2日目
「こんにちは……今日から入った、佐伯タクヤです」
「どうも…カズです」
厨房とホールをつなぐ小さな通路で、
彼らは少し緊張気味に頭を下げた。
制服はまだ少し大きく、
名札の位置が少しだけズレている。
「よろしくね。私はエリ。何でも聞いて」
エリは自然に微笑んだ。
母性ではない。職場での、大人の余裕をまとった笑顔だった。
けれどその内側には、ほんのわずかな動揺があった。
(若い……まだ学生、くらい?)
(礼儀正しい。だけど、なぜか目が離せない)
タクヤにとって、その日一番印象に残ったのは、
厨房で出会った先輩たちではなく、
帰り際に更衣室前のベンチで見かけたエリだった。
長い髪をひとつに結い、疲れているはずなのに、
どこか凛としている女性。
彼女が手にしていたロッカーの鍵を落とし、
それを拾ったとき、ふと視線が合った。
「ありがとう、佐伯くん」
名前を、呼ばれた。
ありふれた一言なのに、
その響きが妙に優しくて、
タクヤの心にすっと入ってきた。
タクヤは母親を小さい頃に亡くしている
自分が同級生よりもかなりの年上に
好意を抱く傾向にあるのは自覚している…
それから、タクヤの「休憩時間の15分」と、
エリの「パート上がりの15分」が、
毎日のように重なるようになった。
最初は、ただの雑談だった。
「授業、難しいですか?」
「最近はリモートばっかりで、逆にやる気出ないんですよ」
「わかる。家だとサボっちゃうよね」
冗談を交わしながら、
お互いの距離はほんの数センチずつ、近づいていく。
エリがふと、言った。
「うち、旦那も在宅でさ。ずっと家にいるの、疲れちゃって」
タクヤは、少し間をおいてから静かに答えた。
「……俺も、ずっと父親が家にいたんで。
気持ち、ちょっとわかるかもしれない」
(やっぱり結婚してるんだ…残念)
旦那も、と言った時に見せた表情…
一瞬だけ、心の扉が少しだけ開いた音が、
エリには聞こえた気がした。
15分はあっという間に過ぎる。
けれど、その短さが、むしろ二人の関係を濃密にした。
帰り道、自転車にまたがるエリの背を、
タクヤはそっと見送る。
彼女の髪が、夕方の風に揺れる。
また、明日も話せるといい。
そう思った瞬間、タクヤの胸に、
名前のない感情が芽生えていた。
エリもまた、帰り道のペダルを踏みながら、
自分の頬がわずかに熱いことに気づいていた。
(……こんな感情、いつぶりだろう)
でも、振り返らない。
まだ、何でもないふりをしたまま。
だけど、確かに。
二人の15分は、もう始まっていた