出会いの季節
アデライン・フィッツモーリス。それがこの世での私の名前だ。コッツウォルズの田舎の屋敷で育てられ、はるばるロンドンまで社交界にデビューするためにやって来た。
今やロンドン中の女性が憧れるマダム・クロヴァートの仕立て屋でフランスで流行りの形の最高のドレスを頼み、街で一番の宝石商でアフリカからわざわざ運んできたという神秘的な輝きを放つ大きなルビーの石から揃いの指輪とネックレス、イヤリングを作らせた。あとは細々としたものを揃えればいいだけで、私はやることを終えた達成感に浸っていたのであった。
付き添いの伯母のエレノアは私の腕をとって並んで歩き、何かをペラペラと話している。伯母のことは嫌いではないが、彼女のおしゃべりなところには辟易している。
「あら、レディ・クロリッサ・リッチモンドではないかしら?ほら、あのヴァイオレットのドレスの女性よ。はるばるアメリカから花婿探しにやってきたらしいわ。彼女、爵位持ちの紳士をお探しのようね。お父様は貿易商で巨万の富をなして、娘には多額の持参金を持たせるって噂よ。」
伯母が話題にした女性はスラリと背が高く、意志の強そうな顔つきをしたなかなかの美人である。
何かが身体の中を突き抜けていった。ああ!私は彼女のことを知っているわ!!彼女は私のお気に入りのハーレクイン小説の主人公で、私はその小説を何度も何度も読み返したものだった。
「アデライン、アデライン?あなた大丈夫?ぼーっとしていたわ。」
「え、ええ伯母さま。私、なんだか頭が痛くって。もう家に帰らない?馬車を呼んでちょうだい・・・。」
「そうね。必要なものはほぼ揃ったし。今馬車を呼ぶから待っていてちょうだい。」
私、前世の記憶があるんだわ!今までおぼろげに何かの記憶があったけど、それは夢だと思っていた。夢じゃなかったんだわ!私は二十一世紀の日本に生まれたごく普通の女性で、いつの間にかお気に入りのハーレクイン小説『求愛の果てに』の中の登場人物に生まれ変わっていたのだった。それで思い出したけど、アデライン・フィッツモーリスは小説の中に存在していた。しかも主人公のクロリッサと相手の男性との仲を邪魔する嫌な役だ。ああ、なんてこと・・・。私、悪役に生まれ変わっちゃったんだわ!
なんだか本当に頭がズキズキと痛んできた。伯母さまはまだかしら?
「失礼、レディ。大丈夫ですか?かなり顔色が悪いですよ。お付きの者はいないのですか?よろしければ私の馬車でお宅までお送りしましょうか?」
仕立ての良さそうな服が彼の力強い体つきを際立たせている。軽くウェーブしたブルネットの髪。背が高く、がっしりとした体つきの男性だ。だいたい三十歳前後だろう。すっと通った鼻筋に、薄めの唇。髪と同じ色をした瞳は不思議な魅力を秘めている。かなりのハンサムである。真面目そうな印象を誰もが受けるだろう。
心配そうな顔をした男性はじっと見つめてくる。この人に見つめられたら皆この人の虜になってしまいそう。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですわ。伯母が馬車を呼びに行っていますの。ミスター・・・」
「サイモン・ウォルズです。レディ・・・」
「アデライン・フィッツモーリスです。ミスター・ウォルズ。」
彼だわ!彼がクロリッサの夫となる人だわ!サイモン・ウォルズ。ウォルズ公爵。家の財産を継ぐために子供を産める健康的な女性と結婚しようと考えている。最初はアメリカから来た型破りな考え方をするクロリッサを避けていたけれど、いつの間にか彼女に惹かれるようになって、様々な困難を乗り越えて結婚した。本当に私は小説の中に転生していたんだわ・・・。
「どうぞ、サイモンとお呼びください。貴女のことはイギリス中の男が噂していますよ、レディ・アデライン。フィッツモーリス伯爵の麗しのご令嬢だと。噂にたがわぬ美しさだ。あなたなら社交界の華になれるでしょうね。」
エレノアが戻ってきた。彼を見て驚いたようであった。
「あら、ウォルズ卿。私の姪がなにかいたしましたかしら?」
「ミセス・エレノア。あなたの姪っ子さんが体調が悪そうで。ああ、顔色が良くなりましたね。レディ・アデラインは噂に違わぬ美しさだとお話していたんです。フィッツモーリス伯爵はこんなに美しいご令嬢を今まで隠していたんだとは驚きです。」
「隠していたなんて。姪はコッツウォルズのホッジズ・ハウスが大のお気に入りなんです。ロンドンに顔を出そうともしないんですよ、ウォルズ卿。」
「コッツウォルズはとても綺麗でいいところなんです。ロンドンも素晴らしいですが、なにせ人が多くて落ち着けません。あそこの朝日と夕焼けを見ればあなたにも納得していただけるはずです、ミスター・サイモン」
「わかりますよ、レディ・アデライン。私もブライトンの屋敷にいる時が一番落ち着きます。ロンドンは新しいものや刺激的なものに満ちていますが、あなたの言うとおり心が落ち着ける場所ではありません。意見が合いますね。」
目を見て微笑むサイモン・ウォルズに心をとらわれてしまいそうだ。彼はクロリッサの夫となる人なのに・・・。
「こんなところでレディを足止めしてしまっては失礼にあたりますね。いつかあなたをブライトンにある私のマナー・ハウスにご招待したいものです。ブライトンの景色もなかなかのものですよ。では、失礼。レディ・アデライン、お大事に。」
さっと一礼して去っていく姿は、後ろ姿でもかなり素敵だ。街中にあふれるはやりのスタイルの服なのに、彼だけが特別なように思えてしまうのだ。
「アデライン、あなたあのウォルズ公爵に気に入られたのよ!あの人、あなたをブライトンのマナー・ハウスにまで招待したなんて。あなたのお父様にお話しなくちゃね。あなたは未来のウォルズ公爵夫人になれるかもしれないのよ!」
興奮状態で話すエレノアを横目に、魅力的な後ろ姿をずっと眺めていたい気持ちであった。
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