満月に願いを
『今日は満月です。6月の満月はストロベリームーンと呼ばれ、好きな人と見ると結ばれるというジンクスがあるそうですよ』
『すごくロマンチックですね!気になる今日のお天気はどうですかー?』
『はい、今日のお天気は全国的に……』
リビングで朝食を食べているとテレビからそんな音声が流れてくる。
齧りついていたトーストから目を離すと宇佐美果奈はテレビに視線を向けた。
画面には全国の天気予報が気象マーク付きで表示されている。お天気キャスターの爽やかな声が詳しい予報を伝えていた。
ストロベリームーン……
好きな人と結ばれる……
先ほどテレビから聞こえた内容を頭の中で反芻する。
ただのジンクスだということは果奈にも分かっているのだが、試してみたいと思ってしまった。
結ばれる、結ばれないは別として、何か理由がなければ気持ちを伝える勇気がでないのだ。
今日、一緒に見ることができたら……
長年の想いを伝えることができるのかな
そんなことをぼーっと考えていると、急かすような母の声が聞こえる。
「果奈、はやく食べなさい。そろそろ直人くん着く時間じゃないの?」
「え、もうそんな時間?」
テレビで時間を確認すると、慌てて残りのトーストを口に放り込む。カフェオレで流し込み、椅子から立ち上がると洗面所へと向かった。
急いで歯を磨き、前髪を整える。高い位置で髪の毛を一つに纏めると、赤いシュシュでポニーテールをつくる。
いちごのような赤いシュシュが勇気をくれるといいなと願いを込めて。
「お母さん、いってきます!」
「はーい、気を付けてね」
鞄を持ち玄関を開けると、門扉の近くに人影があった。
「おはよう、遅かったね」
「おはよ、なおくん!ご飯、ゆっくりしすぎちゃった」
果奈と同じ高校の制服を身に付けた長身の男――柏木直人はスマホから視線を玄関へと移し、果奈へと微笑みかけた。
果奈の家から徒歩5分のところに住んでいる直人は同い年の幼馴染。
親同士が仲の良いこともあり、小さい頃は毎日のように一緒に遊んでいた。
小学校に上がってからは同性と遊ぶことが増え、直人と遊ぶ機会は減ったが、登校は一緒にしていたし休日は家族ぐるみで出掛けることもあった。
果奈にとって一番身近な男の子。
気付くと、幼馴染としてではなく異性として直人を好きになっていた。
それに気付いたからといって果奈には想いを伝える勇気が湧かなかった。
長年幼馴染として接してきたため、今さら異性として好きだなんて言えない。恥ずかしすぎる。
直人にとって一番仲の良い女の子。せめてそんな存在でいたいと思いながら、気付いたら高校2年生になっていた。
幼稚園から高校まで同じ場所に通っているけれど、さすがに卒業後の進路まで一緒になることはないだろう。
どちらかが実家を離れれば、今より会う機会は圧倒的に減る。
その前にどうにか想いを伝えたい。
「朝ご飯いっぱい食べてきた?」
「……私のこと、食いしん坊が何かだと思ってるでしょ」
「果奈は昔から食べるの大好きでしょ」
「それはそうだけど……」
何だか馬鹿にされている気がする。
でもこんな風に言われても不思議と嫌な気持ちにはならない。
くだらないことでも話すことができるだけで嬉しい。
そんな乙女心など露知らず、直人は歩き始めた。置いていかれないように果奈も隣に並ぶ。
昨日見たテレビや学校での出来事の話をしながら学校へと向かっている間、果奈は他のことばかり考えていた。
ストロベリームーン。
一緒に見ることができたら、想いを伝える勇気を持てるかもしれない。
問題はどうやって一緒に見るかだ。
果奈はバレー部に所属している為、部活が終わって下校する頃にはある程度空は暗くなっている。
直人は放課後バイトをしているので一緒に帰ることはあまりないのだが、バイトが休みの日は果奈の部活が終わるのを待って一緒に帰る。
幸い今日は直人のバイトが休み。一緒に帰ることができる。
帰り道に見ることができれば一番良いのだが、空が十分に暗くない可能性もある。
万一空が明るくて見えない場合、帰宅後に誘わなくてはならない。
夜空をみたいなんて今まで言ったことないから、『なんで?』って訊かれちゃうかなぁ
いくら考えても上手な返答も誘い方も思い付かない。
正直にストロベリームーンのことを言ってしまおうかと思うが、それでは告白しているのとなんら変わりない。
想いを伝えるという意味ではそれもアリなのかもしれないけれど。
「果奈?大丈夫?」
「えっ?」
直人に名前を呼ばれ、思考が中断する。
目の前には赤信号。果奈と直人の周りには信号待ちをする人々が立っている。隣に並ぶ直人が心配そうに果奈の顔を覗きこんでいた。
「さっきからぼーっとしてるけど。なんかあった?」
「ごめん、考え事してた。なんにもないよ!」
「なんかあったらすぐ言いなよ?」
「うん、ありがとう」
納得していなさそうな顔をしているが、直人はそれ以上追及してこなかった。
頭の中で作戦会議を続けたい気持ちはあるが、一度中止を決める。
まだ放課後までには時間がある。今考えたところで仕方がない。
帰り道に見られるのであればそれでいいし、明るくて見えないのであれば、その時に考えればいい。
信号が青に変わる。
周りの人々が歩き始めるのに合わせ、果奈たちも歩を進めた。
* * *
「え、うそ……?」
部活を終え、下駄箱に着いた果奈は外を見て呆然とした。
外は想像していたより暗くなっている。
これだけ暗ければ家に着くまでの間に満月も見えるようになるだろう、雲に覆われていなければの話だが。
厚い雲に覆われた空は月どころか星さえも見えない。さらにその雲はしとしとと雨を降らせていた。
こんな天気じゃ満月なんて絶対に見えない。
「待たせた?部活、お疲れ」
「なおくん」
後ろから声をかけられ振り向くと、図書室の方向から直人がやってきた。おそらく図書室で時間を潰していたのだろう。
「うわ、雨だ。予報で夜から雨って言ってたけど、帰りは降んないと思ったのになぁ」
上履きからスニーカーへと履き替えながら憂鬱そうに直人は言った。
置き傘をしていたのか、登校する時には持っていなかった黒い傘を傘立てから取り出す。
「この間持って帰るの忘れてて助かったな。果奈は傘ある?」
「持ってない……」
いつもは天気予報をしっかり見るのだが、今日はストロベリームーンのことを考えていたせいで確認を忘れていた。
そもそも雨が降るかもしれないということを少しも考えていなかった。
てっきり晴れて満月が見れるものだとばかり。
「しょうがないから傘いれてあげる。俺が持ってきててよかったな」
「持って帰るの忘れてただけじゃん」
「そういうこと言うならいれない。びしょ濡れになって帰る?」
「やだ、ごめんなさい!傘にいれてください!」
素直でよろしい、と言いながら直人は傘を広げた。
見た目以上に勢いがあるらしく、傘に当たる雨粒の音が大きい。
こんな中傘をささずに帰ったらびしょ濡れになるし、確実に風邪をひいてしまう。
偶然とはいえ直人が傘を持っていて本当によかった。
一つの傘に二人ではいり、歩き始める。
大きめの傘ではあるが二人で使うにはやはり小さいのか、中央に寄らないと肩が濡れてしまう。
濡れないように中央に寄るとお互いの肩がぶつかりそうになり、距離の近さを感じる。
待って。これってもしかして相合い傘?
認識した瞬間、果奈の体の温度が上がるのを感じた。
小さい頃から今まで、当たり前のように直人の隣にいた。当たり前すぎて並んで歩くことに対して特別意識をしたことはない。
しかし、相合い傘。距離感が違いすぎる。
こんなに近い距離に直人がいるのは小学生の時以来だ。
それだけでもドキドキしてしまうのに、雨に遮断された傘の中というシチュエーションが、二人だけの世界みたいに感じてしまう。
なにより相合い傘って、付き合っているみたいじゃない?
少し緊張しているのか、心臓がばくばくと音をたてている気がする。
心臓の音が外に漏れ出さないようにと軽く胸を手で押さえた。
「今日様子変だけど体調悪い?」
「ぜ、全然元気だよ!いつも通り!」
緊張して黙っている果奈を不信に思ったのか、直人が心配そうな視線を向けている。
いつもならたくさん喋って笑う果奈が大人しいのを体調が悪いからだと勘違いしたのだろう。
不調を慌てて否定し、安心させるように笑いかける。
「それならいいんだけど。雨で体調崩しやすいだろうし無理はしないこと」
「うん、ありがとう」
直人はぽんぽんと果奈の頭を撫でた。
小さい頃から果奈の元気がない時や褒めてくれる時はこんな風に撫でてくれる。
子供扱いされているような気もするが、撫でる手が優しくて果奈は大好きだ。
「今日、満月なんだって。雨降ってなかったら見えたんだろうね」
突然、直人が満月の話題に触れた。
あまりにも唐突で、それに直人からその話題が出てくるとは思わなかった。
「なおくん、月なんて興味あったの?」
動揺していることを隠すように直人に問う。
果奈と同じように、直人も月や星に興味があるような人間ではないはずだ。
「ネットニュースで見た。意識して空見ることなんてないから、たまにはいいかなと思ったんだけど残念だね」
空を眺めながら直人は言った。つられて果奈も空を見上げる。
相変わらず厚い雲に覆われた空は星や月の光を通さない。雨が止む気配もなかった。
「ま、今日以外にも満月の日はあるし、また今度見よっか」
「……今日じゃなきゃ意味ないもん」
無意識に口に出してしまう。はっと気付いた頃には遅かった。
「なんで?」
「なんでって……」
今日が満月ということを事前に知っていたことはバレてしまっただろう。
それに今日の満月に何か意味があるということにも気づかれたはずだ。
しかしそれを説明することができない。説明してしまったら、さっきの発言的に好きな人がいると言ってしまっているようなものだ。
想いを伝えるという意味ではすごくチャンスなんだろうけど……
突然の流れすぎて、心の準備がまったくできてない!
「なんで今日じゃなきゃ意味ないの?」
「それは……」
追い討ちをかけるように直人が再び訊いてくる。
いつの間にか果奈の家の前に到着していた。家の中に入って今の会話をなかったことにしたい。
しかし、逃げることは許さないといったように、直人は傘を持っていない手で果奈の腕を掴んでいた。
足元に視線をおとしながら言い淀む。
理由を言うべきか誤魔化すべきか。どちらが良いのか考えが決まらない。
想いを伝えるチャンスだとは分かっているが、いざとなると勇気がでない。
断られたら、今後どうやって直人と接していけばいいのか。最悪、幼馴染として話すことさえできなくなるかもしれない。
どうするべきか悩んでいる間に直人は口を開いた。
「6月の満月を好きな人と見たら結ばれるってやつ?」
「えっ!?」
なぜ、直人がそれを知っているのか。
思わず驚きの声がでてしまう。
「おんなじネットニュースに書いてあった」
「へぇー、そうなんだ。ロマンチックだね」
果奈はとっさに今初めて知ったようなふりをした。少し無理がある気はするが、気づかないでほしいと願う。
そんな果奈の様子を見て、直人は一瞬目を開いた後にくすりと笑った。
「こういうの好きそうだから知ってると思ったんだけどなぁ。で、誰と見たかったの?」
「誰とって言われても、今知ったから」
「果奈は嘘が下手だね」
果奈の言葉を遮り直人はきっぱりと言った。
十数年一緒にいるのだ。誤魔化すことなんてそもそも無理だったのかもしれない。
これは逃げるしかない。
果奈は腕を振りほどき家に逃げ込むことに決めた。
掴まれていない手で直人の手を外そうと動く。
「俺は果奈と見たいなって思ったけど」
「へ?」
直人の手首を掴もうとした体勢で動きがとまる。
突然の直人の言葉に理解が追い付かない。
今、私と満月を見たいと言った?
ストロベリームーンの意味を知った上で……?
それってつまり……
「ぅえっ?ど、どういうこと?え、何言って……」
「果奈のことが好きだって言ってるんだけど?」
混乱しながら直人に問いかけると、あっさりと返される。
真剣な表情でまっすぐ果奈を見つめる直人にからかっている様子はない。そもそも、直人はこんな質の悪い冗談を言うタイプではない。
ぶわぁっと体温が上がるのを感じた。
全身が熱くなり、顔は真っ赤に染まっているのだろう。
見られるのが恥ずかしく、少しでも見えないようにうつむく。
「い、いつから……?」
「いつからだろ、小4くらいの時には好きになってたの憶えてるけど。その前から大切な女の子だと思ってたよ」
「そんな素振りなかったじゃん」
「そう?あきらかに他の女子より優しくしてたつもりなんだけど。一緒に帰ったり、クラス違くても話しかけたり」
「幼馴染だからそのくらい普通のことかと……」
「思春期迎えた男女の幼馴染がいつも一緒にいるなんてあんまりないでしょ」
果奈が逃げないと思ったのか、直人は果奈の腕から手を離す。
果奈の頬に少し温かい直人の手が触れ、顔を上に向けられた。
見上げた直人は変わらず果奈をまっすぐ見つめていた。暗くて分かりづらいが顔が少し赤い気がする。
「で、返事。もらえる?」
小首を傾げ、問われる。
きっと直人は勇気を出して想いを伝えてくれた。それなら果奈も勇気を出して伝えるしかない。
果奈はこくりと喉を鳴らした。覚悟を決めるとまっすぐ直人を見つめ返す。
大事な言葉だから、しっかりと直人に届くように。
「私もずっと前からなおくんのことが好きだよ」
後半の言葉は気恥ずかしさから小さくなってしまった。でも、目は逸らさず伝える。
直人は一瞬びっくりするように目を見開いた後、嬉しそうに目を細めた。
「なんとなく俺のこと幼馴染以上に思ってくれてんのかなとは思ってたけど、言葉にされるとすごく嬉しい」
「え、私の気持ち知ってたの?」
「確信はなかった。でもさっきの嘘で同じ気持ちだろうなって思った」
「普通に接してるつもりだったのに……」
恥ずかしいような悔しいような気持ちになり、直人を軽く睨み付ける。
そんな様子を見て直人は笑うと果奈の頭を撫でた。
撫でる手が今まで幼馴染として撫でられる時とは違うように感じる。
愛おしそうに果奈を見つめる瞳は今まで見たことのないものだ。
「答えてくれてありがとう。大事にする。さ、雨も止みそうにないし、早く家の中入りな」
果奈の頭から手を退かすと直人は微笑みながら言った。
促され玄関ポーチまで進むと、果奈は扉を開ける前に後ろを振り返った。
「なおくんも気をつけて帰ってね」
小さく手を振り声をかける。
「ありがとう。また明日」
直人は手を振り返すと自身の家に向かい歩いていった。
その背中を見送ると果奈も玄関のドアノブを掴む。
明日の朝も直人はいつも通り果奈を迎えに来るだろう。
変わらない日常のはずだが、幼馴染から恋人に変わったことでなんだか気恥ずかしく感じる。
明日、普通に接することが出来るのかなぁ。
両想いになれた喜びと恥ずかしさ、二人で過ごす未来への期待を胸に、果奈は家の中へと入っていった。