第 話 無
第一幕。
郊外にある町の公園。大きな一本の木。
時刻は夕暮れ。
順也は大きな木の下にあるベンチに腰掛けて、自分の手を握っては開いて、握っては開いてを何度か繰り返してから小さく溜息を吐き言った。
「どうにもならないよな」
そんな言葉を聞きながら、俺はベンチに腰掛け言った。
「いや、そうなのかもしれないね。何度も考えてみたけど結局のところ、これはもう意味の無い思考実験の様なものでしかないのかもな。ああ、順也、またいたのか、そんなところに」
「そうなんすかね?」
順也は戯る様に、しかし真剣な表情でそう言った。
「まあ何にせよ嬉しいよ、俺は」
「俺も嬉しいですよ」
俺と順也は言葉こそ同じ内容を語っているのかも知れないが、順也は実際のところ俺に少し苛々している様に感じられる。しかし俺は気にせずに言う。
「それじゃあ再会を祝して」
「いや、そう言うのはいらないっす」
そんな冷たい物言いに、若者への対応の難しさを再び感じながら、しばらく沈黙した。
「そう言えば」俺はその沈黙を無遠慮に引き裂いて言った。
「待つのかい?」
順也は言った。
「待ちますよ」
「その間どうする?」
「首でも吊ってみます?」
「その木の枝では細すぎないかな?」
「いや、大丈夫すよ、それくらいならいけます。きっと」
「それじゃあやってみてくれよ」
「俺は後でいいすよ。年上から先にどうぞ」
「そんな事言うなって」
「なんでなんすか?」
「順也の方が俺より軽そうだろ」
「だからこそ恭平さんからどうぞ」
「なんでだよ。分かんないな」
「まあいいじゃないすか。もう俺は一回吊ってるんすから」
俺は順也にそう言われて、少し考えてから言う。
「やっぱり分かんないな」
順也は呆れた様に俺を見て、言葉を何とか口にする。
「しつこいっすね。もう本当にいいんで」
「そう言うなって順也。俺も救いだしてくれよ、蜘蛛の糸でさ」
「蜘蛛の糸って……」
順也は俺から目を逸らし、苛立ちを隠そうともせずに身体の至る所から湯気の様にそれを発散させてベンチから立ち上がる。
釣られる様に俺も立ち上がると、背中を向けて立ち去ろうとする順也の背中に言葉を投げる。
「どこに行くんだい?」
順也は振り返りもせずに言う。
「帰るんすよ」
「駄目だ」
「なんでなんすか」
順也は振り返りながらそう言って俺を睨みつける。しかし俺はいちいちそんな事は意に介さず言葉を伝えた。
「彼女を待つんだ」
「ああ、そうか」公園を一通り見回して、そこにめぼしいものの一つも無かったのか、順也はベンチに戻るとどかっと腰を下ろしながらも、まだ周囲に何かを探しながら言った。
「確かにここであってるんすか?」
俺は質問に質問を返した。
「待ち合わせか?」
俺の喋り方がいちいち気にくわないのか、うんざりした息を垂れ流しながら順也は答える。
「待ち合わせに決まってるだろ」
俺も順也の様に周囲をきょろきょろと見回した。
「木の下って言っていたからな」視線を順也に戻してから、そこに植わっている大きな木を指さして、順也に言った。
「これしかないだろ」
この公園には大きな一本の木とベンチ、それ以外にはシンボルになる様なものは何一つ存在していなかった。
「そうすよね」
再び二人の間を沈黙が支配した。
俺と順也を支配する沈黙を見物でもしにきたのか、二人の間を風がしゅびりゅんしゅと渦巻きながら通り過ぎていった。
「順也は、どうしてここにいるんだ?」
俺は読んでいた本から顔を上げて順也に言った。
順也はスマートフォンを弄びながら、顔を上げずに答えた。
「別に来たくて来た訳じゃないすよ。首吊って気付いたら」
「そんなもんか。俺は自ら望んで来たから」
「そう言えば恭平さんが何でここに来たか聞いた事ないかも。教えて下さいよ」
スマートフォンをポケットに突っ込みながら、順也は今まで見た中で一番生き生きとした表情をして俺に詰め寄った。最近の若い子の距離感が俺には分からない。
「つまんない話だよ」
俺は自分がここに来た経緯を掻い摘んで順也に話した。最初の内は興味があった順也も、自分と違って何の起伏も存在しないその話に興味が段々と削がれていくのを実感しているのだろうが、自分から話を聞きたいと言ってしまった手前、無碍にする事も出来ないのか、渋々話を最後まで聞いていた。
「そんなもんなんすね」
「そうそう。つまんなかっただろ?」
「まあ……正直」
「素直だな」
「そんなもんすか?」
「そんなもんだよ」
また話が続かなくなって沈黙の舞台が幕を開けようとしたが、以外にも次は順也がその沈黙の幕を開けるのを妨害した。
「あの本、見ました?」
「これか?」
トートバッグの中にある本を乱雑に取り出して、俺と順也が座るベンチの間のスペースに放った。
『彼女を待ちながら』
その本は無機物でありながら、俺たちを威圧した。
「恭平さん持ってるんすか」
順也はなにやら驚いてみせる。
「そりゃそうだろ。俺は警察官だぞ」
「いや、関係ないっしょ」
順也はそう言いながら本を手に取って第六話、自分の話の最後のページを開いた。わしばらくの間、順也が文字を目で追い終わるのを待った。
公園の中心から少し外れた辺りを、一匹の猫がぐるぐると円を描くように歩き回っていた。
順也が本を置いて言う。
「なんなんだよマジで。本当にこの本見る度に気持ち悪くなる」
俺はこの本のメインの話になれなかった男。
そう思えるだけでも良いじゃないかと思いながらも、それを口にはしない。
順也は本当に気持ちが悪いのか下を向いたまま、ぼそぼそと喋り出した。
「恭平さん、あそこに猫いますよね? 多分あいつ俺たちに用があって来てると思うんすよ」
猫が俺たちに用ってどう言うことだよと思いながらも、気持ちが悪そうな順也がわざわざ意味の分からない事は言わないだろうと考えて、俺は意味の分からない話を返す。
「呼ぶか?」
「呼びましょ」
こっちに来いと俺と順也は手招きする。猫に。しかしその猫は、なかなかこっちにやって来ない。
「なかなか来ないな」
俺はそう言って手招きを続けるが、順也は猫のペースに合わせるのが面倒になったのか自ら猫の近くに向かった。
猫は嫌がる事もせず、順也に抱かれるとベンチの方に連れてこられた。
「なんすかね、これ」
順也が言うのは、この猫の首にぶら下がっているスピーカーの事だろう。
俺が答えるよりも早くスピーカーから声がした。
「森川さんって言う方はどちらでしょうか?」
女性の可愛らしい声が、公園に軽やかに響いた。
「俺ですけど、なんですか?」
返事をしてから考えても遅いとは思うが、ちゃんとスピーカーは付いているんだよな? もし付いてなかったらただの独り言だぞこれ、なんて思っていたが、俺の声はちゃんと相手に伝わっていた様でスピーカーからの声は俺をしっかりと認識していた。
「彼女から伝言があります」
それを聞いた途端、順也が横から少し威圧する様に言った。
「おい。早く来いって伝えろ、女に」
「とと、と、とりあえず、先に伝言を……」
スピーカーの向こうの女が強張るのを、声の様子から感じた。
「落ち着けって順也」俺は順也に言うと、なるべく優しい声でスピーカーの向こうの女に言う。
「君はただの伝達係なんだろ?」
スピーカーの向こうの女は答える。
「ええ」
「彼女に会った事があるかい?」
「ええ」
「君も彼女に連れてこられたのか?」
「ええ」
「君、もしかして俺と会った事があるんじゃないか?」
「私、分かりません」
「俺の事を知らないか?」
「ええ」
「ここの公園の事は知っているか?」
「ええ」
「来た事はあるか?」
「いいえ」
スピーカーの向こうにいる女に何度も質問を繰り返す俺を見て、順也が不思議そうな顔をしている。
そんな順也と、スピーカーの向こうで息を飲む女には構わずに、俺は少し考える。
しかし考えても答えは出ない。
「まあいい。とりあえず伝言を聞かせてもらえるかな」
待ってましたと言わんばかり、一気にスピーカーの向こうの女は言う言う。
「彼女は今日は来れないけど、明日は必ず行くとそう言ってたわ」
「それだけだったかい?」
俺は言う。
「ええ」
スピーカーの向こうの女は答えた。
これでもう終わりなんだと感じ取れとでも言う様に、彼女はスピーカーから向こうで気配を殺して音を立てまいとしているそんな気がした。
しかし俺はどうしても聞きたい事があったので、もう一度口を開いた。
「君は今、不幸かい?」
スピーカーの向こうの女は質問の真意を図りかねているのか、口ごもりながら俺の質問に答えた。
「まあ、いや、どど、どうなんでしょう?」
「自分が不幸かどうかも分からないのかい?」
「ええ、まあ、はい」
「俺と一緒だな」
俺は意味深な言葉を最後に、口を閉ざした。
順也は俺とスピーカーを交互に見ているが、結局何も言わなかった。それはスピーカーの向こうの女も同様である。
しばらくの間、この空間で音を発しているのは、スピーカーを首からぶら下げた猫だけだった。
俺は猫に言った。
「行って構わないよ」
スピーカーの向こうの女は慌てた様に質問してきた。
「彼女に何か、でで、伝言はありませんか?」
「俺たちに会った事だけ伝えてくれればいいさ。君は確かに俺たちに会っただろ?」
そう言った俺に、スピーカーの向こうからではあるが確かな力強い返事が届く。
「ええ」
猫は人間の会話を理解出来ているかの様に、ちょうどいいタイミングで俺たちの前から立ち去っていった。
気付けば周囲は暗くなっていた。夜だ。
順也は何を思ったのか知らないが、靴を脱ぎだしてベンチの脇に置いた。
「何やってるんだ?」
俺はそれを疑問に思って尋ねる。
「もしかしたらすけど」順也はそう言いながらもう片方の靴も脱いで言った。
「彼女は靴が好きなんじゃないかなって。なかなか珍しい靴履いてたでしょ? だから、ここに靴でも置いときゃ彼女も関心持ってすぐにでも来るかなって」
知らない間に順也の口調が少し崩れたものになり馴れ馴れしくなっているが、ここでいちいち指摘しても最近の若い子は嫌がるかもしれないと俺は気にしない事に決める。
そして言う。
「どっちにしろ、彼女がここに来ない事にはその靴の存在すら知り得ない訳だけどな」
順也はそれもそうかと少し残念そうな顔をしてから、脇に置いていたリュックの中に手を突っ込む。
メモを取り出し、そしてペンを取り出して、何かを書いている。
それを靴の中に入れる。
「それは?」
不可思議な行動を、俺は不審がって聞いてみた。
順也は答える。
「もし彼女が来たら、この靴を見て、俺のメモを見て、移動先の俺のところまで来てくれるんじゃないかと思って」
「移動するつもりなのか? 彼女は明日には来ると言っているんだから、ここにいればいいじゃないか」
「いやいや、さすがに夜は冷えるでしょ」
「まあそれもそうか、いつまでも同じところにはいられないか」
「同じところと言えば」何かを思い出した様に、裸足の順也は言う。
「俺たち別々のところにいてもよかったのかも知れなかったっすね」
「それはどうかな」
「どうかななんて言ってる内は、答えなんて出ないすよ」
「その方がいいって言うなら、今からでも別々になる事は出来るんじゃないか?」
「いや、今更無駄でしょ」
「そうだな、無駄だよな」
二人の間を風がしゅびりゅんしゅと渦巻きながら通り過ぎていった。
そして暫しの沈黙を吹き飛ばしていった。
俺は言う。
「じゃあ行くか?」
順也は言う。
「行きますか」
そうは言うものの結局、俺も順也も、一本の大きな木の下のベンチに腰掛けたまま動かないでいた。
――幕――
第二幕。
翌日。同じ公園の同じ大きな木の下。
時刻も同じく夕暮れ。
俺はベンチに座ったまま後ろを振り返り、公園の唯一のシンボルを眺める。
昨日は葉が散っていた様に思えたのに、今日見るその木は葉で覆われていた。
最初は不思議に思ったが悩んだところで答えが出るとは思えなかったので、俺は順也が昨日置いていった靴を手に取った。
それを俺以外の誰かが触った様子は見受けられなかった。昨日から同じところでただ主人の帰りを待っていたのだろう。健気なものだ。
不意に俺は詩でも作ってみるかと思い立って、心の中で詩を紡ぐ。
無慈悲な人生、いま
彼女が一人、人間の
心の隙間、入り込み
呟く声、耳に響いて
含む、彼女の円の外
無情に、再度人生の
繰返して、後悔の先
航海するは、闇の中
開く幕の先も、舞台
せっせせっせと掘り続ける
大きな疑問の答えを求めて
せっせせっせと問い続ける
大きな疑問の回答知っても
せっせせっせと掘り続ける
大きな墓跡はいったい誰の
せっせせっせと乞い続ける
大きな彼女の円に入れろと
視線を靴から公園の入り口に向けると、丁度順也が公園の中に入ってくるところだった。
「おお、やっと来たか」
俺がそう言うと順也は面倒くさそうにひらりひらりと手を振って近付いてきてベンチに座った。
「今日も元気すね」順也は先程の俺同様に、公園の唯一のシンボルである大きな一本の木を見ながら続けて言う。
「なんか葉で覆われちゃいましたね。意味深」
「意味深って何が?」
「いや、なんか色々面倒な事とか覆い隠そうとしてる的な」
「誰が?」
「彼女が?」
「いや、それだと彼女はここに来たって事になるけど、俺は来てないと思うんだけどな」
「あっ、靴」
順也は靴を手に取る。
「彼女は来てないみたいだろ?」
俺がそう言うと順也は不満気な顔をした。
饒舌だった順也は無口になると靴を乱暴に履いた。
俺は本当は昨日から知っていたのだが、沈黙の時こそ人間は雄弁に語るのだ。
実際の会話というものは相手との対話。故にそこには無駄な気遣いや遠慮といった不純物が思考に入り込み、それは正常な思考の妨げとなって、本来その人物が持ち合わせた思考能力の全てを利用する事を阻害している。
会話からは何かを産み出すことは出来ない。
会話で産み出したと思っているものは自分一人の思考でも容易く産み出せるものであるはずなのだ。
それでは何故会話をするのか。
怖いからだ。
失敗。
間違い。
相違。
勘違い。
そういったものを恐れているからだ。
成功。
正解。
一致。
理解。
人間は調和でもって円滑な人間関係を築いている。
ほぼ全ての事を一人の思考で産み出せるが、本当の安心というものは会話から、他人との交流からでしか産み出せない。しかしそれと同様に、本当の恐怖というものも他人との交流からしか産まれない。
彼女は本当の恐怖を与える存在。
それは世間や世界との不和を、人間として出来損ないである事を告げるもの。
そして彼女自身も……
「ごめんなさい、聞いてますか?」
目の前にと言うよりは、太股の上にいるのは昨日の猫で、その声は昨日と同様スピーカーの向こうから聞こえてきた。
俺は言った。
「あっ、ごめん。と言うか、いつからそこに?」
「きき、今日の朝」
「いや、この公園にいたかどうかじゃなくて、いつから太股の上に?」
「ああ……そ、それは、ささ、さっきの事です」
「まあそれはいいか」
「はあ」
「何か用事でも?」
「森川さんって言うのは、」
俺はその声を遮って言った。
「昨日も聞いたのに、覚えてないのか?」
「はい」
「昨日も来ただろ?」
「いいえ」
「来たのは初めてか?」
「はい」
確かにそう言われると、昨日とは声の質が違う様にも思えるが、こんな安っぽいスピーカーでは声の違いなどあまり分かったものではない。いや、でも彼女の声はやはり昨日聞いたスピーカーの向こうの女の声にも思える。
果たしてこの女は本当の事を言っているのだろうか?
それすら疑わしく思えてきてしまうが、スピーカーの向こうの女は、どうこうしたところでスピーカーの向こうにしか存在しない。
今ここでどうこうしようにも、どうこう出来ない。
どうしたものかと隣を見ると、そこにいるのは眠った順也。
俺の思考の迷走の内、彼は静かに眠ってしまった。
俺は猫がぶら下げたスピーカーの向こう、見えないその女を疑うも問う。
「彼女からの伝言か?」
スピーカーの向こうの女は答える。
「はい」
「今日も彼女は来れない」
「はい」
「明日また来る」
「はい」
沈黙は幾度も訪れる。
「二人の……俺たちくらいの男に会わなかったか」
「はい」
「会ったのか?」
「いいえ、あ、あ、会わなかったのです」
沈黙にはもう慣れた。
「彼女は、どこにいる?」
「い、至るところに」
「彼女は何をしている?」
「みみ、見ています」
「そんなもんか」
「はい」俺はまだもう少しだけ話をしたい気分だったが、スピーカーの向こうの女は話を早く終えたいのか、言う。
「彼女に何か、で、で、伝言はありますか?」
「昨日と同じでいい」
「はい」
「おい、やっぱり昨日会っているな」
俺が動くよりも早く、猫は太股から降りると公園の出口の方へ素早く立ち去っていった。
俺はベンチから立ち上がったもののその足をどこにも向ける事なく、ただ地面を踏んで言った。
「後藤みか。逆立ちしてでもいいから、俺のところに来てくれないか」
「何かあったんすか?」
俺の嘆きを聞いていたのか聞いていなかったのか分からないが、順也は目を覚ました様で俺に声をかけてきた。
気付けば空に出ていた太陽は隠れて、月がふんわりと上昇を続けていた。淡い光は俺と順也を冷たく照らす。
俺は順也に何も答えない。
しばらく返事を待っていた様だが、痺れを切らしたのか、再び口を開いた。
「先行きます」
俺は言う。
「そうだな」
「俺、結構寝てました?」
「どうだろうな」
「すっげえ遠くまで行こうかな」
「駄目だ」
「なんでなんすか」
「彼女を待つんだ」
「ああ、そうか」そう言ってから口元に妙な笑みを浮かべると、ちらりと俺の方に目を向けて順也が言う。
「いっその事、ぶっちします?」
俺は首を横に振りながら答える。
「それは駄目だな」
「どうしてすか?」
「木が見ているから」
順也は不思議そうに木を眺めると、何か閃いたのか木の枝を指さして声をあげる。
「首でも吊ってみます?」
「なんの為に?」
俺は少しだけ考えてから首を傾げて言った。
「靴紐ならあるし」
「いや、それじゃあ耐久性に難ありだろ」
「それもそうすね」
「それじゃあ行くか」
「彼女を待つって事は、明日も来るんすよね?」
「うん?」
「明日は、縄持ってきましょう」
「そうだな」
俺は行こうとしたが、順也はベンチに座ったまま何かを考えている。
自分の中で考えが纏まらないのか、髪の毛をくしゃくしゃにしてから順也は言う。
「このままじゃ耐えらんねえっすよ」
俺は順也を諭す様に優しく言う。
「みんな同じ事を言うさ」
「やっぱり明日は別々にいてもいいんじゃなかなって、」
俺は順也の話に口を挟む。
「明日、首を吊ろう。彼女が来たら……」
少しだけ空を眺めると、順也も俺に釣られて空を見て言う。
「来たら?」
俺は言う。
「ここから出よう」
順也の横に再度腰掛けて、少しでも近くでこの言葉を順也に伝えようと試みる。
もう沈黙は心地よいものになっていた。
二人の間を風がしゅびりゅんしゅと渦巻きながら通り過ぎていった。
そして暫しの沈黙を吹き飛ばしていった。
俺は言う。
「じゃあ行くか?」
順也は言う。
「行きますか」
そうは言うものの結局、俺も順也も、一本の大きな木の下のベンチに腰掛けたまま動かないでいた。
――幕――




