座った。
ロリアは思わず唖然とし、その光景を眺めた後、緩む口元を引き締め、込み上げてくる笑いを懸命に押さえ込む。久々にツボに入る面白いものを見てしまった。
――小太りな中年のおっさんが、お花畑で微笑みながら四つん這いの人の上に足を組んで座っている。とってもシュールだ!
「ふふ……あはっ、あはははは!ひーっ、外世界の人間ってなんて面白いんだっ!まったく最高だよ!」
ロリアはとうとう腹を抱えて笑い出してしまった。今まで鬱屈としていた気分が嘘のように楽しくて堪らなくなった。その場の空気が凍り付き緊張感が走る。
ハーバル男爵は何が起きたのか分からない、とでも言うような間抜けヅラを晒していたが次第に顔を赤く染めていった。頭のてっぺんから持っていた杖まで怒りに震わせている。
ハーバル男爵は人間椅子から立ち上がり、拳を握り締めロリアの前に立った。左腕を大きく上げ、振りかぶる様子がスローモーションのように見えた。
躱せる拳だったが甘んじてそれを受け入れる。数瞬後にロリアの左頬に熱い衝撃が走り、地面に伏せた。間髪入れずに蹴りが飛んでくる。
「貴様ぁ!奴隷の分際で私を愚弄する気か⁉︎ふざけるな!死ね!死ね!」
晴天の穏やかな昼下がりにゴンゴンと鈍い音が木霊する。口内が切れたせいで、腹を思い切り蹴り飛ばされる度に吐き出される血が花にかかる。黄色と赤のコントラストがとても艶やかだ。
「いひ、あははははは!魔法使いなのに魔法を使わないなんてハーバル男爵も奴隷みたいだね!」
芋虫のように地面を這いずっているにも関わらず、口からは懲りずに笑いが飛び出た。
とうとうハーバル男爵は杖を取り出しロリアに向けた。殺気が痛い程伝わってくる。
だがそれで良いのかもしれない。神途境の汚い路地裏で曇天の日にゴミに塗れて孤独に死ぬ未来に比べたら、晴天の中いい匂いのする花畑で死ねる今はいくらか幸運だろう。
男爵の杖から出た光が眩しい。
「お待ちください、旦那様。」
光を遮るように小さな背中が立ちはだかった。ロリアのご主人様だ。
「この者は旦那様からのプレゼントで貰った私の所有物です。来月の私の誕生日パーティーに、私の手で締め殺し悲鳴をあげさせたいです。それまでお待ち頂けませんか?」
男爵はメアリーを見た瞬間、興が削がれたかのように冷静になった。
「……メアリーの頼みとなれば仕方ないな。良かろう、それまでソイツは地下に入れておけ。パーティーまで二度と私の前に出してくるな。」
いきなりの浮遊感に少し驚く。使用人が魔法を使いロリアを浮かせたのだ。そのまま使用人が歩き出すととロリアも宙を浮いて使用人の後ろをついて行く。物珍しさから暫く浮遊体験を楽しんでいたロリアだったが、この後起きる事を想像し、楽しかった気分が少し萎えた。
ロリアの主人――メアリーはロリアを助けてくれたのだろう。
しかしロリアはどうも小さな主人を好きになれなかった。誰よりも美しく、誰よりも怪物らしい。
人間味がなく隠し切れない超然とした雰囲気を晒し出している。メアリーの周りだけは、いつも空気が重く、背筋が凍るような不自然さを感じる。
要するに、全くもってロリア個人の感想でしかない意見だが、薄気味悪いのだ。子供らしくないどころか人間らしくない、その様が。
メアリーから離れられた事は個人の心情的にはラッキーだったが、生命的にはアンラッキーだ。男爵の怒り具合と、この国の奴隷の扱いから見れば来月のメアリーの誕生日がロリアの暫定命日になった事は火を見るより明らかだ。
その前にこの城から何としても脱出しなければならないが魔法も使えなく空も飛べないロリアには難しいだろう。
浮遊しながら、城内や外の警備兵の人数を盗み見る。これまでも幾度となく命の危機に瀕しては脱出していたが今回ばかりは骨が折れそうだ。
使用人が扉を開けると、そこには階段があり地下に続いていた。杖を振るい先端に光を灯す。ジメジメとしていて薄暗い階段を降りると広めの場所に出た。
――地下牢だ。
目を凝らすと鉄格子の向こうに人がいる。
ロリアは乱雑に檻の中に入れられた。
「……はぁ、もう鉄格子の中は一周回って安心するよ。」
口角を上げ皮肉げに呟いた独り言が地下に響いた。
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