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短編小説『ロッキンホース・ロックンロール』

作者: 川住河住

 彼女がロッキンホース・バレリーナの(かかと)を三回打ちつけても、行きたいところへ行けない。

 だけど彼女がギターの弦を三回かき鳴らせば、世界はほんの少しだけ変わる。そんな気がする。


 僕が所属する軽音楽部には茨木(いばらき)さんがいる。

 同じクラスで同じ部活に所属している僕と彼女の関係は友達ではない。

 かといって恋人ということは絶対にない。

 そんなことを言ったら彼女は、顔を真っ赤にして鬼のように怒り狂うだろう。

「ジミヘン! 早くしてください!」

「はい、すみません」

 ボーカルの茨木さんは僕のことをジミヘンと呼ぶ。

 かの有名な天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスと同じあだ名ではあるが、まったく関係がない。僕のギター演奏は超絶下手くそだし、音楽的才能は一欠片(ひとかけら)もないと自覚している。このあだ名は、もっと単純な理由でつけられた。

「ジミヘン……地味で変だから……ジミヘン……」

 ドラマーのカオルさんが説明的な台詞を言いながら背後を通り過ぎていった。この人の言葉は、いつも意味深に聞こえるから怖い。

「あ、カオルさん。ごめんなさい。すぐ準備しますから」

 僕は長年愛用しているギターをアンプにつなげる。


 茨木さんは僕が高校二年生になったばかりの頃に転校してきた。

「茨木です。(わたくし)は自殺遊戯を楽しむ死にたがりの少女です」

 第一印象はイタイ子だった。

 一人称は「わたくし」だし、発言内容もおかしいし、彼女の姿は誰がどう見ても異質だった。

 周りの生徒のほとんどが学生服を着ているこの状況で、彼女だけが全身をゴシック・アンド・ロリータ・ファッションで固めているのだから。

 頭の上に載せられたミニハット、足元にはロリ服愛用者御用達の厚底靴、ロッキンホース・バレリーナを履くという驚くほどの徹底ぶり。

 しかし、彼女が校則違反しているところは一つもない。なぜなら、うちの学校は私服登校が可能だから。

 数年前、この学校の生徒たちが大規模なデモを起こして制服廃止を教師たちに認めさせたらしい。

 その行動力は称賛に値するが、今現在ほとんどの生徒が制服を着て登校している。私服登校が可能であるということを知らない生徒さえいるのが現状だ。僕がその校則を知ったのも今年に入ってからだ。

 けれど黒板の前に立つ彼女を見ると、先輩たちのやったことは無駄ではなかったと、ゴスロリ好きの僕はしみじみ思う。

 偉業を成し遂げた先輩方に思いを馳せながら僕は停止した音楽を再生させる。すぐに両耳に入れたイヤホンから音楽が流れ始めた。音楽を再生させる、とてもカッコイイ響きだが、こんなこと誰でもできる。ただ音楽プレイヤーの再生ボタンを押すだけ。それだけで停止した音楽は再生する。

 しかし、死んでしまった音楽はそうはいかない。死んだ人間を復活させられないように、死んだ音楽を復活させることは誰にもできないのだ。

 僕はロックが死んだとされる年の名曲を聴きながら先人たちに思いを馳せる。でも、ロックが死んだって誰が決めたのだろう。

「なに、にやにや笑っているのですか?」

 先ほどのイタイ子がいつの間にか隣の席に座っていた。

 気づけば片方のイヤホンを引っこ抜かれている。彼女はそれを自分の耳に入れていっしょに聴き始めた。

「洋楽、聴くのですか?」

「う、うん」

 顔が近い。息もまともにできない。

「中二病ですか?」

「ち、違います」

 洋楽を聴いていると、そんなことを言う人に何度も出会った。その度に洋楽のよさを伝えるのだが、誰も聞いてくれない。

 けれど茨木さんは違った。音楽を聴きながら僕の話にも耳を傾けてくれている。

 イヤホンから流れる激しいギターソロが心地いい。

 それが音楽だけのせいではないことを、胸の奥のどきどきが教えてくれる。



 今日は高校生活最後のライブが行われる。

 本番前に僕らはリハーサルした。僕のギターを除いて演奏については問題がないと思う。

 しかし、茨木さんは演奏以外で気に入らないところがあると言う。

 演出のことだ。僕らのライブには毎回テーマがあり、それによって僕らは演奏や演出も変化させる。

 ちなみに前回のライブでは、全員ケチャップまみれで演奏するという演出だった。かといって、僕らがそこら辺にいる音楽性のない、格好だけのイロモノバンドと一緒にしてもらっては困る。

 茨木さんの素晴らしい歌声、カオルさんの巧みで激しいドラム、そして僕の拙いギター演奏がうちのバンドの売りだから。あれ、僕いらない存在……?

「私が口からケチャップを吹き出します。ジミヘン、あなたはマヨネーズを股間から発射してください。これで生と死を表現するのです」

「それ字が間違ってますよ、絶対」

 頭の中で「性と死」という単語が浮かぶ。

「それでは、ジミヘンらしく歯でギターを弾くとかギター燃やすとかしてください」

「勘弁してくださいよ。前にギターを歯で弾いたら誰も知らなくてドン引きされたじゃないですか。それに、このギターはバイトして貯めた金で初めて買ったものなんですよ。絶対ダメです」

「どうせ……安物……」

「カオルさんまで……ヒドイですよ」

「でも……楽器は大切に……」

 カオルさんは無表情でそう言った。この人は茨木さんより優しい。

 その優しさに少し感動している僕をよそに、茨木さんは相変わらず演出のことばかり話す。

「国歌を弾いてください。日本ではなくアメリカの」

「まだジミ・ヘンドリックスにこだわりますか」

「グレッチで……ぶつ……」

「それジミヘンと関係ないですよね、カオルさん」

 おそらく彼女の好きな女性歌手の曲からの引用だろう。

 先ほど、楽器を大切に、と言ったばかりの人の言葉とはとても思えない。

「ところで茨木さん。今日のライブのテーマはなんですか?」

「それは私を見ていただければ分かると思います」

 今日の彼女の服装はいつものゴシック・ロリータ。それに加えて、今日は眼帯をしている。今までは付けていなかったから今日のテーマに関係しているのだろう。だが、まったく想像がつかない。

「すみません。わかりません」

 彼女は大きなため息をつく。これだからジミヘンは、という心の声が今にも聞こえてきそうだった。

「左目に強大な魔力を宿した少女が誤って魔力を抑えるための眼帯を取ってしまい、強大な魔力が全身にまわって最後には死ぬ、というテーマです。素敵でしょう」

 茨木さんは、そんなアホみたいなことを臆することなく、大真面目に言ってのけた。

 僕よりも彼女の方がよっぽど中二病じゃないか。しかし……。

「結局今回も死ぬんですね」

「私は自殺遊戯を楽しむ死にたがりの少女です。そんな私が表現できるものが『死』の他にあるというのですか?」

「茨木さんほどの歌唱力ならいくらでも表現できますよ」

 以前からずっと思っていたことを素直に伝える。

 怒られると思った。

 だが彼女はなにも言わずに去ってしまった。



 昼休み。僕は軽音楽部の部室へ逃げる。

 足の踏み場もないほど散らかった部室に入り、自分のギターを抱えて外に出た。

 そして無茶苦茶に弾き始める。コードも指の痛みも無視して弾きまくる。ただ音を鳴らしたい気分だったのだ。

「下手……くそ……」

 頭上から女の子の声が届いた。見上げると、部室の屋根の上に女の子がいた。だが茨木さんではない。見覚えのない女の子がこちらを見下ろしていた。

「あなたは誰ですか?」

「カオルさんです」

 カオルさん? それに今の声は?

 見覚えのある声が聞こえたと思ったら、茨木さんがひょっこり顔を出した。

「こんにちは、ジミヘン」

「ジミ……ヘン……」

「ジミ・ヘンドリックスがどうかしたんですか?」

「あなたのあだ名です」

 僕にとって初めてのあだ名。だが下手な演奏しかできない僕に、たとえあだ名であってもジミヘンなんて名前をもらえるわけがない。畏れ多いにも程がある。

 しかし、照れ笑いを浮かべつつ内心すごく喜んでいる。

「ジミヘン……地味なのに変だから……」

「カオルさんが命名してくださいました」

 僕の小さな喜びが一瞬にして崩れて落胆の表情を見せる。

 茨木さんは楽しそうにけらけらと笑っている。

 そしてカオルさんが急に提案してきた。

「バンド……組む……」

 それでも僕と茨木さんは、なんの迷いもなくすぐに了承していた。



 バンド結成からちょうど一年。ライブ本番まであとわずか。

「ジミヘンなんて薬物過剰摂取で嘔吐したものを喉につまらせて死んでしまえばいいのです! バーカ! アホー! マヌケ!」

 茨木さんは、子どもじみた悪態をついて控え室を出ていく。

「待ってください茨木さん!」

 あわてて追いかけようとするが、すでに姿は見えなくなっていた。

 茨木さんは、最後のライブのテーマを変更したいと急に言い出した。新たなテーマは眼帯少女が魔法の苦しみから逃れるため、リストカットして果てるというもの。

 僕は猛反対した。明確な理由は恥ずかしくて言えなかったが、彼女一人が傷つくぐらいなら、全員ケチャップまみれの方がまだマシだ。

 とうとうライブ本番が始まる。ステージ上には二人しかいない。

 大勢の観客を前にしているのにまったく緊張していない。いつもは緊張して手も足も震えてしまうというのに。

「カオルさん、聞いても良いですか?」

「なに……ジミヘン……?」

「どうして僕や茨木さんとバンドを組もうと思ったんですか?」

「なんと……なく……」

「それなら、どうしてうちにはベースがいないんですか?」

「無駄なもの……排除したかったから……」

「ベースは無駄じゃないと思いますよ?」

「うちのバンドには……必要なかった……」

「それなら、今の僕らに一必要なものは」

 後の言葉を言おうとしたら、カオルさんがドラムを叩き始めた。それに合わせて僕もギターを弾き始める。音と音が絡み合って爆音を形成し、会場全体に響き渡らせる。

 これは眼帯少女が魔力に苦しみ死んでしまう曲だ。客の目には眼帯少女は写っていないだろうけど、僕には見える。魔力に苦しむ眼帯をつけた少女の姿が。

 ダメだ。もう終わりだ。僕には音楽を停止させること、停止した音楽を再生することはできる。

 けれど、死んでいる音楽を再生することなんて不可能だ。この音楽はすでに死んでいる。

 そう思った僕は黙ってギターを下ろそうとする。だが――。

「終わらせませんよ。まだ始まってもいないのですから」

 いつの間にか腕に包帯を巻いた眼帯少女が立っていた。



 彼女は最後まで歌い切った後、その場に倒れた。

 遊び疲れて眠る少女のような死に顔を見せている。

「もう『死』をテーマにするのはやめましょう。リストカットでも人は死ねるんです。いくらあなたが死を表現する音楽家だとしても……僕は好きな人が苦しんで死ぬ姿なんて見たくありません……」

 返事はない。

 今さらなにを言っても無駄なのだ。

 だって彼女は終わっているのだから。

 腕に巻かれた血まみれの包帯がそれを物語っている。

「自殺遊戯は遊戯であって自殺ではありません。というか、勝手に終わらせないでください」

 眼帯少女、もとい、茨木さんが息を吹き返した。

「え、なんで……? でも、その包帯は……?」

 それを聞いた茨木さんは、ぐるぐる巻きの包帯を取って見せた。

 その下に隠れていたのは、傷一つないケチャップまみれの腕だった。

 驚きと恥ずかしさのあまり、開いた口が塞がらない。

 そんな僕を見て、耳を真っ赤にさせた茨木さんが言う。

「終わらせませんよ。まだ始まってもいないのですから」


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