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特効薬はどこにもない

作者: いなば

 恋の悩みほど甘いものはなく、

 恋の嘆きほど楽しいものはなく、


 恋の苦しみほど嬉しいものはなく、

 恋に苦しむほど幸福なことはない。

             ――アルント

( ……つまり恋とは、ままならぬものであるらしい ) 

 

 吹奏楽部の演奏が聞こえる。体育館からはボールの跳ねる音が、グランドからは野球部の掛け声が聞こえる。西日の差す階段で、オレンジ色の光を背負った彼が、やわらかく微笑んだ。

「君は俺の光なんだ。君がいるなら、俺はどんな真っ暗闇の中だって、迷わずに歩いていける」


「君はその愛らしい名前の通り、俺の世界に彩りを与えてくれるんだね。君がいるから俺の世界は美しいんだよ」


「……ね、竹本さん」

 

 ブレザーの裾を握り締めていた左手を、すっとしなやかな所作で取られる。……まるで、永遠の愛を誓うような、


「だから俺とお付き合いを前提に結婚してください」

「だが断る」

 そんなわけはない。

 

 竹本彩世は、悩んでいた。

「上田君、カッコイイのにね」

 初恋の味、などと謳われたレモン味の飴玉を口に運びながら、彩世の友人である水谷可奈が口を開く。

「……そうだね」

 苦笑いを浮かべながら、ひとつちょうだい、と彩世も飴に手を伸ばした。透き通った黄色は、年季が入って黒ずんだ机の上をカラフルに見せている。

 彼女が上田君に告白されたのは、一週間ほど前である。

 そう。上田君、だったのである。

 彼は学年で一、二を争うイケメンである。脱色されていない、さらりとした黒髪を生活指導に引っかからない程度に爽やかに流しており、すっと涼やかだがやや垂れた目元に愛嬌があって、雰囲気が穏やかで親しみが持てる。綺麗な線を描くように、顔のパーツはバランスがよい。つまりイケメンなのである。

 おまけにスポーツがよく出来て、背が高くて、成績もいい。しかし嫌味のない性格で友人が多い。あらゆる要素を兼ね備えたイケメンである。

 ちなみにもうひとりのイケメンは囲碁部の高坂くんである。上田くんが爽やかスポーツマンなのに対し、あちらは文系男子と見せかけて茶髪のヤンキー系だ。

 で、しつこいがもう一度書く。イケメンである。

 だがしかし、彼にはその端正な容姿とステータスをもってしても尚隠し切れない悪癖、というか、性分があった。

「やあ、竹本さん。今日も可愛いね。やっぱり俺は君がいないと駄目みたいだ。君の存在があってこそ俺がある。君が俺の世界なんだよ。俺は君に出会えたことを心から感謝しているんだ。ところで今日の放課後ヒマ?」

「ごめん、今日ジャンプの発売日だからすごく忙しい」

 熱しやすく冷めやすい。しかし燃え上がった分は誰よりも真剣になる。つまりは恋愛体質なのである。上田君の友人によれば彼の恋愛賞味期限は平均して一週間であるという。そのうえいったん冷めればすっぱりと別れを告げ、友人に戻ろうと言い出す。女子としては非常にありがたくない。一体どう接すればいいというのだ。

 ゆえに、現在上田君には彼女がいない。イケメンなのに。

 彼女が出来ても一週間で振られる。イケメンなのに。

 挙句の果てには「残念なイケメン」との異称まで付くほどであった。イケメンなのに。

 ある意味、それだけならよかった。彩世の場合、事情が違ったのである。

「上田君てさあ、背高いし優しいし、顔もいいのにね。何でアンタにだけあんな変態気質なんだろ」

「私が知りたい」

 部活の友人に呼ばれたらしい上田君の後姿を見送って、可奈はふうと溜め息をついた。彩世は両手で顔を覆い絶望している。突然彼から感情をぶつけられた一週間前からずっと、彩世は上田君に追い掛け回されているのであった。

 そう。『一週間』前から。

 上田君は一週間で冷めると噂に聞いていた彩世は、「そんなよくわからない人間とかかわってたまるか」と逃げ続けていたのである。彼女の好みは柔道部の松崎先輩のような堅実な人であった。加奈には「松崎先輩ってゴリラじゃん」と言われた。そんなことは彩世にはどうでも良かった。

 しかし上田君は諦めなかった。どころか今まで以上に熱心である。今もなお。

 フォーエグザンポー。具体例を挙げよう。

 廊下で会えば「やあ、今日も可愛いね竹本さん」。階段ですれ違えば「今から移動教室?」からの「俺と付き合ってください」。隣のクラスだというのに昼休みには必ずやってきて「結婚しよう」といい笑顔で言われる。落ち着け、君はまだ高校生だ。幸い、朝は部活の自主練習に参加しているらしいので、早朝から遭遇する事は少ない。

 と、このように激しくストーキング、否、熱烈なアプローチを受けているのである。どうしてこんなにしつこいのだろう。

「彩世ってば、ホント何したの? もはや『好かれてる』の域を超えてるよ、『懐かれてる』よアレは」

「心当たりがないから困ってるんだよ可奈……」

 だがしかし、彩世には心当たりがなかった。

 そこまで追い回される理由も、そもそも彼に好かれている理由も分からなかった。上田君とは同じクラスになったことがない。中学も小学校も幼稚園も違う。高校に入学して初めて会ったのである。彼はいったいどうやって自分のことを見つけたのだろう。

「なんでなんだろ……。だって上田君ならもっと可愛い子選び放題じゃん……」

「振られすぎてストックなくなったんじゃない?」

「否定できないから怖い」

 ああ、頭が痛くなってきた。彩世はこめかみを押さえて溜め息を吐いた。

 そんなふうに悩まされながらも、忙しい高校生の毎日はお構いなしに過ぎ去っていく。

 ーーそして、告白から二ヶ月が過ぎた現在もなお、彩世は上田君に追いかけられていた。……記録更新してるんじゃないの、上田君。彩世は今も逃げている。

「彩世ーあたし今日部活ないから先に帰るわー」

「はーい、また明日ねー」

 放課後である。

 エナメルバッグを担いで振り向いた可奈に手を振る。普段はここで彩世も一緒に帰るのだが、あいにく今日は委員会の仕事がある。

 可奈の鞄に下げられたウサギのストラップが右へ左へぶるぶると揺れて教室を去っていくのを見届けて、彩世は図書室へ向かった。


「好きです」

 ……えっと、誰が?

 あと五メートルほどで図書室の扉に手を掛けるところだった。緊張してボリュームを調節できなかったのか、扉越しにでも聞こえたその四文字に彩世は動きを止めた。今から彼女が向かおうとしていた図書室には、どうやら先客がいたらしい。

 二人分の影。

 ああ、コレはつまり、俗に言う。

(……あのね、ここは本を読むための空間なんだよ。だから君たちの勝手な都合で気まずくさせないでくれないかな。てゆーか、司書さんはいないのか。いや、いたらそんなことしてないか)

 近頃とある人物のせいで恋愛沙汰にうんざりしていた彩世は心中で毒づいた。早く帰れ、マジで。

「……ゴメン」

 振られてしまったようだ。相手の女の子は、スリッパの色からして後輩らしい。なかなか可愛いのに。

勿体無いなーと対して勿体無くもなさそうに呟き、ふらふらしながら二人が消え去るのを待っている。何でもいいから早く仕事を終わらせたい。

 すると、バタンと勢いよく扉が開いて、女の子が走って行った。……ようやく帰ったか。

 さて仕事をしようと、図書室に足を踏み入れたのだが、目の前に長身の人影。まだ男の方は残っていた。

 うわああ気まずいなあ……と早足で通り過ぎようとする。こういう時は何も聞いていなかった振りを装うのが安全策だということはわかっていた。

 ーーあれ。

「う……上田君……」

「……竹本さん?」

 終わった。今確実に私の何かが終わった。

 先ほど告白されていたのは彩世の頭痛の原因である彼、上田君だったようである。上田君なら仕方ない。納得すると同時に、なんだか喉の下辺りから不快感がこみ上げてきた。

 どうして、私なのだろう。

 それは、この二ヶ月間に何度も何度も思ってきたことである。前述の通り、彼はイケメンである。先ほどの様子からも分かるように、今だって十分人気がある。

 では何故? ああもう、頭が痛い。

「こんにちは。今から委員会?」

「まあ」

「そっか」

 あれ、いつもの長ったらしい口説き文句が始まらない。いやいやいや何を。決してそれを楽しみにしているわけでは。

 無意識だった心中語にハッとして、それを打ち消すためにブルブルと髪の毛を振る彩世を見て、上田くんはこてんと首を傾げた。背が高い彼であるが、そんな仕草をすると幼く見えてどこか可愛らしい。ちくしょう、イケメンは何やっても様になりやがって……!! きいいとハンカチを噛みたい気分ではあったが、気を取り直して彩世は、カウンターへ向かおうと足を踏み出す。

 カクン、

 その時、急に体が傾いた。

「上田君?」

 バランスを崩して倒れそうになる。左手に感じた重さと痛みに振り向くと、上田君に腕をつかまれていた。

「……あの、」

 へにゃりと眉尻を下げた情けない表情の彼が、彩世の腕を掴んでいた。

「さっき、さ。告白されたの、断ったんだ」

 うん、聞いてたから知ってる。とは、言わない。

「今までは、別にいいよって、すぐにでも付き合ってたんだけど。……最近はさ、」

 左手にこめられた力は、弱まらない。

「『好きな人がいるから、無理』って、言ってるんだ」

 どうして、

「竹本さん」

 今度はガッと両手を捕まれた。腰を曲げて、目線を合わせられる。顔はホント、イケメンなのに。

「俺の恋は基本的に打ち切りの週間連載よりも短いんだ」

「うん……一週間なんだよね」

「でも、俺が君に告白して二ヶ月が経つ。……つまり俺の恋のドラマは2クール目に突入した」

「うん……視聴率低そうだね」

「……ここまで俺に反応を見せなかったのは君が始めてなんだ」

「うん……眼中にないとも言うね」

「ここまで俺が食い下がった女の子も初めてなんだ」

「うん……ストーカーだね」

「つまりコレは本気の恋だと、俺はそう解釈した」

「うん……そうだね。……え?」

 はいはいと曖昧に返答をしていた彩世が固まる。今、目の前の彼はなんと言った? 上田君は彼女の双眸から少し目線を逸らしながら続けた。

「俺、だいぶ竹本さんから避けられてるし……。仕方ないって思うけど。でも今回はホント、全然冷めないんだ。それで、もし付き合っても、飽きない自信がある」

「えええ……」

 そうは言われても、疑いたくなってしまう。

 彩世はじりじりと後退しながら逃亡を試みる。が、腕は掴まれたままなのでたいして距離を取ることもできなかった。やがてがつんと腰骨がカウンターにあたり、痛みと上田くんへの苦々しさも相まって、盛大に顔をしかめた。

 ほら、私はこんなやつなんだよ。

「それはね上田君、きっと私があんまり君になびかないから好奇心を恋愛感情だと勘違いしてるだけだよ。気の迷いだよ。やめときなよ」

「いや本気なんだってば信じてよ」

「いやいや」

「いやいやいや」

 なんだこのやり取りは。

 なおも抵抗を続ける彩世に、上田君も負けじと距離を詰めてきた。近い近い近い。腕を掴んでいた手に、ぎゅっと指を絡められる。伝わる温度がやけに熱い。自分が熱いのかもしれない。

「そもそもなんで私なの? 上田君にはもっとかわいい子がお似合いだよ。ほら、さっきの子みたいな」

「わからない」

「は?」

 掌が汗ばんできた。気持ち悪い。

 上田君の言葉もわからない。気持ち悪い。

 彩世は二重の意味で眉をひそめた。

「……あ、いや、最初に話しかけたきっかけは何かあった気がするけど、正直に言うと、理由とかない。でも竹本さんに嫌われたり、話しかけれなくなったりするのはいやだって思った。それじゃダメですか!」

 いや、叫ばれたって困る。

 なぜか敬語になっている上田くんは耳まで真っ赤になっている。まさか夕日のせいだけではあるまい。西日が落ちる図書室で手を取り合って騒ぐ男女とは、なんと滑稽なのだろう。司書の先生がいなくて助かった。今だけそう思う。いや、誰か助けに来て、とも思うけれど。

 ーー西日。

 ふと、室内いっぱいに差し込むオレンジ色を見て思った。ジュースの中に放り込んだように辺りを染め上げる、けれど強すぎない色。優しい色。初めて彼に会ったのも、西日が差す時刻だった。彼には、夕日が似合う。朝でもなく、夜でもなく、温かみを残したこの色が似合う。

「上田君は、夕日が似合うね」

「え」

 口が滑った。

 上田君が驚いてぱっと手を放す。彩世はざっと後ろに退く。今まで散々否定的な言葉を投げつけて彼から逃げておきながら、どうしてこの期に及んで彼を誉めるのか。なんで、どうして、いやまさか。

「……か、帰る」

「竹本さん、委員会あるんじゃ」

「帰ります! じゃあね!」

 彩世は鞄をひっつかんで走り出した。委員会とかもういいや。明日先生に謝る。とりあえずこの場から離れないといけない。これ以上は無理。無理無理。なにが無理って、もう無理。

 階段の踊り場でターンするように方向転換しながら、彩世はわっと大声で叫んだ。

「あー、もう、そんなの認めない!」

 心臓がうるさいのは、全力疾走しているせいだ。

 

 ーー病気です。六十兆の細胞が、きみを好きだと叫ぶ病だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 2人のやり取りがとても面白いです。 上田君の本気が、付き合ったあとも続くことを願います。 言葉の比喩の使い方とか、とてもうまいです。
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