ただいま
少し賑やかな廊下を抜けて、校庭で写真撮影をしてる人の間を縫って、人気のない体育館裏へ――。
あそこへ行ったって意味ないことはわかってる。でも、今日ぐらいはあいつがいた場所に少しでも近づきたかった。って、まさかこんなところで最後の告白してる人いないよね……? ここって人気が本当にないから使われそうな気もするんだけど……一応足音立てずにこっそりと――……良かった、誰もいない。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、歩いていくけど……やっぱり普通の地面が広がってた。
黒い穴なんてない。誰かがいたような形跡もない。それでも黒い穴があった場所にしゃがみ込む。
「……山田、今日卒業式だったの。高校生活が今日で終わったよ」
あいつがいたら何て返してたかな。
あ、そうなんだ――かな? それとも、卒業式って何? かな。ま、何でもいいか。
「卒業式を見てても涙なんて出そうになかったのに、ふと、今までの高校生活のことを振り返ったらあんたのことばっかりで……。……あんたのせいで泣きそうになっちゃった」
風に揺れる葉の音だけが聞こえる。
「……そうそう橘さんは県外に出て行って、なかなか会えなくなるの。でも、行こうと思えば会えるし、メールでも電話でも簡単に連絡は取れるから寂しくない。でもさ……」
風が止み、揺れていた葉の音もなくなった。
「あんたはどうやったら会えるの……?」
……泣かないって思ってたのに。
卒業したらもうここへ来れない――……そう思ったら、山田との繋がりが消えてしまいそうで悲しくなる。忘れなきゃいいって思っても、時間はどんどん過ぎていく。いつまでも鮮明に記憶できるわけじゃない。もしかしたら何かの拍子に忘れちゃうかもしれない。そうなったら、私はどうやって山田のことを思い出せばいい? ……忘れたくないのに、いつか忘れてしまうかもしれない自分が怖い。
「……山田に会いたい」
その時、真後ろから誰かの足音が聞こえた。
誰か来た――そう思うと、涙は急に引っ込んで反射的に立ち上がる。
バッと振り返ると、そこに立っていたのは制服を着た色黒の男子だった。
……見覚えのある背格好。でもすぐに誰か思い出せずにぼーっと見ていると、男子はニヤリと口元を歪めた。その笑みにハッとして目を見開いた。
「あっ……あんた……!」
ヒデオだ。
なんで急に現れるの……!? 何の目的で……? まさか私を連れ去ろうとして……!
嫌味な笑みを維持したまま、ヒデオはじっと私を見つめる。何を考えているのか、何もしゃべらずにひたすら見てくるので気持ち悪い。
思わず後ずさりをすると――。
「栗原さん」
背中に何かが当たった。それと同時に、透き通るような耳触りの良い声が頭の上から降って来た。
……まさか。さっきまで誰もいなかった。地面だって普通だった。頭で必死に否定しようとしても、心だけは素直で、心臓の鼓動がどんどん早くなる。
「栗原さん」
聞き間違えじゃない。背中に当たる感触も、固い体育館の壁なんかじゃない。
まさかそんな……鼓動が身体中に響く中、ゆっくりと後ろを振り返る。
「……ただいま」
そこに立っていたのは、制服を着た背の高い優しい微笑みを向ける男子だった。
薄茶色の短い髪が風でなびいて、綺麗な目が真っ直ぐ私に向けられてる。男子は嬉しそうに目を細めて、そっと私の頬を撫でた。
「ずっと会いたかった」
この仕草に見覚えはある。イケメンの格好だってたまに見たことある。
でも……信じられない。なんで急に? それに、どうしてヒデオと一緒?
……ヒデオがいることと偽りのイケメン姿が、嬉しい気持ちよりも疑念を大きくさせ――自然と男子の手を払いのけた。
キッと睨み上げると、男子はきょとんとした顔で見下ろしてきた。
「どうしてヒデオと一緒なの? 急にその姿で現れるなんて……信じられない」
「あー……そっか。やっぱり栗原さんの目にも人間に見えるようになってるんだね」
「当たり前っしょ」
ようやく聞こえたヒデオの声に釣られ、くるっと後ろを向いてヒデオを睨みつける。
けど効いてないのか、ニヤニヤと笑う顔は変わらない。
「今更何の用!?」
「会って早々うるせー女だな」
「全部あんたのせいでしょ? 何が目的!?」
「うるせぇなぁ……。先輩の頭ん中があんたばっかりで、全然研究が進まねぇんだよ」
「……は?」
……なにそれ。
「あの日先輩を連れ戻して、いざ研究を始めようとしても……あんたばっかりの映像で全く参考にならねぇだよ。たまに人間の文化や習慣らしき記憶を確認できたとしても、先輩が無意識のうちにあんたのことを思い出して邪魔しやがる。あんたのことを記憶から消そうにも、先輩の記憶に深く関わってるせいで消せねぇし、かと言って研究を進めようにも効率よく進まねぇ。で、上が話し合った結果、しばらく先輩を泳がすことになったんだよ」
「お、泳がす?」
意味が……わからない。
でもヒデオはだるそう大きくため息を漏らし、乱暴に頭を掻いた。
「先輩、もう俺帰りますよ。あとは先輩が説明してください。いいっすか、絶対に人間たちにバレないよう行動してくださいよ。上に何言われても俺は知らねぇすから」
そう言うとヒデオはあっという間に姿を消した。
パッと音もなく、本当に消えた。……な、何がどうなってるの――。
「栗原さん」
しゃがれ声だった。でも……懐かしい、聞き慣れた声。
恐る恐る振り返ると――……山田だった。正真正銘、本当のタコ宇宙人山田だった。
ずっと会いたかった山田が……目の前にいる。
「その……ごめんね。初めに変化を解くべきだったんだけど、会えたのが嬉しくてついそのまま――」
かばんを捨てて、思いっきり山田に抱きついた。
温かな感触。声色。全部、全部、本物。
本当に……山田が戻って来てくれた。
「山田、ごめんね……! 私のせいで身代わりになっちゃって……! 私のせいで――!」
「栗原さんのせいじゃないよ。元々は俺が巻き込んじゃったんだから。……栗原さんが元気そうで良かった」
山田も優しく抱き締めてくれる。
本当にいるんだ。もう会えないって思ってた山田がいるんだ。
山田はそっと身体を離し、のっぺらぼうを私に向ける。そして、先の丸い手でそっと頬を撫でた。
……やっぱり私は、偽りのイケメンよりものっぺらぼうの山田の方が好きだ。どんな表情かわからないけど、この顔は私しか知らないから。
「……本当に山田なんだね」
「うん、もちろん。俺も急に目の前から消えたこと、ずっと謝りたくて」
「謝る必要なんてない。……でも、なんで急に? 何があったの?」
ヒデオがさっき言ったことがよくわからない。
山田を研究しようとして失敗したことはわかったけど……泳がすってどういう意味なんだろう。
「あの後、元の星に帰るとすぐに研究所に連れ戻されて、記憶を抽出されてたんだ。抽出って言っても、記憶を鮮明に映像化するだけなんだけど……さっきヒデオが言ってたように、うまく人間たちの生活風景が映し出されなくて……代わりに栗原さんの映像ばっかりが映ってたみたいなんだ。俺、その間寝てるから意図的じゃないんだけどね」
……嬉しいような、恥ずかしいような。
「でも確かに、高校三年間いるって言ったのに一緒にいられなかったことが、本当に悔いが残ってたんだ。もっと栗原さんと思い出を作りたかったから。……冷静に考えたら、研究所に戻った時点でそんなことはできないって諦めもつきそうだけど、栗原さんが絡むと冷静じゃなくなるんだ。今でも思うけど、本当に不思議なことだよね」
「……どうにもできないことをどうにかしたいって思う気持ち……私はわかるよ」
だから今日、会えないことをわかっててここに来たんだし……。
でも結果的に山田と会えた。本当に、良かった。
「ヒデオにも言ったけど、思考が本当に想像以上に人間よりになってて……その様子を見た上司たちが考えたんだ」
「……何を?」
「このまま人間たちの中に紛れ込ませようって」
「…………ん」
ちょ、ちょっと待って。
それ……どうなの? 私は嬉しいけどさ……その上司の人たちの意図は何なの。まさか……山田をスパイにさせるとか。……続く言葉によっては、本気で地球侵略考えてるのでは。
「栗原さんどうしたの? 顔引きつってるよ?」
あれ……違う意味でドキドキしてきたかも。
次で終わりです。




