第七話 護符
――じっくり、楽しませてもらおう。
男の1人は、嫌らしくニヤニヤと笑いながら、目の前の少女に命じた。
「服を脱げ。……一枚ずつ、見せつけるようにな」
こう命じられれば、【催眠剤】が効いている以上、女たちに抗う術はない。
ある程度の抵抗はできても、最終的には、言われたことを実行せざるを得ないはずだった。
「は? ……嫌ですけど」
「――は?」
だからこそ、少女の方から返ってきた言葉に、思わず男たちは間抜けな声をあげてしまった。
「……【催眠剤】が効いていないのか?」
「……そんなはずはない。姉の方には効いているじゃないか」
あり得ない現象だった。
先日、捕らえた【銀】の女も、抵抗はしたが命令には抗えなかった。
「効きにくい」のならまだしも、「効いていない」のは明らかにおかしい。
それどころか、少女は……。
「……え? どういうことですか?」
……このように、困惑しながら聞き返してくる始末である。
それを見た男たちは、にやついていた表情を僅かに引き締めた。
「……多分、何か持ってるな」
「【護符】か?」
【護符】とは、【外界】の素材から作られた道具だ。
非常に高級な品だが、持ち主に幸運をもたらしたり、一度だけ怪我を防いだり、中には病気や毒物への耐性を高めるものもある。
男たちは、強力な薬剤である【催眠剤】が効いていない目の前の少女は、そういったアイテムを懐に隠し持っているのではないか、と考えたわけだ。
「あのクソガキ、ちゃんと調べとけよな」
「後でまたお仕置きだな」
「あんまり手荒に扱うなよ? 探査系の女を補充するのも手間なんだからな」
「別に良いだろ? いい声で泣くんだから」
下品な笑い声を上げながら、男たちは牢を開けて、中に入っていった。
そして、銃を向けながら、少女に向かって凄む。
「さっさと全て脱げ。【護符】があるなら、それごとこっちに寄越しな」
「お断りします。それに、【護符】なんて持っていません」
こいつ、銃が見えていないんだろうか。
あるいは、傷付けられることなどないとタカを括っているのか。
他人事のような少女の返答を聞き、男の1人が激昂した。うるせえな! てめえに選択肢はないんだよ!」
そして、そのまま、少女の着ているコートを剥ぎ取りにかかる。
「――あっ」
直後、ビリィッ! という音が響いた。
男が無理やり脱がせようとして、服を強く引っ張ったのが良くなかったのだろう。
少女の着ていた黒い薄手のロングコートは、無惨にも破けてしまっていた。
それを見て、身体を震わせながら顔を伏せる少女。
怯えているのだろう。
ようやく身の程を弁えたかと、男は微かな満足感を覚える。
そして、残りの服も脱がせようと、コートを掴んでいた手に再び力を込めた。
「へへ。震えてんのか? 分かったら、さっさと……」
しかし、男はそれ以上、言葉を紡ぐことはできなかった。
ごきり、という音とともに、男の首が反転したからだ。
「――は?」
背後で銃を構えていたもう1人の男は、思わず間抜けな声をあげた。
仲間の首が180°回転し、反対側にいるはずの、自分の方を向いている。
状況が理解できていない彼のことを、虚な視線がじっと見つめていた。
「……あっ!?」
ようやく、先ほどまで一緒に下品な話をしていた仲間が、既に死んでいるということに気付いたのだろう。男は焦ったように声をあげ、慌てて銃を構える。
だが、もう遅かった。
既に男の目の前まで接近していた少女は、男の首を片手で鷲掴みにした。
そして、そのまま思い切り締め上げる。再度、枯れ木のへし折れるような音が響き渡り、男はそれ以上声をあげることもできずに絶命した。
少女は、興味もないとばかりに男の死体を横合いに投げ捨てる。
そして、すっかり破れてしまったコートをつまみ上げると、微かにため息をついた。
「あーあ……。せっかく、買ってもらったのに……」
ポーカーフェイスに微かな哀愁を漂わせながら、少女……レイは肩を落とした。
その背後では、上体を起こして一部始終を見ていたエルが、「あちゃー」という顔をしながら、レイのことを見つめていた。
***
レイもエルも、高位の【心理能力者】である。
【死神】のメンバーである彼女たちの能力は特に強力で、2人とも銃を持った相手ぐらいなら、簡単に無力化することすら可能だ。
だが、そんな強力な【心理能力者】にも、いくつか弱点がある。
「環境の変化による影響は受ける」というのも、そのうちの一つだ。
【心理能力】とは、精神的なエネルギーが現実へ投影されて起こる現象である。
つまり無敵の力でもなんでもなく、基本的には身体機能や精神状態に依存する事になる。当然、心身ともに健康でなければ、【心理能力者】は全力を出すことができない。
人間である以上、暑ければ汗をかくし、寒ければ凍える。
肺呼吸をしているのだから、息ができなければ窒息するし、空気が汚染されていれば体調を崩す。
加えて、【心理能力】は1人につきひとつだけ。
しかも大抵は、それほど応用が効くようなものではない。
例えば、火を操る能力者は、“熱”や“煙”と言った、自身の【心理能力】の延長線上でしか力を行使できない。
【心理能力】によって「体内にある毒物を無効にする」ことができるような者は、ほんの一握りである。つまり普通の【心理能力者】ならば、ひとたび毒物を摂取してしまえば、それを体外に排出する術はない。
ただし、予め対策をとっておくことは可能である。
エルは普段から、周囲の環境に気を付けていた。
より正確に言えば、彼女が警戒しているのは、外気に混じる「毒」や「薬」、「細菌」などといった「異物」や、外気そのものの「温度」である。
見かけによらず、エルは強い。
特に、彼女の【心理能力】は非常に強力だ。しかも比較的応用が効く。
一対一の戦闘能力に限って言えば、ほぼ無敵と言って良いだろう。
だが、それはあくまで「戦闘」に関しては、の話だ。
エルの華奢な身体は、ただでさえ周囲の環境による影響を受けやすい。
身体も丈夫な方とは言えず、下手に体調を崩せば数日は寝込んでしまうほど。
そして、脚がないゆえに車椅子を使っている彼女は、もしもの際に逃げ遅れてしまう可能性もあった。
だが、エルは自身の「弱点」を、そのままで良しとする性格ではなかった。
その解決策が、先ほど男たちが話していた【護符】である。
彼らはレイが【護符】を持っているのではないかと疑っていたが、実際に【護符】を身につけていたのは、【催眠剤】が効いているように見えていたエルの方だったのだ。
彼女は、耐熱・耐冷・耐毒・耐菌といった数十種類もの【護符】を、常に身に着けている。一つ一つの効果は薄いが、エルは非常に高価なそれらを重複して所持することによって、得られる抵抗力を底上げしていた。
しかも、この場合の「身につけている」とは、文字通りの意味でもあった。
目に見えるようなところに持っていては警戒されるし、万が一の時に落としたり、取り上げられたりすることも考えられる。
だからエルは考えた。
目に見えず、決して落とさず、取り上げられないところに持っておけば良い、と。
エルは、それらの【護符】を、外科手術によって、体内に直接埋め込んでいるのだ。
そう言った理由で、彼女の状態異常に対する耐性は非常に高い。
これによって、強力な【催眠剤】にも抗うことが出来たというわけだった。
ただし、エルは体内の【護符】のうちのどれかが「何かを弾いた」というところまでしか分からない。
エルが眠ったふりをしていたのは、檻の中に注入されたものが睡眠薬だと勘違いしていたからだ。その点については、ちょっとだけ恥ずかしい思いをしていたりもする。
今回は、男たちが気にしないでくれて助かった、と言うべきだろう。
ちなみに、レイは【護符】など持っていない。
普通に【催眠剤】を吸い込んでいたし、何なら薬も普通に効いていた。
なら、なぜ彼女には【催眠剤】が効いていないように見えたのか。
タネは簡単だ。
人外じみた代謝能力によって、即座に体内で解毒してしまったのである。
その後にぼんやりとしていたのは、解毒した後は寝ぼけたような状態になってしまうから、らしい。相変わらず、滅茶苦茶な少女だった。
改めて、エルはしみじみと思う。
「この子、本当に人間かしら……?」と。
自分も怪物じみた存在であることは自覚していたが、流石に目の前のレイには負ける。
そもそも、この子は【死神】になった経緯からして、他のメンバーとは違う。
常識人のような顔をしているが、【死神】の中では明らかに異質な存在だった。
その事は、エルが最初にレイと出会った時から、よく知っている。
それこそ、レイが“死刑”になる前から、エルは彼女のことを知っていたのだから。
その実力は、明らかに「研修生」のレベルではない。
いつか言った、「期待している」というエルの言葉も、決して嘘ではなかった。
――この子なら、私を超えていくかも……。
そう思うとエルは、目の前の少女に対して、ついつい甘くなってしまうのだった。
一方、件のレイは、エルがそんなことを考えているとは梅雨知らず、彼女に向かって申し訳なさそうな顔で頭を下げていた。
「す、すみません……。カッとして、つい……」
「レイって、意外に気が短いところありますよね」
「うっ……反省します……」
「……まぁ、少しだけ予定が早まったと考えましょう? 幸い、救出対象も殲滅対象も、ここにいるのは分かっているのですし♪」
「そ、そうですね……」
すっかりしょげ返るレイに対し、むしろエルは優しげな目を向けた。
「もう……。そこまで気にしなくて良いんですよ? お洋服、また買いに行きましょうね♪」
「え!? ……いいんですか?」
「もちろんです♪ ひとまず、この仕事を終わらせてしまいましょう?」
「了解です!」
元気が出た(単純な)レイを見て、頬を緩めるエル。
仕事上、彼女が出会うのは悪人か犯罪者、あるいは人格破綻者が多い。(もちろん、自分のことも含めてだ)
こういう素直な少女の反応は、エルにとっては新鮮で、非常に好ましかった。
そんなエルは、「いけない」と思い直す。
今は、レイを可愛がっている場合ではない。
気を引き締め、凛とした声で命じる。
「――それでは、レイ。貴女は地下へ向かい、囚われた人々を救出してください。その際、構成員は全て殺してしまっても構いません」
「――はっ!」
「手始めに、ここの人から解放しましょうか。私も手伝いますから」
「承知しました。……エルは、その後どうするのですか」
「そうですね……」
わずかに考え込んだエルであったが、すぐに何かを思いついたかのように、両手をパチンと鳴らしながら言った。
「……私は早めに、“会場入り”しちゃいますか♪」
どこか嬉しそうなエルの様子を見たレイは、思わず顔を引き攣らせた。
エルの笑顔はいつも通りだった。
だが、彼女の恐ろしさをよく知っているレイには、そのいつも通りの笑顔が、少しばかり恐ろしいものに感じられたのである。
(間違っても“会場” には近づかないようにしておこう……)
そんなことを、固く心に決めたレイであった。




