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皇妃さまは艶やかに笑う  作者: 田上 みあ
皇妃さまは今日も玲瓏と笑う
20/22

◇7

「私がまだ子供だった頃、私はあなたに会ったことがあるのよ、グレゴリー」


 ユスティーナの話は、そんな突拍子もない言葉から始まった。何の関わりもない地方の小さな村に住むただの平民と、元公爵令嬢にして、現皇妃であるユスティーナが出会っていたなど、誰が信じられるだろうか。ユスティーナの言葉を聞いて、グレゴリーはもちろん、マリアンも驚いたようにユスティーナを見つめる。


「あんたと俺が? 一体どこで……」

「あなたが知らないのも仕方がないわ。正確には、私が一方的にあなたを見ていただけだもの。10年以上前のことね、あなた、海で遭難したところを助けられて、リヴィエで保護されたでしょう? かつてのローレンシア公国の港町よ。今ではチェチュンに飲み込まれてしまったけれど……」

「何故それを……」


 ユスティーナの言葉を聞いていくうちに、グレゴリーの目は徐々に驚きで見開かれていく。


 アスナルト帝国より少し東、ユーリアナ大陸の東の端に位置するローレンシア半島には、かつてその半島の名前の由来となったローレンシア公国の他、バレリア公国、サンティシア公国、の三つの公国が存在していた。しかし数年前、三公国はチェチュン連邦に統合されてしまった。三公国と連邦の間に大きな戦が起きたわけではなく、対外的には話し合いによる平和的統合ということになっているが、連邦側からの強力な圧力があったことは間違いないだろうと言われている。当時の三公国の力を合わせても、連邦の圧倒的な軍事力には到底敵わなかったことは火を見るより明らかであったし、また統合した後、三公国のそれぞれの大公家の者たちが全て、不自然な病死を遂げていることから、周辺諸国はチェチュン連邦のきな臭さを感じてとっていた。


「私の父の仕事に着いていったときに、たまたまそこに居合わせたのよ。あなたはちょうど、取り調べを受けているところだったわ。確か、我が国から出港した船が、公国の沖で転覆してしまったために、流された、とそう証言していたわね。自分以外の乗組員は全て溺れ死んだ、と。当時は確かにあのあたりでの海難事故が多かったから、公国側はそれを信じたようだけれど……本当は違ったでしょう?」

「……」

「私と、私の父の他にね、その場にもう一人いたのよ。当時のセルドランの執政官、モルトナ子爵が。彼はものすごく優秀な方で、一度見たことのある人間の顔は絶対に忘れないそうよ。あなたはその当時よりもさらに20年ほど前、セルドラン港からオーランド大陸への渡航を試みた船団に乗り組んだ、乗組員の一人だったのではなくて、グレゴリー・ハノーケン? 彼は若い頃のあなたを見て、こう思ったそうよ。この若さで無謀な賭に挑戦するのか、と。結局その船団は、戻ってこなかった。ただの一つもね。でも驚いたことに、あなたが現れたの。20年も経って、突然ね。でもあなたは、嘘をついた。あなた本当は、オーランド大陸から渡って来たのではなくて?」

「仮に俺が、その船団に乗っていたとして、何故オーランド大陸に渡ったと思うんだ? 船団は戻ってこなかったのだろう? 何らかの理由で沈没したあと、この大陸の、帝国ではない別の国に運良く流れ着いて、ずっと過ごしていたのかもしれないじゃないか」

「ではそう言えば良かったのでは? 何故嘘をつく必要があったの。帝国から出港した、と。あなたが乗った船が出港した記録は、当時の帝国のどの港にもなかったわ」


 ユスティーナの返答に、グレゴリーははっとしてユスティーナを見つめた。


「調べたとでも言うのか?」

「そのとおり。そんなこと、何の造作もないことよ。それほどに、あなたの存在は私にとってとても興味深いものだったわ。あなたは知らないかもしれないけれど、当時、ローレンシア半島の別の場所で、数人の、オーランド大陸の民と思われる死体が見つかっていたの。彼らが纏っていた服は、あなたが着ていたものとそっくりだった。極めつけは、この石。ここユーリアナ大陸ではただの石ころ同然のこの石の価値を、平民であるあなたが知っているのは何故? 答えは一つ。あなたがオーランド大陸から、オーランドの人間とともに、この大陸に渡ってきたから。違うかしら?」


 ユスティーナの問いに、グレゴリーはしばらく何も答えなかった。じっと俯いて、何事かを考えているようだった。ユスティーナはその間、ただ黙って彼を見つめていた。オーランドに渡り、帰ってくることができた。幾人もの人間が挑戦しながらも、未だかつて誰も成功することが出来なかったその偉業を成し遂げたという事実が、世間にどれほどの衝撃をもたらすかということは、グレゴリー自身もきっと分かっているだろう。しかしそれをすぐには認めない、その心境を、ユスティーナは本当に理解できているわけではない。ただ、その成功には多くの人命が犠牲になったという事実が、関係しているのではないかと推測することができるだけである。


「運だけで、生きて戻ってこれるわけがない。あなたのその経験を、役立ててもらいたいのよ、私のために。ここで無為な時間を過ごすよりも、よっぽどこの村のためになるのではなくて? それだけじゃないわ、死んでいったあなたの仲間たちの命を無駄にしないためにも、よ」


 グレゴリーはゆっくりと顔を上げて、ユスティーナの美しい黒瞳をじっと見つめた。


「俺に一体何をしろと?」


 そう言ったグレゴリーの眼に、彼の強い意思を感じ取り、ユスティーナはにっこりと微笑んだ。


「やっと私の話を聞く気になったようね、丁度良かったわ。もうすぐ、迎えの者たちが到着するころでしょうから」

「迎え? 迎えとは、どういうことですか、ティナさま」


 ユスティーナの言葉に、それまで黙って成り行きを見守っていたマリアンが、慌てて声を上げた。


「あら、マリアンには言ってなかったかしら。父に頼んでおいたのよ」


 マリアンの問いに、慌てた様子もなくゆったりとユスティーナが答えとき、小屋の扉を静かに叩く音が聞こえてきた。


「どうした?」


 ユーリがすぐに扉に近づき、尋ねる。


「たった今、ロレイン公爵様の使いの者が到着されたのですが……」

「分かった」


 扉を挟んでのやりとりを聞いたユスティーナは、ゆっくりと椅子から立ち上がり、グレゴリーの方を向いた。


「ではグレゴリー、行きましょうか。詳しいことは、私の父が教えてくれるわ」

「あんたの父親って……まさか……」


 ユスティーナ同様、兵士たちのやりとりが聞こえていたグレゴリーの顔色が、心なしか真っ青になっているように見えるのは、おそらく間違いではないだろう。この帝国の国民で、ロレイン公爵の名を知らぬ者はまずおらず、その現ロレイン公爵の一人娘が、現皇妃であることは、帝国中の周知の事実である。


「ああ、そういえば言ってなかったわね。私の父の名は、アドルフ・ルート・ロレイン。現ルート領主のロレイン公爵よ」

「も、申し訳ありませんでした!」


 ユスティーナが言い終わるかどうかというタイミングで、グレゴリーはそれまで座っていた椅子を蹴倒す勢いで這いつくばり、床に頭をこすりつける程深々と頭を下げた。


「こ、皇妃さまとは……知らず……た、た、大変無礼な態度を……と、とってしまいました。本当に……申し訳……ありません」


 どちらかと言うと小柄な体型であったグレゴリーが、さらに身体を小さく丸め、微かに声を震わせる。


 皇家の力が絶大なこの帝国において、その存在は、ただの平民が太刀打ちできる相手ではない。捉えられ牢にぶち込まれても、意味もなく殺されても、それを命じたのが皇家の者であれば、平民は反抗することが許されていないのだ。皇家の者とは、皇帝を筆頭に、皇帝の正式な妻である皇妃、そして皇太子とその妻、である。後宮の女や皇太子以外の皇子や皇女には、もちろん平民や貴族たちから敬意を払われはするが、それほどの力はない。


 今まで貴族相手だというのに決して態度を改めようとしなかったグレゴリーの、突然のその態度の変わりように、ユスティーナは思わずくすりと笑みをもらした。その笑い声にすら、グレゴリーはビクリと反応して、身体をさらに縮こませてしまう。


「面を上げなさい、グレゴリー・ハノーケン。あなたの無礼を許します。その代わり、精一杯励むのよ。あなたの頑張りに期待しているわ」


 笑い声を含んだ声でそう言うと、頭を下げたままのグレゴリーをそのままに、ユスティーナは、ユーリの後に続いて小屋から外に出た。その後に、マリアンとディックが続く。






 グレゴリーはその後、ルート領に送られ、そこで航海士の育成に関わることになる。ルート領では、強度も操縦のしやすさも、大陸中で使われているどの船よりも勝る新型の船がすでに開発されており、足りないのはそれを操る人間の腕だけだと言われていた。そこに連れてこられたグレゴリーは、自身の経験をもとに独自の航海術を構築していく。


 その後、グレゴリーの意見を参考にしてさらに改良された新型の船が、セルドランから出港し、いくらかの犠牲はあったものの、無事にオーランド大陸への渡航が成功したという一報が届くのは、もう少し先のことになる。


 それは、戦後の混乱の渦中にあったアスナルト帝国の民にとって、帝国の復興を予感させる喜ばしい知らせとなった。


 その成功により歴史に名を刻んだその船の名は、「レディ・ユスティーナ」。


 その船の船長となったグレゴリー・ハノーケンによって付けられた名である。


 渡航成功へと導いた張本人であるグレゴリーはしかし、セルドラン港に集まった大勢の帝国民の大歓声によって迎えられる「レディ・ユスティーナ」号帰港を目にすることはなかった。彼はオーランド大陸にてその人生に幕を下ろし、二度とユーリアナ大陸の大地を踏むことはなかったのである。


 彼の亡骸は、彼の妻の隣に埋葬された。その顔には、満足気な笑顔が浮かんでいたと、伝えられる。






「これで満足ですよね、ティナさま。さあ、帝宮に帰りましょう!」

「あら、何言ってるの、マリアン。これは、ついで。本当の用事はこれからよ」

「は? え? 冗談ですよね?! まさかまさか! これ以上帝宮を留守にしていたら怒られますよ!」


 ユスティーナの言葉に慌てるマリアンをまるで他人事のように観察しながら、ユスティーナは面白そうに声を上げて笑った。


「あはははは。何を言ってるの、マリアン。怒られるって一体誰に? この私を怒れる人なんてこの帝国の一体どこにいると言うの?」

「ティナさまが、ではなくて、この私が、です! ティナさまはご存知ないんですから、この私がどんなに大変な思いをしているかなんて……」


 うっすらと眼に涙を浮かべながら、マリアンは必死で訴えたが、ユスティーナは首を傾げるばかりで、彼女には全く通じていない。


「私に勝手に、私のマリアンを怒るだなんて! 大丈夫よ、そんなこと二度とさせないから」


 怒られるのはあなたのせいなんです、とは言えず、軽やかに馬車に向かって歩いて行くユスティーナを後ろから見つめながら、マリアンは深くため息をつく他なかった。


「諦めろ」


 ぽんぽんっと、マリアンの後ろを歩いていたディックに肩を叩かれたことで、さらにマリアンの虚しさが増したのはここだけの話にしておこう。ユスティーナと出会って数十年。マリアンに平穏が訪れるのは、いつになるのだろうか。


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