カナルの異文化接触2
先ほどまで晴れていた空が雲で急激に暗くなる。
耳に着けた小型通信機からは所謂ゲリラ豪雨についての情報が流れ込んでくる。
「雷雨が来るから、建物に入ろうぜ」
カナルは連れにそう告げた。
「急に雨が降るのか。確かに空気も少し変わったな」
外をチラっと見て言ったのはカナルの戦友で、少し前まで修理中だったディスだった。
腕と足を丸ごと取り換えたので少し変わった部位で、きちんと動けるようになるまで日本に滞在するようだ。
ディスを『お兄ちゃん』と慕うアルヒェも一緒である。
本当ならアルヒェの両親も一緒にいるべきなんだが仕事や手続きで、ディスが修復施設から『退院』した時以来会っていない。
「多分、そのうち日本に住むことになるんじゃないか?」
と、いうのがディスの推測だった。
アルヒェの世話をしている家政型アンドロイドのベルは買い物のため別行動だ。
ディスやカナルと違って、アルヒェと一緒に飲食店に入るのはかなり気が引けるらしい。
ディスも戸惑ってはいたが、アルヒェに手を引かれたら迷う余地はないようだ。
「お兄ちゃんも、行こう」
この一言で即決だ。
アルヒェにはアンドロイドの思考を読む力と操る力があるが、別にそれを使ってディスを動かしてるわけではない。
なんだかんだと言って、ディスは全体的にアルヒェに弱いのだった。
「耳痛い……」
カナルもこの国でアルヒェがそう言ってから気付いたのだが、彼女はアンドロイド用通信網の電波にも感受性があるらしい。
たいていが警報を受信した時だが。
「あー……警報か。カナルは?」
「俺の方はこの近くで大粒の雨が降って来たので注意って来てる。帰りはこの辺水に沈んでるかもな」
「日本って結構多いんだな、大雨。あと洪水……だっけか?」
アルヒェ達と出かけるのは三回か、四回目だが、夏なので既に二回、こうした集中豪雨になっている。
「俺もこんなに多いなんて思わなかったよ」
こんなに天気が変わりやすい事なんて、ディスたちはこの国に来るまで経験がなかった。
それに弱い地震なら、日本のどこかで頻発しているという事だった。
「研修ではいろいろ見たけどさ、専用のアンドロイドが必要なのかって思ったさ。実際には、やっぱり多いよな……」
実際救助が必要なほど大事になってはいないが、都市が水に浸かるほどの雨となればどこで出番が来るかわかったものではない。
「……お兄ちゃん……」
弱々しくアルヒェがディスの腕を引く。
遠くからゴロゴロと雷の音が鳴っていた。
前に住んでいた所ではめったに雷が発生することもなかったので、彼女の力には何かしら不都合のようだ。
落雷の瞬間、通信網にノイズが走るからその影響もあるのだろう。
ディスが頭に手を当てて撫でてやると表情が和らぐ。
たいていのノイズは彼女の脳に近い所にアンドロイドの部位が触れると気にならなくなる。
この国に本格的に移住するのだとしたら、多分何か対策を講じないといけないだろう。
カナルとしては恐らく自分の使ってる通信機を応用して何とかするのだろう、と思っていた。
「どこか落ち着けるところに入ろうぜ」
幸い、入ったのは大きな商業施設だ。
どこか座れるところに行ってアルヒェを安心させないといけないだろう。
アルヒェの手を引いて商業施設内を移動していると、雷が落ちる音がした。
轟音と共に身体でも振動を感じる。
「雷っていうのは俺たちにも悪そうな感じだな」
不快そうにディスは呟いて、身をすくめるアルヒェの頭を何度も撫でてやる。
「俺の通信機にノイズ走るから、悪いことは悪いんだろうぜ。んで、どこか休憩スペースありそうか?」
入り口の案内板を睨むディスに、カナルは聞く。
「飲食店は上の方の階らしい。思うんだが、このフードコートとやらでは駄目か? 二階らしいが」
「俺もよくわからん。でもいいんじゃないか?」
カナルはディスより日本に馴染んだが、人間の生活に密着した事には不得手だ。
こういう事柄なら、元々人間の生活と密着していたベルの方が得意だろう。
エスカレーターで二階に上がって目的のフードコートに到着したが、見た感じ満席か、席取りに荷物が置いてある。
「……不用心だな」
「それについては同感。子どもが一人で待ってたりするしな」
それはそれとして、席が空いてなければアルヒェを休ませることが出来ない。
「ノイズ、そんなに酷いか?」
がやがやとしたフードコート内でも、雷が近くに落ちた音がはっきりと響く。
ビクッと反応するのは一部の人間で、それ以外の人間は丈夫な建物内にいる安心感からか平然としていた。
「アルヒェ、大丈夫か?」
ディスはアルヒェを気遣うがアルヒェの顔色は冴えず、ディスは困り果ててしまう。
困った様子のディスとカナルを見かねたのか、すぐ近くで座っていた老夫婦が席を譲ってくれた。
ディスはアルヒェだけを座らせようとしたが、アルヒェがそれを拒否して、結局ディスが座ってその膝の上にアルヒェが座ることになった。
アルヒェはディスにもたれかかることで、ようやく表情に余裕ができたようだ。
「すまない」
ディスはそう短く老夫婦に断りを入れた。
「いやいや、困った時はお互い様ですよ」
この国でしばらく過ごすために、ディスにも日本語基本セットがインストールされているので会話は順調に進む。
問題は方言が飛び出してきた場合に対応できないことだ。
まあ、アルヒェの外見から日本人じゃないという事はわかっているらしく、日本語が上手だと褒められてしまっていた。
しかし、この国以外ではアンドロイドと人間が対立しているというのに、外国のアンドロイドが日本にいることに疑問を持たないのか、とディスは思う。
少なくとも報道はされてる事は、確認済みだ。
珍しそうな顔はするものの、身構える様子はない。
逆に観光客の方がディス達を見るとぎょっとするぐらいだ。
その時、一瞬照明が消えて、バリバリと大気を切り裂く音が次いで大地を揺らす。
びくっと震えたアルヒェに老婦人が話しかける。
「あらあら、大丈夫ですよ」
アルヒェは日本語が分からないはずだが、ディスとくっついていると翻訳機の代わりになって老婦人の言葉の意味が伝わった。
こくんと頷いて、不安そうにディスを見上げる。
「もう少し我慢してくれ」
いつの間にか傍にいたはずのカナルがいない、と思えばカナルは飲み物を調達して戻ってきた。
「もう少ししたら、雨止みそうだぜ。連絡が来た」
アルヒェに紙でできたカップを渡してやり、カナルは言う。
「あらあら、ご苦労様ね」
カナルが災害支援型アンドロイドだとわかったのか、老婦人はそんなことを言う。
「いやぁ、俺はまだ研修中なもんだから」
その後老夫婦とは少し話して別れを告げた。
「まあ、雨が止んだとしてもしばらくは近くに雷雲があるし、アルヒェの調子が良くなったら帰ろうぜ。ベルがどっかで難儀してないといいけど」
「俺としてはアルヒェの調子さえ戻れば問題ない。ベルは恐らく雨の時点で戻ってるだろう」
「アルヒェが濡れる事も考慮してか?」
「前回雨具が全く役に立たなかったからな」
前に急な降雨に遭遇した時には傘を持っていたのだが、土砂降りの中では役に立たずアルヒェの肩から下がびしょ濡れになってしまった事があった。
あの時はタオルを持ってきてないことを後悔して、仮住まいに戻った時にベルに怒られたものだ。
「お姉ちゃん、怒るかな?」
不安そうに言ったアルヒェにディスは言う。
「アルヒェが元気なら問題ないさ」
ベルも悪気があったわけではない。
かつて主人を失った経験から、ただアルヒェに対して過保護なだけだ。
雷の音が遠ざかって消えていくまで、彼らはそのまま会話を続けた