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グレゴリー・ハノーケンは、サノービャ村に住む年老いた男であった。この村の出身であった彼は、15歳で成人するとすぐに船乗りになるといって村を飛び出した。以来数十年、一度も帰ることがなかったのだが、十数年程前、突然帰ってきた。昔の彼を知る者たちもほとんどいなくなっていたが、彼の弟の子供たちが、ぼろぼろの服を纏い疲れ切った様子の彼を温かく迎え入れた。
すっかり衰えてしまった身体に、全身のあちこちに負っていたケガの後遺症もあって、この村の主流産業である農作業を手伝うこともできなかったグレゴリーは結局一人、村はずれに居を構え、山で採れた山菜などを食べて暮らしていくことにした。
そんな生活が何年か続いた頃だろうか、突然彼が訳も分からぬことを言うようになった。
「カリファ山には宝が眠っている」
宝だなんて夢物語をと、村の住人たちはグレゴリーの言葉に耳を貸さなかった。衰えた老人がとうとう頭もやられたのかと、笑い者にさえした。
これが宝だと、グレゴリーが持ち込んだものは誰からも見向きもされず、そんな行動を繰り返した彼は、とうとう村人たちから白い眼で見られるようになった。
老いた上に元々ケガの後遺症を持っていた身体で、無理をして山に入っていたグレゴリーは、時期に満足に歩けない身体になってしまい、もう山に入ることができなくなっていた。
身内がときどき世話をしにきてくれてはいたが、それでも流行病の被害で疲弊しきっている村にとって、頭のおかしくなった老人を養う余力などなく、グレゴリーは、自分が死ぬのは時間の問題だろうと考えていた。
毎日飽きもせず眺めている自分の「宝」を、今日も棚から取り出してぼんやりと眺める。
何故分かってもらえないのだと、この「宝」の価値に、何故皆は分からないのだと、何度悔しい思いをしただろう。この「宝」があれば、村を救えるのに……。そんな思いも、今はもう諦めていた。
彼が幼少期を過ごした村の姿は、今はもう見る影もない。
元々貧しくなっていた村が、ジウル病の被害でさらに悪化してしまったのだ。これといった特産品もなく、なにも特徴のないこのラドナ領が、それでもやっていくことができているのは、皇帝の寵妃であるリタ妃のおかげだというのは、領民たちが皆噂していることだったが、それでも、ラドナ領の端に点在にするサノービャ村のような村の貧しさを救うことはできない。
数十年ぶりにやっと故郷に戻ってこれたとき、この村の姿を見たときの衝撃を、グレゴリーは未だに忘れられなかった。
こんなにも貧しかっただろうか?
自分の胸の中に思わず浮かんだ疑問に、グレゴリーは眉をひそめた。それでもまだ、村人たちの顔は今よりも明るかった。
村に戻ってから数年間、村を救う手段はないものかと考えていたグレゴリーが「それ」を見つけたのは、本当に偶然だった。
いつものように山菜採りにでかけた山の中で、いつもは行かない山の奥の方まで来てしまっていることに気付いて、グレゴリーが慌てて元来た道を戻ろうとしたとき、ふと、見慣れぬ草が生えていることに気付いたのだ。
「これは、まさかギール草……?」
それは間違いなく、彼が数年前まで生活していた「オーランド大陸」で見た植物であった。
ユーリアナ大陸と、それよりもおそらく一回りは小さい大陸であるオーランド大陸の間に、国交はない。ユーリアナ大陸にも、オーランド大陸にも、大陸間に存在する広大な海を越えることができる程の強度な船を作る技術も、そしてその長い航海を行える程の航海術も、未だもっていなかったのだ。それでも互いの大陸の存在が知られていたのは、これまでに数人程、ユーリアナ大陸に流れ着いた漂着者の存在があったからだった。ユーリアナ大陸の者たちとは違う奇妙な言語を話す彼らが、どうやら海の向こうから来たらしいということは、ユーリアナ大陸の国々の中でも共通認識となっていた。
グレゴリーも、その漂着者の一人であった。正確には、オーランド大陸における、である。
無謀にも、オーランド大陸への航海を試みる船団の1つへ乗り込んだグレゴリーは、航海中嵐に飲み込まれ船団は崩壊してしまったが、何故か一人、見知らぬ陸地に流れ着く。餓死寸前だったグレゴリーは、そこで人々に助けられ、何とか生き抜いたのだった。
オーランド大陸での日々を、グレゴリーはきっと一生忘れないだろう。
言葉も、生活習慣も、全てが違う異世界に、それでもグレゴリーは自然に溶け込んでいった。初めに彼を助けてくれた村で、船乗りの経験を活かして生計を立てた。愛する妻も得た。子供はできなかったが、幸せな時だった。
その幸せを奪ったのも、流行病だった。
苦しむ妻に為す術もなく、彼は妻を失った。そしてそのときグレゴリーは思ったのだ。失うものはもう何もない。故郷に帰ろう。それをずっと望んでいたではないか、と。
本当に帰ってこれるとは、彼も思っていなかった。もしかしら死にたかったのかもしれない。
航海は、悲惨な結果に終わった。気付いたときには自分だけが生き残り、無事故郷に帰り着いていたことを、彼は信じられない気持ちで受け止めた。多くの仲間の犠牲の上に自分の生があることを、彼は恥じた。しかしそれと同時に、二度も命を救われたことに、心の底から神に感謝した。
だからかもしれない。グレゴリーは、何か神の役に立ちたいと願った。残りの人生を、ただのうのうと生きていくだけではいけないと思った。そしてそれが、自分の故郷を救うことではないかと考えた。
そんなときに見つけた、ギール草の存在に、グレゴリーは驚喜した。
ギール草は、ギール石が眠る鉱脈に生えると言われている植物で、ギール石を採石する目印としてオーランド大陸で知られている植物である。そのうえギール石は、オーランド大陸において通貨として使用されていた石であった。
────まさしくそれは、「宝」であった。
「宝」を眺めながら物思いに沈んでいたグレゴリーの耳に、扉を叩く音が届き、彼を現実へと引き戻した。
「グレゴリー・ハノーケンはいるか?」
音と共に聞こえる、見知らぬ硬い男の声に、グレゴリーは眉をひそめた。この家に訪れる者など、もう親戚ぐらいしかいない。それも、最近はほとんど来なくなっていた。一体誰が来たというのだ。
グレゴリーは不審に思いながらも、「宝」を元の棚の上に戻すと、痛む身体を引きずりながらゆっくりと扉に近づき、そっと扉を開けた。
扉を開けた先の、そのグレゴリーの目の前に佇む、ベールをかぶった一人の女性の姿に、グレゴリーは一瞬言葉を失った。男の声に呼び出されたため、男がいるものと思っていたところに女性がいたので驚いた、ということもあるのだが、グレゴリーが言葉を失ったのはそれとは別のところにあった。女性が身に纏っている服は一見一般的な帝国民の服のようではあるが、それは明らかに質が良く、街人たちのように日常的に着たおしている風もなく、とても、真新しい。見る者が見ればすぐに分かる、その「変装」具合に、グレゴリーは女性の存在の異様さを感じ取ったのだ。
「あなたがグレゴリー・ハノーケンかしら?」
ベール越しに囁かれたその言葉に、グレゴリーは呆然としながらもゆっくりと頷く。平民たちが使う言葉遣いとは明らかに違う、その綺麗な発音から、彼女が貴族と言われる階級にいる者であることがすぐに分かった。
「ああ良かった、まだ生きていたのね。……あなたを迎えにきました。私のために、働いてもらうわよ」
嬉しそうに言い放つ女性────ユスティーナの後ろで、マリアンとディックが深いため息をついていたことを、グレゴリーは知るよしもない。
後に「航海術の父」として広く大陸中に知られることになるグレゴリー・ハノーケンと、それを支援したとされるユスティーナの出会いの瞬間であった。
結局色々と修正を加えました。
色々と進路が定まってきました。




