彼とあたしと、鉄の処女2
前作(彼とあたしと、鉄の処女)を気にいって下さった方がいたので勢いで書いてしまいました。
タイトルに鉄の処女が入ってますが、今回はあんまり拷問器具は出てきません。が、残虐?なものと卑猥な感じの話なので苦手な方はご注意ください。
そして、実在した人物とその方が起こした事件を元にしているので、そういったものに嫌悪感を抱く方は引き返してください。
「ねぇ、阿部定って知ってる?」
私は彼にそう問いかけた。
彼はビターチョコレートのような色をしたトロリと甘い瞳を不思議そうにあたしに向ける。そしてあたしはラム酒の入ったほろ苦いチョコレートのような瞳で彼を挑戦的に見つめる。
この勝負、もらった。
あたしはひそかにほくそ笑んだ。
なんであたしがこんなことを言ったかを説明させていただくと、まず、彼はあたしが好き。うん、これは間違いない。そして不本意ながらあたしも彼が好き。・・・ちくしょー。そんでもって彼はどうやらあたしを『鉄の処女』とやらに入れて、血しぶきを上げて『愛らしい』悲鳴をあげて死ぬところを見たいらしい。とんだ変態だよ!まったく!!
とにかく、彼が言うには、交通事故や災害や病気や他殺によってあたしが死ぬくらいなら自分の手にかかって死んでほしい、と。(詳しくは『彼とあたしと、鉄の処女』を参照ね!)
勿論、そんなのあたしの知ったことじゃないし、ていうか彼氏に殺される彼女っていうのもどうかと思う。だいたい、あたしは嫌だと言ったのに、彼はまだあたしを鉄の処女に入れることを諦めていない。だから彼はじわりじわりとあたしをいたぶることにしたらしい。ことあるごとに背筋のぞっとするような残虐な話をあたしにしてくる。
悔しい。どうにかして彼を見返したい。青い顔で口を引きつらせるあたしを見て楽しむ最高にサディストな彼をどうにかぎゃふんと言わせたい。
そしてあたしは思い出した。
『サディストって他人をいたぶるのは好きだけど、自分がやられるのは堪えるらしくって、意外と打たれ弱いんだよ』
という友人の言葉を。
そこであたしは考えた。
あたしも彼がぞっとするような話をすればいいんじゃね?
「阿部定ってね、男の人の大事なところを切り取っちゃったんだって。それを大事に大事に持ってたらしいよ」
ぐふふ、という笑いは心の奥底に隠して、あたしは『聖母マリア』の微笑みで彼を見つめる。彼の大好きな鉄の処女の外見である聖母マリアのほほ笑み。
あたしの心の中は優越感でいっぱい。だって男の人の大切なところを切り取ったなんて話をしたら、男ならみんな恐怖に怯えるはずでしょう?彼に話す前にまわりの男友達たちに話したらみんな顔をひきつらせて屈んでたからきっとイケる。男にとっては下手なホラー映画より怖いって言ってたし。
けれどあたしは失念していた。
彼が普通とは違うということを。
にぃっと笑うあたしに、彼は誰もがうっとりするような優しい笑みを向けながら、あたしの手を握った。
「そう。じゃぁ勿論これも知ってるよね?」
やばい、そう思った時にはすでにあたしは彼の手中。あたしは完全に逃げ場を失った。
「阿部定が性器を切り取った男の名前は石田吉蔵と言って、30歳の定より12歳年上だった。吉蔵は妻帯者だったから定は嫉妬に気が狂ってね、次第に相手を独占するために死にたいとお互いに口走るようになるんだ。性行為中、それも挿入時に吉蔵は定に自分の首を絞めるように言うんだ。そして定が首を絞めると互いに絶頂に達したんだって」
「へ、へぇ、そうなんだ」
彼が存外に阿部定に詳しかったこととか、恥ずかしげもなく性行為とか、そ、挿入とか絶頂・・・、とかを口にしたりとか、彼のどの発言に戸惑ったらよいのか分からないほどあたしは動揺した。そんなあたしを見て彼はふふ、と笑みをこぼす。
あたしはこの瞬間、逃げ場を失うどころか形勢が逆転したことを悟った。
あぁ、また彼の話に飲まれていく。息をつく間もないくらい彼の世界に引きずり込まれてあたしが逃げ場を失ったこの瞬間、あたしの負けが決まった。
あたしは彼を男が恐ろしいと思う話をして仕返ししようと思ったから阿部定の話を持ち出したけれど、あたしは阿部定が男性の性器を切り取ったことしか知らない。今までの男たちはその部分だけで青ざめていたからそれで良かったけれど、彼にはそんな小手先は通じなかった。
もっと詳しく調べておくんだった、と思った時には後の祭りで、彼はそんなあたしを見て、逃さないとでも言うかのように握っていたあたしの手をぎゅっと掴み、空いた手であたしの腰を自分の方へと引き寄せた。彼のチョコレートのような瞳とはちみつのような甘い声があたしの体に危険信号を送る。
「1936年5月18日、夕方から定はオルガスムの間、吉蔵の呼吸を止めるために腰紐を使いながらの性交を2時間繰り返した。その後、吉蔵はこう言うんだ。『次は本気で首をしめて、殺してくれ』ってね。そしてその言葉通り、定は寝ている男を抱きしめるかのようにその首を紐で締めた」
彼はあたしの首に手をかける。力なんて入っていないのに、彼があたしを殺さないと分かっているのに、その首にかけた手が恐ろしくてかなわない。なのに彼はまるで定を再現するかのようにオルガスム、つまりは絶頂を感じているときの恍惚とした瞳をあたしに向ける。そんな彼は最高に蠱惑的でそれが更に恐怖に拍車をかける。
「『誰にも触らせたくない、彼はあたしだけのもの、もう誰にも彼と交わらせたくない』、定は吉蔵の性器を刃物で切り取って持ち去った。この時初めて定は吉蔵を独占したんだ」
彼はあたしの耳にふぅっと息を吹きかけて、くすくすと笑う。あたしはくすぐったさと、背筋を走る恐怖に身をよじらせて彼の手から離れようとするけれど、彼はそれを許さない。
定のように、彼は今あたしを独占している。それは束縛とは少し違う。彼は決してあたしを縛り付けてはいない。けれど、あたしは確かに彼のモノなのだ。
「惨劇のあった布団と吉蔵の左大腿には『定吉二人キリ』、そして吉蔵の左腕に『定』の文字を血で刻んだ。そのあと、吉蔵の身につけていた褌を腰に巻き、シャツにステテコと吉蔵の血で汚れた腰巻を身につけて逃亡した」
大好きな男を殺して、大好きな男の象徴を手にし、大好きな男の衣服を身にまとう定。大好きな男を独占したいがための行為は彼女を満足させることができたのだろうか。
あたしをその腕の中に閉じ込める彼は、定と同じようにあたしを独占したいから、鉄の処女にかけてあたしを殺したいなどと言う。きっと彼と定は同族。さしずめあたしが吉蔵、と言いたいところだけれど、もっともあたしは殺されたいなんて思っていないから吉蔵とは相容れないことは間違いない。
「3日後、定は逮捕された。だけど吉蔵の下着類はいくら探しても見つからない。警察は定が身につけていると知り、拘置所で汚いから差し出すように言った。すると定はなんて言ったと思う?」
「し、知らない」
あたしの返答に彼はゆっくりと口端を上げて弧を描く。妖しく光る瞳があたしを捉えて離さない。
「『これはあたしと吉さんのにおいが染み付いているの、だから絶対渡さない』」
阿部定がいる。ここに、阿部定が。会ったことも見たこともないのに、彼の姿が阿部定と重なって見えた。
吉蔵の下着に、吉蔵だけでなく定のにおいが染み付いている。その言葉はとてもエロティックであたしは思わず体が熱くなるのを感じた。そんなあたしを見て彼は愉しそうに目を細める。
「1941年、『皇紀紀元2600年』を理由に恩赦を受けて出所した後は吉井昌子という偽名で一般人としてくらしたそうだよ。そうそう、吉蔵の性器は東京医科大学の病理学博物館へ送られて第二次世界大戦終了後まもなく、一般に公開していたんだって」
6年で出所した定は自分の罪をどう認識しているのだろうか。6年という歳月は人一人を殺した罪を償うのには十分な期間だったのだろうか。定にとって6年は長かったのだろうか、それともあっという間の年月だったのだろうか。定の名前を捨てた昌子は吉蔵への想いも一緒に捨ててしまったのだろうか。そしてそこまで愛された吉蔵は定の手にかかって死んだことを後悔しているのだろうか。それとも満足しているのだろうか。
「だけど吉蔵もまさか自分の性器が切り取られて、博物館に送られて、挙句の果てに一般公開されるなんて思ってもみなかっただろうね。見ず知らずの人たちに自分の局部をさらけ出すなんて、なんて羞恥プレイ。いや凌辱プレイというべきか、ふふ」
殺されたのに、性器まで切り取られたのに、定よりも重い刑を科せられてるような気がする・・・。
かわいそうな吉蔵さん。お悔やみ申し上げます?
「ねぇ、ハニー?」
彼はあの時と同じように、同じ言葉と動作を行う。エリザベートの話を締めくくったあの時と同じように、空いた手であたしの頬をひと撫でし、そしてまるで愛を囁くかのようにあたしの耳元でその低音に響く声を発する。
「君は僕にナニをしてくれるの?」
彼は目を細めてあたしの顎に指をかける。白く、細く、長い綺麗な指があたしの唇をなぞり、あたしの口を薄く開けるかのように動く。
「首を絞めてもいいし、性器を切り取ってくれてもいい。そしてその性器を肌身離さず持っていて、僕のシャツやズボン、勿論下着のすべてを君が身にまとい、僕のにおいを君の体に染みつけてくれるなら、僕は喜んで君の『吉蔵』になるよ?」
あたしの吉蔵。それはとても甘く魅力的な誘い。
「だけどそれを一般公開するのだけはやめてね?だって君以外の人が所持したり見たりするなら意味がないもの」
思わずコクリと頷きそうになったけれど、危ない危ない!飲み込まれたまま深みにはまりそうだった。今私に発言が許されるなら私は間違いなくこう言うだろう。
『いやいやいや、あんたのブツなんていらないから!切り取らないから!所持しませんからーーー!!!』
誰よ、サディストは打たれ弱いって言ったの。ちっとも打たれ弱くなんかないし。
・・・・ていうか、あたし今大切なことを思い出した。彼がサディストだけでなくマゾヒストでもあったっていうことを。この場合はどうしたらいいんですかーー!?
ヒクりと痙攣する口を引き締めて、あたしは精一杯の虚勢をはる。それが今あたしにできる彼への対抗。
「吉蔵が言うにはね、性交中に首を絞める行為は快感が増すらしいよ」
試してみる?
彼はあたしの鎖骨の間に置いた指を、ツーっと下に下げ、胸の間でトンと音を鳴らす。
「え、遠慮します」
「そう、残念」
彼はさして残念でもなさそうな顔で肩をすくめた。その彼の動作であたしは彼の世界から解放されたことを知る。本当に心からホッと息をついて、あたしは彼に笑みを見せた。
「それにしても、嬉しいなぁ」
「な、何が?」
彼はまるで熱におかされた馬鹿男のようなうっとりとした表情であたしを見つめる。
「君が僕に阿部定の話をしてきたということだよ」
彼はあたしが決して、・・・決して!拷問とか残虐な性癖とかそういったものに興味を持ち始めたなんてことが一切ないと分かっているのに、なのに!まるであたしがそういった類の話を待ちわびているかのようなさわやかな笑みを浮かべた。
「じゃぁ、これは知ってる?」
彼はまるで幼い子供に内緒話をするかのようにゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「イルゼ・コッホっていう女性がいたんだけどね、夫がブーヘンヴァルト強制収容所の所長の地位にあることを楯に、収容所の構内で馬を乗り回したり、囚人に鞭を打ったり、囚人に対して虐待行為を行ったんだ。さらに、死んだ囚人の皮膚でランプシェードやブックカバー、手袋を作るなどの常軌を逸した行動のみならず、刺青をしている囚人がいるとその囚人を注射で薬殺してから皮を剥いで収集してたんだって。そうそう、彼女が工作用に人皮を入手できた理由はブーヘンヴァルト勤務のナチスの医者が愛人だったからだそうだよ」
彼はあたしが言葉を挟む隙もないまま、一気に、けれどゆっくりとした口調でイルゼ・コッホについて語った。
「僕ね、思うんだ」
あぁ、嫌な予感がする。エリザベートの時と同じような空気がひしひしとあたしの肌に突き刺さる。
「ハニーの皮膚は絶対に、誰よりも美しい手袋が作れるだろうなって」
彼はそう言うと、あたしなんかよりも数倍きれいな頬にあたしの手を当てた。ニキビもシミも黒子一つない憎らしいほど綺麗なその肌に。
「き、きっとダーリンの皮膚で作った方がきれいな手袋ができると思うわ、ふ、ふふ」
上手く笑えない自分が恨めしい。これじゃぁ怯えてることが丸出しで彼の思うつぼじゃないか!
「何言ってるんだい!僕の皮膚なんかで作ったって意味がないじゃないか。ハニーの皮膚でつくるからこそ価値がでるんだよ?あぁ、そうか、ハニーは僕の皮膚でつくった手袋が欲しいんだね?気がつかなくてごめんね。いいよ、君のためなら皮膚の一つや二つ剥いだって構わない。さぁほら、遠慮なく僕の皮膚を剥いでくれ!どこがいい?手?足?顔?ああ、それとも」
局部?
「い、いらない!!」
ふふと笑う彼はあたしが阿部定の話をすることで彼にひと泡ふかせようとしてたことなんてお見通しらしい。だからあたしに残虐でいて卑猥な話をする。それが何よりのお仕置きになると知っているから。そしてあたしが負けを認めたところで彼はレモンキャンデーのような爽やかな笑みを浮かべながら首をかしげてこう告げた。
「さて、君はどっちにする?」
どっち?どっちって何が!?
恐る恐る尋ねるあたしに彼はとても優しい笑みを浮かべた。あたしの『聖母マリア』の微笑みなんて目じゃないくらいの綺麗な微笑みを。
「阿部定のように性器を切り取るかい?それともイルゼ・コッホのように皮膚を剥いで手袋でもつくるかい?僕はどっちでもいいんだよ?どちらにしろ僕を肌身離さず持っておくことには違いないんだからね」
彼を出し抜くなんて100年、一生・・・いや死んでもできないらしい。
とりあえず、彼のシャツを身に纏うってところで手をうってもらってもいいですか。
俳優であり歌手の阿部サダヲさんの芸名の由来は、本名である阿部とこの阿部定事件からきているそうです。
阿部定もイルゼ・コッホも実在しており、彼女たちの行ったことも事実です。自分なりに調べた上で掲載していますが、言葉使いなどはアレンジしていますので、その辺りはご了承下さい。また、決して彼女たちの行為、拷問、性行為中の首絞め等を肯定しているわけでも、それを推奨しているわけでもないということを記しておきます。