素直になれないクリスマス 後編
男が近寄って来て――私の肩に手を置いた。
「なぁ、暇つぶししようぜ。あんたの奢りで」
ニヤリと笑った口から、汚い歯並びが見える。
気持ち悪い。誰が行くもんですか。
声出さなきゃ。早く――。
「ちょっと! 栗原さんこんな所で何やってんの!?」
そんな声と同時に、誰かに手首を掴まれてグイッと引き寄せられた。
まさか――山田?
そんなことを思って顔を上げて見たら――予想外の人だった。
「た、橘さん」
「なんでこんな所にいるの」
目をまん丸にして驚いた顔で私を見つめる。
いや……私の方もびっくりなんですが……。
「おぉ~君綺麗な子だね~。君も一緒に来ない? なんだったら君だけでもいいけど?」
ハッ! しまった、目標が橘さんに移ってしまう!
頑張れ私! 橘さんを男の毒牙に晒しちゃダメよ!!
「だっ――!」
「私たち暇じゃないんで結構です。……栗原さん走って」
はっきりとした橘さんの冷静な声色に、自然と私の身体から力みが消えていた。
固まっていた足が嘘のように、橘さんと一緒に賑やかな街中を走って行った。
◇ ◇
しばらく橘さんに引っ張られるまま走って、とあるカフェへと入った。
窓から遠い席を選んで、適当にコーヒーを頼んだ。
「もー何やってんだか。さっさと断って逃げればいいのに……栗原さんて本当、どんくさい」
「ご、ごめんなさい……」
橘さんはつけていたマフラーをとって、綺麗な黒髪をパサァっと整えた。
……気のせいかもしれないけど、学校で見る橘さんより、今日の方が綺麗に見える。
「……あの、橘さん……今日はどうしてあんな場所に?」
「え、あぁ……ちょっとデートで……」
で、デート!?
ま、まさか……!! 先輩と!?
「……期待してるところ申し訳ないんだけど、相手、高橋先輩じゃないから」
「あ……そ、そうなんですか……。あ、あの……高橋先輩とはどうなってるんですか?」
聞いてもいいよね? だって、文化祭の後……どうなったか聞いてなかったんだもん。
先輩は橘さんのことを追いかけて行ったけど……橘さん何も言わないし。
先輩も何も言わないし……気になる。
「別に……。顔合わせると嫌味なこと言われるだけよ。今日だって……」
「今日……?」
「……クリスマス、会おうみたいな感じで話したと思ったら……いつもの調子で私を貶すのよ。……腹が立ったから、他の人とデートしてたの」
先輩……意外にぐいぐい行ってるんだなぁ。
ただまぁ……あのツンデレ体質が仇になってるみたいだけど。
……。……ん。今の感じ……橘さんも意外に……。
「あ、あの……橘さん、その今日のお相手の人は……?」
「もう帰っちゃったんじゃない? ……全然楽しくなかった。やっぱり山田くんが一番カッコイイのよねぇ」
うーん……先輩に脈があるのかどうか微妙だなぁ。
でも、本当橘さんって前向きだなぁ。
「……栗原さんはどうして一人であんな場所にいたの? 山田くんは?」
「えっ。……な、なんで山田くんと一緒って知ってる――」
「だって、山田くんクラスみんなの誘い断ってたもの。知ってるに決まってるじゃない」
そ、そういうことか。
いかん……本当にクラス全体に誤解が広がってる。もう取り返しがつかないのでは……。
でも……調子に乗るなみたいなこと言われたし……卑屈になるなとも言われたけど……。
……どうしたら。
「……栗原さん、悩んでるなら相談に乗ってあげようか?」
「えっ……」
「クリスマスに女二人よ? たまには良いと思わない? うっぷん晴らしにさ」
ひじをついて、橘さんはにんまりと笑ってた。
今まで見たことのない、子どもっぽい笑みだった。
学校で見る、大人びたいつもの橘さんとはちょっと違う表情。
……橘さんもこんな表情になるんだ。
「た、橘さんは……どうして、私に構ってくれるんですか? クラスの人たちから、何か言われませんか?」
さっきの女子の言葉が頭の中で張り付いてる。
きっとあれが普通なんだ。普通だとしたら……今橘さんが言ったことは普通じゃない。
普通じゃないと……良くない。橘さんに、迷惑がかかるかもしれない……。
「……もしかして、クラスのみんなに会っちゃったの? それで、何か言われたの?」
「え……ど、どうして」
「やっぱり……。だって、栗原さんがいた場所、みんなが集まってた場所に近かったもの。……みんなから何を言われたか知らないけど……私は私のしたいことをするだけよ。山田くんにアピールしたのもそうだし、それにイケメンが好きになる女の子って興味が沸くと思わない? そんなの構うに決まってるでしょ?」
「でも私……調子に乗ってるって……」
「そりゃ調子に乗るに決まってるじゃない。あんな風に山田くんに想われるなんて、本当、妬みたくなるぐらいよ」
やっぱり……橘さんはまだ山田のことが好きなのかな。
なんて答えればいいんだろう……。変に慰めても気に障るかもしれない。
「……そんな暗い顔しないで。私、本当に山田くんのことはふっきれてるんだから。ただ純粋にカッコイイって思ってるだけ。思うだけなら別にいいでしょ?」
「は、はぁ……」
「それよりも! 栗原さんは山田くんとどうなってるの?」
グイと近づき、橘さんは目をキラキラと輝かせてる。
何か……期待するような眼差し。あぁ……これが恋バナと言う奴か。
でもですね……実際そんなトキメクような内容じゃないんですよ……。
あぁ……言いたい……けど言えない。
「……別に何もありません。山田くんはどうでもいいんです。むしろ、関わりたくありません……」
「そう? ……さっき私が引っ張った時、ちょっとがっかりしたようにも見えたけど」
「……は?」
「実は山田くんを期待してたんじゃないの?」
なっ……何言ってるんだこの人は。
そんなはずない。うん、絶対違う。
「ち、違います! さっきまで山田といたからそう思っただけであって――!」
「どうでもいいって思ってるのに? 関わりたくないって思ってるのに?」
「だっ……だから! そ、その、前にも助けてもらったことがあって……また山田じゃないかなって思っただけなんです!」
「へぇ~そんなことあったんだぁ」
ニヤニヤと笑いながら橘さんがコーヒーを啜る。
なんだろ……めちゃくちゃからかわれてる気がする。それに……顔が熱い!
なんで? 冷静に否定すればいいだけじゃん。慌てるな私……冷静に冷静に……。
ひとまずコーヒーでも飲んで落ち着こう。
「別に遠慮することないのにー。みんなに山田くんとイチャイチャしてるとこ見せつければ収まると思うんだけどなー」
「ブッ!」
こ、コーヒー吹きそうになった!
山田とイチャイチャ? あのタコ宇宙人と!?
ないない! ありえない!
「なっ何言ってるんですか!」
「え? だって、山田くん栗原さんのこと好きなんでしょ? だったらあとは栗原さんが応えてあげればいいだけじゃない。むしろ、なんで山田くんを嫌がるの?」
「そ、それは……」
言いたい……! でも、言ったら騒ぎになるかもしれないし……何より、信じてくれるとは思えない。
どう伝えれば……。……そうだ、例え話! 例え話ならわかってくれるかもしれない!
「た、例えばで聞いてもらいたいんですが……」
「うん。何?」
「た、例えば……山田が宇宙人だとしたら……嫌でしょう?」
「……はい?」
「例えばです! ……イケメンの正体が実は……宇宙人で、おまけに自分を実験体にしようと近づいていると知ってたら……好きになれるわけないでしょう? 違いますか?」
「あのさ……例え話がありえなさすぎて……よくわからないんだけど」
これ事実なんですよ!!
でも、やっぱり……わかってもらえないですよね。
まさか、山田くんが宇宙人だなんて……思えないですよね。
「……もう、いいです。聞いてくださってありがとうございます」
コーヒー飲んで帰ろう。
橘さんと話せて良かった。
「……まぁ、山田くんって本当に少女マンガから出てきたイケメンって感じで……そういう意味じゃ宇宙人レベルって感じかなぁ。運動も成績もトップだし」
そのイケメンも作り上げたものなんです……。
「でもー……中身までイケメンって本当レアだよねぇ」
「中身が……イケメン?」
「そうじゃない? 女の子にも男の子にも暴言吐いてるところみたことないし、すっごい気を遣ってくれるし、何より優しいし。自分がイケメンだからって気取ってる感じがしないのもいいよね」
そう……なのか? 中身がイケメン、なのか?
性格は作り上げたものじゃないのかな。でも、よく考えたら……悪い奴だったら私を無理矢理さらってる、のか。
うーん……。
「山田くんが宇宙人だとしても、私だったら話は聞いてあげるかな。実験体とかよくわからないけど……宇宙人だとしても、山田くんは山田くんじゃない」
「でも……」
「栗原さんが何でそんなに臆病になってるか知らないけど、周りの評価とか先のこととか、どうでもいいのよ。自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、そう考えればいいんじゃない? あとで後悔しないようにね。……だからその……無理に山田くんの好意に応えろとは言えないけど……振られた身としては、山田くんの恋を叶えてあげたいから」
優しい笑みで私に微笑んでくれる。
ぷっくりとした唇、長いまつげ、綺麗な黒髪。
女である私が見ても、本当に綺麗な人だと思う。
そんな人が私の話を聞いてくれて、私に助言をしてくれてるんだ。
こんな地味な私に……。
「あ……」
突然、橘さんの視線が私の後ろに注がれる。
どうしたんだろう。
けど、振り向く前に声が聞こえた。
「栗原さん。こんなところにいたんだね」
しゃがれ声。ビクッとして振り返ると――じっと見下ろしている山田の姿だった。
と――後ろになぜか先輩の姿もある。眼鏡を押し当て顔が引きつってるように見えた。
「なっ……なんで山田と先輩が……!」
「先輩とはたまたま会ったんだ。その……ごめん。すぐに追いかけるべきだったんだけど……何て言えば許してもらえるのかわからなくて……」
「はぁ? 何言ってんの――」
ハッ!!
しまった! いつもの調子で山田に話しかけてた!
今、橘さんと先輩がいるのに……!
「栗原さんって……山田くんと話す時、感じが変わるのね。私、そっちの方がいいと思うけど……」
「あ、え、い、いえ! そ、そのこれは、つい出てしまうというか。ほ、本当は地味でいたいんですけど、山田が……!」
「もう! なーんだ、栗原さん自分の中で答えを持ってるんじゃない!」
「……え?」
どういう意味でしょうか。
けど、橘さんはマフラーを巻きなおすと席を立ち、山田の後ろにいた先輩に近づいて――そして振り返った。
「素を出せるってことは、その人のことを信用してるってこと。じゃ、私出るね。頑張って」
そうにこやかに言うと、橘さんは先輩の横を通り過ぎて行った。
その姿を目で追う先輩。でも、すぐに私の方を向き直すと――クイッと眼鏡を上げた。
「お、俺も失礼します!」
「あ、あの! 先輩は……どうしてここへ?」
「……橘さんに頼まれて仕方なく……プレゼントを渡す羽目になったんです」
「そ、そうですか……あ、すいません引き止めてしまって。早く追いかけてください」
「あ! で、では!」
良く見ると――先輩の手に小さな紙袋があった。あれがきっとプレゼントなんだろうな。
先輩はすぐに後ろを向くと、足早にテーブルを避けつつ橘さんの背中を追いかけて行った。
……先輩、頑張ってるなぁ。
「栗原さん」
見ると、山田は今まで橘さんが座ってた席に腰掛けてた。
じっと顔をこっちに向けてる。……目なんてないんだけど、思わず顔を背けた。
「……な、何よ。帰ればよかったのに」
「帰るわけないよ。まさか……栗原さんが泣くなんて思ってなかったから……本当にごめん」
「……泣いてないし」
「泣いてたよ。……傷つけるつもりはなかったんだ」
……気付かれてないって思ってたのに。
それに、あれは……私が勝手に思い上がってただけ。山田のせいじゃない。
「別に傷ついてないし、あんたが気にすることでもない」
私も橘さんと一緒にお店出れば良かった。
これ以上、山田から変なこと言われたくないし。
「……栗原さん、これ」
すると、山田はテーブルの上に小さな紙の包みを差し出してきた。
「……なにこれ」
「プレゼント」
こっ……こいつ……! 反省するように見せかけて……全然反省してないじゃない!!
何が『傷つけるつもりはなかった』よ!? 私のこと馬鹿にしてんの!?
「あんた……私のこと、なめてんの?」
「え? ち、違うよ! これは本当に……ただのプレゼント。交換なんて……無理強いしてごめんね」
若干顔を俯かせて……しょんぼりしているように見える。
……反省、してるの?
……表情がないからわからない。
「……じゃあなんで、わざわざプレゼントなんて用意したの?」
「女の子が泣くのは何度か見たことあるけど……別に気にしたことはなかったんだ。でも……栗原さんが泣いた姿を見たら……胸がチクチクして。何かしなきゃ……俺の気が治まらなかったんだ」
そういえば……橘さんを振ったときも、山田は普通だった気がする。
……私は違うんだ。
「だから良かったら受け取ってほしいんだ。……気に入らなかったら捨てても構わないから」
小さな紙の包みを手にとって、中を出してみた。
――出てきたのは、花を模った小さなストラップだった。
「……なんでストラップ」
「携帯電話につけてもらいたくて」
「……私、携帯解約したんだけど」
「だから……また買ってくれたらいいなぁって」
……結局、自分の都合の良いようにしたいだけなんじゃ。
でもまぁ……いっか。クリスマスにプレゼントもらうなんて……初めてだし。
……私馬鹿だなぁ。
……宇宙人ってわかってるのに、山田からのプレゼントなのに……。
「……考えておく」
「本当!? 良かった!」
このままだと後で何言われるかわかんないし、もらいっぱなしも気持ちが悪いし。
……かと言って、人体実験なんてごめんだし。
……しょうがないか。
椅子を引いて立ちあがると、山田はビクッとして顔を上げた。
「え、もう帰っちゃうの?」
「……ケーキ。私の家、クリスマスって言ったらケーキ食べるの。どうせだから、ケーキ食べましょ。ちょっと待ってて、ケーキ頼んでくるから」
「え……じゃあ俺がお金――」
「いいから。……これでおあいこ。あとで人体実験要求しないでよ」
そう言ってテーブルに山田を残し、レジへと向かった。
レジの横に並ぶ綺麗なケーキ。美味しそうなケーキを前に、思わず頬が緩む。
うん。ケーキに頬が緩んでるだけであって、決してクリスマスを山田と楽しんでるわけじゃない。
でも……ストラップが可愛いしもったいないから、携帯電話はまた持とうと思う。