16日目
エリは、そっとタクヤの部屋に足を踏み入れた。
部屋の奥から流れるやわらかな音楽と、
午後の光がカーテン越しに落とす陰影が、
空気に優しい緊張を溶かしていく。
「座って…」
タクヤが指差したベッドの端に、エリは無言で腰を下ろす。
クッションの感触すら、普段と違う気がした。
隣にタクヤが座ると、
それだけで、身体の熱が高まっていく。
沈黙のまま、タクヤがエリの手に触れた。
そっと、撫でるように。
「……手、冷たい?」
エリはわずかに笑って、首を振る。
「ううん……あったかい。タクヤの手、あったかいね」
その一言が合図だったかのように、
タクヤの手が、エリの頬にそっと触れる。
「エリさん……」
その名前を呼ぶ声は、どこか震えていた。
触れたい、求めたい、でも壊したくない。
そんな想いが、すべてににじんでいた。
ふたりの顔がゆっくり近づき、
唇が、静かに重なる。
何度も、何度も、確かめるように。
短く、浅く、優しいキス。
でも、やがてタクヤの指がエリのうなじに回り、
キスはだんだん深く、
熱を帯びていく。
「ん……」
エリが息を漏らした瞬間、
タクヤの身体がわずかに震えた。
そのまま背中に腕を回し、
抱きしめるように引き寄せる。
ふたりの胸が触れ合い、
息遣いが、重なる。
もう、理性だけでは止められない。
タクヤは、そっとエリの髪に顔を埋め、
低く、かすれる声で言った。
「……このまま……最後まで……いいの?」
エリは、数秒黙ったまま、
タクヤの肩に額を預ける。
そして、静かに口を開いた。
「……今日はダメ、だよ」
その声には、悲しさと愛しさ、両方があった。
「ごめん……今日は時間が…… いえ、まだ、こわいの。
一歩、進んだら……戻れなくなる気がして……」
タクヤは、すぐに頷いた。
エリを抱く腕を少しだけ緩めて、
でも離さなかった。
「わかってる。無理には……絶対しない」
「ありがとう……」
「でも……こうしてるのは、好き」
ふたりはそのまま、
肩を寄せ合って静かに座っていた。
キスはした。抱きしめ合った。
熱も、想いも、限界まで近づいた。
けれど、“身体の一線”は超えなかった。
それはお互いが、自分の気持ちだけじゃなく、
相手の“揺らぎ”も大切にしている証だった。
時間が止まったような沈黙の中、
タクヤはエリの髪をなでながら、そっと囁いた。
「いつか……じゃなくて、
エリさんが“いい”って思えたときに。
そのときは…」
エリはそっと笑って、
タクヤの胸に顔を預けた。
それは、“今はまだ”という答えであり、
“でもいつかは”という、
確かな約束でもあった。
この部屋に残った熱は、
決して無駄じゃなかった。
アパートを出る時は下を向き
逃げるように足早に立ち去る…
カシャ