第一話
放送で呼び出された俺は、まだ食いかけだった購買のパンを無理やり口に押し込み教室の席を立った。
教室棟から職員室のある特別棟までを繋ぐ長い渡り廊下を歩きつつ、窓から差し込む眩い光に目を向ける。
ここは一面窓に覆われているため光がよく入り、日向ぼっこでもしたら五分と待たず夢の世界へ旅立てるだろう。
立ち止まって少し伸びをしながら、俺は呟く。
「今日もいい天気だ。ほんと、異世界に行く奴らの気が知れんな」
そのまま突っ立った状態で何の気なしに上空を横切った飛行機雲を眺めていたが、それからしばらくして、先程より幾分か怒気の籠った担任からのラブコールに俺は慌てて職員室へと向かった。
職員室に入り、呼び出した張本人の元へ他の先生たちをかき分けながら進む。
すると、窓際の席で頭を抱える先生を発見。そのまま俺が近づいても体勢を変えることなく、担任の谷岡先生は心底めんどくさそうに尋ねてきた。
「なぁ、小鳥遊。本当に異世界へ行く気はないのか?」
「ありませんよ。もう何度目ですかこの話」
俺がそう答えると、片岡先生はわざとらしく大きなため息をつき、それから俺の顔を見上げてきた。
「他の奴らは二つ返事で飛び出して行ったんだがなぁ。なのにお前ときたら、絶対行きませんの一点張りだしよ」
「そりゃまぁ、行きたくないですからね」
「どうしてそこまで異世界行きを拒否する? あっちの世界は、こことは文明も、種族も、習慣も違う、まったく新しい世界なんだぞ?」
片岡先生の説得に、俺は先程のお返しだと言わんばかりに大きなため息をついて答えた。
「まったく新しい世界だから、ですよ。俺はこっちの世界の生活に満足している。それに仮に異世界に行ったとしても、そこで裕福でなんの不自由もない生活が約束されているわけでもない。いままでの人生を棒に振る可能性だってあるのに、異世界に行こうとは思いません」
静かに俺の話に耳を傾けていた先生は、さっきまでとは違いとても真剣な表情をしていた。
「……そうか。お前の人生だ、お前のやりたいようにすればいいさ」
それだけ言うと、先生は椅子をくるりと回転させ俺に背を向ける格好になり、腕を上げ体を伸ばし始めた。
この人もこの人で、日々激務に追われながら俺の相手をしているのだから、よっぽど苦労しているのだろう。呼び出されてる俺が言えたことじゃないが、生徒のことを親身になって考えてくれるいい先生だと思う。
伸びを終えると、先生は背もたれに深々と寄り掛かり、それから俺にだけ聞こえるくらいの小さな声でぼそっと呟いた。
「俺も異世界で透明になる魔法とか教わりたかったな」
「あんた教師失格だろ」
ほんの数秒前、心の中で先生の苦労を労ったばかりだというのに、この教師、言うに事欠いて生徒の前で警察から逮捕されかねないことを暴露しやがった。
何がいい先生だよ。クズだよ。異世界にピンク色の野望しか抱いてないよ。
「仕方ないだろ。政府から成人している日本人の異世界への移住、及び入国が許可されていないんだから」
「だからって生徒の前でそんな汚い夢を語るなよ。マジ捕まるぞ」
「生徒たちもほとんどが異世界行きを決めて暇だしよ。あぁー、俺ももっと若ければなぁー。サキュバスのお姉さんと甘い新婚生活ができたかもしれないのになぁー」
「言っちゃなんだが、絶対出来ねえよ。むしろ俺が全力で妨害するわ」
「そこでだ。お前には異世界に行って、是非とも透明化の魔法を……」
「失礼しましたー」
「小鳥遊くん!? 小鳥遊和臣くーん!!」
× × × × × ×
あらゆる技術が進歩を遂げた2025年。
日本の技術者たちは、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州のそれぞれ八地方に空間の裂け目があることを発見した。
その亀裂は、すべてがある一か所に繋がっていた。それが俺たちの言う異世界。
地球と概念こそ異なるが、1日24時間、1年が365日の公転惑星。昼夜の区別があり、朝には明るい恒星が世界を照らし、夜には満天の星空が広がる。
そこで、科学者たちはその異世界を、第二の地球<セカンドアース>と命名した。
空気中に含まれる窒素や酸素の含有量も地球と同じ。ただ空には、太陽と同じように異世界を照らす恒星があるのだが、それが何という恒星で、異世界はどこの銀河を公転する惑星なのか、いまの技術をもってしても解明には至っていない。
そして調査を進めるうちに、異世界に膨大な資源があるとわかった政府は異世界と友好条約を結んだ。
それに伴って、その友好条約である取り決めがなされた。
『文化、文明を著しく損なうような介入をしない』というもの。
これは異世界側から日本へ要求されたもので、友好的な関係を維持したい日本はこれを了承した。
そして現在、本格的に異世界と日本の文化交流がされるようになった。
日本の学生の入国を許可し、異世界の種族交流や魔法などの技術交流が盛んに行われるようになり、全国各地の高校生たちはこぞって異世界へ続く門をくぐった。
学生だけと言うのは、地球の軍が侵入するのを阻止するため。まぁ確かに、地球の大人たちがわんさか入ってきたんじゃ、異世界にとって自国の安全が脅かされないからな。
異世界の文化レベルはと言うと、建築物は木やレンガなどで、街並みは中世ヨーロッパ。車や自転車などあるはずもなく、移動には馬や馬車、種族によっては空を飛んで移動する。
狩猟・農耕文化だが貨幣経済が発達しており、物の売買は貨幣が使われるそうだ。
教室前方にあるスクリーンに映像を映しながら、先生がところどころで説明を入れる。
セカンドアースが発見されてから、高校教育にも異世界の文化を学ぶカリキュラムが設定された。
俺はというと、そんな異世界の話なんて興味がないため、ただぼーっとスクリーンに映し出される映像を眺めていた。
高校生の中には、異世界に入国しそのまま移住するものも少なくない。というか全員そうだ。
創作物で異世界への強い憧れを抱いていた彼ら彼女らにとって、セカンドアースの発見は夢を叶えるまたとない機会であり、その胸を熱くさせたことだろう。
俺もそんな輩と同じく、異世界で魔王討伐だのハーレム王になるだを夢見るお年頃であるはずなのに、まったくと言っていいほど興味が湧かなかった。
そりゃ、空飛ぶ魔法使ってみたいな。とかは思ったりもしたが、ほんとその程度。
セカンドアースには、魔王こそいないが、動物や暮らしている種族たちに悪さをする魔物と呼ばれるものがいるらしい。
日本から入国した奴らは、まず最初に自分の眠っていた能力を確認し発現させる。
剣士、騎士、弓使い、僧侶、暗殺者、魔法使い、踊り子、商人、村人。
例を挙げればきりがないが、他にもRPGゲームの職業で目にしたことがあるようなものがたくさんある。
ってか村人って。異世界で魔王、いや魔物を倒して有名になると意気込んで行ったのに、いざ自分の能力が村人とわかった奴は、一体どんな反応すればいいんだ? 遠回しに馬鹿にされてるよね? 『あんたはどこの世界にいようが一般人でしかないんだよ』って言われてるのと同じだよね?
いや、村人が一番いいと思うよ。だって平和だし。俺、異世界に行ったら村人になりてぇわ。行くつもりないけど。
「和臣ー、昼休みまた先生から呼ばれてたでしょ」
授業が終わり帰り支度をしていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには見知った女がにやにやと口元を歪めてこちらを見ている。
彼女は雨宮涼葉。髪の毛は茶髪で肩まで伸びるミディアムヘアー。背丈は170cmちょいある俺よりちょっと小さいくらい。
俺の幼馴染で、何かにつけて俺を揶揄ってくる喧しい奴だ。
幼馴染といえば、ギャルゲーで初期ステータスが異常に高い癖に、他のヒロインたちから主人公を掠め取られる噛ませで負けポジションの代名詞。
可哀想に。まぁ俺にとっての幼馴染であるだけで、こいつが好意を寄せているのはサッカー部の先輩だから、幼馴染は関係ないがな。
「うるせぇよ。行きたくないもんは行きたくないんだ。それにお前こそ、なんでまだこっちに残ってんだ? クラスの連中も、お前の大好きなサッカー部の先輩も、みんなあっちに行っちまったぞ」
そうなのだ。クラスの連中もほとんどがセカンドアースに行ってしまい、最初は40人いたこのクラスも、いまでは俺と涼葉を含め10人にも満たないまでになってしまった。
それなのに、こいつはいままで通り、俺と一緒にこの高校に通ってきている。
いつも一緒にしゃべっていた女子だって、休み時間にふざけて遊んでいたクラスの男子だって、みんな行ってしまったというのに、こいつはいま、俺の前で笑っている。
「はぁ? 大好きな先輩って誰? それにこっちに残ったのだって、あんたが……」
何かを言いかけたと思ったら、急にはっと顔を赤くして口を閉ざしてしまった。
なんだ、こいつ? なんで急に顔赤くしてんだ?
涼葉がなぜ言い淀んだのか理由は分からないが、さっきからかわれた腹いせに、俺はにやにやとゲスな笑みを浮かべながら尋ねた。
「聞こえないなぁ? もしかして、離れ離れになった先輩が急に恋しくなっちゃったんですか? ねぇねぇ、涼葉さーん」
「くっ、この……」
伏せていた顔を上げ、いつもの捲し立てるような暴言が飛び出すかと思ったがそれはなく、かと思えば、涼葉はゆっくりと俺の方に近づいてきた。
そのまま俺の机のそばまで来ると、机の上にあった鞄を乱暴に奪い取り窓の方へと歩き出した。
「おい、ちょっと? 何してんだ?」
意味不明な行動に混乱していたが、やがて涼葉は窓を開けベランダに出ると、勢いよく俺の鞄を空中に放った。
それはもう、物理の教科書に出てくる斜方投射のように。
「おいおい、何やってんだ!? あぁ俺の鞄が……」
「んじゃ、先帰ってるね」
「はぁ!? ちくしょうがっ!!」
「……ふんっ」
俺は急いで鞄の落ちた中庭へと向かう。すれ違ったとき、視界の隅で涼葉がどうだと言わんばかりのドヤ顔を向けていた。
くっそ、いまどうしようもなく異世界に行きたくなってきた。そして涼葉の胸が小さくなる魔法とか習得したい。割とマジで。
夕食を終え自室のベットに横になって一息ついていると、テーブルの上の端末が震えた。
さては下校の一件で、涼葉が謝罪の電話を入れてきたのだろうと思い、あまり意識せずに通話ボタンを押した。
「あー、もしもし」
「初めまして。小鳥遊和臣さんですね?」
「……誰ですか?」
スピーカーの向こうから、聞いたことのない女性の声がした。
「そうですねぇ、あなたたちが言うところの、異世界の神です」
「あー、そうですか。それで、その異世界の神様が俺になんの用ですか?」
「……あの、驚いたりしないんですか?」
「いや、特には」
「え? いやでも、急に神とか言われたら驚きますよね?」
「もう切っていいですか? そろそろ寝たいんですけど」
「自分勝手すぎるでしょ!? わかりました! 本題を話すので切らないでください!」
どうやら異世界の神様からの電話だったらしい。てか神様って電話するんだ。意外にハイテクなのね。
女性は咳払いをして少し間を置いた後、静かに話し始めた。
「私は、日本から来た方々が持つ隠された能力を見抜き、それを発現させるものです。その傍ら、地球に残っている方の中でも、優れた能力を持っている人を探していました。そして見つけたのです。あなたのことを」
「はぁ……」
「これはあなたにしかできないことなのです。どうかその力で、魔物たちを討伐し、私たちの平和を取り戻してはくれないでしょうか」
「…………」
そうか、俺には世界の平和を救う隠された力があったのか。
「胡散臭さ」
「えぇ!? なんで!? 私、いま結構真剣にお願いしましたよね!?」
あなたにしかできない、とか言われても、なんか優越感や特別感を与えて相手を騙す詐欺師にしか聞こえないんだよなぁ。
ん? 待てよ。あなたの能力?
「ちょっと待ってください。俺の能力って、一体いつ、どうやって見たんですか?」
そうだ。俺は一度も異世界に行ったことがなければ、能力を見抜く神様なんかと会った記憶もない。
「えっと、そ、そんなことより! いま私たちの世界では魔物が」
「切りますね」
「ごめんなさい! 前に一度だけあなたの部屋を覗きました!」
「…………覗き魔神」
「やめてぇ!!」
覗いたって、それって神様としてどうなの?
いくら神様って言っても、人の部屋を勝手に覗くのはねぇ。
俺の中で神様への印象がちょっと下がった。
「うぅ……覗き魔神って言われた。私神様なのに。崇拝される存在なのに」
なんか神様が涙目でぐすぐすふくれているのがスピーカー越しにわかる。
打たれ弱いな神様。そんなんで大丈夫なんだろうか。いや、神様がいつもどんなことしているかわからんが、それなりに重要な仕事をしてるんじゃないの?
例えば世界の秩序を乱すものを排除したり……。あれ? 魔物討伐って、もしかして神様の仕事なんじゃないの? なのに冒険者たちを戦わせるって。いや、やめておこう。これは触れちゃいけない気がする。
「俺には世界を救う力がある。それがもし本当なら、俺はこんなところにいちゃいけないのかもな」
「わ、わかっていただけましたか!? それじゃあ……」
「でも面倒だし、他の奴らに任せるわ」
俺は通話を切り、端末の電源を落とした。
寝よう。明日も学校だ。神様詐欺なんかに引っかかってなどいられない。
俺はそのままベットに入り眠りに落ちた。
だが振り返れば、このとき電話に出たこと自体がそもそもの間違いだったのかもしれない。
頭いてぇ。体も痛いし、ベットから落ちたのか?
妙な体の痛みに目を覚ますと、そこは見慣れない空間だった。
「んあ? どこだよここ。俺、昨日ちゃんとベットで寝たよな?」
ベットから落ちたなどという話ではなく、そもそも俺の部屋ではなかった。
周りを見渡しても、辺り一帯が薄暗く何も情報が得られない。
起きたばかりの働かない頭で状況を整理していると、急に目の前に魔法陣のようなものが現れ、その中から女性が出てきた。
突如現れたその女性は、金髪のロングヘア―でそれは腰まで伸びており、真っ白い修道服のようなものを着ていた。見たことはないが、教会のシスターってこんな感じなのかな、なんてふと思った。
さっきまで何もなかったところから人が出てくる、ただただ異様な光景。
その光景を呆然と見ていた俺だが、女性に声をかけられ意識が引き戻された。
「昨日ぶりですね、小鳥遊和臣さん」
その声には聞き覚えがあった。
「あ、覗き魔神」
「その名前やめてくださいっ!!」
なんだよ、昨晩電話してきた詐欺師の神様じゃないか。
その反応を聞き、なんだか緊張していたのが馬鹿らしくなった。
「で、なんで神様がこんなところにいるんだ? そもそも、ここはどこなんだ?」
「異世界です」
「……は?」
「ですから、ここは異世界です。正確に言えば、異世界を統治する神室です」
「……はぁ!?」
ベットで寝て、そのまま起きたら異世界入りしてた。
わからん。自分で言ってても状況がまったく理解できない。起きたばかりで頭が働いていないことも相まって、この突拍子もない出来事に脳が考えるのをやめやがった。
「い、異世界? 俺が? どうやって?」
「あなたが寝ている間に、私が空間をこじ開けて連れてきました」
おいおい、大胆なことするじゃねぇか。覗きの次は誘拐かよ。神様と言えど、そろそろ本格的に警察のお世話になりそうなレベルなんだが?
そんなことを考えていたら、いつの間にかポケットに入れられていた端末が震えだした。
昨晩のこともあり、画面に表示されえている名前を確認すると、担任の片岡先生かららしい。
震える手で通話ボタンを押す。
「……もしもし」
「お、繋がった。もしもし小鳥遊か? 出席確認してたらお前がいなくてよ。どうした? サボりか?」
「先生、俺、いま異世界にいるんですけど……」
「……はぁ?」