第六話 牢屋
目の前でニヤニヤ笑う男が、とうとうレイの【首輪】に汚い手を伸ばしてきた。
それを見たレイがいよいよ覚悟を決め、男に見えない角度で拳を握りしめた、その時だった。
「――いや、待て」
取り巻きの中にいた男の一人が、【首輪】を奪おうとしている男に対して、釘を刺すような口調で声をあげた。
濃紺のスーツを着たその男は、チンピラばかりの中では比較的まともな外見をしていた。小汚い周囲に比べ、服も清潔そうに見える。
池咲とは違い、こちらはレイには見覚えのない男だった。
「ボスからのお達しだ。女どものアクセサリーは、そのままにしておけ。首輪も腕輪も、付けさせたままオークションにかけるそうだ。手を出すな」
「それを早く言え。……チッ、新入りのクセによぉ。てめえがボスのお気に入りじゃなかったら、今すぐぶち殺してやるところだぜ」
「それは怖いね。……わかったら、さっさとそいつらを牢に連れて行け」
「命令すんな!」
……どうやら、運よく【首輪】は手放さなくても良くなりそうだ。
とりあえず、正面突破などという愚策に頼る必要もなくなり、思わずレイはホッとする。
「……?」
その時、ふと違和感を覚えたレイは、空中ですんすんと鼻をならした。
神経を研ぎ澄ませた彼女の五感は非常に鋭い。それは嗅覚も例外ではなかった。
そしてレイの嗅覚は、今回、ここにいる男たちの中に、不思議な匂いを放つ存在が混じっていることに気付いたのだ。
最初は、怯えたような顔で男たちに従っている、幼い少女のものかとも思った。
だが、どうやらそうではないようだ。
かといって、男たちの汗臭く、すえたような臭いでもない。
香水だろうか? いや、この微かな甘い香りは、むしろ……。
「……ちっ! とろとろすんな! 乗れ!」
男に怒鳴られたレイは、目の前の台車にそそくさと乗り込んだ。
今は、匂いのことなど気にしている場合ではなかった。
それ以上に、今は大事な仕事がある。
攫われた女性を助け出し、この腐った犯罪組織を潰すという、【死神】としての仕事が。
レイは改めて決意を新たにする。
その視線の先には、今も男たちに虐げられている、幼い少女の姿があった。
レイは紛れもない悪人である。
実際に、これまで数えきれないほど他者を殺めてきた。
当然、彼女自身も自分のことを善人だとは思っていない。
だがそれでも、彼女にも譲れない一線はある。
――この子は、絶対に助け出す。
レイは改めて、そう思った。
これが、【死神】として生きる彼女の、偽らざる思いだった。
場所は変わって、とある高層ビル。
【水端】の中央に聳え立つ、大型の建造物である。
外見にも格式高いその建物は、一部の官僚しか立ち入ることを許されない。
そのある一室の、高級感のあるデスクに、1人の男が座っていた。
一流ブランドのスーツに、ギラつく成金趣味のブレスレット。
いずれも、一般市民が生涯働いても手が出ないほどの高級品だ。
でっぷりと太った体型からは、食うものに困っているなどといった印象は受けない。
それどころか、戸棚に並ぶ高級酒や、デスクの上に散らかった高級菓子の包みを見れば、日々贅を尽くしているのだろうと言うことが伺えた。
「順調だな……」
そう言いながら紫煙を燻らせる男の名前は、沼倉龍一。
彼は、この街における最高責任者である【水端】の領主。
それと同時に、【水端】における裏社会を牛耳る犯罪組織の首領でもあった。
彼も忙しい身であるため、一介の“商品”のために、わざわざ時間を割いたりはしない。
そういう煩雑なことは、秘書や、その部下たちに全て任せている。
そして沼倉は、当然そう言ったことが許される立場にいた。
だが、今日は特別だった。
お得意様ばかりを招いた、不定期に開かれる大規模なオークションの日なのだ。
これは毎月行なっている“販売会”とは完全に別で、女の中でも“特上”のストックが一定数溜まってきたタイミングで実施されている。
並の女は地下牢に適当に繋いでおくが、高く売れることが見込める女たちは、特別性の檻に数ヶ月“保管”し、富豪やお偉いさんを相手にまとめて売り込むのだ。
今月は調子が良く、現時点で“上“クラスの在庫は7。今回は“販売会”も兼ねているので、地下牢に繋いであるストックと合わせれば、数十人を超えるビッグ・イベントになるだろう。
さらに朗報は続く。
まさに今日、飛び入りで“上”を2名捕らえたという報告があったのだ。
部下から送られてきた画像を確認してみれば、いずれもとびきり美しい少女。
それも姉妹だという。
これだけでも数百万以上の利益が見込めるが、それだけではない。
姉の方は両足がなく、車椅子。そして妹の方はウブで、かつ処女だというのだ。
――これは高値で売れる。
沼倉には、その確信があった。
上手くいけば、数千万、ひょっとしたら数億円の売り上げになるかも知れない。
今日の昼ごろ、委託先の犯罪組織のうちの一つと連絡が取れなくなったと聞いた時には腹立たしく思ったが、それを塗り替えるほどの利益が見込めるだろう。
下部組織の中でもそれなりの成績を上げていたので、今後の運営に差し障るかとも思ったが……それだけ利益が出れば、充分に挽回できる。
いや、それよりも。
2人の写真を見てしまったことで、沼倉は少々、昂ってしまっていた。
姉妹の方はオークションに出さず、個人的に飼ってやってもいいかも知れない。
【心理能力】の計測は未実施だが、大人しく捕まったところを見ると、大した能力は持っていないだろう。戦闘向きの【心理能力】など、そうそうあるものではないのだから。
それに、あの「特別性の薬剤」を使えば、仮に相手がスパイだろうとなんだろうと、自由に言うことを聞かせることができるようになる。心配する必要性は皆無だ。
あるいは、そうやって先月捕らえた、例の工作員の女でもいい。他所の【銀】から送り込まれてきたのだろうが、本人の戦闘能力が低いのが幸いし、上手く生け取りにできたのは幸運だった。ああいう気の強そうな女を屈服させるのも堪らない。
とうとう沼倉は、我慢しきれずに小さく嗤った。
手に入れた魚の大きさを思うと、年甲斐もなく胸が躍るようだ。
実のところ、彼の懐に飛び込んできた二頭の魚は、いずれも凶悪な人喰いザメなのだが……。この時の沼倉は、そんなことは知る由もないのだった。
***
2人の乗せられていた台車が止まった。
降ろされたのは、予想よりも小綺麗な牢屋である。
レイは勝手に金属製の鉄格子を想像していたのだが、実際には巨大な水槽のような形状だった。分厚く透明な材質の壁に四方を囲まれている。
扉すらも透明なのだから、よほど四角を作るのが嫌なのだろう。
これが実際に水槽なら上部は空いていただろうが、生憎と組織側もそこまで間抜けではないようで、きっちりと金属製の天板のようなもので蓋をしてあった。
変わっているのは、天井からは巨大な配管が二本伸び、水槽の天板にポッカリと穴を開けていることだろう。空気を供給するための配管だろうか。
周囲にも同様の透明な檻が複数並んでおり、それぞれに女性が一名ずつ囚われていた。
レイとエルを除けば、全部で7人。ただ、何か様子が変である。
もっと怯えたような姿を見せてもいいはずなのに、皆一様にぐったりとしていて、覇気のようなものが一切感じられない。
抵抗するのに疲れてしまったのだろうか。
それにしても、覇気が無さすぎるような……。
だが、それ以上考えている暇はなかった。
男のうちの片方が、レイとエルに向かって顎をしゃくる。
「さっさと入れ」
「おいおい、女はそれぞれ別の檻に入れとけって、ボスが言ってただろ。地下の奴らとは違うんだぞ」
「うるせえな。どうせあと1時間でオークションが始まるんだぜ。それに、足のないコイツがいたところで、何か変わるかよ?」
「……それもそうだな。おい、早くしろよ!」
レイとエルは、男たちに怒鳴られながら、大人しく水槽のような檻の中に入った。
2人を牢へと押し込めた男たちは、しっかりと施錠した後、部屋の入り口近くまで下がると、その場で待機した。入り口の左右で銃を構え、仁王立ちしている。
居眠りでも初めてくれればよかったのだが、どうやら油断なくこちらの様子を伺っているようだ。いかにもチンピラといった外見の男たちだが、流石にそこまでサービスしてくれないらしい。
壁だけでなく扉も透明なので、周囲からは身を隠すことはできない。
おかしな動きをすれば、即座に男たちが飛んでくるだろう。
場合によっては、手にした銃をぶっ放される羽目にもなるはずだ。
ただ、密閉された空間なので、相談するのにはもってこいである。
エルは顔を伏せたまま、小声でレイに話しかけた。
レイも男たちに背をむけながら、ヒソヒソ声で返答する。
「……上手く行きましたね♪」
「……そうですね。これからどうしましょうか」
「先ほど“地下の奴ら”と言ってましたよね? きっと囚われている人々は、この下にもいるのでしょう。……それに、オークションが始まるということは、ゲス野郎どもが一堂に会する機会もあるはず。そこを一網打尽にしちゃいましょう♪」
「了解しました。……ちなみに、この建物の構造は、既に“調査済み”です。他の人々が囚われている場所にも、おおよその当たりがつきました」
こともなげに言ってみせるレイであるが、これは異常だった。
2人はここまで密閉された手押しワゴンで運ばれてきたのであって、この建物の構造を調べる時間など、どこにもなかったはずだ。
つまり、レイは視覚がゼロの状態でワゴンに乗せられながら、それを成し遂げたということになる。
だが、それを聞いたエルは不思議がることもなく、むしろ当然という顔で頷いた。
「……うふふ♪ やはり、流石ですね、レイ♪」
「ありがとうございます。……では、この後はどうしますか」
「そうですねぇ……。オークション会場に移動する途中で離脱してしまうと、やはり騒ぎが大きくなりそうな気もしますし……」
エルがのんびりと考えながら首を傾げていた、その時である。
突如、シューッ! という空気の噴出音が、天井から響きわたった。
レイは思わずギョッとして、檻の天板を見上げた。
天井部分に接続されていたパイプから、何らかの気体が注入されているのだ。
歪んだ視界の端で、エルの華奢な身体が、ぐらりと傾くのが見える。
――毒か? あるいは……。
一瞬、そんなことが頭をよぎったが、すぐさまレイの意識は漂白され、遠のいていった。
「そろそろ効いてきたみたいだな」
「おう。それじゃ……」
2人の男は、それぞれ顔を見合わせて、ニヤニヤと笑った。
ここから先は、ほんの少しだけのサービスタイムなのである。
先ほど天井から注入されたのは、【催眠剤】と呼ばれる薬剤だった。
【外魔】の体液から生成されたというそれの効能は、高価なだけあってかなり強力だ。
一度でも用いられれば、使用された人間は自由意識を奪われ、与えられた指示を素直に実行するようになる。ただし、女性にしか効果がない。
平たく言えば、「女性限定で、何でも言うことを聞くようになる薬」なのである。
抵抗されないように、オークションが始まる直前に使用する手筈になっているのだが、男たちはそれを少し早めに使い、強制ストリップショーを鑑賞するのが常だった。
彼らの仕事はあくまで見張りであって、“商品”に手を付けることは許されていない。
フラストレーションは貯まる一方だったが、下手な真似をすれば文字通り“首になる”。
そこで、彼らはこういう方法で鬱憤を晴らしている、というわけだった。
男たちは、いそいそと姉妹の入っている檻に近づく。
檻の中では、姉の方は床にぐったりと倒れ込んでおり、妹の方はぼんやりとした顔で座っていた。
この薬剤は、個人によって効き目が多少前後することもある。
最初は意識が飛ぶほどトリップする女もいれば、なかなか効きにくい女もいる。
この間入ってきた、亜麻川とかいう【銀】の工作員の女には効きにくかったが、目の前にいる足のない方の女には、抜群に効いているようだ。
男たちの間では対象の精神力の強さで効き具合が変わるのではないか、という推察が出ていたが、彼らは研究者でも何でもない。
男たちにとって、事実なぞどうでも良いことである。
今、重要なのは、しっかり薬剤が効いている妹の方だ。
その少女は、男たちが見たこともないような美人だった。
姉の方ほどメリハリのある体型ではないが、成長途中の少女に特有な、背徳的な色香があった。しかも、現場からの話によれば、この少女は男慣れしていないというではないか。
男たちが色めき立つのも、無理ない話だった。
それに、薬剤が効いているかどうかのテストは、遅かれ早かれ行われるのだ。
どんな指示にも素直に従うかどうか、きちんと調べてやらねばなるまい。
この際、どんな指示があったとしても、身体にさえ傷がついていなければ問題ない。
――じっくり、楽しませてもらおう。
男の1人は、嫌らしくニヤニヤと笑いながら、目の前の少女に命じた。
「服を脱げ。……一枚ずつ、見せつけるようにな」




