12.vsキメラ
顔が鰐、額に一本の長いツノ、胴体が熊、背には大きな羽が生えていて尾は巨大な二匹の蛇。
そのキメラはボカンの町で見た魔獣と比べ物にならない程強く、大きかった。人が虫のように蹴散らされる。
圧倒的な力強さ。その爪は一振りで人を真っ二つに、鋭い牙は一度噛み付いたら離れない。
圧倒的な防御。魔法で攻撃しても瞬時に魔力防御を展開し魔法を通さない。通っても生半可な攻撃では分厚い毛皮と筋肉には傷一つつけられない。
圧倒的な素早さ。愚鈍な人の足では到底敵わない俊敏さを持っていた。攻撃を避けてもすかさず蛇頭の尾が飛んでくる。
「おい、奴隷。お前、何歳だ?」
「さぁ、知らない。幼い頃は時間も暦の概念も知らなかったからね。でも多分10代後半か20代だと思う。」
刻一刻とロリア達の順番が迫っている。すぐに登場出来るよう、闘技場の袖で直接キメラの蹂躙を見ていた。
「マロティウスさんは何歳なの?」
「……なんでそんな事を聞く。」
「聞かれたから聞き返しただけで深い意味はないよ。」
「38歳。5歳の娘がいる。今朝、子どもが眠ってる顔を見て来たんだ。」
ピエロの断末魔がここまで聞こえて来た。尾にある蛇も生きているみたいだ。おそらく毒蛇だろう。噛みつかれた人が痙攣して泡を吹いている。
「あぁ、もう一度娘を抱っこしたかったな。俺がピエロの格好をするとニコニコ笑うんだ。」
「……?家に帰って遊べばいいじゃん。」
「はっ、だから俺達は今日がっ」
ロリアは仮面の下でニンマリ笑った。
「私達は死なないよ。絶対に。これは確信だ。なんたってここにはギャスパーがいるから。ギャスパーは覇者になれる。あの獣には負けない。」
そのギャスパーは何を考えているのか、珍しくソワソワと歩き回っていた。
たまにキメラを見つめては、めんどくさそうに溜息を吐いてを繰り返していた。
「は、覇者⁉︎こんなガキが⁉︎ワハハハッ!冗談だろ、以外と子どもらしい所あるじゃねぇか!」
「あなたの活躍にもかかってるけどね。でもマロティウスさんも今日は死なないと思うよ。少なくともあのキメラには殺されない。」
「……ははは、奴隷に慰めて貰うとはな。奴隷も王も死は平等だ。気軽に行こうぜ。」
バシッと背中を叩かれた。少し痛かったのでマロティウスの背中をはたき返した。マロティウスは少し涙ぐんでいた。見なかった事にした。
いつの間にか悲鳴は途絶え、会場が静かになっている。
「12番全滅。次、13番、早く入ってこい。」
とうとう番号が呼ばれた。
――――――――――
ロリアは闘技場に足を踏み入れ、その血生臭い悪臭と惨状に顔を顰めた。グチャッと嫌な音を立てながら靴が砂に沈み込んでいく。
あたりには色とりどりの星や水玉柄の布の切れ端やカツラ、中身入りのユニークなとんがり靴が散乱している。
「最悪のサーカスだ。気分が悪くなる。」
三人が闘技場へ入ると、早速キメラが襲いかかって来た。魔獣が最初に狙ったのは、魔力がなく弱そうなロリアだった。
だがキメラの爪は届かない。足が砂に拘束されたのだ。
「ここに砂が沢山あって良かったです。一から砂を作り出すより魔力の消費量が少ない。」
動きが遅くなったのを好機とばかりにマロティウスが炎の矢で攻撃をするが、やはり魔法防壁で弾かれてしまった。
キメラには魔法を使いこなす知能があった。
だが、幸運なことに空を飛んで回避しようとはしない。人を舐めているのだろう。
ぐおぉとワニ頭が鳴き、口から液体を吐き出した。
「ロリア!それは避けて下さい!」
ギャスパーの声が聞こえ、反射的に横に跳んで避ける。
その液体は地に沈んでいたピエロの一部に付着した。ジュウと音と煙を出して肉を溶かしている。酸だ。
爪や尾の攻撃をなんとか躱し致命傷は負っていないが、攻撃が通用せず防戦一方でジリジリと追い詰められていく。
またキメラがロリアを狙い突進して来た。
「また私だ、しつこい奴だな。」
走って逃げようとした時、足が遺体の一部に引っかかり体がよろめいた。あっと思った時には、既にキメラは目の前にいた。
かなり、世界が遅く感じる。もう数秒にも満たない後に眉間にキメラの一本角が突き刺さるだろう。
ワニ頭の瞳孔が縦に伸び、顔の鱗が逆立っている。とても興奮しているのだろうか。
いや、させられているのだ。
ロリアの瞳よりくすんだ黄色の目が、木の仮面をつけた赤毛の女を写していた。生臭い息が顔に吹きかけられる。
「――っどけ!」
どんっと衝撃が走り、体が倒れ尻餅をついた。
(嘘、ありえない。)
ロリアは目を見開き呼吸を浅くし、口を開いた。
「な、なんでっ?」
マロティウスの腹に一本の角が貫通している。ロリアを庇ったのだ。一般の市民が奴隷を庇うなどあり得ない。
「ゼェ……ガキ共ぉ!俺はお前らに賭ける。やってやるぜ!命を賭けた最後の特大魔法だ!!」
腹を貫かれ口から血を吐きながらマロティウスは叫んだ。彼の持っているステッキ型の杖から巨大な魔力が感じられる。
「〈炎よ、閃光よ!総ての目を灼き尽くせ!〉」
ロリアは慌てて目を隠した。ピカッと真っ白い巨大な光が闘技場を覆った。それと同時に砂が舞い上がる。
獣の視界は完全に機能していないだろう。
ロリアは、すかさず立ち上がり地面を力強く蹴った。白霧骨鎌を取り出しキメラの心臓に刃が届くよう、大きくし両手に持った。
心臓は左前足の付け根の位置にある。
砂で足をわざと滑らせ、腰を低く落とし、砂の上を滑り込むように四足歩行の獣に向かった。
前脚の股下に入り込む直前、刃を胸に突き刺した。
ギエェェェッ!ギュイギュイッ!
キメラは奇声を発し暴れている。
角に刺されているマロティウスもそれに合わせてブラブラと揺れていた。
それでもロリアは手も刃物も相手から離さず、胸を裂き、腹を裂き、キメラの股下を勢いのまま滑り抜けた。
よく切れる鎌のおかげで、肉は裂け、体中に生臭い血を浴びた。
ザーっと砂の上を滑るように転がり、キメラの腹下を潜り抜ける。膝を擦りむいた。痛い。
その新鮮な血の臭いに反応したのか、砂埃が舞い視界が不良の中でも尾の毒蛇は唸りながらロリアに牙を向けた襲いかかった。
地面に倒れ込んだまま鎌の柄を横にし咬まれないよう咄嗟に対処したが、限界も近い。
蛇の力に負けブルブルと両腕が震え、ロリアの頭に毒牙が少しずつ迫っている。
もう一匹の蛇もロリアに向かって来ているのが、視界の端に写った。
「くそ!ギャスパー、早く!」
鎌を小さくさせると同時に横に転がると、蛇も飛び付き、今までロリアが寝ていたところには穴が出来ていた。
短刀を取り出し向かって来ている、もう一匹の蛇の脳天に突き刺す。
それでもまだシューシューと威嚇している蛇にトドメを刺す為、杭を打つ要領で地面に磔た。
隙を見せたロリアにもう一頭が襲いかかる。
「うわっ、やばっ!」
ロリアが顔色を変えた瞬間、蛇は動きを止めた。そのうち悶え始め、痙攣すると口から砂を大量に吐き出した。
唖然としながら戦闘前の会話を思い出した。控え室にて立てた作戦。
『一瞬だけでもいいので会場の人も見えないほどの目眩しをして下さい。彼女の攻撃手段は特殊なので誰にも見せたくありません。出来ますか?』
『俺を誰だと思っている。ガキ共、俺は出来るぜ!』
『ロリアはなるべく心臓に近い所に傷を入れてください。攻撃は基本通らないので砂を操り傷口から血管にいれ直接内部を破壊します。』
『私はサポートがあれば首を落とせる。そっちの方がいいんじゃない?』
『いえ、キメラは自己再生能力が異常です。首を落としてもすぐ回復するでしょう。』
まるで蛇口のようにとめどなく、砂が口から流れ落ちる。ワニ頭の目や口からも出ていた。
回復させる暇も与えず、次から次へと闘技場内の骨や砂粒が傷口からキメラの体内へと入っていく。獣はプルプルと震えている。
やがてズシンと重い地響を上げ、ついに魔獣は倒れた。
顔をマフラーで覆ったギャスパーがキメラの後方で鉄扇を広げ佇んでいた。
「……砂のせいで口がジャリジャリする。」
ロリアは小さく文句を言いながらもマロティウス救出の為に動いた。まだ貫かれている。
腹を角が貫通している血濡れのピエロ。子どもが見たら泣くかもしれない。
角を鎌で落としゆっくりと患部から引き抜くとマロティウスは痛そうに呻いた。
「……ぅ、やったのか、やったのか!あの魔獣は。俺たちは生きているのか⁉︎」
「マロティウスさん。落ち着いて。傷口から血が出ている。」
「ロリア、大丈夫ですか?」
ギャスパーが小走りで駆け寄ってくる。
「私は大丈夫、でもマロティウスさんが危ない。助けて。」
「あぁ、まぁでもその程度ではどのみち死にませんけどね。」
ギャスパーが手を翳すと風穴が開いていた腹がみるみるうちに閉じていった。
奇跡のようだ。
「あぁ、俺、俺生きてる。……ありがとう、ありがとう。家族のもとに帰れる!ありがとう。」
マロティウスはギャスパーの手を両手で掴んで泣きながら感謝していた。
一方ロリアはマロティウスの回復を見届けたと共に闘技場の端の部分へ走った。
「お、おえぇぇっ!」
木の仮面を半分上にし口元を晒すと、しゃがみ込み、凄い勢いで嘔吐した。一面、血塗れでグロテスクなのだ。この闘技場は。
戦っている間も、さっきも何かの肉片を踏んだり蹴った、顔にかかったりとロリアの正気度は徐々に下がっていき今に至る。
「ほらよ、水だ。」
「ありがとう。」
胃の中が空になるまで吐いたせいで口の中が気持ち悪い。ありがたく水を受け取り、酸っぱさがなくなるまで口を濯いだ。
「まだ飲むか?」
「飲む。」
球体の水を受け取りゴクゴクと飲み干した。砂と暑さで喉はカラカラだった。
冷たい水はミイラになる寸前だった渇いた体と心にとてもよく沁みる。ぷはぁと悦楽的な声が出た。
「ありがと……え、誰?」
「誰だと思う?」
頭上を見上げると薄水色のオールバックの髪にストライプの燕尾服。そして特徴のないピエロのマスク。
――ヒソクレフ⁉︎⁉︎
ツーと背筋に冷や汗が垂れる。気配も足音も全く感じられなかった。
――この男、強い。
「あのキメラに傷を入れた強い奴、お前か?」
「いや、マロティウスだよ。」
ロリアはシラを切った。神器を持っている事を知られてはいけないとギャスパーに言われている。
「んー?確かにテメェはずば抜けて弱いな。俺の勘違いか?確かにあの時……。」
ジロジロとロリアを見下ろした。居心地が悪い。
「なぁ、俺たちは勝った。もう帰っていいだろ?」
すると奴隷が虐められていると思ったのかマロティウスが間に入って来てくれた。
「あぁ、そうだな。奴隷と、ガキとお前。3枚の面接合格書だ。これがあれば帝都から出られねぇが衣食住と雑費は無料だ。それを持って期日に宮殿にこい。」
受け取ったのは、薄い金色で覆われた掌サイズの四角いカードだった。
「てめぇらを嬲り殺すのを楽しみにしてるぜ。またな。」
それだけ言い残しヒソクレフは目の前から消えた。
闘技場から出て深呼吸する。無事、地獄から生還できた。全てが終わったにも関わらず手が小刻みに動いている。
綺麗な空気を吸い、安堵のため息を吐いた。
いつも読んでくださりありがとうございます。