第四十六話 変身
「憎い……?」
「そうですよ。……だって、おかしいじゃないですか! 私に【心理能力】が発現しないと分かった途端、仲の良かった友人も、学校の先生も、掌を返した! 私と言う存在を抹消して、無かったことにしたんです! 私は、奴隷のように扱われてきたって言うのに……のうのうと、楽しそうに、人生を、学生生活を謳歌して! そんな奴らに、生きている価値はないんですよ! みんな死ねばいい! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねッ!!」
灯里は、今や狂気を隠せてはいなかった。
壊れたレコードのように、ひたすら「死ね」と絶叫する。
【心理能力】とは、使用者の個性であり、感情であり、欲望そのものの発露でもある。
そして、【禍為子】が覚醒能力を手に入れた際は、突如として芽生えたその膨大な感情と欲望の動きを制御できず、暴走状態に陥ることがある。
今の灯里の状態からすると、その暴走状態に陥っていることは明白だった。
「……貴女が不幸な身の上だったことは、理解できました。ですが、それを他人にも味合わせてやろうと言うのは、いくら何でも筋違いです! 貴女は……」
「ふふ……お説教は、勘弁してください。どうせ、アナタには分からないことです。
……それにしても、一体いつから私が犯人だと疑ってたんですか?」
レイの言葉を差し置いて発せられた灯里の疑問に、ランが答える。
「うん。まぁ、ここに来る前からやね」
「――はぁ!?」
今度こそ、レイは仰天した。
思わず灯里から視線を外して、ランの方を見てしまう。
今日は散々驚かされてきたが、今日一番の驚きだったかもしれない。
「ここに来る前から……? いくら何でも、それは……」
「ま、最初は、双子だって知らんかったから、鹿狩彩華ちゃん本人を疑っとったけどね。……最初の犠牲者は、【氷都】の外で畜産業を営んどったおっちゃん。そんで、その後の被害者も、【氷都】やなくて、その外縁部に住んどる人々や。この人らの遺体は、まぁひどいもんやった。ほとんど身体も残ってない状態でな。……でもな、ここ【氷都】で起きた事件、これは状況がちゃうんや」
ここで、ランは一息入れた。
「【氷都】での犠牲者第一号とされている久本の遺体は、バラバラにはなっとったみたいやけど、全身がしっかり残っとった。つまり、食われてないんよ。……これ以降は皆、影も形もなくなっとるから、判断に困ったけどな」
つまり、とランは言葉を続ける。
「【氷都】の外にいる方は、人を食っとる。でも、【氷都】の中におる方は、人を食わん。この違いの正体は……」
「……【氷都】内部の【巨足】事件は、【外魔】ではなく“人間”の犯行だから……」
「そ! そん通りや」
レイの相槌に、満足げにランは笑った。
まるで出来の悪い生徒が難問に正解したかのような笑顔で。
ただ、これだけではまだ説明のつかないことがある。
「……ですが、だからと言って、彩華さんが犯人とは限らないですよね?」
「うん。まだ容疑者の段階やったよ。色々調べて、ようやく疑念が固まったけど」
「容疑者……」
「【銀】の資料をチラ見した段階で、【氷都】の内と外に、それぞれ別の【巨足】がおることは分かっとった。ほんで、【氷都】内部の犯人は、最初か2番目に犠牲になった人物と縁の近い人間と踏んだ。こう言う一見無軌道に見えるコロシは、最初の獲物を身近な人間に定めることが多いからな。久本に親類や遺族はいなかったから、鹿狩一家のうち唯一生き残った彩華ちゃんを疑っとったんよ」
「それでは、このレストランに来たのも……?」
おそるおそる尋ねるレイを、ランは笑い飛ばした。
「そんなわけないやん! ホテルがどっこも取れへんから、たまたまゴールがここだっただけや。ウチも鹿狩夫妻のレストランの場所までは知らんかったしな」
流石に、ランもそこまでは考えていなかったらしい。
レイは思わずホッとして息を吐いた。
そこまで考えて行動していたとしたら、ランのことが少し恐ろしくさえあったからだ。
「ま、そんなこんなで、たまたま、このレストランに辿り着いたってわけや」
ここで、“鹿狩彩華”が不適な笑みを浮かべたまま、口を挟んだ。
「……まだ、肝心な部分の説明がないんですけど? いつから、私が“鹿狩彩華”ではないと疑っていたんです?」
「ああ、それは簡単や。レイちゃんの偽もんが現れた時やね。【氷都】内の【巨足】は、人間が化けたものやと思っとった話はしたよな? つまり、犯人には変身能力があるってことも分かっとった」
実際に、先ほど灯里は「変身する能力を手に入れた」と言っていた。
レイの偽者が現れた段階から、既にランはそのことを看破していたと言うのだ。
ランは言葉を続けた。
「レイちゃんの姿を見とる人物は、この【氷都】にはそうおらん。それに、何より怪しかったんは、ニセもんがフードを被っとったことや。
……何で顔を隠す必要があったん?
フードなんて被らんと、顔を出しときゃ仲間割れも簡単やったはずや。つまり、顔を隠さなあかん理由があったっちゅーことやろ。
……さっきの視力の話にも繋がるんやけどな、おそらく灯里ちゃんの変身能力は、どんな相手にも変身できる代わりに、相手をきちんと視認せなあかんのやないか?
つまり、視力頼りの変身能力であるために、視力の弱い灯里ちゃんは、正確な姿に変身できひんのや。マジマジ見られたらすぐに気づかれるレベルなんやろうな。
【巨足】はともかく、レイちゃんの姿を真似るには、少し違和感が残る出来だったんやろう。そんで、わざわざフードなんて被らせたんや」
なるほど、とレイは思った。
フードの有無については、考慮していなかった。
確かにあの場面では、正体をぼかすのではなく明確にしたほうが争いを誘発できた。
敢えてしなかったのではなく、したくてもできなかったのではないかというランの推測には、一定の説得力があった。
「やから、ウチの姿を視認できるけど、視力が低くて、自分を偽っとる人物。それを全て満たしとる灯里ちゃんを疑うのは、当然やろ?」
「……本当に厄介な人ですね。あーあ、こんなことなら、泊めてあげなきゃよかったです」
「あはは、そこは運がなかったな、灯里ちゃん。……それにしても、バレるリスクを冒してまで、何でウチらのことを泊めてくれたん?」
ランの疑問を聞いた灯里は、グッと顔を顰めた。
その姿はまるで、食べたくない野菜が夕食に出た時の子どものようだった。
「さぁ、知りませんよ。ところで……」
ここで、灯里は冷たく目を光らせた。
その乾いた視線の先には、ランとレイが映っている。
「そこまでバレているのに……生きて帰れるなんて、思っていませんよねぇ!?」
灯里の叫び声を聞いてすぐに、レイは戦闘態勢に入った。
素早く身を翻し、灯里から距離をとる。
幸い、先ほどまで【巨足】と交戦していたため、【黒】の軍服姿のままだ。
レイは油断なく、灯里と対峙した。
「――《雪化粧》! 〈再現〉!」
灯里が叫ぶと同時に、ドロリと彼女の輪郭が崩れる。
真っ白い液体が彼女の全身をベッタリとコーティングしてゆき、その姿をより巨大で、悍ましい姿へと変えていく。
わずか数秒で、変身は完了していた。
轟音とともにレストランの天井を突き破って、体長5mを超える巨人が出現する。
数秒後。
レストランだったものの残骸の中に顕現していたのは、あの晩、レイが見かけた【巨足】の姿だった。
***
雪のように白く、長い体毛が冷風に棚引く。
剥き出しの真っ黒い眼球は、黒曜石のように輝いているが、それ以上に、敵意と殺意でギラギラとした光を発しているようだ。
それは、【紅】とともに対峙した、【巨足】の姿そのものだった。
ただし、オリジナルの【巨足】との間には、いくつかの違いが存在していた。
まず、こちらの【巨足】には、一切の傷はない。
【巨足】が負っていた傷は、やはり反映されていないようだ。
過去の灯里の記憶から姿を再現しているのであれば、これは当然のことだろう。
そして細かい点であるが、灯里が化けている【巨足】には、白目がなかった。
眼球全てが真っ黒なのだ。これは、視力の低い灯里が夜間に【巨足】と遭遇したので、そこまで正確にコピーしきれていなかったためと思われる。
灯里が変身する対象のことを明確に視認していなくてはならない、というランの推理は、どうやら当たっていたようだ。
レイは黒い軍服を身に纏いながら、建物が倒壊したことで押し寄せてきた冷気に身体を震わせた。先ほどまで彼女を温めてくれていた【篝火】は、既に瓦礫となって【氷都】の景観を著しく破壊していた。
急激にひらけた視界の中、レイは素早く周囲を見まわした。
幸運なことに、周辺には誰もいないようだ。【氷都】北門付近は、【巨足】が出現して以降は過疎化が進んでいたので、その影響だろう。
ひとまず、民間人を戦闘に巻き込んでしまう心配はない。
そこまで瞬時に計算したレイは、素早く傍にいたはずのランに向かって話しかけた。
「――ラン! 貴女も戦闘準備を……ラン!?」
台詞の後半が悲鳴だったのは、ランの姿が影も形も無くなっていたからだ。
(あ、あんにゃろう……!!)
レイは思わず、喉まで出かかった怒号を飲み込んだ。
珍しく脳内でランのことを口汚く罵りそうになり、ギリギリのところで自制する。
周囲の瓦礫の中に埋もれてしまっている可能性もなくはないが、あのフィジカルオバケが大人しく埋まっているわけがない。
どうせ灯里との戦いが面倒で、さっさと逃げ出したのだろう。
そして、レイに全てを任せるつもりに違いない。
(……恨みますよ、ラン!!)
「グオォォォォォォォォォ!」
「――ッ!!」
レイが胸中でランに向かって毒づくと同時に、灯里の変身した【巨足】が叫び声をあげ、突進してくる。彼女は思い切り顔を顰めると、素早く反撃に移った。
灯里が変身した【巨足】による初撃は、巨大な腕の振り下ろしだった。
ぶん、と大ぶりに振り回された腕の一撃を躱すと、【氷都】の舗装された道路が大きく陥没する。素早く距離を詰めようとするも、それ以上の速度で薙ぎ払い攻撃が続き、レイは大きく後退させられた。
「逃げているだけでは、私を殺せませんよ。レイさん」
「……その姿でも話せるのですね。彩華さん……じゃない、灯里さん」
巨大な猿が少女の声で話している光景は、どこか不気味でもあり、滑稽でもある。
今は【巨足】に変身している彩華改め灯里は、レイに向かってニヤリと嗤って見せた。
「当然でしょう? この姿も私自身なんです……からッ!」
「――ッ! ふっ!」
台詞の途中で、砕いた石材を投擲する【巨足】の攻撃を、レイは【心理能力】で防いだ。
凄まじい勢いで飛来した石礫は、レイの発生させた〈ばりあー〉に衝突し、粉塵となって砕け散った。
「それが貴女の【心理能力】なんですね、レイさん」
「はい。私の【心理能力】――《魔女》です。……あまり手加減できませんよ」
「望むところです……よッ!」
「――ッ!!」
【巨足】の変身した灯里の巨大な拳を、レイは〈ゆびぱっちん〉で撃ち落とす。
真っ白い体毛に包まれた拳が大きく弾かれ、灯里はズシンと後退した。
「……チッ! 単なる防御技じゃなかったんですね。《気体操作》の系統かな……?」
ぶつぶつと呟く灯里の声は、余裕さを醸し出していながらも、その声にはどこか苛立ちが滲んでいた。理解不能なレイの《魔女》に対して、考えを巡らせているようだ。
しかし、余裕がないのはレイも同じだった。
そもそも、彼女は先ほど本物の【巨足】と戦闘を行ってきたばかりなのだ。
それも、ランのせいで片手間な状態で戦ったために、かなり消耗している。
そもそも全身打撲の上、数時間前までは一人で歩けない有様だったのだ。
そして彼女の《魔女》には、使用し続けるとやがて正気を失うという制約がある。
このまま戦闘を続ければ、レイは無軌道に暴れ出してしまうかもしれない。
それは、看過し得ないほどの、大きなリスクだった。
実のところ、レイには、灯里を殺すつもりはなかった。
無論、彼女も自身の任務のことはきちんと理解している。
レイの任務は、ここ【氷都】における連続失踪事件を解決すること。
そして、目の前で【巨足】に変身して襲いかかってきている鹿狩灯里こそが、その犯人に他ならない。
任務の性質を考えれば、ここで灯里を殺してしまうのが望ましかった。
わざわざ拘束する手間をかけて捕らえても、灯里は連続殺人犯だ。
このまま処刑台に直行となる可能性が非常に高い立場に置かれていると言える。
しかし、レイは灯里のことを、どこか自分のことにように感じていた。
自身の覚醒した【心理能力】に振り回されて殺人犯になってしまったという点は、レイも同じだ。
また、それ以上に、灯里が【禍為子】として過ごしてきた幼少期の悲惨な生い立ちが、レイを臆病にさせていた。
レイもまた、【禍為子】と呼ばれ、忌み嫌われてきた。
しかし、彼女には自分のことを理解してくれる親友の存在がいた。
だからこそ、彼女は苦痛に満ちた学園生活の中に、大きな救いを見出すことができた。
しかし、目の前の哀れな少女には、救いは与えられなかった。
親にも、双子の姉にも見放され、蔑まれ、死んだものとして見なされ、幼少期から監禁されて育った。
そんな彼女をこのまま処刑しても良いのだろうか、という思いが、レイの中で次第に大きくなっていたのである。
レイは、目の前の哀れな殺人者を救うつもりだった。
そのためには、灯里を殺さずに無力化しなければならない。
万が一にも、暴走するわけにはいかなかった。
再び、【巨足】に化けた灯里が、その巨大な拳を振り下ろした。
今度は、レイは避けなかった。
二人の【心理能力】が激突した。




