それはきっと恋煩い
明らかにおかしい穴。この穴に入れっていうの? 嘘でしょ?
人一人入れそうな大きさだし、たぶん入ることはできるでしょうよ。でもさ……本当に真っ暗なんだけど。
覗き込んでも底は見えないし、はしごもなさそう。え、落ちるの?
「……大丈夫。穴の上に、立てば、運ぶから」
「え、穴の上!? 落ちるじゃない」
「落ちないよ。穴が、開いてるように、見えてるだけだから」
山田は本当に茹でたタコみたいに顔が真っ赤になってる。だらんと腕を力なく垂らして、声も弱々しいし体温も高い。
早く横になった方がいい……うぅ……やるしかない!!
グッと山田を担ぎ直して、恐る恐る、片足を穴の上に乗せる。
……お、落ちたらどうしよう……! 怖い……!
――……でも、山田が言ったように足が落ちることはなくて……ちゃんと足の裏は何かを踏んだ。
ガラスでも張ってあるの? それでも怖いから、ゆっくりともう片方の足を乗せて……穴の上に立った。
……ちょっと山田が穴からはみ出てるけど……いいのかな。
――……すると、足元の黒い穴が少し広がり、山田と私の足元をすっぽりと囲った。
この穴……動くの。
そう思ったのは一瞬で――あっという間に目の前が真っ暗になった。
「え!?」
何なのこれ!?
……と思ったら、すぐに明るくなった。叫ぶ暇もなくて……口を開けてまんま目だけ動かす。
さっきまでいたのは――体育館の裏。
……木の陰になった薄暗い場所だったはず。
でも、今立ってる場所は……明らかに違う。
よくSFで見るような、宇宙船のような頑丈な金属の床。
真上には、さっき踏んでた穴がある。これも真っ暗で何も見えない。
「……栗原さん、あのツリーの奥、ベッドがあるからそこまでお願い、できる?」
ハッと意識を戻して前を見た。
「……ツリー?」
通路の先に、少しだけ広いロビーがあって――その中央、青白く光る木が見える。
電飾されてるわけじゃない。幹そのものが光ってるように見えた。……綺麗。
釘付けのまま近寄って見て見ると――これ……木なんかじゃない。
パッと見は、葉っぱのない枝を伸ばした木みたいに見えるけど、よく見たら表面はつるつるして、プラスチックのようになってる。
それに木そのものが透明になってて、床から伸びる根から光の粒が枝に向かって流れてた。
何だろうこれ……木の模型?
所々、枝の先には小さなつぼみみたいなものもついてる。
……気になるけど……じっと見ていられない。
木の模型を通り過ぎ、奥を見ると一枚の鉄製のドアが見えた。
そのドアの前まで行くと、勝手にドアが開き、殺風景な部屋が広がった。
壁や天井、床は全部金属板で覆われてる。
所々、小さなモニターやよくわからないボタンとかレバーがあって宇宙船っぽい気がする。
でも家具らしい家具はなくて、ベッドと机と椅子しかない。
とにかく……山田をこのベッドへ、寝かせよう。
「……よいしょっと……」
ふう……。なんとか、横にすることができた。
「山田……大丈夫? まだ、苦しい?」
のっぺらだから……寝てるのか寝てないのかわからない。
まぁ……触っても大丈夫かな。
恐る恐る手を伸ばして、山田の頭の上の方を触ってみた。
……熱い。大丈夫なのこれ……。
「ねぇ、薬とかないの? あと、飲みたいものがあるんだったら私買って来るし……」
「大丈夫……。寝たら、治ると、思う」
「……まさか……休んでる間ずっと寝てたの? 水分とか栄養補給した?」
「……寝てた」
「寝るだけで治るわけないじゃない! 私、水とか買って来るから待ってて!」
ぐったりと山田はベッドに身体を預けたまま、弱々しく頷いて答えた。
……相当弱ってる。一人だから助けてくれる人がいないんだ。
だったら今私がいる間だけでも……何かしてあげないと。
って……これ、どうやって地上に戻るんだろ。
……とにかく、あの黒い穴の下に行ってみよう。
「……っ!?」
真下に立った瞬間――また目の前が真っ暗になった。
叫ぶ間もなく、次の瞬間には元の体育館の裏にいた。
……しゅ、瞬間移動? ど、どうなってんのこれ……。
そ、そんなことより、コンビニ!
コンビニ行って、買い物してこよう!
◇ ◇
ひとまず……水とか薬とか食べ物とか買ったけど……山田の奴食べられるかなぁ。
しかも、薬とか……宇宙人の身体に合うのかどうか怪しい。
うーん……余計なことしてるのかな私……。
まぁ……何もしないよりはマシだと思って、早く戻ろう。
例の黒い穴でワープして、再びツリーのあるロビーに出た。
このツリーも気になるけど、ひとまずは山田のいる部屋に行って、と――。
「……山田、気分はどう?」
「あ……。ちゃんと戻って来てくれたんだ」
山田はよろよろと身体を起こす。
ひとまず袋の中からペットボトルの水を取り出して、山田に差し出した。
「はい水。喉乾いてるでしょ?」
「……ありがとう」
ごくごくと水を飲んでいる間、私は机の椅子を拝借してベッドの横へと移動させた。
移動させて椅子に座ると同時に、山田もペットボトルの水を飲み終えた。……ってはや。
「久しぶりに飲んだ、気がするよ」
「……声が掠れてたのって水分がなかったからじゃないの?」
「わからないけど……まだ熱っぽい」
「……どうせ何も食べてないんでしょ? ほら、おにぎり。ちょっとでも何か食べた方が良いよ」
差し出したおにぎりを、山田は素直に受け取ってのっぺらの顔に押し当てた。
どう処理されてるかわからないけど……確かに少しずつおにぎりの量が減ってる……。
……食べてるんだ。
「ねぇ、栗原さん」
「な、なに」
そう言うと、顔にくっついていたおにぎりが少し離れた。
「ここ最近……ずっと考えてることがあるんだけど、答えが出てこないんだ。そのせいで体調がどんどん悪くなって……。……結論が出てこない問題は……どうすればいいと思う?」
顔はこっちに向かない。呆然と……何か考えて込んでるように見える。
結論が出てこない問題……? どういうこと?
「結論がでないって……どんな内容なの? 一緒に考えるけど……」
「……いや、やっぱり。……大丈夫、もう少し、一人で……」
また山田はおにぎりを食べ始めた。
歯切れの悪い言葉……言いづらかったのかな。どういう内容か気になる。
でも聞ける雰囲気じゃないし……空気が重い。
話題……話題を変えよう……!
「そ、それより! なんであんた、さっき付き合ってるとか嘘言ったのよ! 橘さんとかクラスの女子、みーんな誤解しちゃったじゃない」
「あぁ……立場をハッキリさせて理由を持たさせた方が、女の子たちには効くかなって思ったんだ」
論理的。
「たぶん、いつまでも……俺が曖昧な態度だから女の子たちが攻撃的な態度なんだ。俺に対してなら全然構わないんだけど……栗原さんに対してなら話は別。最近、クラスの人たちが栗原さんに良くない行動を取ってるようだし……そろそろハッキリさせて、栗原さんを守った方がいいかなって」
「た、建前ってことね!?」
「えっ……うーん。建前……かなぁ?」
た、建前なら仕方ないわよね! うん、仕方ない仕方ない!
表面上、名目上、付き合ってるってことよね! うん、そういうことね。
「俺は別に建前じゃなく――」
「た、橘さんは!? どうして橘さんも守ろうと思ったの!?」
言わせてなるものか!
「え……あぁ。だって、栗原さんが勇気を出して守ろうとしたでしょ? だったら俺も一緒。栗原さんが守りたいものは、俺にとっても守るものだから」
なにその……俺の物は俺の物、お前の物は俺の物――的な。
でもなぜか……嫌な気持ちにならない。
むしろ、じんわり温かいような。……あれ、ドキドキしてきた。
「栗原さんは……俺のこと……」
おにぎりを食べ終えた山田は真っ直ぐ私の方を見る。
なっ……何を言うつもり……!
「俺のこと……気持ち悪いとか、思わないの?」
「……え?」
なにそれ、今更?
なんか拍子抜けして……熱が冷めてく。
それでも山田は顔を少し背けて、困ったように頭を掻いてる。
「そ、その……ほら、栗原さんは俺の素の姿で映ってるんでしょ? 今更なんだけど……迷惑かけてないかなぁって思ったんだ……」
迷惑……そりゃかけまくりだし。
出かかった言葉だけど……グッと堪える。すると、山田は真っ直ぐ顔を向けた。
「迷惑なら……迷惑って言ってほしい。もう二度と、栗原さんの邪魔はしないから……」
もう二度と邪魔はしない――それって、どういうことなんだろう。
目の前から消えるってこと? どっか行っちゃうってこと?
迷惑なんて、山田が転校してきたときからかけられっぱなし。
お嫁さん、とか言って実は実験体のことだったし。
気に入った理由だって、標準的な体型だったことだし。
いっつもあんたの言葉に振り回されてばっかだし。
けどさ……。
そんなに嫌じゃないんだよ。
「……あんたって本当……自分勝手なことばっかり! 付き合うっていう建前で、私と橘さんを守るんじゃないの? 私はともかく、橘さんまで巻き込んじゃったんだから、ちゃんと責任持ちなさいよ」
「……迷惑じゃ、ないの?」
「今更何言ってんのよ。山田が無駄にモテるから、色々面倒なことになってるだけじゃない。別にいいし。みんな宇宙人って知らないからしょうがないじゃない。……ほら、まだおにぎりあるから食べなさいよ」
山田におにぎりを押し当てる。ぐいぐい押すと、山田はようやくおにぎりを受け取った。
……なんか恥ずかしくなってきた。私、何考えてんだろ。
迷惑かけられてるのは間違いないのに……ハッキリ言えない。そんなに嫌じゃないから? なんで?
……私も最近、頭がおかしい。
というか……今、山田の拠点の中にいるのよね。
き、危険すぎる……! あれ……顔が熱くなってきた……!
「じゃ、じゃあ山田もだいぶ調子良いみたいだし……」
う、うろたえるな……!
冷静に立ち上がってっと――。
「え……もう帰っちゃうの?」
「か、帰るわよ! ……一応、袋の中にパンとかお菓子とか……あと薬も入ってるから。ちゃんと水分補給して、食べる物食べて、ちゃんと寝るのよ。ただ寝ただけじゃ治らないんだから」
ひとまず……言うべきことは言った。よし、回れ右して……帰ろう。
……さっきからなんだか息苦しいんだよね。さっさと部屋から出た方が――……あ、思い出した。
「……気持ち悪いかっていう質問だけど……」
「……うん。遠慮なく言って」
妙にハッキリと山田の声が聞こえた。
それから、小さな電子音が部屋のあちこちから聞こえてくる。……それ以外は全く音がしない。
いつもの賑やかな学校じゃない。あの教室でもない。
この部屋に二人しかいないんだ。
……。……へ、変なこと考えるんじゃなかった……!
面と向かって言うのが恥ずかしくなってきた。もう……背中向けたままで言ってしまえ!
「さ、最初は確かにちょっと……びびったりもしたけど……今は別に……怖くない」
「……うん」
「た、確かに山田は宇宙人で……時々、いや、いっつも何考えてんのかわかんないけど……」
「……うん」
「でも……クラスの中で、一番気を遣ってくれてたのは間違いないから……」
――そう、山田って……なんだかんだで優しいんだ。
それが本当か嘘かはわからないけど、私は……。
「……私はあんたのこと、嫌いじゃない。だから、気持ち悪いとか、そういうことは思ってない」
……。
……反応がない。
まぁ……いいか。質問に答えただけだし。もう振り返らずにさっさと穴から出よう。
「じゃ、じゃあそういうことだから。私帰る――」
出ようと思ったら――後ろから手首を掴まれた。
な、な、なに!?
「……栗原さん、俺、家まで送る」
振り返ったら、いつの間にか山田はベッドから降りてて、すぐ後ろに立ってた。
てか……顔がまた茹でタコみたいになってるんですけど。
さっきまで赤みが治まってたように見えたのに……。
無理しちゃって。
「……無理しなくていいから。別に一人でも帰れるし。それより早く体調良くして学校に来てよ」
「え……あ、うん」
「あんたがいないとみんな寂しそうだし――」
「栗原さんは? 栗原さんも寂しかった?」
握られてる手首が熱い。
ていうか……近い。
「あ、あんたがいないと……静かで……そ、そういう意味じゃ寂しかった……かもね!」
プイッと顔を逸らしたけど……すぐに後ろから笑い声が聞こえた。
「ははっ! そっか! 嬉しいな!」
「あ、あんたがいたら色々……女子とか男子とかが騒ぐの! そういう意味!」
「どんな理由でも、俺がいなくて寂しいって思ってくれたんでしょ? 嬉しいに決まってるよ。……家まで送りたいけど、早く体調良くしたいから今日はやめておくね。ごめんね。でも、そこまで送るから」
そう言うと、山田は手首を離して――すぐに私の左手を握り締めた。
って……手? 手!?
「……ははっ! 栗原さん、顔、真っ赤だよ!」
「あんたに言われたくない!!」
なんでこいつはサラッと手を繋いでんの!?
というか……心臓がバクバクして、胸が痛いくらい……!
なんで、なんで!? 相手、宇宙人よ……!
それとも私……宇宙人とか関係なくて――……。
「栗原さん、今日は本当にありがとう」
山田の手が離れた。
あ……そうよね。この装置、部屋出てすぐのところにあったから……歩く距離なんて少しだった。
「おもてなしできなくてごめんね。次来るときはちゃんと用意しておくから」
「べ、別に気にしないで……」
「あのツリーとか気になるでしょ? 今度来たときに教えてあげるから。実験もいろいろやってみよう」
「あぁ……あのツリー……」
青白く光る木の模型……確かに気になる。
中心に置かれてるから、きっと大事なものなんだろうな。
……って……今、何て……。
「……実験って何?」
「色々だよ。……あ、いや! そ、そんな怖い実験とかないから! 別に栗原さんを痛めつけるとかじゃな――」
「もういい! じゃあね!」
山田はやっぱり宇宙人よ!!
黒い穴の下に入ると――すぐに目の前が真っ暗になって……次の瞬間には体育館の裏に出た。
陽がもう沈んでて、辺りがすっかり暗くなってる。
グラウンドに出ると、部活のためのライトが照らしてた。
掛け声が聞こえる中、邪魔にならないよう足早に通り過ぎた。
校門を出たと同時に足を止めて――振り返る。
真っ暗な闇に浮かび上がる校舎。
授業を受けるためだけに通う――そう思ってたのに。
一人でいいって思ってた。平凡で地味な高校生活が良いって思ってた。
目立ちたくなかったし、女の争いなんて巻き込まれたくなかった。
それなのに全部、ぜーんぶ……山田が変えちゃったんだ。
図書委員の高橋先輩と話すようになったし。
クラス一美人で頭の良い橘さんと普通に話せるようになったし。
……山田には色々連れ回されるし。
一人だったら、絶対、こんな経験できなかった。
地味で平和な高校生活も捨てがたかったけど、私、今の学校生活が楽しいんだ。
そう思えるのは、きっと山田のおかげ。
でも……あいつのことを考えると……イライラする。
さっきの別れ際だって一体何なのよ……!
結局は私のこと、実験体としか見てなくて……!
実験体を傷つけたくないから、私を守るとか言ってて……!
なのに、一緒に帰るとか意味不明な気遣いをしてきたり……!!
私のこと助けてくれたり……言われたことも、やられたこともない言動をしてみたり……!
いつも、いつも……私のこと振り回して……!!
何なのよ、何なのよ……! 山田なんて……山田なんて……!!
「山田の……バーカ!!」