僕が自殺できない理由
特に大した理由じゃないです。
僕はつくづく生きるのに向かない人間だ。
幼い頃から体が小さく、ちょっとのことで泣いてしまう子供だった。
運動神経も悪く、体を使った遊びがほとんどできなかった。
頭も悪く、成績を残すことも、考えることも下手だった。
同級生からは、いじられ、なじられ、泣くと蔑まれた。
不出来な僕を、両親は冷ややかな眼で見ていた。
兄は僕の存在を消した。
家でも外でも自分の価値がないと知った僕は10才から毎日自殺を夢見るようになった。
どうやって死のうか。
公園のブランコに縄跳で首を括ろうかな。
あのパチンコ屋から飛び降りようか。
あの土手の線路に飛び込んでみようかな。
探せばたくさんの死ねそうな場所。
僕は、僕を殺すことを楽しんでいた。
毎日自分を殺すことで、精神の安寧を保っていた。
ある日、ニュースで飛び降り自殺が話題に上がった。
自殺者は亡くなったそうだ。
僕の隣で母が呟いた。
「無事に死ねて良かったわね。」
僕は母に、なんでそう思ったのか聞いてみたところ、母はすぐさま答えた。
「下手に生き残って半身不随になったら可哀想よね。歩けないだけじゃなくて、ずっと全部垂れ流しで、誰かに見られ続けるんですもの。」
その言葉が僕の耳にこびりついて離れなかった。
ただでさえ価値がないのに、半身不随になってしまったら、常に迷惑をかける枷にしかならない。
その上、常に他人がいる状況。
それらが、なにより怖くて堪らなかった。
毎日の自殺の妄想も、雑音が入るようになった。
殺しても、しぶとく惨めに生き残る自分がでてくる。
こんな汚い奴、早く死んで欲しいのに、体が動かせないから殺せない。
少し大きくなり、兄に死にたいことを伝えたら、兄は僕の首まで包丁を持ってきた。
「これなら、死ねるよ。首に当てて目一杯引くんだ。」
僕はこの日から死にたいと言わなくなった。
自分の体を自分で傷つけるのは多大な勇気が必要だと知ったから。
僕は弱虫だ。
社会人となり、所謂一般的な人間と扱われるようになった。
無価値と蔑まれていた時代に比べ、概ね円満な生活。
それでも、一度ついた習慣は抜けられない。
僕は毎日、僕を殺す。
首を掻ききる勇気もないくせに、しぶとく惨めに生き残ったらどうしようと考えながら。
怖くてなにもできないのに、自殺する夢だけは、抜けられない。
皆さんは遺書を書いたことありますか。
ないなら、ぜひどうぞ。
書いてると、意外と死ぬ気うせますよ。