11日目
「少しだけ、寄っていっていい?」
エリがそう言ったとき、
タクヤはすべてを悟った。
今までのキスも、ハグも、触れる指の震えも
どれも、もう止められない感情の一部だった。
でも、エリの口からその言葉が出たとき、
それは初めて「現実」になった。
タクヤの部屋は、
エリが自転車で帰る通り道にある。
それだけでもう何度、
誘ってしまいそうになったことか。
けれど今日、エリのほうから言ってきた。
声はかすかに震え、
目はほんの少し伏せられていた。
それが、どれだけの「勇気」だったかを、
タクヤは想像できた。
ふたりで歩き出す。
部屋の入口までは、ほんの数十歩。
でも、その間にもタクヤの鼓動はどんどん高まる。
(ついに……エリさんが、俺を...)
その先のことを想像するだけで、身体が熱くなる。
彼女の指先、肌、吐息。
すべてを抱きしめたい。
全部、俺だけのものにしたい。
だが。
「山本さん?」
その声が、すべてを打ち砕いた。
振り返ると、娘の同級生の母親。
エリの顔色が、スッと変わる。
気まずさと動揺を覆い隠すように、
愛想笑いを浮かべた。
タクヤはすぐに空気を察し、
「お疲れさまでしたー」とだけ言い、
ひとりでアパートの中へ入っていった。
タクヤは部屋のドアを閉めると、
背中で押さえ込むように崩れた。
(……あのまま、来てくれるはずだった)
何もかも、整っていた。
部屋は片づけてある。
シャワーも浴びた。
冷蔵庫に冷えた飲み物と、
少しだけ買っておいたスイーツもある。
なのに。
(……悔しい)
タクヤは唇を噛みしめた。
エリの頬に触れたときのぬくもりも、
キスの時に感じた呼吸も、
まだ全身に残っているのに。
(あと……一歩だったのに)
その夜、タクヤは眠れなかった。
悔しさだけじゃない。
胸の奥に溜まった想いと欲が、どこへも行けず、
ただ焦がれるように身体の中で熱を持っていく。
(もう一度……あの時間を、取り戻したい)
(いや、今度は……最後まで)
エリは、自分を拒まなかった。
キスも、触れることも、全て受け入れてくれた。
だから、きっと、今度は最後まで...
いや、“きっと”じゃない。
今度は、自分から。
(俺が、迎えに行く)
タクヤは、そう決意していた。