第六話 アムリタガール
ゼトリクスが鏡の集合体を抜けて元の世界に帰ると、あまりの事態に不快感は収まってしまった。
「なんじゃこりゃ⁉」
その街はゾンビであふれかえっていて、混沌としていた。
ゾンビたちは生きているゼトリクスを見つけると、食い殺してやろうと追いかけてきた。
「うっわ、今度はゾンビかよ!」
そう叫んで走って逃げた。
思わず振り返ると……遅い。いや、ゼトリクスの足が速すぎた。ゾンビたちも人並みに、いや、体力という足かせがないのでむしろ無限に走ることができたが、全く追いつけない。ゼトリクスはあっという間に振り切ってしまった。
「なんだ、ザコいな~って、油断してるとなんか来るんだよな」
そう思ってゼトリクスは神経を解き済ませた。
ガサッと音が聞こえたので身構えると……。
「ニャ~」
「なんだ、ネコかって、ネコもゾンビ化してるじゃねぇか!」
その通り、ネコは明らかにグロテスクな見た目をしていてゾンビ化していた。
思わず逃げ出す。しばらくして振り返ると、ゾンビと化した様々な動物までもが追いかけてきていた。
「ちょっと待て、ここ動物園でもあんのか⁉」
そう言って逃げ込んだのは植物園だった。
すると、黒っぽい紫やおどろおどろしい色をした木々や花々が、ツタや枝を伸ばしてき、ゾンビウイルスが宿っている花粉をまき散らして襲ってきた。
「植物までゾンビ化するんかい!」
そう驚愕するゼトリクスに向かって、ゾンビ化した犬が噛みついてきた。
あまりの痛みに思わず悲鳴を上げて逃げ出した。ゾンビ犬が。ゼトリクスの皮膚は鋼鉄よりも固かったのである。
「あれ?」
拍子抜けしながら自動ドアの方に行ってみると、牙を生やして血を出しながら外に出ようとする者をかみ砕こうとしてきた。窓ガラスから外を見てみると、車やロボットが暴れているのが見えた。
「機械までゾンビ化するとか、何でもありだな⁉」
ババン、ドカーン! グシャグシャ……!
グロテスクで騒々しい音が近づいてくる。
すると、現れたのは、チェーンソーで武装した、明らかにゾンビと化したDHだった。
「おい、大丈夫か?」
「お前こそ大丈夫なのかよ!」
植物園の外からも騒々しい音が聞こえてくる。
行ってみると、数えきれないほどの三メートル以上はある巨大なゾンビをはじめとする、特殊な能力や外見をしたゾンビの軍団が倒されていた。
「コウサン~!」「モウヤダ~!」「バケモノ~!」
中には戦闘能力の差で恐怖心が芽生え、その影響で知性が蘇って逃げ出しているゾンビたちもいた。
「ゼトリクス! 助けに来たよ!」と、無傷で無敵のクロオビが言った。
「やっぱりかよ! つかなんなの、お前⁉」
「で、大丈夫なの? どこか触られたり、噛まれたりしてない?」
「いや、噛まれたけど、嚙み切れなかったというか、オレ、丈夫だった」
「そ、そうか……」
クロオビは本当に大丈夫なゼトリクスを見て、心底安心した。
「それで、DH。一体何が原因でこんなことに……」
「この街には生物兵器の研究所がある。そこから漏れ出したんだろう。しかも、空気感染し、少しひっかかれただけでもゾンビになってしまうほどの強力なものだ」
「え?」と、ゼトリクスは拍子抜けした。「なんだ、バイ菌が原因かよ。なら別に怖くねえわ。てっきりなんかの魔法でこうなったかと思ってたぜ」
「……この時代に、魔法由来のゾンビを想像する方が珍しいぞ」と、DHが言った。
「それに怖いことには変わりないと思うけど」
「いや、怖くないだろ。手洗いうがいすればいいんだ」
「それは、そうかもしれないけど……。まあ、いいや、どうすればとめられる?」
「研究所に行けば、ゾンビから元に戻せる薬を作れる。行くぞ」
「うん! ゼトリクス、協力してくれない?」
「いや、そりゃするけどさ……」と、ゼトリクスは思わず怒鳴るように訊いた。「DH、ゾンビになっちゃってるじゃん! なんで意志保ててんだよ!」
「……気合」
「もういいっす」
そして、三人は研究所に辿り着いた。
DHが最短で安全なルートを特定したうえに、強力なゾンビが襲ってきてもクロオビが倒してしまったのであっという間だった。
「なあ、オレは⁉」
「よし、ゼトリクス、行け」
そう言ったDHに、ゼトリクスは蹴り飛ばされて研究所の内部に一人で入らされた。
すると、そこに何もかもを切り裂いてしまうレーザー光線が網目状に襲ってくる! しかし、ゼトリクスは無傷だった。
「おい! オレじゃなかったらサイコロになってたぞ! てか、もうDHはゾンビ化してるんだから自分で行けばいいじゃん!」
「うるさい、とっとと行って適当に壊してこい。あと、俺がそっちに行っていたらただの四角形の群体になっていた。お前にしか出来ないことだったんだ」
「……。お、こんなところに電源があるじゃねぇか~。壊しちゃお~」
ゼトリクスはまんざらでもない様子で防衛システムを怪力で壊して、DHとクロオビも研究所に入れるようにした。
(こんなに簡単に乗せられて大丈夫かな……)と、クロオビは思い、あることに思い至った。
「そう言えば、ゼトリクスがすごい丈夫なのはもう事実として置いておくとして、なんで来ている衣服まで無傷なんだろう」
「……あ、ホントだ」と、ゼトリクスも今気づいた。
「それはアイツ自身で出来ているからだ」
「え?」「へ?」
「服は体毛、靴やそのジャケットは皮膚から出来ている。衣服の材料はすべてゼトリクスから採取されたのだろう」
あまりの事実に、クロオビは黙ってしまった。
「ちょっと、待って、今回グロくない⁉ いろいろ!」
「お前らの存在がグロテスクだ!」
そう言って現れたのは、下着姿によれよれの白衣をまとった美少女だった。
「お前がここで生物兵器の開発をしていた黒幕、アムリタガールだな」
「うお、ボス自らお出ましかよ!」
「何かしかける気か⁉ そもそもなんでこんなことを⁉」
「あたしの研究成果である、このゾンビ回復薬を試すためよ! これを試験するにはゾンビ自体がいないといけないからね、この街の人間たちをゾンビにしてやったんだ!」
「本末転倒じゃないか! 何がしたいんだよ!」
「そりゃあたしの化学力を試すためだよ!」
「じゃあ、ゾンビウイルスでもう十分だろ! 早くその薬でみんなを元に戻すんだ!」
「……ムリ」と、アムリタガールは落ち込みながら言った。
「ま、まさか……」
「失敗しちゃった。てへっ!」
「てへっじゃないよ! 全然笑えないぞ!」
「ハハハハッ!」と、ゼトリクスは笑った。「自分の能力も分からないのに大惨事起こすなんて、本当に子供だな!」
「うるさい、ガキ! お前こそ自分のことわからなそうな顔しやがって!」
そう怒鳴られて、ゼトリクスは落ち込み過ぎて病人のようにぐったりと倒れてしまった。本当に自分のことがほとんど分からないので、こたえてしまったのである。
「ゼトリクス⁉」と、クロオビは彼に駆け寄って抱き上げた。
「フハハっ! メンタルよわよわ~。頭の中身スカスカ~!」
ゼトリクスはクロオビの元から起き上がり、ゾンビのように這いながらもアムリタガールに立ち向かおうとした。
「こんにゃろ、人のこと勝手にゾンビにするうえにバカにしやがって……! まあ、断ってもゾンビになりたいやつなんていないと思うけどよ……」
すると、研究所の奥から、すっかり元に戻ったDHがやってきた。
「あと数時間でみんな元通りだ」
「え、本当⁉」
「いつの間に⁉」
「ああ。特効薬を作って世界中に散布した」と、DHは『作って』の部分を強調して言った。
アムリタガールは逃げるようにして飛び出して確認した。
人々や動植物たちが、何だったんだと、夢から覚めたかのように元に戻っている!
「なに~⁉」
アムリタガールはそう怒鳴ると、無から劇薬や毒物を生み出して、三人の少年に向き直った。
「そんなことできるの⁉ アムリタはおろかポイズンだよ!」と、クロオビは思わず言った。
「そうだ! この毒で苦しむがいい! 苦しませてやる! 八つ裂きだ~!」
そう言って襲い掛かってきたアムリタガールに、網目状のレーザー光線が放たれ、彼女はサイコロのようにバラバラになってしまった。
それを見たクロオビは唖然とし、せっかく起き上がったゼトリクスはキュ~ッとまた倒れてしまった。
「ゼトリクス⁉」
倒れたゼトリクスに寄り添いながらDHを見ると、彼は端末を持っていた。
DHが端末を操作すると、バラバラになったアムリタガールに霧状に何かが散布された。すると、彼女は元通りに復活して飛び上がった。
「お前、なにしや……」
そう怒鳴る彼女にまた光線が放たれ、バラバラにされた。そして、復活のミストが散布されて彼女は復活、そしてレーザーでバラバラにされて、またミストで復活。それを繰り返された。
DHは、その残忍な罰を不気味な笑みを浮かべながら行っていた。
「おい、もうこれに懲りたらやるなよ」
「は、はい……」
クロオビは、あまりの所業に青い顔をして黙って見ることしかできなかった。
「……って、反省するとでも思ったか!」
アムリタガールはそう言って襲い掛かってきたが、彼女の足元に穴が開き、悲鳴を上げる間もなく落とされてしまった。かと思いきや、床が持ち上がってきて、そこには巨大なフラスコに入れられたアムリタガールがいた。
クロオビが隣のDHを見ると、彼は端末を片手に不気味な笑みを浮かべていた。
「え、なに? え、な、なに⁉」と、恐怖するアムリタガール。
「ゼトリクス、俺をかつげ」
「おう、何する気だ?」
すると、ゼトリクスに持ち上げられたDHは、どこかにつながっているホースで透明なゼリー状の液体を、アムリタガールがいるフラスコに注ぎ込んだ。
「おい、ちょ、本当に何する気だ! うわ~……⁉」
そして、アムリタガールはゼリー状の液体に閉じ込められ、身動きが取れなくなってしまった。彼女は生きたまま封印されてしまったのだった。
その様子を、DHは不気味な笑みを浮かべ、ゼトリクスは真顔、クロオビは口を開きながらも黙って見てしまった。
「よし」
「いや、こんなことする必要あった⁉」
「すげ、こいつ、まだ生きてんんじゃん。鼓動聞こえんぞ」
間の抜けたポーズでホルマリン漬けにされたアムリタガールは、三人に呪いの言葉を放とうとしたが、思うことしかできず、そのまま当局に連行された。
こうして、ゾンビ化から人々と動植物、世界は救われたのだった。