人魚姫はごめんねと微笑む
一生隣にいると思っていた幼馴染みは、ある日私ではない女の子と結婚すると告げた。
幼馴染みのフィルは村長の息子で村の有力者の一人だ。
本人はのほほんとした人で、人柄は悪くないけれど、優柔不断で事なかれ主義。次期村長には不安のある人物だから、村長はその未来の嫁である私には徹底的な教育をした。
孤児である幼い頃の私は村からの厚意で生活が成り立っていた。
小さな村に孤児院なんてものはないから、預かれる人が預かるというような、村中でのたらい回しだ。
当然、村の事には誰よりも詳しくなり、そこに村長による教育もあればフィルではなく私の方が村長としての職務は全う出来るだろう。
けれど私は流れ者の子供で、私を孕んだ母親はこの村に流れ着き私を産み落として亡くなった。
どこの誰とも分からないお前を次期村長の嫁にしてやるのだから、死ぬ気で尽くせと言い含められた人生だったが、彼は優しかったし、村にもそれなりの恩を感じていたからそこまで不満ではなかった。
「彼女は隣町の町長の娘で…」
隣にべったり張り付かせた彼女の紹介を始めるフィルに、呆れてものが言えなくなる。
見れば村長夫妻も乗り気なようで、私の事を元より小間使いだったかのように扱おうとする。
町長の娘なら私よりも身分もあるし、教育も行き届いていると踏んで、息子の暴挙を押し通そうとしているのだ。
「呆れた。恩は十分返しているので私は出ていきますね。では、金輪際さようなら」
さっさと荷物を纏めて出ていった。
村長達が呆然としている間が狙い目だ。
そもそも十六年も暮らしていて私の荷物が鞄ひとついっぱいにならないという辺りからも察して欲しい。
預けられた家では倒れる程働かされてやっとパンひとつと薄い毛布が与えられるような、村の奴隷のような扱いだった。
真に私の物と言えるのは母の残した指輪ひとつ。
それだっていくつかあったアクセサリーの中から高価そうな物は村人に奪われ、それだけはどこかの紋章が入っていたから、厄介だからと残されたに過ぎない。
「フィルの事は好きだったけど、一生奴隷扱いなんてごめんだわ」
街道で捕まえた荷馬車に同乗させてもらいながら呟けば、少しだけ涙が出た。
村で唯一、優しかったフィル。
預けられた家で奴隷のように扱われる私に、それを見ていたその家の子供達も当然同じように扱うようになる、
でもフィルだけは、勉強を叩き込まれる私に「偉いね」「頑張ってるね」「凄いね」と言ってくれた。
でも今、全てのフィルターが剥がされ冷静になってみれば、そもそも本来それらはフィルがやるべき事で、凄いねじゃなくてお前が頑張れよと思うのだ。
長年の奴隷生活に視野が狭くなってしまっていたようだ。
幸い村での一通りの仕事を押し付けられていた私はどこでだって生きていける気しかしない。
好きな事が出来る、選べると思うとワクワクしてきて、涙なんて一瞬で忘れてしまった。
「カーナちゃん、ブイヤベースとパスタあがったよー」
「はぁい」
「いやぁ、相変わらず手際が良いし働き者だねぇ」
「ありがとうございます」
「朝はパン屋の仕込みも手伝ってるんだろう?あの店味が良くなったって評判だよ」
「本当ですか?嬉しいです」
にこにこ笑いながら昼間の混雑した店内を駆け回る私に、各所から声が掛けられる。
些細なことでも誉めてくれる人がいて、普通に働いていれば認められる現在が幸せで堪らない。
あの後町を三つほど通りすぎたこのカルーガの町で住み込みの仕事にありついた私は、この半年の間に驚きの出会いをいくつか経験した。
ひとつは父親。
この町に入る時に受けた審査で、指に嵌めていた指輪の紋章を見とがめられ、暫しの尋問を受けた。
この紋章はここら辺の領主様のものらしく、盗んだ可能性や紋章を勝手に使用した可能性等も挙げられたが、私は淡々と事実を伝えるしかなかった。
するとどうやら領主様に話が行ったらしく、拘留三日目にして領主様直々のお目通りがあった。
曰く、十六、七年前に当時の恋人にあげたもので、その恋人は身分が低く結婚は難しかった。必死に両親を説得している最中に、侯爵家からの縁談が舞い込み、バタバタとしている間に恋人は失踪。最悪の事態を考えつつも、家格の違いから断れず結婚。
私の容姿は母にそっくりらしく、疑いようもなく自身の子供であると認めようとした領主様に、迷惑なんでやめてくださいと話をぶったぎった。
私と一つしか違わない男の子がいる時点で、父親に対する幻想はぶち壊しだし、村にいた当時探してくれていたならいざ知らず、目の前に現れてからわたわたと対応に走ろうとする親なぞ必要ない。
領主様に指輪を返し、形見の代わりに領主様が未練がましく持っていた母の肖像画を一ついただいてさようならした。
一応この町に住む予定ではあるが、お互い一切気にしない方向に話を持っていった。
ひとつは祖父母。
母は商売で身をたてた準男爵家の一人娘で、行儀見習いで奉公に出ていた伯爵家領主と恋仲に。
伯爵家からの圧力で妊娠に気付いて逃げ出してきた娘を庇う事もせず僅かな金子で追い出した。
やっと貴族の端くれに引っ掛かった程度の家ではどうすることもできなかったのだと泣く祖父母。どうやら領主様から話が行ったようだ。関わるなと言ったのに。
領主様の威光も要らないと言った娘に対し、じゃあ祖父母でという思考も理解できないし、こんな年寄りを私にどうしろというのだろう。老後の世話か?お断りだ。
なので、早々に母は等の昔に亡くなっている事、祖父母になんの興味も無いこと、母と縁を切った時点で私との縁も切れている事、金なんて国からの僅かな年金で細々暮らしている年寄りより余程稼げる可能性があることを伝え、早々にお引き取り願った。
怒濤の半年であった。
そして最後にひとつ、取って置きの出会いがあった。
それは領主様からの御呼び出しがあった時の事。
私は私の身柄を預かっていた門番達との話し合いをしていた。
門番さん達とはこの三日でとっくに仲良くなっている。
相手は伯爵家、貴族様である。
私がそんなつもりはなくとも、跡継ぎ一人しかいない伯爵家は政略に使える娘を取り込もうと目論むかも知れない。
門番も所詮は雇われの身、協力はしてくれても限度がある。
そこで紹介されたのが冒険者であるアルバートだった。
冒険者は国に縛られない身分の持ち主で、上級ともなれば下手な貴族より発言力もあり、国に縛られないからこその公平さもある。私の護衛としてどうかということだった。
とはいえ、上級の冒険者を雇えるようなお金は当時持っていなかった私に、門番さん達からのカンパと、残りは分割でという滅茶苦茶な依頼を引き受けてくれたのがアルバートだった。
本来、冒険者に分割はきかない。踏み倒される危険もあるし、毎日命がけの冒険者は基本的にその日の稼ぎを残さない。
門番さんの知り合いとはいえ、それを了承してくれたアルバートには感謝しかない。
「苦しい時には何もしなかったくせに、既に自立した一人の人間を自分の都合でどうこうしようなんて虫が良すぎるだろう。あんたは安心して好きに生きればいい」
その言葉を証明するように、領主様や祖父母相手に公的な書類まで用意して対策して、護衛までしてくれたアルバートに、惚れないわけがないでしょう。
住み込みで毎日働いて、給料の大半をアルバートへの分割に当てる。その甲斐もあって半年目の今日の給料日で完済する。
冒険者ギルドに顔を出すと、運が良いことにアルバートが丁度居た。
上級冒険者の特権なのか、個室に通され支払いの完了証明をして、職員さんが席を外したタイミングでアルバートが口を開いた。
「そんなに焦らなくても良かったんだぞ?町に出て、せっかく好きに生きられて、欲しい物もたくさんあっただろう?」
「いえ!まずはお金を返さない事には何も始まりませんから。私が今あるのは門番さんやあなたのお陰です」
アルバートは困ったような、微妙な顔ながらも笑ってくれた。
「…しまったな。次会う口実を考えてなかった…」
「うん?何か言いました?あ、それでですね!」
アルバートが何か言ったようだが、興奮気味の私は次の話を続けた。
「今後は自分の為にお金を使えるので、女磨きをしようと思ってます!ちなみにアルバートはかわいい系とキレイ系どっち派でしょう?」
「…いや、そのままで十分…」
「それはありがとうございます。けど、私もあなたに惚れてもらわなければいけませんから、お世辞抜きにお願いします!」
「それって…」
それから一年後。
順調に交際を続け、ささやかながら結婚式をして、流石上級冒険者の稼ぎであっという間に新居を手にいれたアルバートは、毎日門番さん達に冷やかされながら仕事に行く。
私のお腹には小さな命も宿っている。
幸せすぎて顔が緩みっぱなしだ。
妊娠が発覚したことにより、仕事は一旦辞めた。本当はお腹が大きくなるまでは働くつもりだったが、アルバートの過保護が発動した結果だ。
昼頃、我が家の呼び鈴がなり、出てみると、見知った門番さんが困った顔で私を呼んでいる人物がいると言った。
アルバートが仕事に出ているのは知っているので、こちらに連れてくる訳にもいかず、私を呼びに来たのだ。
妊娠しているのに悪いな、と言われたが既に安定期だし、お散歩がてらなので大丈夫だと返す。
私を呼び出した原因は懐かしのフィルであった。
町と外を隔てる塀に空いた鉄格子の小窓の向こう側で、彼は精根尽き果てたように項垂れている。
村に居た頃は一番良い服を着て、肌艶も良かった彼だが、今は見る影もなくボロボロである。
彼は私を見るなり泣き出し、聞いてもないのに身の上話を始める。
妻にした女性は金遣いが荒く、男漁りも激しい。なんの仕事も出来ず、ただ遊んで暮らしていたそうだ。遂には村の公的なお金にまで手をつけ、村長一家は村を放逐されたらしい。
村の生活も不具合が増え、立ち行かなくなる家も出ている。
今は入場税すら払えず、どこの町にも入れず、噂で聞いた私を頼ってここまで来たのだと言う。
私に入場税を払って生活の面倒を見ろと。
私も門番さん達も呆れてものが言えない。
門番さん達も私がこの町に来たときに一通りの事情は聞いているので尚更だろう。
「あのね、フィル」
私はお腹を撫でながらにっこり笑う。
「私、結婚したの。今は赤ちゃんもいるの。すっごく素敵な旦那さんでね、本当にたくさん助けてくれて、大好きなの。あなたにはある意味感謝もしているわ。でも、その恩もとっくに返し終わっていると思うの。だって私村に居た頃は朝から晩まで働きづめで、その上あなたたち村長一家の仕事まで押し付けられて居たんだもの。私に今までの給料払うなら村ごともらえるかもって思うわ。村に不具合があるなら、人一人奴隷扱いしてその不具合を押し付けていたツケでしょう?それにあれだけ束縛拘束搾取していたくせにちょっと金持ちの頭空っぽのお嬢さんが良いって言われた日にはなけなしの情もなくなるってものでしょう?そうでしょう?あなたが選んだお嬢さんが、当然そうなるだろうと思っていた結果に落ち着いたからって何か思うなんてないわ。むしろなんで分からないのかしら。分からなかったからこうなっているのよね。かわいそうに。村長がちゃんとした教育を受けさせなかったからかしら。それとも甘やかされるだけで、自分が受けるはずの教育を私に押し付けていた自業自得かもね。まぁ、なんにせよ私にはもう、関係のない話だし。だから、フィル。私はあなたを助けないわ。あなたも私を助けてくれなかったもの。あなたがしてくれたのは言葉だけ。だから、それはお返ししようと思うの。フィル。ここまで良く頑張ったわね。偉いわ。凄いじゃない。だからこれからも頑張ってね。あなたなら出来るわ。ね?あなたが私に言ってくれたじゃない。私は頑張ったわ。あなたが助けてくれないから、頑張ったの」
「カ、カーナ…」
「ごめんね?フィル。私は旦那様とこの子と、幸せに暮らすの。あなたは要らないの」
男の錯乱した声を背に、後で門番さん達に差し入れを持ってこようとカーナは歩き出した。
村を出た時点で未練などないと思っていたが、あったらしい。
一言でも今までの文句を言ってやりたいという、未練が。
それも完了した今、本当にキレイさっぱり何の感情も動かされない。
「門番達が差し入れの礼を言っていた。ひと悶着あったらしいな。側にいられなくてすまん」
「あら、あの程度問題ないわ。私すっごくさっぱりしたの」
にっこり笑う妻の顔に、妙に目が死んだ門番達の言葉が過る。
奥さん大事にしろよ。
滅茶苦茶大事にしろよ。
絶対怒らせるなよ。
詳しい話は聞いていないが、勿論だと頷いて急いで帰ってきたのだ。
「今日は良い日だわ。あなたへの愛も再確認出来たし」
「俺も愛してる」
「ふふ、私の素敵な旦那様。愛してるわ」
妻を後ろから抱き締めながら、少しだけ膨らんだお腹に手を添える。
幸せの証明が全て手の中にある。
「愛してる」