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皇妃さまは艶やかに笑う  作者: 田上 みあ
皇妃さまは今日も悠然と微笑む
6/22

◇3

 アスナルト帝国の宮廷は、大きく四区画に分けることができる。一番奥まった場所に存在する後宮、ここには皇帝の女たちと成人前の皇女たちが住んでいる。それに並んで建てられた、皇帝と皇子、成人した皇女たちが住まう東宮。そして中程にある内宮と、一番外側に作られた外宮である。外宮には議事堂や、政府の各部署、他国の役人などとの謁見の間、などがあり、内宮には皇帝の執務室を初め、各重要な地位にある貴族たちの執務室などが存在した。地方に領地を持つ貴族たちなどは、仕事をする間、帝都に住居を持つ者もいたが、しかしそのほとんどは宮廷内で生活をしており、そのようなものたちの部屋も、内宮に用意されていた。

 

 内宮の奥まったところにあるエドヴァルドの執務室に、入室の許可を求める声が響き、エドヴァルドは読んでいた報告書から顔を上げた。


「誰だ?」


「宰相のセドリック様でございます」


 エドヴァルドの声に、執務室の手前にある控えの間に待機していた侍従が返答した。


「セドリックか、よい、通せ」


 エドヴァルドの声とほぼ同時に執務室の扉が慌ただしく開かれる。


「どうした、そんなに慌てて」


 入ってきた者の少し取り乱したような様子に、エドヴァルドは笑いながら問いかけた。アスナルト帝国の現宰相セドリック・オルブライトの、そのいつもぴっちりと隙なく整えられている銀髪が少し乱れている。


 エドヴァルドよりも一回りほど年上の、現オルブライト伯爵の弟であるセドリックは、同時にエドヴァルドが幼少の頃の師でもあった。若い頃から切れ者として知られ、いつも冷静沈着のセドリックを慌てさせる存在は、今のところエドヴァルドには一人しか思いつかない。


「もしかしてまた我が皇妃が何かしでかしたか?」


 エドヴァルドの問いかけに、セドリックは渋い顔を作ることで答えた。


「そのとおりです、陛下。皇妃さまが今からこちらにこられるということで……」


 少し落ち着いてきたのだろう。セドリックは乱れていた自身の髪を軽く整え直して、言葉を続ける。


「全く、皇妃さまは相変わらず。妃とは本来、後宮から気軽に外にでられるものではありません。それを陛下が甘い……」


 セドリックの小言を聞いている最中、廊下の奥からざわざわと聞こえる喧噪が、だんだんと自身の執務室に近づいてきていることを、エドヴァルドは気付いていた。そして、延々と続くかに思えたセドリックの小言を遮るように大きな音を響かせて、執務室のドアが開け放たれる。


「陛下、ご機嫌麗しゅう!」


 現れたのは、エドヴァルドの想像通り、彼の皇妃ユスティーナであった。


 ユスティーナは、エドヴァルドに向かって悠然と微笑む。





「陛下、ご機嫌麗しゅう。お仕事中のところ申し訳ありませんが、陛下に緊急のお話がございますの。お邪魔させていただいてもよろしいかしら?」


 ダメだと言ったところで聞くつもりないだろ、お前。


 とは、この部屋にいる者たち全員の心の声だっただろう。


「申せ」


 エドヴァルドは、ゆったりと椅子に座り直し、頬杖をついてユスティーナに先を則した。彼女の勝手気ままな振る舞いなどいつものことだ。


「ありがとうございます、陛下。ではまず……」


 エドヴァルドの言葉に微笑むと、ユスティーナは、エドヴァルドの執務机の前に据えられていた応接用のソファーにゆったりと腰を落とした。ユスティーナの侍女頭であるマリアンが、ユスティーナの前のテーブルに何やら書類の束をそっと乗せる。


 書類。書類ね。エドヴァルドは、ユスティーナの目の前に置かれた書類の束に目をやり、今度もダメだったか、と心の中でひっそりとため息をついた。エドヴァルドの脳裏に、ついこの間自身の寵妃の名を与えたばかりの、黒髪の美女の姿が浮かぶ。政務疲れが続いていたところに、ハメルーン王国から自分好みの女がやってきて、しかも王女だしなと期待していなかったことがまさかのあれで……つまり気持ちよかったということなのだが。それでエドヴァルドは、ついほぼ毎日のようにフレアの下に通ってしまったのだった。三ヶ月ほど続いていた問題がやっと解決して、ようやくあの激務から解放されたというその開放感も重なって。激務の間は色々とご無沙汰だったし。

 

 エドヴァルドの苦虫をかみ殺したようなしかめ面を見て、ユスティーナはくすりと笑う。


「ふふ、陛下。私が何の話をしに来たかお分かりのようですわね」


「……フレアのことであろう」


 渋々と答えるエドヴァルドを、嬉しそうに見ながら、ユスティーナは頷いた。


「ええ、そうですわ。そのフレアとかいう女のことで、私、少し陛下にお話がありますの」

 

 エドヴァルドが頷くのを見て、ユスティーナはその美しい唇をゆっくりと開いた。






「では、申し上げさせて頂きますわ。まず、陛下のその盛りのついた犬のような振る舞いはお止め下さいませ。一ヶ月もの間毎日毎日フレアごとき女の下に通いつめて、他の女たちのことをおろそかにするなど、言語道断ですわ。少なくともご自分で寵妃の名をお与えになられた女性たちに対しては平等に接するべきなのではなくて? そうではないのでしたら寵妃の名を取り消しなさいませ。後宮の女たちの間に無闇に波風を立てるのは、皇帝としても、男としても、いかがなものかと思いますわ。陛下の器の小ささに、私、少々がっかり致しました」


 そこまで一気に言いつのると、ユスティーナはいつの間にか目の前に置かれていたハーブティーを一口、口に含んだ。ユスティーナの好きなレーニア地方名産のハーブティーである。ユスティーナは自分の侍女頭であるマリアンに顔を向けて、ありがとうの意味を込めてちらっと微笑むと、再びエドヴァルドの方に視線を移して、美しい笑みを浮かべる。


「さて、それでフレアとかいう女のことですけれど。こちらの書類をごらんになって頂けますか、陛下」


 ユスティーナから書類を受け取ったマリアンが、執務机の椅子に座って、憮然とした顔をしているエドヴァルドにその書類を差し出す。しかしエドヴァルドは、さっと書類を一瞥しただけで、バサッと机の上に書類を投げ出した。


「それで?」


 事も無げに言い放つエドヴァルドに、ユスティーナは笑みを絶やさず答える。


「そちらは、後宮の経理関係の報告書ですわ。お分かり頂けますわね、陛下。本来、後宮にきっちりと決められた予算はありません。ですが、以前私が提案したお話を思い出して下さい。妾妃にはそれぞれ年間20万ノア、寵妃にはそれぞれ年間10万ノアを基準に、その他の女たちと後宮諸経費を含め、後宮の予算は年間200万ノア程度までで抑えるべきです、と提案させて頂いたはずです。明文化されているわけではありませんが、私はこれをできるだけ遵守するようにと後宮の者たちに通達しております。他の者たちは私の言うとおり、多少の贅沢はありますけれど、ある程度守っていると言えますわ」


 ユスティーナの言葉に、エドヴァルドは先程机の上に放り投げた書類を再度手にとり、フレアの経理関係についてかかれた項目を探し出す。


「……別に、そのユスティーナのいう予算の幅はこえていないではないか。フレアは寵妃だ。まだ、9万ノアしか使ってはいない」


 ボソボソと苦しい言い分けをするエドヴァルドに、ユスティーナはその美しい眉を思わずつり上げた。


「まだ? まだですって? 私、少し耳が悪くなったのかしら。何やら幻聴が聞こえますわ。陛下、フレアとかいう女が寵妃になったのはいつからでございますか? 私が調べたところによりますと、まだ数週間しか経っていないはずではなくて? その経った数週間で、年間の寵妃の予算のほとんどを使い込むだなんて、どこのあばずれですか!!」


 フレアに対しての、ユスティーナの「あばずれ」発言には訳があった。ハメルーン王国にいた間のフレアの生活についての調査報告書に記された、フレアの私生活。ハメルーン王国の第4王女であったフレアは、その容姿から国王に溺愛され、甘やかされて育った。周りにちやほやされて育ったフレアは、大陸一の貧国と噂されるハメルーン王国の国費では賄いきれない自身の欲望を満たす資金を得るために、自分の容姿を利用して自国の資産家のみならず、遊学と称して訪れた先の国の大商人や大貴族、時には秘密裏に王族とも、身体の関係を持っていたと記されていた。しかも彼女は、かつて子供を一人堕ろしている。


 そんな王女を、堂々と友好の証にと差し出してきたハメルーン王家にも、自身の行いを恥とも思わず堂々と我がアスナルト帝国の宮廷に乗り込んできた王女に対しても、ユスティーナは怒りを覚えた。完全に帝国を、皇帝を馬鹿にしているとしか思えない。しかし同時に、ユスティーナは彼女に対する哀れみも感じていた。


 フレアの父親である現ハメルーン国王は、フレアを溺愛していると見せてその実、フレアの奔放な振る舞いを外交に利用していた。おそらくフレアは分かっていないだろうが、フレアが関係を持っていたとされる人物たちは、その大半が、ハメルーン王国の利害に一致する人物、あるいは要職についていた者たちであった。今回のアスナルト帝国の後宮入りも、その一環であろう。エドヴァルドは、大陸でも類を見ないほど容姿端麗な男であった。しかも、大陸髄一の大国であるアスナルト帝国の皇帝でもある。彼の者の心を手に入れたいと願う女性は、星の数ほど存在するだろう。フレアは、お前ならきっと皇帝の心をつかむことができるとかなんとか、ハメルーン国王に唆され、アスナルト帝国の後宮に入ることを承諾したのだろう。


「しかも何に使ったのかと思えば……ティラノプトの宝玉とは!!」


「ティラノプトの宝玉だって?!」


 ユスティーナの言葉に、セドリックが思わず声を上げた。


 ティラノプトとは、アスナルト帝国が面しているアーリアナ海洋上を生息域としている海鳥の名である。大きいものだと全長5mほどになる巨鳥である。ティラノプトはアーリアナ海に点々と存在する小島に巣を作り、人の生活区域に近づくことのほとんどない。そのためティラノプトの生態は、未だに謎が多い。そのティラノプトが、巣を作る際に必ず一つ生み出すと言われているのが、ティラノプトの宝玉と呼ばれる美しい石である。その美しさと希少性から、ユーリアナ大陸で最も高級な宝玉の一つであった。ティラノプトの巣は、人がほとんど生息していない小島の、さらに断崖絶壁部分に作られている。巣に近づくことだけでも命がけであるのに、さらに親鳥のいない時間帯を狙わなければならず、ティラノプトの宝玉の採取はほとんど不可能に近かった。多くの者たちが、一攫千金を狙ってティラノプトの宝玉の採取に挑み、半分は巣に近づく前で命を落とし、さらに半分は親鳥に見つかってその命を散らしていった。巣から雛を盗んでティラノプトの飼育を試みた者もいたが、成鳥する前に亡くなってしまう雛がほとんどで、運良く成鳥したとしてもその鳥が宝玉を産み出すことはなかったと言われている。ティラノプトの宝玉は、小さいものでも最低でも数万ノアから、高額になると数百万ノアはする。小国一つなら簡単につぶれてしまうだろう。


 ユーリアナ大陸で最も高額のティラノプトの宝玉が、実はアスナルト帝国に存在する。皇帝の王冠の真ん中に備え付けられた一番大きな宝玉がそれである。その大きさ、質ともに最高級品であると言われており、その資産価値は計り知れない。


「フレアがティラノプトの宝玉を購入したと申すのか?」


 さすがのエドヴァルドも驚きで目を見開く。


「後宮に出入りしているルディアナ商会は、ティラノプトの宝玉の売買で財を成した商人です。腕の良い宝玉採取人を抱えていると聞きます。小粒の宝玉を採取できたのでしょう。私はルディアナ商会とはほとんど取引をしておりませんから、皇帝の寵妃に話が入ってもおかしくはありません」


 ユスティーナの言葉に鋭さが増す。


「私が最も許せなかったのが、これです。ティラノプトの宝玉を、皇帝の寵妃ごときが身につけようとするなど、ありえません。何様のつもりですか。しかもそれを国費で購入するなど、言語道断です! 国民が、私の民が、汗水垂らして働いて納めた税金ですよ! つまり私のお金です!! この私が、慈悲で彼女たちに使うことを許してさしあげた予算で、このような無駄な買い物をするなど、断じて許せません!! この女を即刻追放して下さい! このような女は、この国に必要ありません」


 ユスティーナの迫力に、一瞬場はしんと静まりかえった。


「……別に国費はお前の金ではないぞ」


 何とかそうユスティーナに反論すると、エドヴァルドはもう一度手元の書類を見直した。ユスティーナの発言は所々おかしいが、しかし言っていることは正しい。後宮にかかる金で国庫を圧迫するなどもってのほかである。後宮の女たちの浪費は慎むべきだ。


 エドヴァルドは有能であり、かつ武力にも優れ、容姿端麗で、性格も比較的穏やかである。国民からの人気も高いすばらしい皇帝であったが、唯一の欠点として女性への甘さがあった。なまじ財力があるだけに女たちからの要求には比較的寛容であり、ユスティーナが嫁ぐ前の皇太子時代には、関係のあった女性たちに多くの宝飾品を買い与えていたし、即位後に後宮を持つようになってからも、ユスティーナが気付くまで、後宮の女たちは自身の望むままに衣装や宝飾品を購入していた。


「陛下のお金でもありませんわ」


 ユスティーナはエドヴァルドの反論ににっこりと笑顔で返すと、すっかり冷え切ったハーブティーを飲み干した。


「……そうだな、分かった。フレアの寵妃の名を解こう。しかし、仮にもハメルーン王国から友好の証として送られた王女だ。追い出すことはできん」


 エドヴァルドの言葉にユスティーナは頷く。


「ええ、それは分かっておりますわ。ですから、北端の間に部屋を用意しましたので、ご安心下さいませ」


 北端の間とは、文字通り後宮の最北端に存在する部屋である。日当たりも悪く、また妾妃、寵妃たちが与えられる部屋が存在する南端の間から最も遠方に位置する。つまり事実上、皇帝のお渡りの終わりを意味していた。


「そうか、ではそのように」


 エドヴァルドの了承をもって、フレアの栄華は終わりをつげた。短い春であった。






「ああ、疲れたわ」


 エドヴァルドの執務室を退室して後宮に戻る最中、ユスティーナは小さく嘆息した。


「ご苦労様でございます、ユスティーナさま。本日はすぐに湯殿に向かわれますか?」


「そうね、そうするわ」


 自分を気遣うマリアンににっこりと微笑むと、ユスティーナはそれからふっと立ち止まった。それに合わせて、マリアンと、周りを囲んでいた護衛の騎士たちも止まる。


「ねぇマリアン。後宮はうるさいところね。私の大好きなユフレリアの花を静かに眺めたくても、花園にはそこかしこに女たちがいて、醜い言い争いをしているのよ。もううんざりよ」


 そうマリアンにこっそりささやくと、ユスティーナはマリアンの返答も待たず、何事もなかったかのように再び歩き出した。


 ユスティーナの歩く道の端に、ユフレリアの花が一輪、ひっそりと咲いていた。




*******




 結局あの事件がきっかけで、ユスティーナはこの花園を作るようにエドヴァルドに頼む。フレアの件でユスティーナをかなり怒らせてしまったため、エドヴァルドはしぶしぶであるがこれを認めた。フレアの浪費は、実は9万ノアだけではなかったのだ。フレアの所持品を不審に思ったエディアルドが再度調査を命じたところ、ルディアナ商会からの賄賂を受け取っていたことが判明したのである。ルディアナ商会は罰せられ、もちろん宮廷への出入り禁止となった。エドヴァルドがフレアを甘やかした結果であった。


 フレアが北端の間に追いやられる際、フレアが国費で購入したものや賄賂として受け取ったものは全て取り上げられ、侍女も全て外された。フレアから押収した品々は、「馬鹿な女の使用した品など見たくもない」というユスティーナの言葉で、ティラノプトの宝玉を含め全て売りに出され、その金は全て全国各地の孤児院に寄付された。ユスティーナがこれまでに後宮から追い出した女から取り上げた品々も、同じようにして全て孤児院へ寄付されていた。「皇帝陛下の役に立たないのだから、せめて次代を担う子たちの役に立つぐらいはせよ」というのがユスティーナの言い分である。ユスティーナの名で寄付されていたわけではないが、国民の間ではこの噂は広まっており、結果としてユスティーナの人気を上げることとなった。ユスティーナ本人には国民の支持など全くどうでもいいことではあったが。


 ユスティーナの花園の造園のための金は、このフレアからの押収品の一部から捻出された。


 後宮で一番の浪費家は、実はユスティーナであった。


「ねぇマリアン。いつも言おうと思っていたのだけど、マリアンのいれるハーブティーはいつも最高に美味しいわね」


 皇妃さまは今日も、悠然と微笑む。


後宮予算のところで手が止まりました。

金持ちの金の使い方が庶民には全く想像がつかない!!笑

具体的な値段を言わなくてもいいかと思ったんですけど、やっぱそこはユスティーナだからなあ…と。

中世ヨーロッパの貴族社会をちょっと調べてみたんですけど、日本円換算がよく分からなくて…しかもべつに後宮なんかなかったしなあーあーどうしよー!

って悶々としてましたが、とりあえず適当に当てはめました!

つまり、色々スルーでお願いしますww


細かな設定のダメさは置いといて、とにかく完結させるのが目標です!!

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