黒い贈り物
お気に入りの豆の珈琲をいれる。とある政治家曰く、『悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い』珈琲を。豆から引いて、サイフォンで。カップは古くから使っているお気に入り。
仕事を引退した気楽な身体、冬の午後、外の気温は低く、雪が舞っているが、室内は最適な温度に整えられている。辺境で、昔のように石油ストーブにあたり、それでも寒いから、ニット帽子とマフラーを、室内で着けていたころをふと思いだす。懐かしいが、もう一度戻れるか?というと、無理かなと思う。老骨という程ではないが、人間贅沢には慣れるものだな、と、自嘲してみる……おお、なんだかかっこいいな私。
妻は、友人達と観劇へと出かけている。宝塚だったか?正直興味は薄い、互いの趣味にはあまりつっこまないようにするのが、夫婦円満の秘訣だと、昔聞いたことがある、実践してみるとこれはこれで気楽である。もっとも食道楽であるのは、お互いさまではあるのだが……。
珈琲のお供は、昨日妻からもらったチョコレートである。昨日はバレンタインデーであった。古来から脈々と続けられてきた製菓業界を中心としてきた企業戦略も、昨今は伝統芸能的な立ち位置になってきたのではないか?と思う。少なくとも、現在は消滅している、『おせいぼ』や『なかもと』という行事よりは、よほど市民権を得ている。
奇麗な包装紙を丁寧に取り去っていく。貧乏性かな?とも思うのだが、美しい紙を無惨に引き裂くのは、なんともはばかれる。まあ、幾つになっても、プレゼントというのは特別なものなのだろう、無下に対処することができない。箱の中には、レイアウトも鮮やかに、黒や茶色のチョコレートが並べられている。中には、銀紙で包まれているのもある、ボンボンだろうか?
最初に食べるのは、小さな黒い、丸型のもの、やはり大物は最後に取っておかなければな……。いくつかの、チョコを、お皿に移しておく。箱のままで食べると食べ過ぎるからだ。一度食べ過ぎて、叱られたことがある、血糖値というのは厄介な数値だと思わないかな、あなた?
甘いく黒いお菓子を口にいれる。まず淡い甘みを感じる、なめていくうちに、カカオの苦みと砂糖の強烈な、しかし上品な甘さが口の中に広がる。そこで、件の珈琲でを口に含む。珈琲の香り苦みが甘い口の中を整えてくれる。そして、また次のチョコを食べる準備をしてくれる。
幸せである。いくらでも食べることができそうであるし、じっさいいくらでも食べられる。長年、この時期の朝食や、間食は全てチョコレートであったなと、思い起こす。食生活が壊れているね、と若い時に、妻に笑われていたなと思い出す……ああ、今朝も言われたような気がする。食べ過ぎないようにねと注意されたな、あの頃と変わっていないなあ、と苦笑いである。
さて、妻の愛情が込められたチョコであった……が、それとは別に、じつは秘密のお楽しみがある。妻以外の愛すべき女性からの贈り物の、チョコレートである。あえて言おう、浮気であると。まあ、プラトニックではあるが、幾つになっても恋心を忘れないというのは、夫婦間での生活を行う上での、スパイスであると、言うことにしておきたまえ、甘いスパイスだ。
それにしても、もっとも、大事な点は、妻には内緒なので、いくら食べても叱られないということである、そこが大事か?私。
珈琲のおかわりとともに、隠しの引き出しから取り出した、チョコレート箱を用意する。
毎年、このチョコレートは郵送で届く。完全民営化したのち、破綻した郵便事業(あの頃の郵便事故はヒドかった)が、再度国営化されたのち、安定した運営をおこなっている郵便屋さんに感謝である。とくに、妻に内緒で届けてくれるようなサービスは最高であるな。
古いデザイン、伝統的なといってもいいかもしれない包装紙。 丁寧にあけると、いまどき珍しい”カンカン”の箱。蓋を止めているテープを、カッターで切ってはがし、ぱかりと開ける。中に飴のように銀紙の両側を絞って包まれたチョコレートが、無造作に、ぎっしり。
一つとりだし、くるりと銀紙をむく。中からはいびつな形をしたチョコが出る。ひょいと口の中に放り込み、噛み締める。ぎゅにゅっという歯触りとともに、甘いチョコが割れ、中から林檎の砂糖漬けのようなものが出てくる。それを、もぐもぐと咀嚼する。チョコの甘みと、林檎の甘みがまざりあり、さっぱりとした、爽やかな甘味が口の中に広がる。こくりとそれを飲み込むと、次のチョコの包みに手を伸ばす。しばらく無心で、数個食べ続ける。
神戸のとあるメーカーが作っている、林檎の甘露煮をビターチョコレートで包んだものだが、私は、小さいころから、これが大好物なのだ。
もったいないから、食べ過ぎないようにしないとな、と思いつつ、手が止まらない。
少し冷めた珈琲がこちらを恨めしそうに見ていた。浮気してすまんな。
***
「そうなのよ。あの人は気がついてないと思っているけど、私にはお見通しよ」
旦那が、自分には内緒で、とある女性からチョコレートを貰っているのよ、という話しを、観劇の後の喫茶店で友人に告げる妻、しかしその顔はニコニコと笑っている。
「あるでしょ?この季節のチョコの宅配サービス。あれよあれ」
「なるほど、では浮気ではないとおもっているわけだ」
「うーん、どうかな。そこに愛はあるとおもうわよ、ええとつまりね、家族愛かな?」
「というと、送ってきているのは”母親”かな?」
「えーと、どうなるのだっけ?確か、彼の、ひいひいお婆さんかな?」
「??」
「彼ってね、小さい頃人見知りで、あまり友達とかいなかったの。女の子の友達なんてもちろん一人もいなくてね……だから、チョコレートのプレゼントなんか貰ったことがなかったの。で、そのお婆さんね、可愛いひいひい孫の彼に送ることにしたのよ。けど、その当時、遠くにいたものだから、webの通販で頼んだのよ」
「なるほど、しかし随分長生きだね」
「当時では普通かな?」
「あれ、その言い方だと今は亡くなっているのかな?」
「ええ、20年くらい前だったかな。大往生でした」
「……、それなのにチョコは届くの?」
「あまり機械に強くない年代じゃない?注文のときの入力で、うっかり、150年分くらい注文しちゃったらしいのよ」ころころと笑う妻。
「それはすごい」
「義母に聞いた話しですけどね、どうやら入力フォームにひいひいお婆さま、自分の年齢をいれちゃったみたい。まあ、料金も既に払い込んでしまったし、キャンセルするのも験が悪い、と、それに、『これで当分この時期にはチョコレートに困らないでしょ』と開き直って彼に言って、笑っていたそうですよ」
「豪快な人ですね」
「色々とすごいエピソードのある方らしいわよ、若いときには星系外を飛び回っていた冒険家だったんですって、で、旦那様はそのお婆さんが大好きだったのよ、というか今でも好きでしょうね」
「なるほど」
「いまごろ、お気に入りの珈琲を飲みながら、家でチョコを食べてるわね」
「ところで、僕にはチョコはないのかな?」
「どうしようかなー」
悪戯っぽく笑う人妻でした
ちょっと、かなり、未来の物語
甘い幸せを皆様に