14.神のアトゥ
意識を失う直前、ロリアは視界の端でそれを目撃した。王の後ろで地面が噴水のように勢いよく隆起したのだ。
その拍子に、落として小さくなった鎌が跳ね上がり、ブーメランのように回転しながらロリアの元へ向かって来ている。
王は耳元で風を切る音が聞こえ、驚いたのか背後を見た。
――その隙を逃すわけには行かない。
ロリアは右手を横に伸ばし飛んできた鎌の柄をキャッチし、目の前の男に切り掛かった。
しかし、紙一重で躱され攻撃は空を切る。
「魔法も使えぬ無魔人に何が出来る。トロい貴様がそんな鎌一つで戦った所で我の脅威にはならんわ。」
「それはどうかな。やってみない事には何事も分からないよ。」
ロリアは王へ刃を向け走った。王、ドラーガも迎え撃つように魔法で攻撃してきた。
「〈炎狼よ全てを灼け〉」
炎の狼が3体現れ、ロリアに襲いかかる。一匹の狼が左腕に噛みつき、そこから服ごと肉が焦げていく。
「あぁっ……ぅぐ、ガガガ・ドラーガ!!私はお前を必ず倒す!」
ロリアは痛みで絶叫した。断末魔のように王の名を叫びながら鎌を振り上げ襲いかかろうとすると狼達は守るように彼の周りを固めた。
「我の力はまだまだこんな物では無い。その歳まで生き残った褒美だ、魅せてやろう。」
目の前の男は次の攻撃を構えている。
それが狙いだった。
ロリアは左腕に狼を噛み付かせたまま王を素通りし駆けた。狙いは一つ。
「ぬぁっ、貴様ァ!我を無視するとはこの無礼者が!」
源魂花!
背筋に感じる熱の気配に全身総毛立つ。咄嗟に転がるように避け、そのまま花目掛けて地面に滑り込んだ。
「届いて!」
悍ましいラフレシアの根元に大きく伸ばした鎌が差し込まれた。
力を込めて引くように切ると、呆気なく花は刈り取られ、その衝撃で源魂花は宙を舞った。不気味にゲェゲェと呻いている。
その後、重力に従いボタンと地面に落ちた。
……しかし、なにも、起こらなかった。
「なんだ、焦ったぞ。何も起きないではないか。」
チリチリと肌が焦げるように暑い。上を見上げると、数百はあるであろう火の矢がロリアを狙っていた。
「我の魔法だ、どうだ、魔法とは凄いだろ?貴様とは縁の無い事だがな。」
王が得意げに自分の魔法を自慢している。棒立ちのままロリアは立ち尽くした。
(これを避けるのは、無理だ。)
片腕だけで火の雨を捌く事など出来はしない。焼けた左腕はジクジクと痛む。
降りかかる矢は、青と赤が混じる炎の煌めきが幻想的で綺麗だった。
目の前が砂色に染まる。
……砂色?
「ギャスパー⁉︎ 」
火の矢が傘のようにロリアに覆い被さった砂の壁に阻まれている。パラパラと落ちてきた砂が髪に絡んだ。
「いひひ、はは……フハハハハッ!!!」
場違いにもけたたましい笑い声が聞こえてきた。
「ギャスパー⁉︎……いや、ギャスパーじゃない。……誰?」
そこにいたのはギャスパーに似ている若い青年だった。背は高く、赤い瞳の男だ。
髪の毛が炎のように紅蓮に染まり光っている。
首は切断されたかのように流血しており、髪は丁度首の傷の辺りで切り揃えられていた。
彼の手にはロリアが選んだ扇があった。もう片方の手には、一回り小さくなったゲヒゲヒ笑っている源魂花。
「うふ、ふはははっ!魔力が体に満ちているっ!いい気分だ、私は、ようやく、元に戻った!」
そのまま突如現れた男は落ちてくる炎の雨をモノともせず、片手に持っていたラフレシアを圧縮した。
「待て貴様!その花をなんだと心得る!」
王の制止は無視され源魂花は片手で呆気なく潰された。
パァンと弾け飛び、キラキラと光になって男に吸い込まれるように消え去った。
「この花ですか……。」
男は目をギョロリと王に向け、弓のように細め嗤った。
「この花は私の魂のカケラですね。これからは今までのツケと、まとめて返して貰います。」
王は絶句した。幽霊でも見たかのような顔で驚いている。
グラグラと地面が立つ事もままならないくらいに大きく揺れる。
源魂花を刈り取ったせいか、急速に国の魔力がどんどん失われていっているのだ。
現にロリア達がいるジャングルのような空間も崩れてきている。
「……邪神が蘇ったとでも言うのか。」
「邪神になったつもりはありませんが、あなたがそう思うならそうなんでしょうね。」
「この世界の切り札が我ら人間を裏切り邪神についたというのか!」
王は悲痛に叫んだ。
「やめて下さい。彼女は神のアトゥです。今はもう、ね。」
天井が崩れ岩が落ちてくる。
ロリアはようやくこの男がギャスパーだと気づいた。
王から射殺さんとばかりに視線を浴びせられ、ロリアは顔を顰めながらそちらを見た。
「女、貴様、無魔人よ、今は撤退するが今度あったら必ず殺す。覚えていろ。内臓を引き摺り出して生きたまま剥製にしてやる。」
殺意を浴び思わず顔が引き攣った。人から恨まれるのは好きじゃない。
この国の魔力は失われて、国民はもう魔法を使えないはずだ。だが王は魔法を使いこの場から脱出した。
ロリアも落ちてくる岩石を避け、片手で切り裂く。必死だった。こんな所で生き埋めなどたまったものではない。
「ロリア、遊んでいないで早く脱出しましょうよ。」
ヌッと横から現れたギャスパーにフードを捕まれ脱出した。カエルの鳴き声のような声が出た。
つくづく思う。魔法は便利だ。瞬間移動だって出来るのだから。
気がついたら闘技場のど真ん中に立っていた。
キメラと戦った場所だった。今は争いの気配は微塵もなく人もいない。シーンと静まり返っている。
外から町の喧騒や悲鳴が聞こえた。土砂崩れのような轟音も、泣き声も。何かが燃えるような爆音も。全ての音が耳に入ってくる。
――遣る瀬無い。
魔法がなくなり、魔力で出来た物は全て崩壊したのだ。一瞬にして豊かな町は瓦礫となったのだ。
遠くで煙があがっていた。
「ロリア、左腕が焼けています。治療するので腕、貸してください。」
ロリアはその金色の瞳に大人になったギャスパーを写した。
「まず先に自分の首を治しなよ。」
ギャスパーが無言で、首の傷口に沿って指先でなぞると流れていた血が消え、もとからあった傷跡に戻った。
「癖がついちゃったみたいですぐ首が落ちてしまうんです。やはり貴方から貰ったマフラーはつけた方がいいですね。これがあれば落ちない。」
何もない空間から取り出し、彼は鼻歌を奏でながら黒いマフラーを巻いた。
「ギャスパー、遠くで人が泣いている。」
「? そうですね。」
ギャスパーはロリアの焼け爛れた腕を治そうと近づき、手を翳した。
パチン
治癒の魔法が弾かれた。ロリアは何事もなかったかのように空を見上げている。空は煙や砂埃、火の粉でスモッグに覆われていた。
伽藍堂のような金色の目が再びギャスパーをうつした。
「帝都が滅んでいく。」
「ロリア、私はまだ自分の魔力を返して貰っただけです。これが自然の摂理なんです。」
「……そうだね。」
「まぁ、これから彼らには耳を揃えて対価を支払って貰いますけど。」
ギャスパーは爪の先に10センチほどの水の玉を出した。透明な水はあっという間に紫色に変わった。
「これを飲んで下さい。ポーションです。」
ロリアは顰めっ面で口を閉じた。みるからに不味そうだ。
「腕にウジが湧いてもいいんですか?」
そう言うと、ギャスパーはロリアの口を鷲掴み力づくで無理やり開かせた。多少、本気で暴れたが筋力増量中の今のギャスパーに敵わなかった。
少し開いた口の隙間からポーションが流し込まれる。
とても苦かった。次第に痛みは引いていき、体の傷が治った。
「ギャスパー、私は一刻も早く君を覇者にするよ。」
「そうですか、それは嬉しいです。」
ロリアが横目でチラリとギャスパーを見ると、だんだん小さくなっていった。
なぜか子供の姿に戻っている。髪の色もどんどん薄れて銀髪に染まった。
「はぁ、1つだけ源魂花を取り込んでも一時的に元に戻るだけでダメなんです。5つ全て揃わなければ何の意味もない、無価値で無力なまま……。」
「それは……難儀だね。ていうか君、大人だったんだね。邪神ってなに?何歳なの?種族は?性別は?出身は?」
「ハハハハ。友情の前には性別も何もかもが微々たるものでしょ。」
……誤魔化された。まぁ、いっか。
その時、ゴゴゴと地面が揺れ、鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が鳴り響いた。
驚いて音の方向を見ると、帝都を見下ろしていた山から巨大な黒煙が立ち昇っていた。その間からオレンジ色の火が覗いている。
噴火だ。
ゆっくり見えるが、しかし急速に、真っ黒な噴煙は岩石を飛ばしながらロリアのいる闘技場まで迫っている。
逃げなければ
ロリアはギャスパーの手を引いて出口へ逃げようとした。灰が降り始めている。
「ギャ、ギャスパー、なんか魔法でどうにか出来ない? このままじゃ私たちも死んじゃうよ。」
「この体じゃ魔力量も少なく安定しないので上手く魔法が使えないんですよ。……少し待ってください。」
ギャスパーはその場に座り、砂で地面に円状の紋様を描き始めた。
その間も大きな岩や石が飛んでくる。
闘技場の破壊が始まり、ロリアは焦りを募らせた。
なるべく作業中のギャスパーに石や岩が当たらないよう鎌で打ち払い守りに入る。が、熱い。
マグマが近づいているのだろうか。見えはしないが外からは、つんざくような悲鳴が次々にあがっている。
嫌に自分の鼓動が大きく聞こえた。
火山灰が降り注ぎ闘技場を灰色に染めた。
「ギャスパァー♡ 俺が来たぜ!」
岩と共に空から何かが降ってきた。
最近寒いですね。今はただ夏のあの暑さが恋しい。
いつも読んで頂きありがとうございました。