ビターなバレンタイン
橘さんへ山田の正体を明かしてから数日――約束通り橘さんは誰かに教えることもなく、いつも通りの学校生活を送ってくれてる。
ただ、山田への態度がよそよそしくなった。
まず山田とは絶対に顔を合わせない。視線を逸らして、話しかけられても最低限の言葉だけ。おまけに言葉遣いが敬語になった。
昼食のときは変わらず三人で食べるけど、山田と橘さんの間で会話は一切ない。
元々クラスでは目立つ二人だったから、その異変をすぐに周囲の人たちも気付いた。こそこそと変な噂が流れてるけど、当人たちは気にする様子もない。山田はともかく、橘さんは以前より増して私と一緒にいる時間が増えた気がする。
……今日も学校が終わった後、橘さんと一緒に町へと出掛けた。
町は色んなところでバレンタインのポップや商品などが目立ってた。
……そう言えば、ごたごたしてて忘れてたけど明日バレンタインだよね。橘さんチョコとか用意してるのかな……?
「……橘さん、明日バレンタインですね」
「そうね。……ついでだからチョコ買おうかしら」
お? これは誰かにあげるということ……!! もしや……先輩なのでは……!?
「……栗原さん、顔に出てるわよ。もう、ほら行きましょう」
ため息をつかれつつ、橘さんの後をついていく。
入ったのは街中にある大きなデパートだ。慣れた様子でスタスタと歩く橘さんの後ろを必死に追って、地下へと降りる。
地下は菓子などを売ってるフロアなんだけど、そこはたくさんの女性たちでにぎわっていた。
チョコが美味しい有名店であったり、変わり種のチョコが売られていたり、高級なチョコなど、日頃あまり見ないようなチョコばかりが並んでる。それらを女性たちは険しい眼差しで吟味していたり、はたまた友達同士わいわいと選んでる様子もあった。
「……すごい。私、こんなところでチョコ買うなんて初めてです」
「あ、そうなの? じゃあせっかくだから見て回りましょうか」
かわいい包装をしてあるチョコや、見た目が鮮やかなチョコ、一粒500円以上もするチョコもあった。
……それにしても、みんな必死にチョコを選んでる。義理チョコだったり、本命チョコだったりするのかな。
「橘さんは誰にあげるんですか?」
「あー……私は義理かな」
「……先輩ですか?」
「まぁ……そうね。一応、ね」
「へぇ、そうなんですか」
先輩良かったですね……!! チョコ、もらえますよ。
私もせっかくだし、チョコ買おうかな。……安いやつでいいんだけど。
「……栗原さんもチョコあげるの?」
「そうですね。私も先輩に用意しようかなぁと思います。ついでに山田の奴にも一応あげようかなぁと」
表面上付き合ってることになってるんだから、あげなきゃおかしいよね。
……ていうか、よく考えたら付き合いを解消してない。……まぁ慣れてきたし、別にいいか。
「そう……。ねぇ、あとでちょっとお茶しない?」
「……あ、はい。いいですよ」
一瞬だけど、橘さんの表情が曇った気がする。
けどすぐにニッコリと微笑んで、一緒にチョコを選んだ。
◇ ◇
入ったのは、よくある全国チェーンのカフェ。カウンターテーブルに座って頼んだコーヒーを啜る。
仕切りはないけど、周りもざわざわしてるし二人で話す分には問題はない。
「私、栗原さんのこと心配してるの」
気楽にコーヒーを啜ってた私とは打って変わり、隣に座ってる橘さんは表情曇らせてた。
思わずごくんとコーヒーを飲んで、慌ててカップを置いた。
「……ど、どうしたんですか急に」
「山田くん――いや、あの宇宙人に変なことされてるんじゃないかと思って」
「え……。だ、大丈夫ですよ! 本当に何もされてません」
「本当? ……でもさっき、宇宙人にチョコあげるって……」
「あぁ……まぁ、クラスのみんなは山田の本当の姿なんて知らないですし、一応付き合ってるってことになってるので……チョコはあげたほうが自然かなと思いまして……」
そう言うと、橘さんはジト目でじーっと見つめてくる。
……え、なんか疑われてる?
「……どうして宇宙人のことかばうの? 私、理解できないんだけど」
「え、かばう?」
「そう。だいたい、人間の姿に化けて近づいてきてるなんて、気味が悪いじゃない。いくら敵意がないって言われても、宇宙人よ? あの人間の姿でみんなを騙してるのよ? 敵意がないって言うんだったら堂々と姿を現せればいいのよ。きっと偉い人たちが対応してくれるに決まってるわ。なのにわざわざ学校に、しかも人間のフリをしてるなんて怖すぎるわ!」
そう言って、橘さんは一口コーヒーを啜る。
……よく考えれば、山田の目的を橘さんは知らない。――お嫁さんと言う名の実験体を求めてやってきた、なんて絶対言わない方が良い。すぐにでも山田の正体をバラして回る気がする。
とにかく……笑って誤魔化そう。
「……は、ははっ。もう、橘さん疑い過ぎですよ! 今まで山田は悪さとかしてないじゃないですか。イケメンで頭が良くて、運動もできてクラスの人気者ですよ? 橘さんもよく知ってるじゃないですか」
「……まさか宇宙人だなんて思わなかったわ。私の時間と気持ちを返してもらいたいぐらいよ……!」
「ま、まぁ……本人はきっと悪気はないと思いますし――」
「それよ!」
急に叫ばれて、思わずビクッとしてしまった。
橘さんは目を見開いて、ぐっと私のそばに顔を寄せる。
「ずっと……今だって、栗原さんにはあの宇宙人の姿で見えてるんでしょう? どうしてそんな平気な顔で過ごせるの? 薬か何か盛られてるんじゃないの!?」
「え!? 盛られてませんよ! 私は……ずっと見てきて、いい加減慣れてしまったんです。見た目は宇宙人でも、中身は山田ですから……」
「山田山田って……宇宙人じゃない。慣れたとか……本当に栗原さん大丈夫なの?」
橘さん突然、私の手を掴んだ。
細くて綺麗な指で、私の手を大事にギュっと握り締める。
「私、本当に栗原さんが心配なの。宇宙人に洗脳されてない? 本当に変なことはされてない? 無理してない?」
「だ……大丈夫ですよ! むしろその……心配してくださってありがとうございます……嬉しいです」
こんな綺麗な人にここまで心配されるなんて……!
いやそもそも……他人からこんなに心配されたのって……初めてな気がする。
「お礼言ってどうするのよ! とにかく、宇宙人とは少しづつでも距離を置いた方がいいわよ。いつ変な目に遭わされるかわからないわ。……少しでも変な動きしたらバラしてやるんだから」
「え!? た、橘さん、正体だけは他の人たちには言わないでくださいね!? 先輩にも言っちゃダメですよ!?」
「……栗原さん」
スッと再び冷たい眼差しになった。
……こ、怖い。
「……だからどうしてかばうの?」
「え、そ、それは……山田が宇宙人だってバレると、静かで平和な学校生活を送れなくなるので……」
「そんなの一瞬じゃない。私たちが学校卒業まで続くわけじゃないわ」
「あ、わ、私は……その、平和で地味に学校生活を送りたくて……」
「それがどうあの宇宙人と関係あるの? 話す相手がいないとかなら、私がいるからいいじゃない。何も宇宙人を頼ることなんてないわ」
「えっと……その……」
あれ……なんで私、ここまで山田のことを秘密にしておきたいんだろう。
今だったら橘さんがいるから、もう教室で一人になることもない。
目立つことは多少あったとしても、いじめられるとか悪さをされるとか、そういうのはないと思う。あったとしても、もう一人じゃない。
……あれ、私、なんで山田に固執してるんだろ。
「……もういいわ」
ガッカリしたように橘さんは大きくため息を漏らし、コーヒーカップに口をつける。
……なんて答えれば良かったんだろう。いまだに答えが思いつかない。
「栗原さん、よくわかったわ。今までの私のアドバイスとかも悪かったのかもしれないし、これ以上止めないわ」
「……え?」
「でも、深入りしないで。中身がいくら山田くんだって言い張っても、私たちとは違う宇宙人であることには変わりはないんだから。見た目ももちろんだけど、考え方だって絶対に違うに決まってるわ。それだけは忘れないでね」
「は、はい……」
橘さんはそれ以上、山田のことについて何も言わなくなった。ただ、残念そうに視線を落としていた。
……橘さんは私の話を聞いて何がわかったんだろう。モヤモヤとはしたけど、それ以降は橘さんにも笑顔が戻ったので良かったと思う。
◇ ◇
バレンタイン当日。
気のせいかもしれないけど、女子たちがそわそわしてるように見える。
一方で男子たちも同じぐらいそわそわしてる。中にはすでにチョコをゲットしてる男子もいる。
勝ち誇ったように見せびらかす人や、手に取ってにんまりと笑みを浮かべる人など、嬉しさの表現にも色々あるらしい。
「栗原さん、今日放課後何か用事ある?」
いつも通り昼食を食べてる最中、久しぶりに橘さんの明るい声を聞いた。
「……いえ、特に用事はありません」
「良かった。じゃあ一緒に図書室行きましょうよ。……ほら、先輩に渡すんでしょ?」
「あー……そうですね」
一応私のかばんの中にもチョコを用意してある。
一番安いチョコは先輩へ。可愛く包装してあるチョコは橘さんへ。
そして、手作りチョコは山田に。
……てか、私が一緒に図書室行ったら邪魔だよね。
「あ、でも……私、図書室には行きません。私の分も渡しておきますので、橘さんが一緒に渡してもらえませんか?」
「え!? どうして? 一緒に行きましょうよ」
「あー……私も、ほら、用事があるので……」
「えっ……用事? ……まさか」
急にジト目になった橘さんは、ちらっと山田の方へ視線を送る。
一緒に昼を食べていたんだけど、さっきからひっきりなしに他クラスの女子たちが山田を訪ねている。もちろん、チョコを渡すためだ。
「……まぁいいわ。でも、さっと渡して、早く家に帰るのよ。気をつけてね」
「大丈夫ですよ。……あ、じゃあチョコ渡しますね」
かばんの中から先輩のチョコと、橘さんへのチョコの二つ箱を差し出す。
「……え、二つ?」
「いえ、こっちのピンクの包装は橘さんへのチョコです。私と仲良くしてくださってありがとうございます」
「……っ! 嬉しい! あ、じゃあ私も渡すわ」
「え?」
手渡されたのは、小さな箱で茶色の包装紙と白いリボンが結ばれている。
チョコのメーカーなのか小さなタグもついてる。
「……栗原さんデパ地下でチョコ買ったことないって言ってたでしょ? だからちょっといいやつを買ったの。味わって食べなさい?」
「あ、ありがとうございます!!」
「ふふ。こちらこそ、ありがとう」
優しく微笑む橘さん。……見てるこっちまで頬が緩んじゃいそう。
橘さんは山田の正体を知ってから山田に対して警戒心マックスだけど、私は言うほど悪いことばかりじゃないと思う。今の私と橘さんの関係を作れたのも、半分は山田のおかげだと思うから。
◇ ◇
放課後。いまだにチョコをもらえなかった男子が、最後の悪あがきなのかなかなか教室から出ようとしない。……無駄なのに。
たぶん男子にとっては橘さんからチョコが一番ほしいんだろうけど、その本人はHRが終わるや否や私のところへやって来て――。
「いい、栗原さん。渡したらさっと帰るのよ、わかった?」
「もう大丈夫ですって。……それより、先輩のところへ行ってください。きっと首を長くして待ってますよ」
「……ふん、どうせ厭味ったらしいことを言ってくるに違いないわ。……ま、じゃあね」
そう言ってさっさと教室から出て行ってしまった。……たぶん、教室にはもう帰って来ない。
……可哀想な男子たち。ってよく考えたら、先輩って超勝ち組じゃん。やったね。
「栗原さーん……」
しゃがれ声に顔を向けて見れば、かばん一杯にチョコを詰め込んで、それでも入りきらなかったチョコを紙袋に詰めて持っている宇宙人――否、山田の姿だった。
「……すごい量」
「悪いけど、運ぶの手伝ってくれない? 俺一人だとチョコ落としそうなんだ」
「別にいいけど。その紙袋もってあげる」
世の中に彼氏が他の女子からチョコをもらって、そのチョコを運ぶ彼女なんて滅多にいないんじゃ。
……ほら、みんな微妙な目で見てるし。
「……山田、早く教室から出よう」
「あ、うん。ごめんね」
足早に歩いて、なんとか山田の拠点に繋がる黒い穴の所までやってきた。
途中、山田に声をかける女子がいたけど、山田はやんわりと断り足を止めなかった。……それにしても重かった。
「ありがとう。……いやぁ、チョコばっかりだね。当分食べ物には困らないと思うよ」
「あ、そう」
「みんなチョコを手渡して、中には告白してくる女の子もいたんだよ。もちろん断ったけどね。今日はそういう日なの?」
「あぁ……あんたバレンタインって知らないんだ。今日は女子から好きな男子や世話になってる男子にチョコを送る日なのよ」
「へぇ! そうなんだ。だからみんなチョコだったんだね」
「……ということで、これ」
かばんからさっとラッピングしたチョコを取り出した。
水色の布で上を結んだだけのラッピング……この中でも一番不細工かもしれない。まぁいいけど。
「え、栗原さんがくれるの?」
「……まぁ一応、表面上の彼女だし……それに何だかんだで、あんたには色々世話になってるし……お礼よ、お礼」
「うわぁ……そっかぁ……」
山田はかばんと紙袋を地面に置くと、ご丁寧に両手で私のチョコを受け取った。
顔を傾け、じっと私のチョコを見ているみたい。……なんだか妙に恥ずかしい。
「……ら、ラッピングが下手で悪かったわね。費用抑えようと思って、色々手作りしてみたの。文句言わずに食べなさいよ」
「え!? チョコも手作り!?」
「そ、そうだけど……」
仕方ないじゃない……! 先輩と橘さんの分は市販の美味しそうなやつを買ったんだから。
全部市販のやつにしたら私のお小遣いがね……。
手作り初めてで美味しくないかもしれないけど……ま、山田なら別にいいよね。
「美味しくなかったら捨ててもいいから。一応形だ――」
「捨てるわけないよ! ありがとう、嬉しい!」
私の言葉を遮って、タコ宇宙人が叫んだ。
と、ずいっと身体を近寄らせじっと私の方に顔を向ける。……何考えてんだ、こののっぺらぼう。
「なっ……何よ」
「この嬉しさをどう表現すればいいかな……」
「べ、別に表現しなくていいわよ!」
「えー? ……あ、そうだ! 肩揉んであげようか? 作るのに疲れちゃったでしょ?」
「は!? だ、大丈夫だから! 別に疲れてないし」
「あ、この姿が嫌なら人間になって――」
「いいから! 気にしないで!」
何なのよ……! 妙に私も恥ずかしいし!
……顔が熱い。
「……俺、このチョコはずっと大事にとっておくよ」
「えっ。いや……食べてよ。せっかく作ったのに……」
「栗原さんの手作りなんて、もったいなくて食べられないよ。大事に大事に保管させてもらうから」
「そう……」
……手作りに喜んでるのかな。どうなんだろう、男子っていうのは手作りだと嬉しいものなのかな。
あ、いや、そもそも山田は宇宙人だから通用しないか。
……。……まさか、また実験がどうのこうの言う理由じゃないでしょうね……。
「……ねぇ。そのチョコ……本当にただ保管するだけなの?」
「うーん……そこまで言うなら少し食べようかな……」
「え。あ、いや、本当にそうなら別にいいのよ。……私てっきり、また実験がどうのこうの言うのかと思ったから」
はは、と思わず笑って誤魔化したんだけど……山田のやつ、じっと無言のまま私に顔を向ける。
……何。なんで黙ってるの。
「……まさか、当たってるの?」
「え、違う違う! ただ、栗原さん鋭くなったなぁって思って」
「そりゃあれだけ実験って言われれば疑りたくもなるわよ。……ま、チョコは温かいと解けちゃうから気をつけてよ。じゃ、私は帰るから」
ま、とりあえず実験に使うことはなさそうだからいいや。
橘さんたちはどうなってるかなぁ、明日聞いてみようっと。
「栗原さん!」
少し進んだところで、後ろから山田の声が聞こえた。
足を止めて振り返ってみたら、長い赤い腕をぶんぶん振ってる。
「ありがとう! 好きだよ!」
そんなことを大声で言うものだから、また私の顔は自然と火照ってしまった。
返事をするのも、山田を見るのも恥ずかしくなって、すぐに背を向けて再び歩き出した。
相手は宇宙人。そんなことわかりきってる。
けどこの胸のドキドキは収まりそうもない。ひょっとして……と考えそうになるんだけど――。
そんな考えを振り払う。
ありえない。そんなこと、あっちゃいけないんだ。
私は人間で、山田は宇宙人。ただ、それだけだから。
一年生の話は終わりです。二話ほど先輩と橘さんの話を入れた後、二年生の章へと移る予定です。
先輩と橘さんに興味ない方は三話ほど飛ばしてください<(_ _*)>