彼女と先輩の裏話
クリスマスの裏話
高校入ってから初めての文化祭が終わったというのに、彼女――橘千代は部屋のベッドに寝転がり必死に涙を堪えていた。嫌でも頭に浮かんでくる――山田の申し訳なさそうな表情から出る『ごめんね』という言葉。
我慢しきれずとうとう涙が溢れだす。誰かがこの部屋にでもいれば、涙は一時的にスッと引いて、いつもの橘千代を演じるだろう。でも今は真夜中であるし、暗い部屋には物音一つない。ただ鼻を啜る音だけが虚しく聞こえた。
山田は初めて彼女から好きになった人だった。
見た目も性格も文句なし。色眼鏡で人を見るのではなく、みんな平等に接する。カッコ良いのに気取らない自然な振る舞いが強く惹きつけた。
今まで彼女は友達も多く、告白も何度もされた。きっと山田も好きになってくれる――そんな風に考えていたが、現実はそう甘くはない。あっけなく恋は終わった。
◇ ◇
フラれた後も、彼女は普段通りの学校生活を心がけた。
前と変わらず周りに人がいたのだが、女子の態度に違和感がある。
話しかけられる言葉は棘を含み、向けられる視線は冷ややかで、態度そのものもそっけなさを感じる。思い当たることと言えば、山田に告白してフラれたことぐらいだ。誰にも言っていないつもりだが、察しているのだろうか。それとも栗原が――と考えるも、栗原は相変わらず教室で一人で本を読み、彼女が話しかけても態度を変えない。普段からクラスの誰とも話す姿を見ないので、栗原が告げ口したとは考えにくい。だとすればやはり『クラスの誰か』なのだろう。
――もう他人の顔を見ながら気を張るのも疲れた。
彼女は周りにバレないよう、小さくため息を漏らした。気のせいであってほしいが、もしかしたらフラれたことをネタに笑い者にされているのかもしれない。自暴自棄ではないが、もうどうでも良かった。それならば、変に気を使わない栗原としゃべる方が、よほど気が楽で居心地が良かった。
もうすぐ年末という頃――クラスではクリスマスパーティをしようという話が持ち上がっていた。
だが彼女は違和感を拭いきることができず、参加を見送った。山田も誘われているようだったが、断っているように見える。きっと栗原と過ごすのだろう。
フラれてから時間が経ち、多少なりとも傷は癒えつつあると思う。けれど、クラスが同じ以上なかなか気持ちの踏ん切りをつけることは難しい。いっそのこと、クリスマスの日に誰か別の人と過ごしてみようか――そんな風に考えていたときだった。
たまたま図書室に行ったところ、会いたくなかった人物と遭遇してしまった。
一学年上の先輩――高橋だ。
「……久しぶりですね」
高橋は図書室の奥の本棚に背中を預け本を読みふけっていたが、彼女の姿を見るや否や本を閉じ、クイッと眼鏡を掛け直した。
高橋と会ったのは、文化祭の日以来だった。
思えば高橋も山田にフラれたことを知っている。泣き顔を見られた上に、慰めの言葉もなく貶してきた相手である。……正直なところ会いたくなかった。
彼女は小さくため息を漏らし、半ば睨みつける形で高橋を見据えた。
「先輩って相当図書室が好きなんですね。まさかいらっしゃるとは思いませんでした」
「俺がどこにいようが関係ないことでしょう? それとも、いちいち君に確認をとらなければいけないルールでもありますか?」
相変わらず癪に障る言い方だ。だが、イライラしていてはこっちの身が持たない。
彼女はふう、と息を吐いてニッコリと微笑んで見せた。
「いいえ。先輩の行動なんて、私は一切興味ありませんのでご安心ください。じゃ……」
別に用事もないし、話すこともない――そう思って彼女はその場から離れようとしたものの。
「ま、待ってください」
すぐに呼び止められた。イラッとしつつも立ち止まり振り返る。すると、さっきとは打って変わり、手を広げながら眼鏡を掛け直す高橋の姿がある。
……顔を隠しているつもりなのだろうが、耳まで赤く染まっているのが見えた。
「……何でしょうか?」
「その……君の連絡先を教えてくれてもいいですよ」
「……。……はい?」
意味不明な発言に彼女は顔をしかめる。
高橋はなお言葉を続けた。
「あの時のように、突然泣かれるのは不快なんですよ。ですから……それを未然に防ぐという意味で、連絡先を教えてくれても良いと言ったんです」
「あの……意味が分からないんですけど」
「で、ですから! お……俺が……話し相手になっても良いって言っているんです」
精一杯言っているのだろう。その証拠に、隠し切れていない顔の肌が真っ赤に染まっているのが見えた。
だがもう少し言い方があるだろう――彼女は上からの物言いにムッと顔をしかめる。
……が、この際茶化してやろうと思い、パッと表情を緩めると、彼女はニッコリと微笑んで見せた。
「……あれだけ私のことを罵倒した先輩から、連絡先を教えろって言われるなんて思いもしませんでした。一体どういう風の吹きまわしですか?」
「そ、それは――」
「あ、そうだ。良かったらクリスマスの日、私と一緒にどこか出掛けませんか?」
「えっ……えっ!?」
「クリスマスを一人で過ごすのも寂しいので、誰かと過ごそうかなぁと思っていたんです。誰でも良かったんですが、せっかく先輩と会ったわけですし、先輩がどうしてもとおっしゃるのであればクリスマスの日デートしてあげても良いですよ?」
「……俺をデートに誘っているつもりですか?」
「いいえ、違います。逆です。先輩が私を誘うなら、デートしてあげても良いって言っているんです。だって、女嫌いな先輩がわざわざ私の連絡先を知りたいなんて……それって少なからず私に好意があるっていうことじゃないんですか?」
「なっ……! 何を言って……!?」
「あら、違うんですか。私にはそんな風に聞こえましたよ?」
少し小首を傾げてニッコリと笑って見せると、高橋は顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せている。
――ちょっとやりすぎたかもしれない。言い方は悪かったかもしれないが、嘘は言っていない。クリスマスの日、誰かと過ごそうと考えていたことも事実だし、その相手が別に高橋でも良かった。とにかくクリスマスという虚しい時間を、一人で過ごしたくないだけだ。問題はこの話に高橋が乗るか乗らないかだが――。
「そ、そんなわけないでしょ!? クリスマスなんてくだらない行事、俺には全く関係ありません!!」
「あ、そうですか。じゃあ、他をあたりますね」
「っ! か、勝手にすればいいでしょう!? 俺は興味ありません!」
「わかりました。じゃ、失礼します」
やはり乗らなかった。背を向けて去る中も、高橋から声を掛けられることはなかった。
さらに軽蔑されたのかもしれない。だがそれはそれで仕方がないことだ。
彼女は頭を切り替えて、クリスマスの予定をどうしようかと考え始めた。
◇ ◇
クリスマス当日。
結局、彼女は一人町へと出掛けていた。その顔は不機嫌そのもので、せっかくの可愛く化粧している顔や服も全てが台無し。ムスッとした表情に言い寄る男はおらず、一人ウィンドウショッピングを楽しんでいる。なぜここまで不機嫌になっているのかと言えば――全て、高橋のせいであった。
あの日から、なぜか彼女が帰る時間に校門で待ち伏せしていたのだ。会う度にクリスマスについて聞かれ、グダグダと小言を連発する。だったら誘えばいい、と彼女が切り返せば急に黙り込み何も言わなくなる、それに呆れて彼女が帰る――ということを繰り返していた。
それが突然「付き合ってやる」と言い出したのが一週間ほど前のこと。だが最後に会った終業式の日、また突然「気が変わった」と言い出したのだ。呆れて物も言えず、クリスマス当日を迎えてしまったのだった。
やはり誰かを誘えば良かったのか。だが、それは自分の寂しさ紛れに過ぎないし、変に期待させては後々面倒なことになるかもしれない。
かと言って、クラスのクリスマスパーティには参加する気も起きない。やはり一人虚しく過ごすしかないのかもしれない――そんな風に思っているときだった。
街中で誰かが絡まれている。思わずじっと見ていると、見覚えのある背格好だった。――栗原だ。
なぜ一人なのか、山田はどうしたのか。疑問が浮かび上がったが身体はすぐに動き、栗原を連れてなんとか逃げ出すことができた。
その後二人でカフェに入った。うじうじと考える栗原の話を聞いて、助言をして、少し羨ましいとも思った。
途中変なことを言い出していたが、もうひと押しあれば山田と栗原は良い感じになるだろう。
――と、その時山田が姿を現した。そして、なぜかその隣には高橋の姿もある。
山田と栗原の邪魔をしては気の毒だと思い、彼女はその店を後にした。……だが、その後ろを高橋がついて歩く。
「……」
「……」
あえて話かけなかった。今更何の用なのだ。
すると、痺れを切らしたのか高橋が後ろから声を掛けてくる。
「……無視ですか、やはり性格が悪いですね」
この人は悪態をつくことしかできないのか――足を止め振り返り、思いっきり睨みつけた。
「……はぁ? 先輩こそ、黙って私の後をついてきて、ストーカーですか?」
「す、ストーカーなわけないでしょう!? 君が黙々と前を歩くのが悪いんですよ!」
なぜ責められなければいけないのか――イライラする気持ちをなんとか押さえこみ、深呼吸をした。
――同じように嫌味な事を言ってやろう。
「そうですか、すいません。私、てっきり先輩は別の用事でここにいらしたのかと思っていましたので」
「……っ!」
「だって、クリスマスなんてくだらない行事だって言ってましたもんね。そんな啖呵を切った先輩が、まさか、クリスマスにこんな街中にいらっしゃるなんて夢にも思いませんから」
「ぐっ……」
「くだらないと言いつつ、実はものすごく楽しみにされてたんじゃないんですか? まさかぁ、先輩がそんなわけないですよねぇ?」
「……でした」
「え? 何ですか?」
周りの話声や、車のクラクション、店先から流れるBGMに声がうまく聞きとれなかった。
首を傾げてじっと見つめていると、高橋がキッと視線を合わせた。――頬が赤く染まっている。
「楽しみでしたよ!! 文句ありますか!?」
予想できなかった切り返しに、彼女は固まった。
が、高橋は構うことなく持っていた紙袋を前へ突き出す。
「これを!!」
「……え、な、何ですか、これは」
「良いから受け取ってください!!」
「は、はぁ……」
受け取り中を覗いてみると、綺麗に包装された箱が見える。
「これ……何ですか?」
「い、いいですか、勘違いしないでください! 俺が間違って買ってしまったものなんです! それを捨てるのももったいないから、君に差し上げるだけなんです!」
「……捨てるのがもったないからって、普通包装します?」
「そ、それは……! ほ、包装もせずに君にあげたら、何を言われるかわかったものじゃありませんからね!」
「はぁ……そうですか」
一体何なのか。
気になったのでその場で開けることにした。
「はっ!? い、今ここで開ける気ですか!?」
「だって気になるじゃないですか。それに今見たって別にいいでしょう?」
「え!? あ、いや、それは普通帰って開けるんじゃありませんか!?」
「もう私にくれたんですよね? だったらいつ開けようが私の勝手じゃないですか」
包装紙を破かないように気をつけながら箱を開けてみると――中から出てきたのは、雪の結晶を模ったシルバーネックレスだった。
「え……ネックレス、ですか」
「だっ、だから間違えて購入してしまったんですよ! 決して君のために購入したわけじゃないんです!」
「……そうですか」
綺麗に包装紙を元に戻しつつ、彼女は隠れてフッと頬緩めた。
何なのだろうこの人は。
「き、気に入らないのであれば、家に帰って捨ててください。あ、どなたかに差し上げても構いません。……ですが、俺の目の前ではやめてくださいね。どんなものでも、目の前でぞんざいに扱われるのは耐えられませんから……」
「……え、どこに行くんですか」
顔を上げて見ると、背を向けて今にもこの場から離れそうな雰囲気だった。
声を掛けてきた彼女に対し、高橋は不満そうに顔をしかめクイッと眼鏡を掛け直す。
「どこって……もう君に用事はありません。こんな騒々しいところ、俺は嫌いですから」
本当に買い間違えてしまったのか――思わずそんな疑念を持ってしまう。
「……変な人ですね」
そんなことを言うと、高橋はますます表情を険しくさせる。
……とにかく、もらいっぱなしでは後で何を言われるかわかったものではない。そう思い、彼女は「少し待ってください」と言って高橋を足止めし、持っていたメモにさらさらと文字を書き始めた。
「これ」
手渡したのはアドレスと電話番号を書いたメモだった。
それを見た瞬間理解したのか、高橋はそれを受け取ったまま身体を硬直させ、じっとメモに視線を落としている。
「……まさか、こんなもの用意してるなんて思いませんでした。まともなお返しじゃないですけど……前、連絡先教えてほしいって言ってましたよね? それ、私の携帯のアドレスです。嫌がらせでも嫌味でもないメールなら、受け取ってあげますよ。……って聞いてます?」
何の反応も示さないので、彼女が顔を覗き込もうとした瞬間――高橋は勢いよく顔を上げ、雄たけびを上げた。
「しゃあああ!!!」
「ひっ!」
心臓が止まるかと思うぐらい驚き、しばし放心状態で高橋を見つめる。
すると取り繕うように眼鏡を掛け直し、こほん、と一つ咳払いをした。
「……あ、いや……ま、まぁこれで許してあげますよ! 君こそ、俺に嫌がらせメールはしないように!」
「……するわけないじゃないですか」
「じゃ、じゃあ、失礼しますよ!」
そう言って高橋は足取りを軽やかに、その場から去って行った。
その後ろ姿を見送りながら……彼女は思わずフッと小さく噴き出した。
申し訳ありませんが、二話では収まりきりませんでしたのでもう一話続きます。