9.旅路 〜魔獣との遭遇〜
ハーバル領は大炎帝国の端の方の領土だった。
そう、源魂花のある帝都まで、馬で移動して来たとはいえ結構距離があるのだ。
そこでロリア達は、直行せず街を経由し帝都を目指す事にした。
山中の藪の中を、ロリアが先頭に立ち鎌で草木を刈りながら下山する。
「ロリア、ロリア。」
1、2時間経った時にギャスパーが声を掛けてきた。額に滲む汗を拭い振り返る。不慣れな道で疲れた。そろそろ休憩が必要だろうか。
「ロリア、昨日の魔力の消耗が激しくまだ回復しきってません。もう私は動けません。おぶって下さい。」
「えぇ〜。無理だよ。」
「私を背負って下山して下さい。」
試しに背負ってみる。子どもといえども12歳。なかなか重い。かなり疲れるが出来なくはないだろう。だが、山賊や獣が出て来たら終わりだ。断ろう。
「あと、これも着けて下さい。」
背後から手を回され首に何かを掛けられる。
「魔力制御の首輪です。厳密に言えば違いますが。町の人々はそれをみると貴方を無魔人ではなく奴隷だと思う。もし何かの拍子に魔法が使えないことがバレても安心です。」
ジャラッと胸にチェーンが垂れる。中央には赤色に光る石があった。……重い。気分も首も。
どこまでいっても無魔人は無魔人で普通の人にはなれない事を改めて突きつけられたようなものだ。
複雑な胸中になっているロリアの気分を知らずにギャスパーはまたアイテムを取り出した。準備万端すぎやしないだろうか。
「はい、この仮面を着けて下さい。目の色が隠れます。」
顔全体を覆う木で出来たシンプルな仮面だ。目と鼻と口の部分が小さく空洞になっている。
「もしかしてギャスパーが作ったの?」
「えぇ、これから行く町は小さい割に帝国の威光が効いており無魔人に厳しいので。ただの目の色ですら迫害対象です。」
「……ありがとう。」
有り難く受け取り被る。視界は狭められてはいるが戦闘になっても支障はほとんどないだろう。
なんだかんだ文句を言いながらも背負ったまま黙々と下山していると、ある所を境に手入れされた道が出てきた。
「はぁ、ふぅ、道だ!やったぁ!」
おそらく町がもう近いのだろう。卵が腐ったような変な臭いが鼻をつく。
疲れから、ハアハアと息を切らせながら道を通る。鎌で薮を切る必要もなく快適で歩きやすい。
ギャスパーは死んだようにロリアの背中で眠っていた。少し心配になるくらい音沙汰がない。
ひたすら林道を歩いていると上空から声をかけられた。
「どうしましたか?」
小さな雲に乗った男性がロリア達を見下ろしていた。魔法使いだ。
「足の悪い母の薬を買いに帝都の魔道具屋に行く途中だったのですが、獣に襲われてしまいました。命からがら下山して来たところなんです。」
背後からいつのまにか起きていたギャスパーが喋った。真っ赤な嘘を吐いている。
ギャスパーは普段、変な嘘をつかない。
――警戒している。
ロリアが注視してみると上空の男は胸のところに紋章を付けていた。
おそらくこれから行く町の憲兵なのだろう。
「こんな小さな子どもが……それは大変だ。あなたを保護します。一緒に来て下さい。」
そうしてギャスパーとロリアは保護された。
「わぁ、見てギャスパー。木が下にある。」
一緒に雲に乗せてもらい空を走る。新鮮な体験だ。あんなに大変だった徒歩の移動も魔法を使えばこんなに楽に移動出来る。
(私の苦労はいったい……。)
ロリアはガックリ肩を落とした。
「お、見てください。ロリア、あそこに湖がありますよ。」
ギャスパーがロリアの肩を叩き指をさした先には白い煙を吐き出し岩肌が剥き出しになった山と、川、ボコボコと沸騰している大きな水たまりがあった。
「へー、湖ってお湯なんだ。湯気が出ている。」
「この湖が特別なんですよ。あれ、温泉です。火山が近くにあるでしょ?」
キャッキャと騒ぎながら下を覗き込み景色を眺めていると前に座っていた憲兵が振り返った。
「随分、奴隷と仲良しなんですね。その奴隷の罪状は?」
(しまった、私今奴隷だった。)
広大な大地を前に気が緩んでいたみたいだ。主と気安く会話をする奴隷がどこにいる。
チラッとギャスパーを見ると先程の楽しげな表情を一転させ面倒くさそうに山々を眺めていた。
「彼女は大した罪を犯していないので。」
「で、罪状は?」
ギャスパーが伺うようにロリアを見た。取り敢えず合わせるように頷いた。
「あー、……そうですね。彼女の罪状は下着泥棒です。」
「「は?」」
信じられない回答に憲兵とロリアは揃ってギャスパーを凝視した。木の仮面の下で盛大に顔を引き攣らせる。
ヒクヒクと口角が痙攣した。
「貴族の出である幼い私のパンツを盗んだんです。本当は極刑になる予定でしたが、それはあまりにも非人道的だと思い奴隷にしました。」
憲兵がゴミクズを見るような視線を浴びせロリアを無言で責め立てた。
その視線を無視し、ロリアは用もなく前髪をかきあげ空を見上げた。青空が広がっている。雲一つない晴天だ。明日もきっと晴れるだろう。
「ここが温泉の街ボカンです。」
ギャスパーの言っていた通り小さな町だった。
だが、人気があり栄えている。観光地なのだろう、道はちゃんと舗装されレンガで出来ており、商店も沢山あった。
豊かな暮らしをしている住人達は優しく、山で獣に襲われ可哀想な目にあったギャスパーと、その主人を守った奴隷のロリアを手厚く保護した。
御厚意から宿に無料で泊まらせて貰った。
「ギャスパー、知ってる?友達って枕投げするらしいよ。君はどっちの枕にする?」
「……。」
「ギャスパー?」
部屋についた途端、ロリアの問いに答える暇もなくギャスパーはベッドに倒れ込み寝始めた。魔力が無くなると昏睡してしまうのだろうか。と言うより本当に大丈夫なのだろうか。
急に寝るなんて病気だったりしないか。
額に手を当て熱を測る。……異常はない。
次に呼吸を確認する。……異常なし。
……退屈だ。
「折角だし町に行ってみようかな。」
ロリアがギャスパーのもとを離れようとするとクンと袖を引かれた。驚き、見るとギャスパーがロリアのローブの裾を引っ掴んでいる。
「大丈夫、少し町を見に行くだけ。すぐ帰って来るよ。お守りがわりに鎌を置いとくね。」
ベッドの端に鎌を立てかけた。もし、ギャスパーが目を覚まし近くにロリアが居なくても置いていかれると不安にならないだろう。
ロリアが町に行くと無言の注目を集めた。この仮面と首輪は人目を惹いてしまう。
狭い町だ、噂が広がるのも早いのだろう。
その視線を無視してプラプラと歩いていると、とある土産屋でパンフレットを見つけた。
『大炎帝国、建国記念日パーティ。宮廷道化師募集中!面接突破者には快適な暮らしが待ってます。』
ロリアが店先で立ってパンフレットを読み耽っていると声をかけられた。
「おい、そこの奴隷!この下着泥棒野郎!」
思わず遠くを見つめ半目になる。
失礼な奴だ。だが、仕方のない事でもある。これも全てギャスパーが言い出し始めた事なのだ。
ロリアも目の前に下着泥棒がいたら罵声を浴びせる事だろう。
今読んでいた無料で配布されているパンフレットを懐に入れ振り返った。
「おいクズな奴隷が人様の店先でうろうろするな、暇なら俺たちを手伝え。」
20代程の青年が偉そうに言った。ロリアは彼も言っての通り奴隷だ。どんな扱いを受けるか分からない。面倒くさそうだ。
断ろうとしたが、ふと考えてしまった。
ギャスパーは寝ていてロリアは暇だ。外世界の一般人はどんな仕事をしているのだろうか。少し考え、好奇心が上回った。
「外が暗くなる前に主人の元に帰らなくちゃいけない。」
「分かってる変態。それまででいい。ついて来い。」
ロリアは奴隷だ。分かっていた。分かっていた筈だった。奴隷は碌な扱いを受けないと、好奇心は猫をも殺す。まさにその通りだ。
グオオオオォッ!!!
場所はつい先程まで汗だくで下ってきた山。顔面に獣の涎が飛び散る。
獣の咆哮で木々はざわめき、地面も揺れる。鼓膜が破れそうだ。
目の前には立ち上がると3メートルはあるであろう黒い巨体の魔獣。二足歩行をしている狼のようなよく分からない生物だ。
ロリアは猛烈に後悔していた。此処に来た事を。ギャスパーの枕元に神器、白霧骨鎌を置いて来たことを。
そして何より知らない人に着いて行ってしまった事を。
『狩りを手伝え。魔獣を持ち帰って俺たちが一人前になった事を親達に認めさせる。囮になれ。』
それがロリアに課せられた仕事だった。
(こわい、むり、無理無理無理無理でしょ、これ!)
もう半泣き状態だった。武器は短刀一本。どう考えても勝ち筋は見えない。
後方では一応魔法使い部隊がいるが果たして頼れるのだろうか。
「ひぇ、魔獣怖い、俺には無理だ。」
「攻撃魔法ってどうやって撃ってたっけ?!」
「いいから撃て!適当に撃てばどれか当たるだろ!」
せめて標的を狙って撃ってくれ。モタモタしている間にも魔獣の攻撃は止まない。木を盾に突進を寸前でかわす。
ちょくちょく刃物で切り付けてはいるが、この特殊で分厚い毛皮は簡単に皮膚に傷をつけさせてくれなかった。
刀を刺す瞬間に毛を金属のように尖らせ攻撃を弾く。迂闊に毛に触ったらタダでは済まないだろう。
木を上手く使い回避するにも限界があった。風が頬を裂く。
ロリアが盾にしていた立派な大木は枝のように折られてしまった。
間一髪、魔獣の爪での攻撃は避けれたがもう駄目だろう。覚悟を決め目を瞑った。
「うわぁぁ!」
その時、誰かが叫び声を上げ、魔獣に攻撃した。火の弾丸が黒い体に直撃しバンと弾ける。
グルルと一つ唸った魔獣は標的を変え魔法使い達に襲いかかった。
鋭い爪で人間を蹂躙していく。一人の青年が魔獣に噛みつかれ、血飛沫が上がった。
「た、大変だ!」
ロリアは走った。別にこの馬鹿な青年達を見捨てても良かったがそれはそれで目覚めが悪くなるだろう。町の人に敵扱いされるのも面倒だ。
(……⁉︎ 背中が隙だらけ!)
大きな黒い背中に飛び乗る。魔獣は振り落とそうと激しく暴れた。
「うぐっ⁉︎」
体に衝撃が走る。腹が熱い。いや、痛い。
黒い毛皮を魔力で固め、まるでハリネズミのように背中からトゲを生やし、ロリアの腹を貫通した。
「ぐう、うおおぉぉ!!」
雄叫びをあげ最後の力を振り絞る。手に鈍い銀色が光った。魔獣も人も急所は一緒だろう。
目とその奥にある脳だ。刀を逆手で持ち突き刺す。
刃は魔獣の目に届いた。
魔獣はギャァと悲鳴をあげながら最期の命の抵抗とばかりに暴れ回る。力任せに吹っ飛ばされ、そのまま振り回された腕に殴られた。
数メートル後ろの木に思いっきり叩きつけられ一瞬、呼吸が出来なくなり意識が遠のく。
怒り狂った獣はロリア目掛けて突進してきた。
「〈火の鎖よあの獣を止めよ!〉」
呪文が唱えられると同時に魔獣はあっという間に火の鎖で拘束された。
青年達は魔獣を囲み一斉に魔法で攻撃してトドメを刺している。随分と苦労した割に、あっさりとした結末だった。
「最初から本気だせよ!」
思わずロリアが大きな声で悪態をつくとズキズキと全身が痛み呻いた。どこか骨が折れたのかもしれない。耐えきれず地面に倒れ込むと同時に獣の息も途絶えた。
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