『無能』な審査部の末妹を解雇した結果、街一番の商会は黒字倒産したそうです
「審査部部門長マルヴァーテ。人事委の決定に基づき、貴様を本日付けで解雇とする!」
ヴァアト総合商会、フロンス支店。
午後一の会議を終え、部下と共に執務室へ戻った彼女を出迎えたのは、上司たる兄二人と、解雇通知という名の弾劾だった。
魔界全土を股にかける大商人、『財帝』ヴァアト・ダラー。
彼の興した商会は瞬く間に規模を拡大し、今では各国、各都市にまで支店がある。
その中でも、特に重要とされる都市の拠点には、ヴァアト自身の子女を責任者として配置していた。
本部と支店間の『信用』を確保するため。そして、自身の後継者を選び出すために。
『嫡子も庶子も問わない。最も商才に秀でた者こそが、我が跡継ぎに相応しい』
ヴァアトは欠片の躊躇いもなく、そう宣言した。
流通の生命線たる基幹拠点を権力闘争の場に仕立て上げるという、なんとも豪胆な施策だった。
ここ、ザエル国・フロンス支店にも、三人の兄妹が遣わされていた。三男デルヴァ・ダラー、四男アベンス・ダラー。そして、長女にして末子たる、マルヴァーテ・ダラー。
後継争いという軋轢はあれど、三名は共同責任者として、支店を監督し、利益を上げ、ヴァアトの威光を広めなければならなかった。支店全体として結果を出さなければ、個々の実績すら評価されないためだ。
実際のところ、マルヴァーテは未成年という理由で着任早々職位を下げられた挙句、利益に直結しない閑職──退職によって欠員が生じた審査部の椅子へと押し込まれ、兄二人が競い合うように成果を挙げる光景を眺めているだけだったのだが。
「デルヴァ兄様。一応お聞きしますけど、どのような理由で私を解雇なさるおつもりなのですか?」
「決まっている、人件費の削減だ。父上から仰せつかっている上半期の利益目標。現在の経営実績では達成が厳しいことくらい、お前も理解しているだろう」
「そこで、不要な経費の削減を目的として人事再編を行う運びとなったのです」
「お父様は、『三人で』この商会を経営するよう仰っていたはずですが?」
「それは三人が対等な実力を持っていればの話だろう。父上の慧眼は、お前への愛情で曇ってしまわれたのだ」
マルヴァーテが父親から溺愛されていた、というのは偽りではない。男児ばかりの中で生まれた末娘だ。妾の子であるにもかかわらず、随分と贔屓されていた。取引、会合、晩餐会──朝から晩まで付き纏うマルヴァーテに対し、ヴァアトは文句を言うどころか、嬉々として連れ回していたのだから。
これが他の兄弟であれば、間違いなく父の怒りを買っていただろう。マルヴァーテには物欲こそ無かったが、傍目から見れば『わがまま』だけは人一倍だったのだ。
「お前はここ数年で一体どれだけ商会に貢献した? 毎日毎日飽きもせず帳面を眺めて、我らの取引に文句をつけるだけだったではないか!」
「ダラー家の血筋たる貴方が、『何の成果も挙げていない』というのは、些か頭の痛い問題ではあったのです。それに加えて、掛取引を制限されては大口の契約を締結できないと、営業部からも苦情が上がっております」
水を得た魚のように、デルヴァとアベンスは、立て続けにマルヴァーテへの不満を口にした。成果争いでいがみ合うのが常であるというのに、利害が一致した途端に息が合うのだから。自身が標的なのはさておき、マルヴァーテにはそれが少しだけ愉快だった。
ただ、彼らが持ち出してきた苦情に関しては話が別だ。掛取引の差し止めは、彼女だけの判断ではない。審査部の総意でもあった。
「その件に関しては、審査部を代表して与信情報の調査結果をご提示したはずですが」
「えぇ、確認しましたとも。その上で、異議があると申しているのです。取引先であるカバルト商会の資金繰りには、貴方が報告したような懸念点は無かったと、私の部下から報告を受けています」
白々しい顔をして、二人はマルヴァーテを非難していく。最初から庇う気などないことも分かっている。父様の判断を覆す機会を窺っていたのだろう。今回の疑義を旗印に、とうとう追い出す算段が整った、というところだろうか。マルヴァーテが跡目争いに興味がないのを、二人も知っているだろうに。いや、益にならないから捨てるのか。
「……アベンス兄様がそう仰るのであれば、私はこれ以上関与いたしませんわ」
「ともかく、我らもこれ以上見て見ぬ振りはできぬということだ。今のフロンス支店に、無能を養う余裕はない」
「私が退職するとして、来月の信用調査はいかがされるのです? 取りまとめる人材は用意しているのですか?」
「問題ない。商務から人を寄越す手筈になっている」
「調査は、それこそ貴方の部下に任せればよろしい。今までの与信記録だって、各商会専任の調査担当者が挙げた成果でしょうに」
「……そこまでご準備されているなら、私が異論を挟む余地は無さそうですね。本日付けということは、引継ぎをさせるつもりもないのでしょう? 私も、本日の業務が終わり次第速やかにお暇させていただきます」
「今すぐ出ていってくれても構いませんよ」
「立つ鳥跡を濁さず、と言うではありませんか。見るべき書類も、確認すべき項目も、まだ残っております」
「残業代はくれてやらんぞ」
「不要です。長々と引き延ばすつもりもありません」
「どうせ大した仕事もないだろう……解雇通知書だ。帰るまでには署名しておけ、忘れるなよ」
羊皮紙を机に叩きつけて、デルヴァとアベンスは去っていった。二人の姿が扉に遮られた途端、執務室内の緊張が解ける。上司たちの圧に縮こまっていた部下たちは、ここぞとばかりに悪態をつきはじめた。
「マルヴァーテ様がいなくなるって、結構まずくないですか? 担当が上手くやるっていったって、そもそも審査部の方針は、全部マルヴァーテ様が決めてるじゃないですか」
「他部門の奴がお嬢の椅子に座ったって、どれだけ役に立つんだか。利益にしか目がない連中だぞ?」
「カバルト商会って、確か仕入れ先はオクレ農耕組合でしたよね。運搬ルートが魔獣の住処になったとかで、納品遅延が常態化してるって、先々月の部内会議で話題に上がってた気がします」
「遅れに遅れた最後のツケは自分たちに回ってくるってのが分かんないのかねぇ。営業の奴らはどんな調べ方したんだ、全く」
「時間は有限ですから、調査し切れないのも無理はありません」
問題は、そんな不完全な調査を信じる側にある。審査部が手間と時間をかけてまとめ上げた情報を、営業部が片手間に調べた結果で否定するなど、それこそ経営資源の無駄でしかないだろう。
「さぁ、あなたたち。文句を言うのはもうお終い。早く次の仕事に取り掛かりなさいな。審査部の明日は、貴方たちに掛かっているのですよ」
「お嬢様のご助言抜きで、どうやっていけばいいんですか!」
「各々が情報共有を欠かさなければ、最悪の事態は免れるでしょう。まぁ、泥船には違いないでしょうが」
担当者間の情報共有、その中核を担っていたのが、他ならぬマルヴァーテであったのだ。部下たちの職位を繰り上げるのではなく、別の部門から人員を補充するあたり、己の役割は全く理解されていなかったらしい。
フロンス支店──というよりも、部下たちの今後が心配ではあるが、不要と断じられてしまったのならば致し方ない。『無能』は、大人しく退場するまでだ。
◇ ◇ ◇
「というわけで、明日から担当者が変わりますの。ご承知おきくださいまし、ガンデス様」
「…………それはまた、随分急な話じゃないか」
ダスダット物産商会本部、二階応接室。
半期に一度の定期信用調査、そのために必要な書類の受領。これが、マルヴァーテのフロンス支店における最後の仕事となった。
フロンスにおいてヴァアト商会に次ぐ財力と販路を持つその商会は、商流の集まる要地といっても過言ではない。執務室からめったに動かないマルヴァーテが直接出向いているのも、ダスダットの重要性を加味してのことだった。
「数年続いた君とのお喋りも今日で最後なんて、寂しくなるね」
「次の担当者は私以上の曲者かもしれませんよ?」
「君以上に? それは困ったな」
取引の前座でしかない、単なる書類の受け渡し。その対応を相手方の副会頭が行っているのもまた、互いの重みを如実に示していた。
ダスダット物産商会副会頭、ガンデス・ダスダット。ダスダット家の三男ながら、次期会頭候補にまで上り詰めた男だ。マルヴァーテに見せているすまし顔の裏で、一体どれだけのライバルを蹴落としてきたのか。想像できるが故に恐ろしい。
この食えない男から情報を引き出すのも、マルヴァーテが請け負っていた重要な仕事だった。
「帳簿と資産目録の複写版、確かに受領いたしました。確認いたしますので少々お待ちを」
「君が見る必要はあるのかい? 普段ならともかく、次の審査にはもう関わらないはずだろう」
「習慣ですから」
マルヴァーテとて、商会への義理立てなど端から考えてはいない。
帳簿に目を通すのだって、後任を務める部下のためにも、今ここでできる限りの情報を拾っておきたいという、ただの親切心からの行動であった。この若狐の相手は、彼らには少々荷が勝ちすぎる。
ガンデスから受け取った帳簿の一冊目──半期分の取引記録を浚ってみると、直近のページで気になる記述を見つけた。
『サベット鉱業組合』『ドドン商隊』
この商会の取引記録では、どちらも初出の名前だ。
商隊のみであれば、そう深く勘繰るようなことはない。需要の拡大や運搬経路の都合で平時と異なる商隊を利用するのは、どの商会でも見られる事例だった。
ただ、そこに鉱業組合まで絡んでくるとなれば、また見え方は変わってくる。それも買い手としてではなく、売り手側として。
ダスダット物産商会の主力商品は穀物と織物。鉱業組合と取引する必要性は薄い。目の前で優雅に茶を楽しんでいるこの男は、一体何を企んでいる? 単純に気になって仕方が無い。マルヴァーテの脳内が、好奇心に埋め尽くされた瞬間だった。
取引の詳細を探るべく、マルヴァーテは二冊目の帳簿──商品の在庫記録を確認し始めた。目的の項目は、目次からすぐに見つけることができた。
『金属加工品』
前期までの帳簿には無かった項目だ。帳簿の作成日までに取引は複数回行われており、その度に在庫が増えている。商品が払い出されたのは、今月に入ってからだ。まるで、買い付けてから売り先を探すような、そんな仕入れ方に見えた。
(購買力を提示して、信用を積み上げてるみたい)
ここまで来れば、奴の目的もある程度把握できる。どう見たって新規事業の開拓。問題は、それがどの都市で、どれだけの規模で行われるかだった。既存市場へ殴り込むつもりか、それとも……
三冊目、主要帳簿を開いて、片っ端から項目を精査していく。
収益──ほぼ変化なし
家賃──変化なし
現金残高──減少
宣伝費、給料手当──増加
最後に資産目録へと軽く目を通し、変更点が無いことを確認して、マルヴァーテは広げた全ての帳簿を片付けた。
「土地の購入計画があるなら先に伺ってもよろしくて? 差し障りがあるなら予算だけでも構いませんわよ。場所は……建設中のバルアムあたりかしら、なかなか広く出たものね」
「その心は?」
「既存市場へ参入するにしては元手が少なすぎます。発展途上の鉱業都市へパイプを作り、買い付けで信用を得た後に、自分たちの穀物と織物を流す。雇用を拡大しているのは、そこに支店を建てる計画があるから」
「九十点、流石だね」
空のティーカップを下ろし、ガンデスはマルヴァーテへ緩やかな拍手を送った。
「……揶揄ってますの?」
「純粋な称賛さ。紅茶一杯を嗜む程度の時間で、よくそこまで見抜けたものだ。ただ、あと一点だけ考えてほしい。今、このタイミングで、新規事業を立ち上げた理由。君に分かるかい?」
「会頭就任の地盤固め、とか?」
「市場戦略を任せられる優秀な商人を見つけたからさ。なぁマルヴァーテ嬢。次の就職先、ウチにしないか?」
予想の斜め上を行く回答に、マルヴァーテは飲んでいた紅茶を思わず吹き出しそうになった。白昼堂々の引き抜き。紅茶を無理矢理飲み下した後、彼女は返答よりも先に、ある疑問を口にした。
「私が解雇を言い渡されたのはつい数時間前のことなのですが?」
「酒場で君のお兄さん等が話し込んでいたのを耳にしてね。ちょうどいい機会だと思ったのさ」
「機密漏洩ではないですか……」
マルヴァーテは頭を抱えた。酔っぱらって商会内の情報を漏らすなど、商人の風上にも置けない。フロンス支店の先行きが余計心配になってきた。
「で、受けてくれるのかい?」
「入社したての元事務員を、責任者のポストに押し上げるつもりかしら? 組織の反発を招きかねませんわよ」
「元事務員? そんなもの、ダラーの家名だけで幾らでもひっくり返せる。実力は俺が一番よく分かってる。不都合は起きないさ」
「……権力争いはごめんでしてよ」
「大丈夫、もうライバルは蹴散らした後だから。君はただ、目の前の市場にだけ目を向けてくれればいい」
「家族が何と言うか……」
「他所の商会に手を貸してはいけない。なんてルールはどこにもないだろう? 競業避止の概念は、もっと浸透すべきだと思うけど」
「それは同感ですけど……」
マルヴァーテの懸念を、ガンデスは飄々と躱していく。しかし、崩れぬ笑みの裏、一抹の不安が見え隠れしている。増えていく口数、実力の誇示。彼もきっと、この場に全てを掛けているのだ。
「……本気ですのね」
「当たり前だ。もし君が頷いてくれなかったら、俺は本気で駄々をこねるぞ」
「成人男性のそんな姿見たくありませんわ!……事業の成功なんて、私には保証できませんわよ」
「そんなこと、魔王にだってできやしないさ」
そんな軽口と共に差し出された手を、マルヴァーテは、しっかりと握り返した。
◇ ◇ ◇
マルヴァーテがフロンス支店を退職した数ヶ月後。元営業部門所属・現審査部部門長、アグライヤーの元へ、とある一報が届いた。
「カバルト商会からの売掛金回収が遅れているだと?」
「はい。先方からは、あと一週間待ってほしいと」
「待つ必要はない。締め上げて手持ちの金を吐き出させろ」
「しかしそれでは、先方の経営資金が……」
「金がないのではなく、支払いを後回しにされているだけだ。先方の言い分を鵜呑みにすれば、今後の取引でも軽視されかねん」
「……承知しました」
「他の売掛金も回収を急げ。営業部門からの通達だ」
マルヴァーテの懸念は正しく的中していた。納品遅延による売掛金滞納。たかだか銀貨数十枚足らずの遅れが後の惨状へ繋がる。そう理解していたのは、マルヴァーテの部下たちのみであった。
◇ ◇ ◇
「これで三回目だぞ、流石に今回は待てないな」
「大変申し訳ございません! 来月には、来月までには全額ご用意いたしますので……」
応接室から、何やら聞き覚えのある声がする。
ダスダット物産商会への入社から約一年。バルアムへの赴任を数日後に控えたマルヴァーテは、ガンデスへ出立前の挨拶へ向かう最中だった。
ノックもそこそこに応接室に足を踏み入れる。そこには眉間に手を当てるガンデスと、頭を下げ続けるかつての部下の姿が見えた。
「泥船に乗り続けた気分はいかがかしら? タータル」
「最悪の気分です、マルヴァーテ様……」
「なんだ、知り合いだったのか。君からも何とか……いや、言ったところでどうにもならないな」
「損切りは速度が肝心。とだけ言っておきましょうか」
タータルから聞いたフロンス支店の現状は、悲惨なものだった。
カバルト商会を発端とし、複数の取引先で売掛金の回収遅延が発生した。その負債を回収しきらぬうちに、新たな遅延が発生──その繰り返しの結果、ついにキャッシュフローが焼き切れたのだ。
無理な回収を強行した結果、倒産した商会もあったらしい。倒産どころか夜逃げまでする商人も現れて、回収現場は目を回していたそうだ。
マルヴァーテの部下たちが次々に退職したのも大きな要因だった。穴埋めとして営業部の息がかかった人員ばかりが補充され、審査部は事実上の機能不全に陥っていたのだ。
「たった一年でこの有様だなんて、兄様たちはよほど功を焦ったのでしょうね」
「今月中には本部の監査委員が到着するので、結果次第では資金援助をいただけるものかと……帳簿上は、何とか黒字を維持しているんです」
そう呟くタータルの声は震えていた。焼け石に水だと、彼自身も理解しているのだろう。
「私がお父様に話を通しておいたから、負債の処理は可能でしょう。兄様たちの全財産で賄わせるそうよ。権力争いって、やっぱり苦手だわ」
「相変わらず手が早いな……ヴァアト殿は、いかがされるおつもりなんだ」
「お父様の返答をそのままお伝えするわ。『フロンスはガンデスの小僧にくれてやれ!』ですって」
「光栄の至りだよ、まったく……」
『財帝』直々の指名に肝を冷やしたのか、ガンデスは肩を落としてため息をついた。彼は知らない、マルヴァーテが、さらなる爆弾を用意していることを。
「それからもう一つ。父様からガンデス様宛に、お手紙とお荷物を預かっていますわ」
そう言ってマルヴァーテは一通の封書を取り出した。純白の封筒、封蝋には硬貨と蛇──ダラー家の紋章。ご丁寧に内容証明魔術まで施されたそれからは、厄介事の気配がこれでもかと漂っていた。
「荷物はすでに執務室へ。手紙と併せて開封するようにと、仰せつかっております」
「……一体、何が書かれているんだ」
「私も仔細は聞かされておりません。書き添えられていたことと言えば──」
「ダラー家、ダスダット家。両家の繁栄と友誼が続くことを心より願う、ですって」




