愛娘に向かってお前を愛することはない結婚してもお飾りで真に愛する女が後継者を産むので実務でもして精々役に立てと告げる現場を目撃したことで昔の悪い癖が出た大商会夫人
「お前を愛することはない」
酔いが回り始めた頭に、冷や水をかけられたような衝撃が起こる。
「え」
「私には愛する女がいる。お前如きが、平民が私の妻になれるとは思っていたのか?」
男はソラルード。今日の婚姻発表をした宴会から離れた部屋で行われていることに、顔から色がなくなっていく。血という血をなくしていくような感覚に倒れそうになる。
「泣こうが喚こうが、無駄だ。人払いもしている。貴族の言葉に比べたら平民の言葉などないに等しい」
きょろりと見ると、確かに人気がない。やけに静かだとは思ったが……え、まさか。
「後継者は私の愛した女が産む。お前の腹から生まれたと思わせてやる慈悲に感謝しろ。決してお前の血では不可能な高貴な存在の母になれるんだからな?」
ゾッとした。男の浅ましさに。
「お飾りの妻にしてやる代わりに執務を全てやれ。お前の価値など、お前の親のくだらない地味な商品を貴族達に紹介してやることに比べたら、赤字だからな」
卑げた声音に拳が握られる。
「わかったな。これにサインしろ」
話は終わったと言わんばかりにかさりと紙の動く音が聞こえる。
「頭が高い。もっと頭を下げろ」
その言葉を最後に女は扉に向かってゆっくりと手をかけた。
ギイ
蝶番の音に驚いた二人の顔が見えた瞬間、すでに頭は沸騰していた。
「え、お、お、お母さん……?」
「……は?な、なぜここに?ふ、夫人?」
女、たった今婚約者のはずの男に考えられないほどの暴言を吐かれていた少女の母は、にこりと笑みを浮かべて絶対零度の瞳を向けた。
「披露宴が素敵であなたにお礼を言いに来たの……」
決して暴力的なことはしておらず、だが相手を殺してしまいそうな気配を発しており、しずしずと室内に入っていた。
「どうしたの、二人とも?」
まるで幽霊を見たような顔をしている二人に、スッと紙を取る。
「あ、ふ、夫人……勝手をされては」
夫人と呼ばれるとしめ殺したくなるので、口を開かないで欲しい。母親は徐に窓の近くに寄り、窓を開ける。うん、いい大きさの窓だわ、と静かに呟く。
すうううううう!
『助けてください!今、娘が殺されようとしています!誰か来て!来てください!殺されてしまいますー!』
くわんくわんくわん!
拡声魔法を最大にして大声も加えたボリュームは屋敷どころか近隣の家や街にまで響き渡る。様々な現象を加えればもっと遠くに届いただろう。
「な!?え?ふ、夫人!?なにを!?」
男、娘の婚約者が止めようとしてきたので腕を振り払って。
『いやあああああ!また襲って来た!助けてええええ!殺される!殺されてしまう!始末される前に誰か来て!お願い!早く〜!』
さも、殺されそうになっている最中を思わせる言葉に男はギョッとなり後ろに下がる。
「ふ……」
無意識に笑って、引き続き叫ぶ。
『娘へ婚約者がお前を愛することはない、お飾りの妻として執務をさせて奴隷にしてやると言い、拒むと殺すと言って来たのです!誰か!誰かこのことを伝えてください〜!』
「え、な、ふ、夫人、やめろ!」
流石に殺人未遂と言われたから、母親の自分に掴みかかる。
『きゃああああ!』
一番大きい音が響き渡った瞬間、扉がバンと開かれて人がドッと入ってくる。寸前、男の緩んだ手を自分の首に移動させる。自分のことながら惚れ惚れするほどの技。
「だ、だずげでっ!ぐるじい!」
「は?え、な、ち、違う!なにもしてない!!」
「きゃああ!」
「殺しだ!」
「違うと言ってるだろう!」
娘ではない誰かの高い悲鳴が響く。これで実行犯だ。たかだか男女のトラブル、夫婦のトラブルとしてなあなあにされない。これで婚約破棄、または婚約無効のチケットが優先的に手に入った。心の中でにんまり笑う。
娘は怒涛の展開に初めはびっくりしていたが、母が外に内容をぶちまけ出した時点で慣れた様子で楽しみ始めた。うちの娘は別に内気じゃないし、母たる己の行動に慣れきっている。
「ちが、が!?ぐはぁっ!離せえー!私は何もしてないっ!濡衣だぁあああ!」
「夫人の首を絞めていただろう!」
「やってないとっ!ぐあ!?」
引き倒された男は完全に終わったな、とわかる光景が勝利を確信させる。大切な娘を馬鹿にして踏みつけた末路としては、まだまだ物足りないけれど。内心でもこの男を睨みつけたが、見た目は殺されかけて怯えるか弱い母親だ。演技しなければ。見事に擬態しているぞ自分。
皆が同情と憐憫を見せる。うまくいったことに内心、悪魔と天使が混在する。母親があっぱれ過ぎる。MVPだとのちに褒められまくることになるだろう。
娘にアイコンタクトを見せつければ、娘の瞳が安堵で緩む。意味が伝わったようでクタクタとなる。力が抜けたので、思わず近くの椅子にドサッと座り込む。
周りはショックで倒れかけているとでも思ってくれ、水やら人やらを連れて来てくれるらしい。取り敢えず現行犯で捕まる男を見下しながら、高みの見物は確定した。
違う!と叫び続ける男に黙らせてくださいまし、とヨヨヨと涙目を見せれば捕まえている腕っぷし自慢の男たちが長い布を、義理の息子予定だった彼に噛ませて静かにさせる。男たちも噛まれては敵わないと察したのだろう。
今日の逮捕劇は新聞の一面を飾るに違いない。ほくそ笑む夫人を目撃したのは娘を抱き寄せて生存を喜ぶ一方で、抱きしめ合っている苦笑に目を丸くする娘ケイトだけ。
「ああ!可哀想に私の子!」
夫になる予定の男に加害されて悲劇の女扱いする母親にフフフと笑うから、母親は泣かないでと言葉をかけて外からは咽び泣く娘の図が完成していた。
「ど、どうなさいましたか!」
ソラルードが娘に渡した用紙をコピーして原本はこちらで囲い込み、彼の親にぺらりと見せつけた。無言ながら鬼の形相で見せられた紙の中身に親は顔面蒼白、意識が飛びそうになる。
なんせ、内容は白い結婚の強要だけではなく愛人やら恋人の女が産んだ子供を、両家の架け橋としてお披露目させるタブー。お家乗っ取りの完全なる企み以外の何物でもない。
「陛下には私から提出しておきます。ご安心なさって?」
ティミスの笑みと怒りが混ざった声音が義理の親戚たちを震撼させた。これを提出されたりなんてしたら、うちの家は終わる。何か紡ごうとした親たちは夫人の手が首を指しているのを見た。
「おたくのご自慢の息子様が私を殺しかけた跡よ」
それを見た途端、誰もがこれは説得など無理だと理解した。
「お前たちは私が地獄に落とす」
*
室内の一角にお腹を押さえるように大笑いする男の声が聞こえ、若い女が止める。
「はっはっは!」
「お父様〜、笑い事じゃないわよぉ。あの時、言われたことを全部忘れちゃうくらいびっくりしたんだからぁ」
娘の抗議に父親は目尻に溜まった涙を拭く。
「よかったじゃないか。僕も見たかったな。うん」
「まさに悪を挫く成敗のお芝居みたいに綺麗に終わったわねえ」
メイン女優として大活躍した母親はシラッと娘の困った顔を見て見ぬふりをしつつ、クッキーを食べる。
娘が嫁ぐ相手として退場した男は当然、罪に問われた。言葉ではなく動かぬ証拠だ。共に企みを事前に仕込んであり、妻を婚姻後幽閉する証拠やこき使うための計画も自白剤で暴かれている。
「大商会の娘を娶ろうとして蜜だけ得ようなんて甘いわ〜」
ティミスがぽりぽりと咀嚼しながら手を振る。
「貴族だから無罪放免なんてもう古いのよね」
妻の言葉に夫は深く頷く。
「今は商人が一番力を持つ時代だ」
商人が力を持つように画策したのはティミスとノルロアの夫婦だ。ハイブリッドの娘は見事、時代の勝ち馬に乗せられて安泰である。
「お母さんの悪い癖が出たな」
夫が訳知り顔で呟くのを娘のケイトは聞き逃さない。
「やだわ、昔の話よ」
「昔の話なのについさっき聞いた気がするなぁ?」
父は楽しげに笑い、母は照れたように笑う。娘は我慢ならずテーブルクロスをくしゃっと握る。
「え、もう。お母さんの癖って何?そこまで言ったのなら教えてよ」
「いやあよ、言いたくない」
母が珍しく照れている。父は母の乱雑なアイデアを綺麗にまとめて作り出す先鋭。手腕は知っている通り一代で大商会を作り上げたことから嘘ではない。
「ティミスは昔から因果応報が好きで、ほら、小説とか」
「あ、言っちゃダメ!」
母が慌てるという行為に謎の第六感を感じたケイトは、ハッとする。そういえば自分に起きたことは小説で読んだことがある。似たシチュエーションがあると。
「お母さんもその手の小説のファンってこと?」
今の時代、世直し的な話は珍しくない。
「ふふ、違う違う。ティミスは書き手の方だ」
「書き手?」
「もう、言っちゃダメなのに……娘には偏見なく刷り込みなしで自分だけの傾向を見つけて欲しいって言ったでしょ」
ティミスがため息を吐き、クッキーをモリモリ食べる。やけ食いだろう。
「母さんの年齢では珍しくないけど」
父の言いたいことがいまいちわからず困惑する。しかし、次の言葉で吹き飛ぶ好奇心。
「元祖だぞ。うちの悪役令嬢系の作者は」
「へ?」
「ペンネームはイセコイだったな」
「はあ。もう全部バラすなんて」
ティミスがノルロアに向けてチョコチップを投げつけると、男は器用にパクッと食べる。
「え!?あのイセコイ大先生!?そんなことありえない!だって初期作品が出たのは二十五年以上前だし、読んだこともあるけど子供の拙い台詞なんてなくて洗練されてたし」
羅列する言葉にティミスが頬を真っ赤にして首を振る。
「や、やめてちょうだいっ。初期作品ほど粗がすごいのに崇められていて、修正できないジレンマを抱えたものほどないっていうのにぃ!」
恥ずかしさに悶える母を見て長年共に暮らしているケイトは本当のことだとわかってしまった。
娘は初めて知る事実に悶えた。サインを貰うべきと理解していくのに親という衝撃に、カップを持ち荒く飲み干す。
「奥様、こちら、皇室からです」
その間に母はメイドから受け取った手紙を開ける。中を読むと帝国にいるという有名な聖獣について皇帝本人が通訳を頼む内容である。父と話しているのを聞いて知って、納得した。
「なに?って、あー、あー、あ〜」
皇室や皇帝と親しいことで大商会であって、平民のままでもロイヤルな家族たちによく来たねと幼い頃からケイトは可愛がられてきた。
「お母さん古語で赤点しか取ったことないのよね」
昔、幼い娘の手を握ってボソッと遠い目をする女が心内を打ち明けた。
「話すたびに、こう……テストを受けさせられている気分にさせられてさせられて」
母の辛そうな顔に幼い娘が必死に古語を学びスラスラ話せるようになると、母親は救世主現るとこの子を何者からも守る決意をさらに固めた。
聖獣は古語という言葉を操り、常に母と皇室らとの意思疎通を喜んだ。しかし、辛い作業に皇室なんて知るものかと近寄らない母に代わり、通訳を務める偉業に感激した皇帝は覚えめでたい男を婿として紹介した。
それが事件を起こしたソラルードだ。とんだ事故物件じゃないか!とティミスは遺憾に思いしばらく通訳は休む、と言いつけておいてからの手紙だ。
「泣きついてきてるみたい」
元婚約者のソラルードは現在帝国のお膝元で、関係者全員から詰め寄られてノイローゼだそうだ。泣きついているのは聖獣だ。いとをかしを連発するからゲシュタルト崩壊しかけて、なぜ古語?とよりにもよって一番苦手な科目を通訳させられる危機。
母親たるティミスは娘の天才さ加減に真の天才はこちらだなと見抜き、苦労しないように丁寧に磨き上げた。まさかまさかの皇帝お墨付きの男が、あんなにアンポンタンなんて思ってもみるわけがない。
ケイトも現在、商会長の娘ということをひけらかさず、古語の教師といった重大な仕事をして大歓迎されている。
「泣かぬなら鳴かせて見せよ、っと」
「母さん、知ってる言葉だけ送ったらまた向こうが、意味のわからなさに混乱するわよ」
「いいのいいの。赤点しか取ったことないから。赤点女王に期待する方が間違ってるのよ」
赤点を取る、すなわち有名なものしか知らないという点が強い。皇帝も帝国も家族も己を美化して見ているときがあるから、もう少し見る目を養えばいいのに。自分は少しばかり特別な生まれというだけで単なる子供の母親だ。
娘の窘める声を聞きながら娘のために用意しておいた小旅行の計画を、頭の中で組み立てた。
⭐︎の評価をしていただければ幸いです。今回の母親は行動力が平民だったのでこうなりました。




