橘さんと先輩のおはなし
13話辺りからの橘さんと先輩のおはなし。
栗原が早く山田の想いに応えればいいな、と橘は考えていた。その気持ちは嘘ではないし、前ほど栗原に対し妬むような気持ちもない。むしろ一緒にいて居心地が良かった。顔色を伺うようなこともなければ、橘自身も栗原に対し気を遣うこともなかったからだ。
この関係を続けたい――そう思う気持ちとは裏腹に、山田への想いは心の奥底でくすぶっていた。
栗原と一緒にいる時間が増えれば、自然と山田と過ごす時間も増える。全ては栗原に対する山田の言動であると、頭では分かっている。けれど、感情はそう簡単に理解してくれない。山田の仕草や言葉が、くすぶっている気持ちを煽り始めてた。
◇ ◇
友情か恋か――その境目を壊すきっかけは、図書室の控室、山田と二人で栗原が仕事を終えるのを待っている時だった。
「栗原さん本借りる人なんてそんなにいないんだから、こっちに来て座ればいいのに……」
「ははっ、俺もそう思うんだけど真面目だよね」
そう笑いながら、慣れた手つきでその辺りにあった本を広げ始めた。
まるで何度もここを利用しているように見える。
「……山田くんっていっつもここについてきてるの?」
「そうだね。可能な限りは」
「……そうなんだ。……羨ましいなぁ、大事にされてて」
チクッと胸を痛みを感じつつ、ドアから顔を覗かせカウンターに座る栗原を見る。
こちらへ呼び寄せようと思った。そもそも付き合っているのに、彼氏と二人きりさせるのはいかがなものか。
それに息苦しくてたまらない――そう思ったのだが、そこへ高橋が姿を現した。
思わず頭を引っ込める。……何を言われるか、わかったものではない。
「どうしたの橘さん」
「……先輩がいたの。あの人、いっつも嫌味なことばっかり言ってくるの! ……本当意味わかんない」
「へぇそうなんだ。でも、悪い人じゃないと思うよ」
時々、高橋を勧めるような言動が見られた。
よりによって山田に――そう思うとまた胸が苦しくなる。
「……。……ねぇ山田くん」
「何?」
「……栗原さんと、山田くんは……付き合ってるんだよね?」
「うん。一応ね」
「一応……?」
「あーこっちの話、深い意味はないよ」
「そう……」
「橘さんは今気になる人とかいないの?」
「……え?」
「ほら、橘さんって綺麗な人だから。色んな男の子が話しかけてくるんじゃないかって思って。でもさ、どんな奴かわからない人より、口はちょっと悪いけど良い人の方がいいんじゃないかな。例えば、先輩とか……」
まただ。
もうそんなこと言わないでほしい。
「……ねぇ山田くん」
「ん、何?」
「……どうして……私のことも守ろうとしてくれるの?」
「あぁそれは――」
「栗原さんの友達だから! ……だよね?」
精一杯の笑顔のはずだ。自分が期待している答えなんて、きっと言ってはくれない。
わかっているからこそ、傷つかないように。間違えて口走らないように――。
「……。そうだね」
「……うん、知ってる。きっとそうなんだろうなぁって……」
「そっか。……栗原さんのこと、これからもよろしくね」
優しく微笑んだ。
フッた人間に対して、そんな表情を見せるのはずるい。
「……栗原さんのこと妬んだ時期もあったけど、今は本当に、大事な友達なの。だから大切にしたいし、困ってることがあれば助けたいって思ってる。……山田くんとの仲も……本当に応援したいって思ってる。……でもね、山田くんを見る度……私……どうしたらいいかわからなくなる……」
ドキドキが止まらない。視線が釘付けになる。――どうしよう、もう、ダメだ。
「振られたときから……もう諦めようって何度も思った。山田くんも栗原さんも、どっちも大好きだから。でもね……頭で考えても、心が言うことを聞かないの」
「え? それはどういう――」
「私、山田くんのこと諦められない。……ごめんなさい」
◇ ◇
自室で寝ころび、じっと携帯を見上げる。高橋にとっては最悪な一日となった。
また橘の泣き顔を見てしまった上に、それによってなぜか山田の胸ぐらを掴み――喧嘩にならなくて良かった――、改めて橘の山田に対する想いを知ってしまったのだから。
自然とため息が漏れる。
何か励ますべきか? それは良い行動なのか? 彼女は何を求めているのか?
悩んだところで、答えは見つからない。そもそも、なぜこんなうじうじと考えているんだ――。
上体を起こし、ふんと鼻息を鳴らす。
悩んでも仕方ない。直接電話してみることにした。
「……はい」
電話を切られると思ったが、いつもよりも元気がない声が聞こえた。
「……泣き止みました?」
すぐに返事はない。代わりに鼻を啜る音が聞こえる。
――どうしてこの人は、こんなに泣き虫なのだろう。
「あー……」
高橋は言葉がすぐに出てこなかった。ガリガリと頭を掻き、言葉を探す。
面と向かっていれば「君は本当に泣き虫ですね」と、煽ればすぐに泣き止むかもしれない。が、電話の場合は本当に泣き止んでいるのか確かめようがない。変なこと言って、電話越しに泣かれても困る。こういうとき、モテる男は一体何を言って励ますのか。
「うまく言えませんが……後悔しない方を選択したのであれば、それで良いんじゃありませんか?」
鼻を啜る音しか聞こえない。だが、電話を切られないということはちゃんと話を聞いているということだ。
高橋は必死に考えながら言う言葉を考える。
「山田くんにしても……栗原さんにしても……あの二人は悪い人間じゃありませんよ。ちょっと変わった人たちですし……」
言葉を紡ぎながら、自分が何を言いたいのかわからなくなってきた。
正直、何か言ってほしい。こんな慣れてないことはするもんじゃないな、と思った。
「……先輩の方が変わってますから」
と、ここでようやく弱々しい言葉が受話器越しに聞こえた。
思わず頬が緩む。
「ひっ……ひどいことを言いますね。そういう君が一番変わってるんじゃありませんか?」
「……先輩には負けますから」
決して褒められてはいないのだが、妙に頬が緩んだ。電話越しに声を聞くだけで、テンションが上がるようだ。
相手に悟られないように、こほんと咳払いをして、気持ちを落ち着かせる。
「……ま、そういうことです。これから色々頑張ってください」
「……何がそういうことかわかりませんけど……ありがとうございました。じゃあ……」
電話が切れた。
はたして、励ますことができたのか、泣き止ませることができたのか。どちらにしても、高橋はほっと胸を撫で下ろすことができた。こちらに言い返せるぐらいの元気があったのだ。それがわかっただけでも十分だった。その後は本人次第だ。それぞれの関係がどうなるのか――それは橘から報告があるまで見守ることにした。
◇ ◇
報告があったのは、奇しくもバレンタインの日だった。
図書委員の仕事が終わり、戸締りをしていざ図書室から出たところ――橘がムスッとした顔で出迎えたのだ。
思わずギョッとして、冷静を装うべく眼鏡をクイッと掛け直す。
「なっ、何の用ですか!?」
「……待ちくたびれました」
「はい?」
「今日何の日かご存じですよね」
「何の日ってそりゃ……」
バレンタインだ。それぐらい知っている。
だからどうしたと言わんばかりに、高橋は冷めた眼差しでじっと見返す。
「……で、何の用ですか」
「ですからこれ」
そう言って差し出されたのは、小さなごく普通の茶色の紙袋だった。
「……まさか」
「そうですよ。チョコです。私と、栗原さんからです」
中身を見れば、確かに箱が二つ入っている。
だが、高橋は素直に喜べず眉間に皺を寄せてじっと橘を見つめた。
「……栗原さんはともかく……君は渡す相手が違うのでは?」
「勘違いしないでください、義理ですから」
その顔は真顔だった。
「あ……そうですか」
「それと、山田くんについてはもう終わりました。ご心配おかけしてすいませんでした」
そう言って、橘がぺこっと頭を下げた。……終わった? あんなに泣いていたのに、あんなに未練たっぷりだったのに?
あっさり過ぎる物言いに、高橋は思わず首を傾げた。
「……悟りでも開いたんでしょうか?」
「何ですか、それ。とにかく……色々あって、山田くんのことはもうどうでも良くなりました。それより私は栗原さんを守ります」
「……色々って……百合にでも目覚めるようなことでも?」
「何言ってるんですか? ……ちなみにですけど先輩って……宇宙人じゃありませんよね?」
「……君こそ頭大丈夫ですか?」
少々小言を言い合ったものの、無事に人間だと再認識されチョコをもらうことができた。
間違いなく義理だろうが、高橋にとっては初めてのバレンタインチョコだ。
女なんて――と思っていたが、実際しゃべってみれば面白いのかもしれない。まぁ今のところ、しゃべっている女は栗原と橘だけではあるが。高校卒業までまともにしゃべることもないだろうと思っていたので、それだけでも大した進歩だ。他の女は一体どうなんだろう――そんな純粋な好奇心も出てきそうなものだが、今のところ現状で満足している。
帰って食した初めてのバレンタインチョコは、少し甘くて後味が若干苦い、美味しく感じるチョコレートとなった。
以上、橘さんと先輩のおはなしでした。
次回からは本編の栗原さん視点に戻ります<(_ _*)>
更新をしばらくお待ちください。