スタートライン
体育祭までの日々はいつも通りの学校生活だった。真面目に授業を受けて、三人でお昼を食べて、図書委員で図書室へ行って――そんな当たり前の日々。
というか……そもそも、宇宙人の山田と普通に学校生活を送ってること自体が普通じゃないんだ。でも、私にとっては今や当たり前のこと。
山田を初めて見たときの私は、一体どこへ行っちゃったんだろう。怖い、気持ち悪いって思ってたはず。早く帰ってほしいって思ってたはず。なのになんで……こんな学校生活を満喫してるんだろう。
◇ ◇
「さぁて、明日は体育祭だー。事前に言ったように、朝早く来て体育委員の作業手伝う奴ー遅刻するんじゃないぞー。あと、残りの片づける奴ーサボって帰るんじゃないぞーいいなー?」
最後のHRで先生が明日の体育祭について、伝達事項をしてる。……もう明日体育祭かぁ。明日は晴れるみたいだし、予定通り行われそう。
「……ま、怪我だけはしないようにな。あと水分補給を怠るなよ。各自、飲み物は必ず用意するように。じゃあ、起立! 礼!」
そんな先生の締めの言葉と共にHRは終わった。
……今、頭の中がごちゃごちゃなんだけど、みんなの迷惑にならないようにしなきゃ。
「栗原さん」
そんな呼びかけに振り返ると、橘さんがニッコリと微笑んで立っていた。
橘さんはあの日以降も普通に接してくれてる。だけど、山田についてのことは一切聞いてこないし言ってこない。たぶん、見守ってくれてるんだと思う。
「明日体育祭なんだから、いきなり風邪なんか引かないようにね。それと、いい加減気持ちの整理をするように!」
「は、はい……」
うぅ……ごちゃごちゃ考えてること、やっぱりバレてるんだ……。でも橘さんはイラついている様子もなく、ぽん、と背中を叩いてくれた。
「ま、明日頑張りましょ。……ほら、彼氏さんが呼んでるわよ。じゃあね」
そう言って手を振って橘さんが教室から出て行った。……彼氏って……まぁ一応そういうことになってるんですけど。
チラッと見てみると、ドア付近で山田がこっちに向かって軽く手を上げてた。……どうやら待っているらしい。仕方ない……行くか。
なるべく顔を見ずに歩み寄る。ちなみに、山田はいつも通りのままだ。
「栗原さん、久しぶりに一緒に帰ろうよ。嫌なら途中まででいいからさ」
「……別に、いいけど」
というか、お嫁さん探さない代わりにできるだけ一緒にいるっていう約束したんだから、もっと強く言えばいいのに。
山田と並んで歩く廊下も、今はもう慣れちゃった。たぶんみんなも慣れてるのか、一瞬視線を移すだけで特に何かをいう素振りはない。……本当、山田と歩くのも目立って嫌だったのに……今はそれほどでも嫌じゃなくなってるんだ。
「……去年、俺、体育祭休んじゃってるから楽しみなんだ」
帰り道。歩道を歩きながら山田がそんなことを言った。……そういえば、こいつ去年休んでたっけ。
「クラス選抜対抗リレー……だっけ? 俺、絶対負けないよ」
「まぁ運動神経良いし、アンカーだったっけ? バトンが何位で渡されても、山田なら一位になっちゃいそうよね」
「本当!? なら時空を止めなくても一番取れるかな?」
「それはやめなさいよ……」
「ははっ! 冗談だよ!」
山田ならマジでありえそうだから困る。
「栗原さんも借り物競走だっけ。応援してるから頑張ってね」
……あれ。なんか今……胸がドキッって。
他愛もない言葉だって頭でわかってるのに……治まらない。視線だって山田に釘付けになっちゃって……なんで……!
か、考えれば考えるほど……意識する!
「ど、どうしたの? 顔が赤――」
「こ、ここまででいい! じゃ、じゃあね!」
後ろから山田の声が聞こえた気がしたけど、振り返らず逃げるようにその場から走った。
……どうしよう。私……自分が自分じゃないみたいだ……。
◇ ◇
体育祭当日。私が登校した時には、すでにテントが校庭にいくつも並んでた。白線が敷かれて、放送席の横には紅組と白組のスコアボードが建てられてた。空を見上げれば、雲一つない快晴。……今日は暑くなりそうだなぁ。
いつも通りHRが始まった後、男子が廊下へ出て、女子は教室で体操服に着替え始める。今日だけは体操服にプラス赤色の鉢巻きが渡されてる。これで紅組だとわかるみたい。さぁて頭に巻いてっと。
「着替えた人から校庭に出ろってさー」
そんな声が聞こえて、着替え終えた女子たちが次々に出て行く。……いよいよ始まるのかぁ、迷惑かけないようにしないと。
「栗原さん!」
「あ……橘さん」
体操服の橘さん……同じ服装のはずなのに、なんだか違う物を着てるみたい。鉢巻きも似合ってるし……本当美人だなぁ。
「一緒に行きましょう。今日は頑張ろうね」
「橘さんも頑張ってください。応援してます」
「うん、ありがと」
嬉しそうに微笑んだ橘さんと一緒に校庭へと出て行った。
体育祭はプログラム通り順調に進んでいく。炎天下の中、リレーを必死に走ったり応援したりはやし立てたりと、みんな楽しそうにしてる。二学年が争うムカデ競走では、歩幅やリズムを全員で合わせるのが難しく、残念ながら一位通過は叶わなかった。
それでも他クラスの紅組は他の競技で頑張りを見せ、白組と紅組の差はほとんどなかった。まだ勝負はどちらへ転んでもおかしくない。そんな中――借り物競走の時間が近づいていた。
「栗原さん頑張って。良いカードが引ければいいわね」
テントから離れるとき、そんな風に橘さんが声をかけてくれた。そう――借り物競走は引くカードによって順位に大きな差がつく。……どうか、変なカードを引きませんように。そんなことを願いつつ、入口のゲートを進んでいると――目の前から山田がテントへ帰ってきてる。山田の奴は運動神経抜群ということで、色んな種目に参加してる。確か……上限まで参加してるのかな。そのせいで今日はまともに会話してないし、こうやって正面から見るのも初めてだったりする。
思わず顔を俯かせ歩いてたんだけど、案の定、すぐに山田にバレてしまった。こっちに駆け寄って来る。
「栗原さん! 頑張って! 俺、応援するからね!」
「あ……うん。頑張る」
返事もそこそこに……山田の横を通り過ぎる。
……やっぱりまだ顔を見れない。表情なんてないんだけど……意識しちゃってまともに見れない。……どうしよう。
「栗原さん!」
後ろからのしゃがれ声に思わず立ち止まった。チラッと顔だけ後ろに向けてみると、山田は赤い腕の先端を丸めてグッと力を込めてる。
「大丈夫! 栗原さんのためならどんな手でも使っちゃうから」
「どんな……手でも……」
まさか……時空を止めてその間に要求されたものを探すとか……。そんな卑怯な手を使わせようとしてるのでは……。
……こいつならやりかねない!
思わず山田の元へ駆け寄って小さな声で叫んだ。
「……バカ! だから、そういうことはやめなさいって言ってるでしょ!?」
「ははっ! 冗談だよ! ……緊張は解けた?」
力んでた顔や身体の力が抜けていく。……もしかして、山田の奴わざと私に言った?
すると山田は、ぽん、と私の肩に手を置いた。
「もし、ビリになったって気にしなくていいよ。その分俺が頑張るから」
「えっ」
「気負わずに楽しんで。楽しんでくれたら俺も楽しいから。じゃ、テントから見てるね」
そう言うとクラスのテントへと帰って行く。
……赤い鉢巻きを巻いて体操服来ているタコ宇宙人……その背中をボーっと目で追う。周りの雑音が聞こえないぐらい、自分の心臓の音が耳に響く。なかなか視線が外せない。顔が火照ってるのが自分でもわかる。これって……やっぱり……。私は山田のこと――……。
前に並ぶ走者がどんどんとスタートを切って行く。トラックを囲むテントからは声援が絶え間なく聞こえた。
でもその声も霞むぐらい、緊張で心臓が暴れてる。最下位だけはなんとか回避しなきゃ。どうにかして良いカードを引かなきゃ――そんなことを願ってると、私の番になった。
「位置について――……よーい……」
パンッ! という号砲と共に、横に並んでいた走者が一斉にスタートする。私も数十メートル先にある、カードが置かれたテーブルへと向かう。
カードは便せんの中に入っていて、外からはどんな内容なのかはわからない。完全に運だ。ちなみに、取ったカードを変えることはできなくて、もし不正を働けば近くにいる審判から即失格が言い渡される。
他の走者と同じタイミングでテーブルへ到着して、とにかく便せんを手に取った。簡単な内容でありますように……!!
そう願って取り出したカードには――。
『あなたの好きな人』
なっ……なんですって!! 普通、こんなプライベートな内容のカードを用意する!?
動揺する私を余所に、他の走者はどんどんと散らばって目当ての物を取りに行ってる。中にはすでに手にした人もいて、二枚入ってるカードの一枚を便せんに戻しテーブルに置いて、コースを再び走り始めてる。
コースの中間地点にはちゃんと審判がいて、走者が要求されたものを持ってきたのか、残りのカードと照らし合わせて確認をする。……つまり、カードの内容をその人に見せる。
……ったく、こんなカード入れるんじゃないわよ!! でも……迷ってる暇はない! もうテーブルの周りには誰もいないし、早くしないと間に合わない……!!
思うが早いか、足は自分のクラスのテントへと駆け出していた。
息を切らしながらみんなの前にやって来ると、みんな驚いたような顔で私を見る。
……い、今、恥ずかしがってる暇はない……!
「……橘さん!!」
「えっ!?」
そう叫ぶと、みんなが驚いたように橘さんの方を向いた。橘さんは驚いたようだったけど、察してくれたのかすぐに立ち上がって私の元へと来てくれた。
「すいません! 一緒に、走ってください!」
「うん、もちろん」
橘さんの手を取り、元のテーブルへと向かう。
「……栗原さん、カードは、何て書いてあったの?」
走りながら橘さんが聞いてきた。……走りながら聞くなんて……さすが橘さん。でも、私、走りながらしゃべれません……! だから、口で答える代わりにカードを見せた。
すると、橘さんは若干目を見開いて、再び私の方へと顔を向けた。
「これ、私じゃないでしょ! 栗原さんまだ――」
「人は、橘さん、なんです!」
これ以上無理、言えない。焦る気持ちと上がる息で苦しくなりながらも、戻ったテーブルで一枚カードを戻す。そしてすぐに橘さんと一緒にコースを走る。
後少しで審判のところ――息苦しいけど足は止めない。
その視界の隅で、橘さんが薄ら笑っているように見えた。
「はい、お疲れ様。あなたのカードを見せてもらえる?」
着いた……く、苦しい。
息苦しい胸を抑えつつ、涼しい顔で椅子に座るおばちゃん先生に手渡した。
「……なるほど。好きな人って書いてあるのだけど……間違いないのかしら?」
「ま、間違い、ありません……大切な、人、です」
「そう。まぁ、異性とは書いてないものね。オッケーです。さ、ゴールまで頑張って」
頷いて答えて、橘さんと一緒に残るゴールに向かって走る。
……息を吸う度に胸が痛い。私、こんな運動音痴だったっけ……。でも、もう少しだから……。
「頑張って! もう少しでゴールだよ!!」
突如聞こえたしゃがれ声に思わず視線を逸らすと――ゴール近くのテントの中、山田の奴が紛れこんでる。
……なんでそんな所に。全然関係ないクラスのテントなのに。それなのに最前列までやって来るなんて……本当に自分勝手な奴……。
パンッ、とゴールテープを切った瞬間に号砲が鳴り響いた。
……結局私が最下位だった。……息を整えつつ周りを見ると、みんな小物が要求されてたみたい。……なんで私だけこんな難しい要求のカードなの……。
ぜぇぜぇと呼吸をしていると、隣に立っていた橘さんが背中を摩ってくれた。
「お疲れ様。残念だったけど、一緒に走れて楽しかったわ。大丈夫?」
「は、はい……橘さんは……」
「私は平気よ。……もし、あのカードに『好きな異性』とでも書かれていたら……誰の手を引っ張って走っていたのかしらね~」
見上げるとニヤリと悪戯っぽく笑う橘さんの顔が見えた。……茶化してるんだ。でも……橘さん、もう私、わかったんです。
大きく深呼吸をしてから、グッと背筋を伸ばした。
「橘さん、この後の昼休憩……山田と二人にしてくれませんか?」
「えっ。それってもしかして……!!」
「……私、自覚しました。だから……本人に伝えようと思いま――」
「本当に!? 本当なのね!! 頑張って、絶対大丈夫だから!!」
言葉を遮って橘さんが嬉しそうに私の両手を握り締めた。けどすぐに、先生から笛を鳴らされてしまいさっさとテントに戻るよう注意されてしまった。注意されたことなんて気にしないぐらい、またドキドキと心臓が暴れはじめる。……テントに戻って、教室に行く前に……山田の奴を捕まえてそして――。
その時、ぽん、と橘さんが肩を叩いた。
「大丈夫。素直の気持ちを言えばいいの。勇気を出して、ね」
「は、はい……。でも物凄く……緊張して……言葉が出てくるか不安で……」
「ふふっ、栗原さん、とってもかわいい」
……へ? 思わず真顔に戻って橘さんを見たんだけど、笑ってる橘さんの方が絶対にかわいい顔だった。
「か、かわいいって……橘さんの方が……」
「違うわ。絶対、うちゅ――山田くんが見れば、私なんかより栗原さんの方がかわいいって言うわよ。とりあえず……私のことは気にしないで。頑張ってね。あ、でも後で教えてね」
「は、はい……」
終始楽しそうに笑う橘さんと一緒にテントへと戻った。担任の先生から簡単な説明を受けた後……その場で昼休憩になった。みんなが自由に教室へ向かう中――私は真っ直ぐ山田の元へ行き、体操着の裾を掴んだ。
「……ちょ、ちょっと、いい?」




