表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

身代わり令嬢

作者: 佐々木尽左

「ヨランダ、今日からあなたはアドリアーナ様の身代わりとして生きることになります」


 まだ十歳にも満たない私は目の前に立つ怖そうな貴婦人(おばさん)に告げられて呆然とした。この人がオデッタ・パチェッティというカッチーニ侯爵家の侍女長だと知ったのはもう少し先のこと。


 貧しいラビア男爵家の娘として生まれた私はカッチーニ侯爵家の命で両親に差し出された。理由はお嬢様にそっくりだったから。


 その結果、寄親からの支援で実家は何とかやっていけるようになった。一方、侯爵家は王太子の婚約者になったお嬢様を危険から遠ざけることができるようになる。どちらの家にも利益がある話だった。私の境遇を除けばね。


 でも、私が意見することはできなかった。転生した記憶はあっても大した才能もなく、家柄も貴族としてはほぼ底辺、おまけに貧しいともなると反抗してもねじ伏せられるだけ。だから、おとなしくしているしかなかった。


 以後の生活はそれまでとは打って変わってとても厳しくなる。男爵令嬢と侯爵令嬢では学ぶべき内容や種類が多くなるのは何となく理解していた。けれど、実際にやってみるとかなりきつくて根を上げる。そんな私に返ってくるのは容赦ない罰ばかり。食事抜きとかできるまで反復練習とか、前世ならば間違いなく児童虐待と指摘される罰が。


 最初は何のために学ぶのかわからなかった。顔がそっくりで身代わりに選ばれただけならば、化粧をして立つか座るかするだけだろうと思っていたから。そんな私にパチェッティ侍女長が無表情で教えてくださる。


「身代わりであるということは、外見だけでなく内面もアドリアーナ様と同等でなければなりません。言葉遣いや所作はもちろん、知性もです。そのためには、アドリアーナ様と同じ礼儀作法や知識を身に付ける必要があるのです」


 可能な限りお嬢様になりきるために必要なことだと理解した私はうなだれた。後年、ここへ更に王太子妃教育が追加されて地獄を見るけれど、逃げる場所などないので必死に学ぶ。


 数年の教育と悪くない私の物覚えの賜物か、十代前半になる頃には一見しただけではお嬢様と見分けがつかなくなる程になっていた。試しにとお嬢様と同席して同じように振る舞ったところ、出来映えを観察していた大人たちが目を見張る。


「まるで双子か、鏡を見ているかのようね」


 当のご本人でさえも驚かれるほどなのだから私の身代わりぶりは完璧だった。このときばかりは安心よりも喜びが勝ったわ。私の努力が実った瞬間だった。


 そして、それは同時にいよいよ私が身代わりとして働く時期がやってきたことを意味する。以後、様々な場面で私はお嬢様の代わりを務めることになった。




 私が身代わりとなるべきお嬢様には敵が多い。それはご本人の資質というよりも立場上仕方がなかった。何しろ、常にしのぎを削り合う上位貴族のご令嬢で、現王太子殿下の婚約者であらせられるのだから。


 そのお嬢様が十五歳で王立学院へとご入学された。そうしてすぐに寄親寄子の繋がりを中心に自らの派閥を築き上げられる。群れないと自分がやられてしまうから、どんなに面倒でも仲間集めは避けられない。


 王都にお屋敷のあるカッチーニ侯爵家だったので、お嬢様はそこから王立学院へと通われた。これは私のような身代わりにとっても都合が良い。与えられたお屋敷の一室に引きこもれば誰にも気付かれることなく隠れられるから。


 ちなみに、もし上位貴族のお屋敷に勤めることになるか訪問することになったときは、開かずの扉扱いされている近辺には絶対に近づいてはいけない。最悪行方不明扱いになりかねないのでお屋敷の関係者の言うことには素直に従いましょう。


 ともかく、普段の私はその部屋でずっと待機していた。しかし、暇というわけではない。いつどこで私が必要になるかわからないため、身代わりのための教育は続けられたから。そのため、王立学院の勉学をこっそりすることになる。学院生でもないのに理不尽だと思うけれど、必要なことなので身に付ける。


 そんな私のような身代わりの最も多い活用のされ方は危険が予想された場合の代理だ。王立学院内で形成される派閥は大体大人のものとあまり変わらない。そのため、敵対している家同士の出身者が集う場合は特に細心の注意を払うことになる。うっかり傷物にされるわけにはいかないものね。


 大抵は直接手を出されることはない。加害者となって罪を追及されるような事態は誰もが避けたいし、何より危険を冒して犯行に及んでも相手が身代わりだった場合、罪だけが残ってしまうからだ。どんなにそっくりでも身代わりは本人ではないので、傷付けても殺しても意味がない。


 こうなると勢い犯行は陰湿なものになる。いつどこで誰がどうやって襲いかかってくるのか、またはそれをどうやって防ぐのかを考えながら常に行動しないといけない。私からするとはっきり言って子供の考えるようなことではないと思う。でも、これが大人になってから役に立つ世界に羽ばたかないといけないのだから貴族のご令嬢は大変よね。


 身代わりにならずに男爵令嬢のままであれば私も同じようにこの世界に飛び込む予定だったので大して変わらないと思うのは早計というもの。上位貴族と下位貴族ではその厳しさがまるで違う。それを私は身代わりという立場で思い知ることになった。




 この日、私は初めてお役目を果たすよう命じられた。ついに何が出てくるかわからない修羅の世界に踏み込まなければならない。正直嫌、すごく嫌。でも、命令には逆らえない。


 衣装をお借りし化粧を施した私はお嬢様の人間関係や最近の話題についてしっかり頭に入れる。つまらないことで間違えるとお嬢様の名誉に傷が付くし、身代わりだとばれたら最悪だ。何としてもやり遂げないといけない。


 準備を終えた私はお嬢様の侍女と王立学園内の庭園へと向かう。今日はウベルティ侯爵家のタマーラ様とのお茶会だ。幼い頃に憧れたそれは、今の私にとっては針のむしろに等しい。思っていたのとまったく違う。


「ごきげんよう。アドリアーナ様、ようこそいらっしゃいました」


 一分の隙もないタマーラ様が笑顔で迎えてくださった。勧められた椅子に座り、会話に移る。他愛ない雑談から始まったお茶会はけれどまったく油断できない。言葉の裏側にある思惑を読み取り、端々に現われるかすかな感情を汲み取って、綺麗にあるいは華麗に返す。自分からは攻めない。当人ではないのでぼろが出るかもしれないから。


 どうにか無難に会話をいなしていると、相手の使用人がお茶の用意を終えた。いよいよお茶会の山場がやって来る。この対応を誤ると命に関わるので気が抜けない。


「アドリアーナ様、どうぞお召し上がりくださいな」


 優雅なティーカップと銀色に輝くスプーンを乗せたソーサーを使用人がテーブルの上に置いた。用意が整うとタマーラ様が笑顔を向けてこられる。私は小さくうなずいた。


 毒を盛られている可能性があるのでそれを避けるため、敵地では差し出されたものを口にしないという作法がある。確かに最も有効な対策でしょう。しかし、それが許されるのは殿方(おとこ)の付き合いのみで、貴婦人(おんな)の付き合いでは許されない。お茶会はお茶を楽しみながら会話に興じる娯楽だから、供されたお茶を拒否するというのはお茶会を、引いては主催者(ホスト)を拒絶したに等しい。それは殿方にとっての宣戦布告になる。そんなことをするくらいなら欠席した方がましね。


 そのため、特に上位貴族のご令嬢は常に侍女を従えている。私とはまた違った意味での身代わり、有り体に言えば毒味役。けれど、これも万能ではない。頭から疑ってかかっていると態度で示しているからね。格下のご令嬢に対してすれば信頼されていないと失望され、同格の相手にすれば神経質すぎると笑われ、格上の方にしようものなら無礼者と責められる。なので、特別な理由がない限り使いづらい手段なのが困った点だった。何より私の場合、身代わりごときがお嬢様のお気に入りの侍女にそんなことをさせるわけにはいかない。


 まるで八方塞がりのように思えるが、もちろん切り抜ける方法はある。私はそれを侍女から差し出されて受け取った。銀のスプーン、古来より毒を見極めるためによく使われる食器よ。ソーサーに添えられた銀色のスプーンはですって? 本当に銀が使われているとは限らないわよね。


 これは失礼に当たらないのかという問いかけに対しては、ぎりぎり失礼ではないという回答になる。お気に入りのものを使わないと落ち着かないというのはよくあることだから。


 手にした銀のスプーンで私はお茶を軽くかき混ぜる。すると、本当に黒く変色した。目を見張った私がそのままタマーラ様へと顔を向けると、同じように目を見開いていらっしゃる。


「なんということでしょう! 一体どうしたことかしら?」


 悲鳴のような声を上げられたタマーラ様が口元を押さえられた。上位貴族のご令嬢ともなると大抵は演技の一つや二つはできるもの。なので、この反応から嘘かどうかはわからない、殿方ならば。けれど、こういうことを普段から訓練されてきた私はかろうじて演技だと読み取れた。本当に焦ったときや恐れたときの感情がまったく表れていない。ということは、主犯(クロ)ね。


 でも、これだけでタマーラ様を犯人だと糾弾できない。貴族社会はそんなに単純ではない。せいぜい使用人に罪を被せてお終いとなる。だからここは安易に怒ってはいけない。逆にこちらが責められる口実を与えてしまう。


 どうやって言い返してやろうかと私が迷った一瞬後、先にタマーラ様が動いた。自分の目の前にあるティーカップにスプーンを入れてかき混ぜる。気を落ち着かせる演技でもするのかと注目していると、驚いたことにタマーラ様の持つスプーンも黒く変色した。どうやらあちらのスプーンも本物で、何やら仕込まれていたらしい。


 自分のスプーンの色が変わったことに気付いたタマーラ様が悲鳴を上げられる。


「きゃぁ! わたくしのお茶にも!?」


 やはり本物の感情が乗っていないことを私は感じ取った。棒読みではないものの、非常に胡散臭い。ということは、タマーラ様も狙われたのではなく、犯行が失敗したときのための予防線として自分のお茶にも毒を仕込ませたことになる。自分も狙われたので犯人ではありませんと主張するために。


 結局、この日のお茶会は中止となった。これで続けようものなら、それは肝っ玉が据わっているのではなく狂っていると評すべきでしょう。


 さすが敵地のお茶会は油断できない。王太子妃の座を未だに諦めていないという噂は知っていたけれど、どうやら本当のことらしいわね。


 私は今後、ずっとこのような危険を引き受けることになることに内心でため息をつく。とても生き残れるとは思えないんですけれど。




 お嬢様が王立学院に通われるようになってから一年が過ぎた。私はこの間に何度か身代わりのお役目を仰せつかる。思った以上にちょいちょい使われることに対して驚いた。随分と気軽だと思うべきか想像以上に危険だと思うべきか迷うわね。


 もちろん私が表に立つからといって必ずしも危険なことが起きるとは限らない。でも、他家も同じように身代わりを使っていることを考えると、よく今まで死人が出なかったものだと思う。


 もっとも、この手の追い落としはある程度やれる方法が決まっているので当然対処法もあった。つまり、半ば様式美なので油断しなければ早々に死なないというのが貴族の間での一般的な認識だったりする。こんな習慣は早く廃れてほしい。


 ともかく、私が今のところまだ生きていられるのは、事前に傾向と対策を教え込まれていたから。さすがにせっかく仕立て上げた身代わりをすぐに失うのは惜しいらしい。簡単には替えが効かないという意味では貴重だから当然よね。


 このままお決まりの方法でやり合うのであれば良かったんだけれど、残念ながら事はそう簡単に運んでくれなかった。王立学院には毎年卒業する生徒と入学する生徒がいる。その入学生に今年は破天荒なご令嬢がいた。そして現在、お嬢様は彼女に悩まされている。


「バルナバ王子、一緒に舞踏館へ行きましょう!」


 明るい笑顔を振りまきながらお嬢様の婚約者であらせられる王太子殿下に近づくこのご令嬢はザッカリーニ男爵家のヴァンナ嬢。困惑している王太子殿下に不用意に触れようとして護衛に止められている。


 このご令嬢、入学以来婚約者の有無を無視して目当ての殿方に近づくことで知られていた。特に王太子殿下と接触しようとしていて、既にお嬢様と婚約されていると教えられても一向に態度を改めようとしない。


 最も被害を被っているお嬢様は最初毅然とした態度でヴァンナ嬢に注意をしていたらしい。ところが、いつの間にか髪の毛を引っぱられただの階段から突き落とされただの根も葉もないことが王立学院内に広まってしまう。貴族の社交界と同じように王立学院でも噂は格好の話題なので、特に敵対的な派閥では面白おかしく取り上げられていた。


 表面上は気丈に振る舞っていらっしゃったお嬢様は、思うように対処できずに唇を噛みしめる日々を送られるようになる。下手に排除しようとすると噂が事実と受け止められてしまうので手を出すこともできないらしい。


 そこで私にお鉢が回ってきたので身代わりとして王立学院に向かう。


 数日間過ごす中、私はヴァンナ嬢の言動、特に人目につかない場所での独り言などを探らせた。前世の知識で引っかかるところがあるのよね。その結果、ついに特定の言葉を口にしていたことを掴む。ヒロイン、乙女ゲーム、攻略対象、逆ハーレム。間違いなく、ヴァンナ嬢は前世の記憶がある。どうやらバルナバ王子はその攻略対象の一人らしい。


 相手の思惑が理解できたところで私は次に対策を練った。お嬢様に確認したところ、噂のいずれも身に覚えがないとおっしゃる。そして、調べた範囲ではお嬢様がヴァンナ嬢に何かしたところを目にした人物は今のところ一人もいない。


 今ならまだ何とかなると私は思った。一計を案じ、お嬢様の取り巻きを集めて作戦を伝える。


 そのときは意外に早くやってきた。ある日、私は数人の取り巻きと共に別の校舎へと移動していると、ちょうど向かいからヴァンナ嬢がやって来る。周囲に人影はいくらかあるので状況としては思惑通り。


 こちらへと勝ち気な笑みを向けてくるヴァンナ嬢に私は近づいた。怪訝な表情を向けてくる彼女の横にまでやって来ると唐突に地面へと倒れる。


「アドリアーナ様!?」


「ちょっとあなた、アドリアーナ様を突き飛ばすなんてひどいじゃない!」


 周囲に目を向けていた取り巻きたちが誰もこちらに注目していないことを目で合図してくれた瞬間に一芝居打った。倒れた際に腕を痛めたかのように装う。上手に演技ができるまで食事抜きにされるほと繰り返し練習をさせられた私の演技はちょっとした女優並、これを見破れる生徒が学院内にいるとは思えない。


 周囲の生徒たちが一斉にこちらへと注目してきた。人通りは少ないが、誰もが立ち止まるので野次馬の数は少しずつ増えてゆく。


「は!? あんたが勝手に倒れただけじゃない!」


「何よその言い方! 自分で突き飛ばしておいて!」


「よくそんなことが言えるわね、目の前で堂々とアドリアーナ様を突き飛ばしたくせに!」


 ようやく事態を飲み込んだらしいヴァンナ嬢は慌てて反論をしてきた。それに対して、こちらは侍女が数人がかりで言い返す。しかも、お嬢様を突き飛ばしたと何度も強調して。いわゆる刷り込みというやつね。


 私の作戦とは、噂に目撃者を添えた噂をぶつけるというものだった。人は相反する話を耳にすると説得力のある方を選ぶ。なので今回、私はヴァンナ嬢の隣でわざと倒れた。突き倒す瞬間を見ていない野次馬の皆さんは、倒れている私と立っているヴァンナ嬢、そして盛んに叫ぶお嬢様の取り巻きという構図を見てどう思うかしら。


 別に全員が信じてくれる必要はない。一部が信じてくれれば良い。後はお嬢様の派閥が積極的に噂を流し、それを聞いた人が目撃者の証言に耳を傾けてくれれば事は成る。伝言ゲームの末に広がった噂はさぞ素晴らしい尾ひれが付くでしょうね。


 こうして私は転生者の可能性が高いヴァンナ嬢を撃退することに成功した。




 王立学院を卒業されたお嬢様が王太子殿下といよいよ結婚される日が近づいて来た。慣例に従って一度カッチーニ侯爵家の本領に戻ったお嬢様は輿入れの準備で忙しい。


 私はというといつも通りあてがわれた部屋で待機している。例え家中の人たちにでもお嬢様の身代わりの存在は可能な限り伏せておく必要があるから。


 そんな私は今回重要なお役目を与えられた。パチェッティ侍女長が部屋にやって来て私に告げられる。


「一週間後、王城へと向かう輿入れの馬車に乗ってもらいます。手はずはこちらで整えるので、あなたはいつも通りにしなさい」


 貴族子女にとって一世一代の晴れ舞台を私のような身代わりにすげ替えるのには当然理由があった。お嬢様が王城へ向かう途中で襲撃されるかもしれないという情報をカッチーニ侯爵家が掴んだらしい。こうなると、お嬢様の身の安全を図る必要がある。


 当日、お嬢様を飾るはずだったドレスやアクセサリーを私は身に付けた。そうして侍女に扮した女騎士たちと共にカッチーニ侯爵家の家紋が施された豪華な馬車へと乗り込む。本来の私なら眺めるしかできなかったはずの馬車の車内はきらびやかだった。まるでお屋敷の部屋をそのまま持ってきたかのよう。襲撃の可能性さえなければ正に夢のようね。


 扉が閉められてしばらくすると馬車が動き始めた。外の景色がゆっくりと流れてゆく。車内は誰も口を開かないので、馬車の揺れる音と馬の足音しか聞こえない。


 侍女に扮した女騎士たちは、襲撃にいつでも対応できるようにあらかじめ車内に持ち込まれていた剣を鞘ごと手にしている。一方の私は、お嬢様の上品な靴ではなく動きやすいブーツを履いている。


 本領のお屋敷から王都の王城まで旅程は四日。襲われるのならば二日目か三日目だろうと予測されていたが、果たしてその通りだった。


 二日目の昼過ぎ、川の土手の陰に隠れていた襲撃者が襲ってくる。矢を射かけられて足止めされた後、薄汚れた男たちが襲いかかって来た。馬車の護衛騎士たちがこれを迎え撃ち、たちまち乱戦になる。


 車内の侍女に扮した女騎士たちはその様子を冷静に見つめていた。私には外の恐ろしい音や声が聞こえるばかりだったけれど、やがてその侍女の一人から何とかなるという言葉をかけられる。しばらくすると、その通り襲撃者は撃退された。


 戦いが終わった後、出発準備と並行して襲撃者の身元確認が行われる。その結果、賊に扮した何者かという結論に至った。倒した襲撃者はいずれも体つきが良く、更には戦い方も訓練されたものだったらしい。恐らくお嬢様の輿入れを防ぎたい貴族の差し金だろうと護衛騎士の隊長が説明してくれた。


 恐ろしい襲撃ではあったけれど、これを退けた以上はひたすら王城へと向かうだけ。そんな安心感が私の身を包んだ。馬車の一行から死傷者が出たことは悲しいけれど、この後の安全を思えば肩の力も抜ける。


 しかし、どうやら私は勘違いをしていたらしい。本領のお屋敷を出発して三日目、森の中を進む途中で再び何者かに襲われた。まさか二日連続で襲われるなんて。


 更にこの二度目の襲撃は一度目よりも襲撃者の数が多かった。元々襲撃の本命がこちらだったのか、それとも偶然別々の集団が襲ってきたのかはわからない。ただ、今回はかなりまずいことになっていることは理解できた。


 外の様子を窺っていた侍女の一人が私へと顔を向けてくる。


「森の中へ向かいます。ご準備を」


 もはやここは保たないことを私は悟った。小さくうなずくと鞘ごと剣を持っていた侍女たちが扉を開けて馬車から次々に出てゆき、私も促されて外へと出る。


「アドリアーナが逃げたぞ!」


 どこからかお嬢様の名前を呼ぶ男の声がした。物盗りの賊ならば貴族の名前なんて気にしない。つまり、この襲撃者たちは明確にお嬢様を狙っている。


 戦う音をよりはっきりと耳に捉えながら私は促されるまま剣を抜いた侍女に付いていった。近くで戦っていた襲撃者たちが次々と向きを変えて近づいてくる。それを護衛の騎士たちが食い止めようとし、侍女に扮した女騎士たちが防ごうとした。


 万が一のためにと備えて履いていたブーツが本当に役立ってしまう。豪奢なドレスが足にまとわりつくものの、何とか小走りできているのはこれのおかげ。


 何人かを犠牲にしてようやく森の端までやって来た。追いかけてくる襲撃者はいるものの、包囲網は突破できそうだと私は一瞬安堵する。


 ところが、森に入った直後、私は木の陰に隠れていた襲撃者に襲われた。突き出された剣の刃先に気付いて目を見開く。


「危ない!」


 並走していた侍女が手にしていた剣でその刃先をはじいてくれた。しかし、踏ん張りが利かなかったのか、中途半端に逸れた襲撃者の刃先に私は右頬をかすかに抉られてしまう。


 突然の痛みに私は気が動転して倒れそうになった。それを別の侍女が支えてくれる。


「お気を確かに! こちらへ!」


 支えてくれる侍女が言葉をかけてくれる間も私は脚を動かした。右頬の痛みで涙が出てくるけれど今はそれどころではない。


 その後、侍女を一人また一人失いながら私は森の奥へと落ち延びてゆく。もはや周りのことを考えている余裕などない。ひたすら自分のことばかり。そして、心の片隅に今度こそ駄目かもしれないという諦めがじんわりと広がる。


 ようやく襲撃者の手から逃れられたのはその日の夜だった。




 私が二度目の襲撃を受けた翌日、お嬢様は王都へ無事に到着された。後で聞いた話によると、王都の手前までは下位貴族が乗るような地味な馬車を使い、そこから先は王都にある侯爵家の別の馬車に乗り替えたらしい。


 カッチーニ侯爵家としてはお嬢様が首尾良く入城されたことに胸をなで下ろしたという。これで次代の繁栄は約束されたわけだ。侯爵家の方々はさぞお喜びのことでしょうね。


 一方の私はというと、お嬢様が王城へと入られた二日後に王都にたどり着く。森の中を逃げ回ったせいで私はひどい身なりとなっていた。そんな私の姿を見た王都の門番はとても驚いていたのが印象的だったわね。もちろんそんな状態だから王都内に入っても周囲の注目を集めてしまう。身代わりとしていけないことだという以前にとても恥ずかしかった。


 何とか王都のカッチーニ侯爵家のお屋敷に到着した私はすぐに隔離される。身代わりは本来屋敷の人間にもほとんどその姿を見せてはいけないから。今更なんだけれど、それでも私の扱いは今まで通りだった。


 部屋に連れ込まれると、体を洗い、怪我を治療し、まともな服に着替えた私はしばらく安静にする。そうして三週間以上の月日が流れた。


 王太子殿下の正式な婚約発表で王都が沸くある日、私のいる部屋にパチェッティ侍女長がいらっしゃる。


「お勤めご苦労でした。ただいまをもってあなたのお役目を解きます」


 特に驚くことなく私は侍女長の言葉を受け入れた。森で襲撃されたときに受けた右頬の傷跡が残ったため、身代わりを果たせなくなったことを既に理解していたから。他の場所ならまだしも顔を傷付けられたのは致命的よね。


 解任された私は二つの選択肢を提示される。ひとつは修道院に入るという選択、もうひとつは実家のラビア男爵領に帰るという選択だ。


 実家に帰る旨を侍女長に伝えると、私は口止め料込みの報酬をもらって侯爵家別邸を後にした。顔の傷がひどいので頭巾を被り、侍女が使う馬車に乗り込んで実家を目指す。


 お嬢様の身代わりとして引き取られて以来、大半をひっそりと過ごしてきた私は肩の力を抜いた。もう危険なことをせずに済むことを喜ぶと同時に、これから何をして生きていこうか迷う。男爵令嬢として生まれてからこの方、人の身代わりとしてしか生きてこなかったので戸惑いがまだ強い。


 けれど、もしからしたらここで前世の記憶が役に立つかもしれなかった。今世の記憶だけなら他の生き方を知らないので立ち往生してしまいそうだけれど、もうひとつの記憶がある分だけ私はいくらか視野が広いはず。やれることに限りはあるかもしれないけれど、案外面白い生き方ができるかもしれない。


 揺れる馬車の中、私はゆっくりと流れる外の景色を窓から眺める。なんだか少しだけ明るく見えてきた。


 これからは誰かの身代わりではなく、自分として生きましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ