第二話「近所のニートが突然魔王を名乗りだす」
「雷沢帰妹……年下の女が男に迫る。凶。
……年下の女って私の事じゃないでしょうね……」
マドカは易占いで今日の行方を占っていた。
再びピエロの格好に戻されたピエールは、赤い鼻を光らせながらマドカの部屋を訪ねた。
「おいアクマさん、もうサーカスもやってないのに、この衣装の意味あるのか?」
「ないわよ。私の趣味でそうしてるだけ」
「うぉい!」
「いいから、あんたは情報でも集めてきなさい」
「うーい」
そう言うとピエールはオレンジの衣装のまま外に繰り出していった。
反対にイチメは神妙そうな顔つきで、何かに悩んだ様子でアクマさんの元にやってきた。
「どうしたの?イチメ」
「さっき僕のおやじがアクマさんを連れてくるように言っていたんだよう。何か重要な事を告げようとしていたようだよう……」
「あんたのお父さんって、あの『イチモク』さんが?あんな大妖怪が言う重要な事って……」
「とにかく行ってみるんだよう」
マドカはワープ用の部屋に行き、妖界に向かって旅立つ準備をした。
妖界はその名の通り、妖怪が蠢いている世界である。
妖怪が実体化する前の世界なのだが、実体化した人間が行っても問題はない。
マドカは妖界とは関わり合いがあったが、実際に行く事はできるだけ避けていた。
しかし世話になっているイチモクさんのお呼びとあっては行かないわけにはいかない。
マドカは緊張した面持ちで魔法陣を起動させた。
すると、マドカとイチメは白く輝く魔法陣の光に包まれ、妖界にある同じ魔法陣まで、一気にワープした。
マドカとイチメが妖界にたどり着くと、そこは白い霧が立ち込めた、仄暗い奇妙な場所だった。
「相変わらず霧が深いわねここは」
「ここで妖怪の素が凝固して霊体が作られるんだよう。それから霊体が現象界に行って、何かのきっかけで実際の妖怪として現れるんだよう。ここにいる妖界のほとんどは霊体だから危害を加えられる事はまずないんだよう」
「ふーん。でも薄気味悪いわね。早く用事を済ませちゃいましょう」
マドカとイチメは奇妙な妖怪の霊体達を眺めながら、ある神社にやってきた。
「おやじはこの辺で霊体を管理しているんだよう」
「思い出した。確か五歳くらいの時に連れてこられて、イチモクさんに『アクマさん』って名付けられたんだったっけ」
神社の境内の中心、とある暗い部屋にイチモクさんがゆったりと座っていた。
イチメによく似た風貌だったが、体の大きさが段違いに大きく、その姿を袈裟で隠しており、妖怪ではあるが落ちついた雰囲気を醸し出していた。
イチモクさんはマドカを見ると、ニコリと笑って、マドカの成長した姿を眺めた。
「久しぶりだね、アクマさん。妖怪退治は順調だと聞くよ」
「うん、このあいだイチモクさんに送ってもらった刻印ペンのおかげだよ」
「それは良かった。あのペンは念じるだけで刻印できる優れものだ。とは言え、あのペンは地獄の生物の一部を加工したものだから、本当はとても危険なものなんだ。妖怪にも狙われやすいから注意しなさい」
「うん。それで重要な話ってなに?」
イチモクさんは少し間を置いてから、話し始めた。
「君が10歳になったら言おうと思っていた事がある」
「なに?」
「……実を言うと、君は人間ではないのだ」
「……え?」
マドカは口を開けたまま、呆然とした表情で、まだ言われた事の内容を理解してはいなかった。
「正確に言うと君の肉体は人間だが、霊体は人間のものではない。
君が生まれる時、何を間違ったか、妖怪の霊体が入り込んでしまった。
……でも気にしないでほしい。君は人間の世界で生きてきたのだから、立派な人間だ。だが魂のレベルでは人間ではない。それだけを理解して欲しいのだ」
「そんな……」
マドカはうつむいた。話を理解しても受け入れる事はできなかった。
「君は亜空間を移動できる妖魔だった。妖魔というのは、妖怪の上位で、とても位の高い妖怪の事だ。そして亜空間というのは時々人間の世界にも現れる異界の事。ブラックホールもその一種だ。そして君の中に魂が入り込む瞬間に、その亜空間を移動する妖魔の霊体が入り込んでしまった」
「……」
「そんな事が起こるのは天文学的な確率だ。しかし起こってしまった事は仕方がない。それで私は君の事を亜空魔……アクマさんと名付けたのだ」
「そうだったの……」
イチモクさんは話すを中断して、マドカが現状を受け入れるのをしばし待った。
「……君の役目は妖怪と人間との世界を調和させる事だ。これは亜空魔である君にしかできない事だ。どうだ?やってくれるかね?」
「……はい、やります!」
「その言葉を待っていたのだ。君は強い子だ。君ならやれる。その為に君に八卦妖怪を持たせたのだからな」
「僕も一応、八卦妖怪の一人だよう!」
イチメは浮遊しながら上下しはじめた。
「今、人間界では誰もが自分だけの世界の王様になりたがっている。そして周りの人間もろとも不幸にしてしまっている。その影に妖怪が関わっているというわけだ。君は君自身のやりたいようにやっていい。これまで通りにね。それが世界を救う事に繋がるのだ」
「それなら簡単だわ。私はいつだって好奇心の向く方に頑張ってきたんだもん」
「受け入れてくれたようで安心したよ。ではイチメと、それと刻印ペンをこれからも頼むよ。じゃあお茶にしようか」
そう言って、今度は茶菓子とお茶を持ってきた。
マドカは少しの間、イチモクさんの元で楽しい一時を過ごした。
*
マドカが現象界に帰ってくると、ピエールが大慌てでやってきた。
「おい!お前と仲の良いガキの兄貴が変な妖気に包まれてるのを見つけたぞ」
「それって、リネンのお兄ちゃんの事!?」
マドカが外に出ると、斜向かいの一軒家からただならぬ妖気が蔓延していた。
その一軒家から出てきたのは、マドカと同じくらいの少女だった。
「リネン!お兄ちゃんがどうかしたの!?」
マドカの問いを聞くと、リネンは泣きながら話した。
「ニートのヘンプお兄ちゃんが急に魔王を名乗りだしたのぉ!」
リネンの話を詳しく聞くと、情報屋がその情報から分析を始めた。
「そいつは多分、空想と現実を反対にさせてしまう四離祖という中国の妖怪の仕業だな。現実があまりに辛く、空想があまりにも甘美な時にその妖怪に付け込まれる。最近この辺に出るって噂を聞いていたんだ」
その時、2階の窓がガシャンと割れたかと思うと、四肢があべこべに付いた、奇妙な妖怪が現れた。
ピエールが声を上げる。
「あいつだ!あいつが『四離祖』だよ!中国では聖人だったそうだが、飢餓に耐えかねて空想の世界に昇華してそのまま霊体になっちまった奴だ!」
「妖魔って事は強いの!?」
「俺的評価では『めちゃ強』だ!俺はトンズラさせてもらうぜ!」
そう言ってピエールは腕を大きく振って逃げてしまった。
「ちょっと!あんたがやらなきゃ誰がやるのよ!」
「アクマさんに決まってるんだよう!」
マドカは刻印ペンを背中から外し、構えた。
マドカの額からは汗が一筋流れ落ちた。
「どうする……?
素早く飛び回る奴を撃ち落とせる、強い奴を召喚しないと……強い奴……そうだっ!」
マドカは空に向かってペンを掲げ、ペン先からインクを飛ばした。
「震卦・フォーリングサンダー!」
インクが見えない所まで上昇すると、今度は大きな雷鳴と稲光になって四離祖に向かって落ちてきた。
雷は惜しくも外してしまったが、地面の焦げ跡には一人の男が立っていた。
「天主羅!」
蒼雷のような、横にとがった髪をしたこの男が雷を発生させた張本人である。
刻印ペンが刻印する六十四卦の中には、八卦妖怪を召喚する卦が含まれており、雷と雷の組み合わせ、震為雷と呼ばれる組み合わせが天主羅召喚の刻印となるのである。
「マドカ。俺の眠りを妨げさせたのはどいつだ?」
「あいつよ!あの口の裂けた妖魔がそうよ!」
四離祖は余裕の表情を浮かべながら、蜘蛛のようにその四肢をワラワラと動かした。
「マドカを困らせる奴は許さん」
テスラが四離祖に向かうと、窓の方からはリネンの兄であるヘンプが虚ろな目をして出てきた。
「お兄ちゃん!」
「リネンか、お兄ちゃん、とうとう魔王になったぞ。お城もあるし、エロい秘書もいる」
「それは幻想よ!目を覚まして!」
「幻想なものか!現にあそこに、俺の有能な幹部がいるじゃないか!それに、さっきも言ったけど俺には有能な秘書がいるんだ!」
「それはパソコンの画面よ!いい加減に気付いて!」
リネンの説得も気づかぬまま、ヘンプはパジャマ姿のまま、空中に向かって腕を振り始めた。
「勇者なんてやっつけろ!イケメンは全員死刑だ!」
マドカはその姿を見て、ため息をついた。
「あれがヒキニートの末路か……ああなったら、もう説得してもダメね。元に戻すにはあいつの信じている幻想、つまり四離祖をやっつけるしかない!」
しかしテスラの雷は一向に当たる気配はなかった。
四離祖はケタケタと笑いながら、長い手足を自在に動かして雷を避けていた。
「なにやってるのテスラ!空中戦ではあんたが一番強いんだから、倒してくれないと困るのよ!」
マドカはイチメの方を見た。
「イチメ!何とかならないの!あんたは目だけはいいんだから、ちゃんと観察しなさい」
「してるんだよう!今気づいたのはあいつは雷光を察知して後から来る雷本体を避けているんだよう。恐らく目はあまり良くないと思うんだよう!」
「って事は……そうか!よし、イチメ!四離祖の横に回りこんで、私が言うタイミングでフラッシュを使いなさい!」
「よく分からないけど、分かったんだよう!」
マドカはテスラが攻撃に転じる瞬間を探った。
そしてその一秒前のタイミングを捉え、イチメに合図を送った。
「今よ!イチメ!」
「フラッシュだYO!」
イチメの光が四離祖を襲うと、四離祖はあさっての方向に動いた。四離祖はイチメのフラッシュをテスラの雷光と勘違いしたのである。
テスラはその一瞬の余分な動きを見逃さなかった。自分の周囲に雷を発生させ、それを思い切り四離祖にぶつけた。
「蓄雷波!」
「ぎゃああああああ!」
四離祖はテスラの太い雷を体に受けると、粉々に砕け散ってその灰を地面に落とした。
そして同時にヘンプの幻想もぶち壊した。
ヘンプはしばらくすると、トボトボと家の玄関から出てきた。
まさに数年ぶりの外出だったのである。
「俺は……」
「ヘンプお兄ちゃん!」
リネンはヘンプに抱きついた。ヘンプは久しぶりに妹の体温を生で感じ、それを有り難いと思った。
「俺は、今まで何をしてきたんだ?現実から目を背けていたのだろうか……」
「ヘンプお兄ちゃんは漫画を書くのが好きだったよね?でもそれがいつしか世の中を呪う為の手段になっていって……」
「そうだ。俺は漫画家になりたかった。でもどうしても無理だった。その現実を受け入れられずに自分が魔王になって世界を陥れる空想に耽っていた。それで……」
ヘンプは夢から覚めたように、過去の自分を冷静に振り返り、そして克服した。
「俺、働くよ。少しでも稼いで、俺は俺の世界を現実に築いていく」
「お兄ちゃんっ……!どうでもいいけど、お風呂にはちゃんと入ってね」
リネンが鼻を塞ぎながら兄から離れると、今度はテスラの方にやってきた。
「あ、あの……テスラさん!今のです、す、好きになりました!」
「ん?」
テスラに近づこうとするリネンに、マドカが大慌てで止めに入る。
「ちょっと!危ないから近寄っちゃダメ!」
「どういう事?マドカ」
「テスラは触れるだけで普通の人間は感電死しちゃうんだよ」
「そう……なの?」
テスラはコクリと頷いた。そして悲しそうにマドカを見て、別れを告げた。
「……帰る。また何かあったら呼んでくれ」
「うん、ありがとうテスラ……」
リネンもマドカも、少し悲しそうにテスラを見送った。
――その夜、マドカは自室でイチメと今日一日の事を振り返っていた。
「『雷沢帰妹』の卦はこういう結果になったか。一応ピシャリと当たってはいたわね……」
「何か言ったかよう?アクマさん」
「なんでもない。さぁ、それよりこれから拷問の準備よ。糞ピエロが帰ってきたらおしおきするから」
「ラジャーだよう!」




