初めての舞踏会
舞踏会は思った以上に大変なものだった。常に誰かがやって来て、「ごきげんよう、レディ・フィッツモーリス」と話しかけてくるのに愛想笑いを浮かべて適度におしゃべりをしなければいけなかったし、一人で考え事をするような時間がとれないくらい大勢の人に囲まれなくてはいけなかった。
主催者の侯爵夫人は大層アデラインを気に入ったようで、しばしのあいだ彼女を連れ立って夫人の顔馴染みの人間に紹介して回ってくれた。
今シーズン、社交界にお披露目となったご令嬢の中でアデラインは特別待遇であった。侯爵夫人は賑やかな催しが大好きで、ロンドン社交界の中心的人物である。もちろんこのことを伯母のエレノアは喜んだ。侯爵夫人はウォルズ卿の母方の伯母にあたり、既に母を亡くしたウォルズ卿にとっては侯爵夫人が唯一の女親族であり、彼女が彼の花嫁探しをしていると誰もが知っているからだ。
サー・ウォルズは最初のダンスにアデラインを誘ってくれた。
デビューして初めてのダンスは一番重要である。彼はそのことを知った上でアデラインを誘ったのだ。
天にも昇るようなふわふわとした気持ち。好ましく思う相手からダンスに誘われるのはこれほどまでに嬉しいものなのだ。カニング男爵やサー・ヒキンズなど、ダンスに誘ってくれた人は何人もいたが、彼に誘われたときのような気持ちにはならなかった。
彼は特別なのだ!気づいてしまった。たった一度声をかけられただけで私は恋に落ちてしまったのだ。しかも他の女性と結婚することになる男性に!
「マイレディ、ダンスは飽きてしまいましたか?」
言われてハッと気づく。今はあのウォルズ卿と夢にまで見たダンスの途中だったのだ。
「いえ、すみません。なんだか足が疲れてしまって・・・」
なんてことだ。せっかくのチャンスを無駄にしてしまった。馬鹿馬鹿!
「それでは少し休憩しましょう。ここは人が多くて息がつまる。サンルームに行きましょうか?あそこなら人も少ないでしょうし、今なら伯母のご自慢の庭園にもご案内できると思いますよ。」
これは二人きりになりたい、というメッセージだと受け取ってもいいのだろうか・・・。未婚の女性が男性と二人きりになるなんて、外聞が悪い。でも、こんな魅力的な誘いを断れるはずがあろうか!
「ええ、お願いいたします。」
言ってしまった!ああ、母と伯母にはバレませんように・・・。
いや、いっそのこと二人でいるのを見られて私と彼がそういう関係だと勘違いされたほうがいいかしら。そうしたら、彼は私と結婚せざるをえなくなるだろうし・・・。
「飲み物をとってきます。あなたは先に行っていてください、レディ・アデライン」
私ってなんて悪い人間なんだろう。下種なことを考えてしまった。これではまるで小説の中の本物のアデラインと同じではないか。
とぼとぼと歩きながら考える。
壁際で目立たぬようひっそりと立っているのはレディ・クロリッサ・リッチモンドだ。あの様子からすると、誰からもダンスに誘われなかったみたい。
やはりこの階級社会においてはアメリカ人は弾かれてしまうのだろう。彼女がどんなに美人でも、どんなに裕福で有り余るほどの持参金を持っていようと、階級に属さない人間は弾かれてしまう。この侯爵夫人主催の舞踏会の招待状を手に入れられただけで奇跡といえよう。
話してみたい。あのクロリッサと話がしたい。自分が好きな小説の好きな登場人物と。誘惑には勝てない。
「ごきげんよう、レディ・クロリッサ。」
話しかけられたことに驚いた様子だ。
「ごきげんよう、レディ・アデライン。」
彼女の声は見た目と同じで凛とした力強さがある。
「私のことをご存知なのですね。」
「もちろんですとも。みんなあなたのことを話していましたわ。今日の舞踏会はあなたのためにあるようなものだ、と。本当にその通り。あなた、とってもおきれいですもの。」
率直な言い方は好感が持てる。ここにいる人間とは違う、思ったことを思ったように話す姿は裏表がなさそうだ。
「あなたのほうこそ、とってもおきれいよ。あなたみたいに細ければいいのにって毎日思うわ。それに、あなたのブルネット、私すごく綺麗だと思う。こんなありふれたブロンドでなくて綺麗なブルネットだったらよかったのに、ってばあやに話したら嘆かれたわ。」
私が思っていたような人物とは違っていたようで、ポカンとした表情で数秒一時停止したのち、彼女は大きく笑い出した。彼女はツンとした顔よりもこっちの方が何倍も魅力がある。
「ごめんなさい、あなたが思っていたよりも素直な人のようにだったから。お人形さんみたいに綺麗な顔をしているから、すました人間かと思っていたの。なんだかあなたとは仲良くなれそうね。アデラインとお呼びしても?」
「もちろんよ。私もクロリッサと呼ぶわ。クロリッサ、あなた誰ともダンスをしなかったの?」
「私を誘うような紳士は一人もいないってことね。イギリスには私の後見人となってくださる方はいないから、不作法者のアメリカ人に用はないってこと。」
「そんなこと。あなたすごく美人なのに。どなたも誘って下さらなかったの?」
「一度だけ、サー・ウォルズから。でも、彼とアメリカ人が踊ったら周りからなんて言われるか。体調が優れないのでお断りしますって、言ってしまったわ。そのあとは誰からも誘われないわね。」
ウォルズの名前が出たとたんに心臓が飛び上がった。ウォルズ。私の恋慕う人。彼からのダンスの誘いを断るなんて。
これは小説通りだ。一度も断られたことのないウォルズ公爵は身分のないアメリカ人にすげなくされて彼女を意識するようになってしまう。どうしよう、彼女に彼をとられたくない。
「サー・ウォルズからのお誘いを断るなんて、あなたすごいわね。彼からの誘いを断る人間なんて、ここにはいないわよ。」
「彼はとてもハンサムだけど、自分の誘いは断られるはずないっていう傲慢さがあって・・・・こんな話、あなたにすべきではなかったわね。」
「なんのことかしら?」何か知っているのだろうか。
「あなたとサー・ウォルズのことよ。あなたたち、侯爵夫人公認の仲なんでしょう。あなたとウォルズ卿はいずれ結婚するんだってみんな言ってたわ。」
「そんなことないわ。彼とはつい先日知り合ったばかりですもの。それに彼は私みたいなちんちくりんは相手にしてくださらないはずよ。あなたみたいな美人ならともかく。」
自分で言っていて悲しくなってくる。彼は私ではなく彼女を選んでしまうのだ。
「アデライン、あなた何を言っているの。ここでのことはわからないけど、あなたみたいな子がアメリカにいたら、すぐに話題になって毎日あなたのお屋敷に花やらなんならプレゼントが山のように届くはずよ。」
彼女はいたって真面目な顔だ。本当に心からそう思っているかのよう。
「ありがとう、クロリッサ。あなたくらい優しくて美人なら誰か素敵な殿方がダンスに誘ってくださるはずなのに。ねえ、誰か気になる人はいなかったの?この中でもいいし、街で見かけた人でもいいし。」
彼女に他に気になる人がいればいい。その人との仲をなんとしてでも私は取り持つ。でも、そんなことはないだろう。だって小説の中のクロリッサはサー・ウォルズにしか興味がなかったもの。
「実は、私、気になる人がいるのよ。絶対に誰にも言わないって約束してちょうだい。」
「もちろんですとも、誰にも言わないって約束するわ。さあ、教えて。」
左右を見渡して人影がないことを確認してからポツリと話し出した。
「彼とはオックスフォード・ストリートで一番大きな書店で出会ったの。私がウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』を取ろうとしたとき、彼が私の手に触れたのよ。彼も同じ本を手に取ろうとしたの。女性でこの本を読む人は珍しいって言われて、最初すっごくムカッとしたわ。それで、私の悪い癖なんだけど、相手の話も聞かずに、ずーっと自分の考えを話し続けたの。そしたら彼も私と同じ考えで、そのあとハイド・パークの中で時間を忘れるくらい語り合ったわ。あ、一応言っておくと、ちゃんと侍女もつれていたから二人きりではないわよ。」
「焦らさないで、教えてちょうだい。彼の名前は?」
「リチャード・ボーモンド。そう名乗っていたわ。私はイギリスの人間には詳しくないから、わからないけど、あなたなら知ってるでしょう?
」
なんてことだ。私の夫となるリチャード・ボーモンドを彼女は好きなってしまったのだ。こんなあべこべなことがあっていいのだろうか。いや、いい!これで私にもチャンスがやって来た。
「もちろん知っているわ。彼はサー・ウォルズの親友なの。大使としていろんな国にいっていたはずだわ。だから考え方があなたと合うのね!」
ウォルズ卿の妻となる人は私の夫となる人に恋をしていて、クロリッサの夫となる人に私が恋をしている。
なんとしてでも彼女とサー・リチャードをくっつけなきゃ!
「ああ、アデライン。ここにいたのかい。探していたよ。」
グラスを手にしたサイモンが微笑みながら近づいてくる。クロリッサは彼に興味がないとわかっていても嫉妬してしまう。心のなかに黒いなにかが巣くっているようだ。
「ごめんなさい、クロリッサ。これで失礼するわね。」
「ええ、話し相手になってくれてありがとう。ごきげんよう」
彼の腕を取り、歩調を合わせてサンルームに向かう。
「この間お話ししたと思いますが、いずれあなたを私のブライトンの家にご招待したい。もう少ししたら狩りの許可がおりて、私の家に人を集めてキツネ狩りをするんですよ。」
これだ!きっと彼は親友のリチャードを呼ぶはずだ。私はなんとか招待状をもう一枚融通してもらってクロリッサを招待すればいい。そこで彼と彼女を引き合わせるのだ!
「楽しみにしておりますわ!ブライトンには行ったことがありませんの。素敵な場所なんでしょうね。」
「ええ、もちろん。あなたの好きなブーゲンビリアも咲いていますよ。庭師にお願いして案内させましょう。」