彼と橘さんの裏話
出会いから文化祭のときのおはなし
それまで彼――高橋誠にとって女とは、全て見た目によって態度を変える生き物で、良いと思った人物に対しては媚びを売り、少しでも欠陥がある人物に対してはまるでゴミ虫を見るかのような眼差しを送る――そんな風に考えていた。
もちろん全員が全員ではないのだが、彼にとっては女とはそういうものだった。つまりは、苦手で嫌いだったのだ。
そんな考えを持つせいなのか、クラスの中では少し浮いていた。男友達は少なからずいるものの必要最低限の交流しか持たず、女友達に至っては全くいない。教室では一人黙々と読書に励み、クラス内の男女の交流を内心くだらないと吐き捨てる。見た目も特徴はなく、度のキツイ眼鏡とその下に隠れる鋭い目つきのおかげで、ますます女子たちは避けていた。
◇ ◇
彼は女からちやほやされる男子の気持ちが全く理解できなかった。一体何が良いのか。妬むわけではなかったが、一度、その心内を聞いてみたくなった。
では誰に聞けば良いか――今、学校ではある転校生の男子が絶大な人気を集めており、その男子に聞くのが一番良いと考えた。
その転校生は一学年下にも関わらず、一年から三年の男女が知る超人気者だった。
が、彼は直接その転校生を見たこともないし、ましてや話したことなどない。モテる気持ちを聞くには転校生が一番と考えたが、その手段は思い浮かばなかった。
だが、それは突然訪れた。
彼は図書委員のため、いつも通り図書室へと足を運んだ。すると、本来彼が座るべきはずの受付の椅子に、見知らぬ女がぼーっと座っている。
その女は栗原、と名乗った。女に対して嫌悪感を抱く彼だが、栗原に対してはそういう気持ちは沸き上がらなかった。おそらく、自分と似た境遇と察したせいなのかもしれない。また、栗原はよく女子に見受けられるような化粧や香水の香りも一切なく、女の色気も微塵も感じられなかった。
そんな栗原だがあの転校生のお気に入りらしく、栗原の後を追ってやってきた。転校生は山田、と名乗った。
山田は彼から見ても、まるでテレビに出るような顔立ちで周りの人間たちとは違うオーラを身にまとっていた。皆から好かれる理由も一目見て納得してしまった。
そんな山田を裏の控室に招き入れ、少々話を聞いた。
「単刀直入にお聞きしますが、女からちやほやされるのが一体どういう気持ちなんでしょうか?」
「ちやほや……? 別に何とも思わないですよ。俺は栗原さんをお嫁さんにできればいいって思ってるだけなんで」
「よ……嫁?」
「はい! だって、栗原さんって化粧もしてないし香水臭くもないんですよ! 平均的な身長と体型で、まさに俺が求めていた人間そのものなんです!」
「……はぁ。まぁ……そうですね。確かに一般的な女とは違うと思いますが……」
モテる男は好みが変わってるから、ちやほやされても何とも思わないのかもしれない。
話もそこそこに部屋から出ると――そこに異様なオーラを放つ女が立っていた。その女は橘千代、と名乗った。
だが、橘は彼が嫌っている典型的な女だった。
山田に対して甘ったるい話し声で笑顔を振りまき、長い髪をなびかせる度にツンと鼻にくる香水が舞っている。
第一印象は最悪。だが、良い機会だった。モテる男側からの意見も聞いたついでに、この典型的な女からも意見を聞いてみようと思った。
橘は山田に言われたおかげで、渋々だが控室で話を聞くことを了承した。
「……で、何ですか話を聞きたいって」
「君のような媚びを売る女は、一体どういう気持ちで男を弄んでいるのかぜひ聞きたいと思ったんです」
「はぁ? 何言っているんですか? 私、弄んでなんかいませんけど! それに、好きな相手に媚び売って何が悪いっていうんですか?」
「……好きな相手? 山田くんのことですか?」
「……だとしたら何か問題でもありますか? ……なんでこんなこと言わなきゃいけないのよ……」
「好きと言いますけど、君は彼をアクセサリーか何かと思って好きになってるんじゃありませんか? 彼は人気者だ。彼が彼氏になれば、きっと色んな人から羨ましがられるでしょう。それが目的なのでは?」
「はぁ?」
「並んだときに、もしくは彼氏として披露するときに少しでも羨ましいと思われたいのでは? そのためには見た目が良い男が良い。男は自分の価値を上げるための道具――そんな風に考えているのでは?」
「……い、いい加減にしてください!!」
橘は怒りで顔を赤く染めながら立ち上がった。
「さっきから何なんですか!? 男を弄ぶとか、山田くんのことをアクセサリーとしか思えないとか、人を騙すとか……さっき会ったばっかりなのに、どうしてそんなこと言われなきゃいけないんですか!? 先輩こそ、私のこと見た目で判断してるんじゃありませんか!?」
「それは経験上、女が全員そういう態度であったからそう判断しているのであって――」
「だから、それが見た目で判断してるって言ってるんですよ!!」
叫ばれてハッと気付く。橘の目に薄らと光るものがある。
涙は女の武器――そんな言葉が頭をよぎったが、初めて間近で見た女の涙に思わずギョッとしてしまった。
ましてや、異彩なオーラを放つ橘である。……破壊力は抜群だった。
「なっ……泣くことないでしょ!? べ、別に俺は君を侮辱する気はないんですよ!」
「嘘! さっきからひどいことばっかり言ってます!! ……山田くんは私を特別扱いすることもなく、普通に接してくれるんです。それに、カッコイイし頭も良いし運動神経も良いし、先輩みたいに嫌味なことは絶対に言わないですから!! 媚び売って、好きになってくれるように仕向けるなんて当たり前じゃないですか!!」
涙を堪えつつもムッとした表情で怒る顔は、怖いというよりもむしろ可愛らしげに見える。
彼は一瞬見惚れたが、橘はすぐさま席を立ちその場を後にしてしまった。
……取り残された彼は呆然と耽る。
女とは、いつも人を見下したような眼差しを送るものだと思っていた。
影で人のことを嘲笑い、全て自分の思い通りになると勘違いする馬鹿な存在、そんなことも考えた。
「……何ですか、あの顔は」
予想だにしなかった涙。
女の蔑む顔を想像していた彼にとって、衝撃的な瞬間だった。
◇ ◇
それから彼の頭の中に、橘千代、という存在が膨らみ始めた。
だが一方では女への嫌悪感もある。互いが互いにぶつかりあい、彼自身も何がどうなっているのか分からない状態だった。
悶々とする中、解決する方法を思いつく。それは、女嫌いを少しでも解決することだった。
女についての考えが、もしかしたら違うのかもしれない――そんな風に思えたのだ。
女嫌いを少しでも克服すれば、橘千代、という存在と自分がどう向き合えば良いのか解決するかもしれない。
彼はそんなことを考え、栗原に協力を求めた。
彼にとって栗原は、女であっても女とは感じない珍しい存在だった。またイケメン山田のお気に入りの女でもある。
栗原が誘えば山田は断れないだろうし、山田が参加をすれば自然と橘も参加するだろうと踏んだのだ。
決戦は文化祭、と一人意気込んでその日を待ちわびた。
だが現実はそううまくいかない。
無事四人合流できたものの、強制的に山田と橘がペアとなり別行動を取ってしまった。残された栗原と仕方なく行動する。
――そんな時、山田と橘の姿を見つけた。しかも向かった先はお化け屋敷。
暗闇で……人目もつきにくい――……そう考えるとモヤっとした。
だが、追いかけるのは正しいのか? 追いかけて、何をする?
そもそもどうして気になる? いや、気になってない。ただ――……胸の辺りが苦しかった。
そうこうしている内に、栗原が一緒に追いかけようと言ったので、結局彼はお化け屋敷へと駆けだしていた。
……これは誘われたから仕方なくだ、と自らを言い聞かせながら。
結果から言えば、お化け屋敷の中で橘は山田へ告白をし、振られていた。
彼と栗原は思わず立ち聞きをしてしまい、山田と橘の会話内容を全て聞いてしまっていた。
橘は振られたのに笑っている。暗闇の中でも、やはり彼女は一段とより良く見えた。だが、その笑顔は不自然で無理をしているのは明らかだった。案の定、橘はすぐに踵を返し彼の横を走り去る。――その瞬間、涙が見えた。堪え切れない涙を隠すように目元を抑え、それでも必死に前を向いていた。
「橘さん待ってください!!」
気付いたとき、彼は橘の後を必死に追いかけていた。その間、女が嫌いとかそういう理屈は全く頭になかった。
ただ、泣いている彼女をどうにかして止めたかった。
橘はお化け屋敷を出ると、人ゴミを避けながらがらんとした校舎の中へと入った。
文化祭で周囲に出店しているクラスはなく、そのせいか人は全くいない。
二人の足音が廊下に反響しながら――……ようやく、橘は足を止めた。彼も上がった息を整えながら、じっと橘を見つめる。
「……何なんですか、放っておいてください!!」
当然橘は追いかけられていることを知っていた。
振り返ることなく、背を向けたまま叫んだ。後ろを向かれていても、涙を拭っている様子は見て取れた。
「ほ……放っておけるわけないでしょ!」
予想外の発言だったのか、橘はゆっくりと振り返った。
赤く腫れた目をいっぱいに見開き驚いている。……が、そう叫んだ彼自身も顔を赤く上気させていた。
彼自身も、考えもせず直感で叫んだ自らの発言に驚いている。
なぜそんなことを言ってしまったのか。
とにかく自らを落ち着かせるように眼鏡を掛け直し、なんとか言葉を紡ごうと必死に考えを巡らす。
その間も、橘は高橋を見つめ続けた。
一体何を考えてここまで追いかけてきたのか――そんな疑問を投げかけるような眼差し。
プレッシャーを感じながらも、彼はゆっくりと言葉を吐き出した。
「……泣いてる姿なんて見たくありません」
「……えっ?」
明らかに戸惑いを感じさせる言葉だった。
……やっぱり、こんな男から追いかけられて迷惑だったに違いない。
だとしても、このまま何も言わず去るのはおかしいかもしれない。……とにかく言い訳せねば。
「だ、だから……その……君みたいな厚化粧の人が泣いたら見苦しいと言ってるんですよ!!」
「なっ……!!」
そう言った途端、橘の顔が険しくなる。
「し、失礼な人ですね!! だったら追いかけなくてもいいじゃないですか!!」
「そ、それは……! ち、注意しようと思ったんですよ! その姿で校内を走り回られたら他の人に迷惑がかかりますからね!」
「……はぁ!? 意味わかんないですけど!!」
「別に理解されようなんて思っていません。……泣き止んだようですし、俺は帰らせてもらいますよ」
顔を見れば涙は止まっているように見えた。顔は怒っているが、泣いているよりマシだった。
……思えばあの時以来の会話だった。苦しかった胸が少しだけ晴れている気がする。
話せたからか? それとも泣き止んだのを見たからか?
彼自身答えはわからなかったが、一つだけ理解していることがある。
「……もう泣かないでくださいね、迷惑ですから」
そう言って眼鏡を掛け直し、橘に背を向けその場を去った。
そう――彼にとって橘の存在は、色々煩わしい存在になっていることだった。
図書室の時だって、今だって、泣かれると非常に迷惑に感じられる。まるで今までの自分の考えを否定されるような気持ちになるのだ。
だから――と、彼は考える。
橘千代という存在は、自分にとって与えられた試練なのかもしれない。それを耐え抜き、乗り越えられればきっと成長できる。
彼女から吐き捨てられる言葉や、見下される眼差しを耐え続ければ答えを導き出せるのだ、と。
そう思いながら意気揚々と歩を進めるが――あることに気付く。
はたして、彼女から今まで何か嫌な思いを受けたことがあっただろうか。
嘲笑うような笑みや、馬鹿にするような発言はあっただろうか。
――いや、ない。
むしろ、勝気な見た目の割に涙もろい場面ばかり見ているような気がする。
そもそもどうして橘千代という存在にこだわっているのだろう。
嫌なら今まで通り関わらなければいいのに――と、そんな考えが頭をよぎるが、すぐに振り払った。
すでに彼の中では、橘千代という存在から逃げるという選択肢はなかった。
乗り越えるのが先か、はたまた屈してしまうのが先か――彼の不器用な戦いは始まっている。
次は文化祭の後からバレンタインまでのおはなしを橘さん側から。……の予定。