第四十五話 もう一人の少女
「ふたり……!? 同じ人間が、ですか?」
「正確には、ウチらの目の前にいる“鹿狩彩華”が、偽物なんや」
「失礼ですよ、ラン!」
レイは思わず、ランのことを嗜めるような口調でそういった。
しかし同時に、最初に彼女が言っていた、「鹿狩彩華は変身能力を持っている」という言葉が、脳内でチラついたのも事実だった。
それが本当なら、目の前で“鹿狩彩華”を名乗っている人物は、一体誰なのだろうか。
レイの苦悩をよそに、ランは淡々と説明を始めていた。
「証拠はあるで? 例えば……」
ここで、ランは一息つく。
彼女は今から、隠された真実を明らかにしようとしていた。
「例えば……彩華ちゃん。キミ、ホントは目が悪いんやろ?」
「…………」
「――ッ」
レイは息を呑んだ。
よく転ぶ彼女の姿や、料理に入っていた不揃いな野菜の形が、脳裏に浮かぶ。
あれは、単に彩華がドジだからではなかった。視力が弱いが故のミスだったのだ。
「でもなぁ、学校のセンセにも聞いたんやけどな? “鹿狩彩華”ちゃんは、健康診断オールAだったらしいんよ。目が悪かったなんてデータは、どこにもなかった」
「……視力が落ちたのは、ここ最近です」
「嘘やな」
まるで真実を知っているかのように、キッパリと言い切るラン。
その姿勢に、思わずレイの方から反駁してしまう。
「……嘘と断じるのは、どうなのでしょう。心因性の弱視など、色々な可能性が考えられるのではないでしょうか?」
「なぁレイちゃん、よく眠れてるか?」
しかし、レイの反駁への返答は、一見すると文脈に沿っていないようなものだった。
「それが、一体なんの関係が……」
「レイちゃんが借りとる、あの部屋はな。多分やけど、お母さんの部屋じゃないんよ」
「……えっ」
レイは再度息を呑んだ。
心の中には、「そんなバカな」と言う思いが存在すると同時に、「確かに」と言う納得するような気持ちも、確かにあった。
「あの部屋は薄暗いし、不自然なほど物も置かれとらんよね。扉には覗き窓まである。それに対して、ウチの泊まってるお父さんの部屋は、ベッドも広いし、色々と充実しとった。……不自然やんな? なんで、夫婦間でこんなに差があんのか」
それは、レイも確かに感じた疑問だった。
夫婦間がいくら冷え切っていたとしても、あれだけ部屋に差があるのはおかしいと感じていたのだ。
「おそらく、ウチの泊まっていた部屋が、夫婦の寝室だったんやと思う。単にベッド広いってだけじゃ説明がつかへん。きっと、あれは夫婦用のダブルベッドなんや。……どう? 当たってる?」
「…………」
彩華は無言だった。
しかし、彼女の沈黙が、何よりもランの推理が正しいことを証明していた。
「沈黙は肯定と受け取んで。……ほんで、このレストランにある2階の居室は3つ。一つが夫婦の部屋、もう一つが彩華ちゃんの使っとる部屋。……となると、レイちゃんの泊まっとる部屋は、いったい誰の部屋なんやろうな?
……あれは、元はキミの部屋だったんとちゃうか? 彩華ちゃん」
「…………」
彩華は、顔を歪めてランの話を聞いていた。
その表情は、物悲しさと、苦渋に満ちていた。
「ウチは学校に忍び込んで、“鹿狩彩華”と言う人物について、よう調べてん。……学校のデータバンクに残っとった“鹿狩彩華”ちゃんの写真は、これや」
そう言って、ランは懐から取り出した写真をテーブルの上に滑らせた。
「これは……!」
レイは、それらの写真を見て微かに呻く。
そこに写っていたのは、確かに鹿狩彩華本人だった。
しかし、今の彩華とは似ても似つかないほど、濃い化粧をした少女だ。
派手な服装に、着崩した制服。周りに写っている友人たちの格好も似たり寄ったりで、かなりヤンチャな人物であったことは間違いない。
「な? キャラが違いすぎるやろ? それに、“鹿狩彩華”ちゃんの【心理能力】は、データによれば《液体操作》。しかも4等級やって! これ、すごいやんな?」
「それが、一体どうしたと言うんです?」
ここでようやく、彩華が控えめに口を挟んだ。
しかし、ランは全く意に介さず、話を続けていく。
「彩華ちゃん、覚えとるか? 最初にここに泊めてもらった日の翌日、テーブルにコーヒー溢したやん。んで、それをわざわざ布巾で拭いた。……4等級の《液体操作》を使えるなら、わざわざ拭かんでも、【心理能力】で吸い上げればよかったはずや」
「…………」
「視力が悪くて、中身も違くて、【心理能力】も違う。
……なぁ、彩華ちゃん。やっぱりキミ、“鹿狩彩華”ちゃんじゃないよな?」
レイは“彩華”の方を見た。
否、“鹿狩彩華”だった人物の方を見た。
そこにいたのは、レイが最初に出会った時の天真爛漫な様子とは打って変わって、皮肉げに唇を歪め、不適な笑みを浮かべた少女だった。
「あ〜あ。バレちゃいましたか。……それで? 私は一体、誰でしょう?」
その少女は、あっさりと自分が“鹿狩彩華”ではないことを認めた。
その上で、彼女が紡ぎ出した言葉は、かなり挑戦的な言葉だった。
要するに、「私が誰か当ててみろ」と言っているのだ。
その挑戦に対し、ランはうっすらと笑うと、こう言った。
「もちろん分かっとるよ、“灯里ちゃん”」
ランは、目の前の“鹿狩彩華”の姿をした少女に対して、“灯里ちゃん”と呼びかけた。
その結果は劇的だった。
“灯里ちゃん”と呼びかけられた少女の顔色が、一気に変わったのである。
その激烈な反応は、彼女の正体が“灯里ちゃん”と言う名前の少女であることの証拠に他ならなかった。
「キミのほんまの名前は、鹿狩灯里。……鹿狩彩華ちゃんの、双子の妹や」
***
レイは、言葉を失っていた。
ランの言っていることが正しければ、鹿狩彩華だと思っていた人物の正体が、その双子の妹だと言うのだから。
しかし、すぐさまレイは反論した。
彼女が知っているデータとの間に、齟齬があったからである。
「ちょ、ちょっと待ってください。被害者の家族構成を確認しましたが、鹿狩夫妻の娘は、彩華さん一人だけでした。双子などと……」
「うん、資料は確かにそうなってたわ。でもな、3番目の行方不明者……医者の寺島正弘の職場に忍び込んだ時、ちょろっと見たんやけど……。出生届そのものは、双子で提出されとったんや」
「えっ!?」
「そんでさらに調べてみたら、鹿狩灯里は、5歳の時に病死しとった。それを記録したのも、この寺島医師やったんや。そんで、それ以降の記録はなくなっとる」
「ですが、実際には……」
「そう、実際には、死んでなかった。多分、何らかの理由で、灯里ちゃんは死んだことにされた。そして、それ以降、このレストランの2階で監禁されて育ったんや。……レイちゃんの泊まっとる、あの部屋でな」
「……ッ」
レイは思い切り顔を顰めた。
事情はともかく、あの陰気な部屋で一人の少女が監禁されていたと聞いて、気分が悪くなったのだ。それに、そんないわくつきの部屋に自分が寝泊まりしていたと言うのも、あまり気分のいいものではない。
「ちなみに、灯里ちゃんが死んだことにされた事情も、想像はついとるよ。灯里ちゃん、キミ……【心理能力】が発現しなかったんやろ?」
ギリッ、と言う歯軋りの音。
それは、“鹿狩彩華”と名乗っていた、鹿狩灯里から発せられたものだった。
その姿は相変わらず“鹿狩彩華”の物だったが、これまで2人が見てきた人物とは、既に、明らかに違う人物だった。
「……そうです。双子の姉には【心理能力】が発現したのに、私には発現しなかった。だから、あいつらは、私を存在しないことにしたんです。忌々しい【禍為子】だと言ってね」
【禍為子】とは、神聖皇国に伝わる、忌子のことを指す言葉だ。
簡単に言えば、【心理能力】を発現できなかった子どもへの蔑称である。
基本的に、【心理能力】はすべての人間に発現する能力で、どんなに遅くとも5歳の頃には扱えるようになる。
しかし、ごく稀に、これを持たずに生まれてくる子どもがいる。
それが【禍為子】。
存在するだけで災禍を為す子どもとして、神聖皇国では差別の対象となっている。
レイは、何も言えなかった。
彼女もまた、【心理能力】が発現しないまま育った結果、【禍為子】としての差別を受けて育った過去を持っている。灯里が死んだことにされたと聞き、自分のことのように、レイも心を痛めていた。
“鹿狩彩華”……否、鹿狩灯里の独白は続く。
「私は【禍為子】として、家族から隔離されて育てられました。両親も、姉も、私を蔑んで、疎んじていました。その一方で、奴隷のようにも扱われました。家の掃除や、洗濯や、料理といった家事全般を私にやらせて、自分たちはのうのうと生きていたんです。時には暴力さえ振るわれました。……そして、ある日」
灯里は、ここで一息入れた。
溢れ出しそうになる激情を抑え込んだように、レイには見えた。
「……姉は私の部屋に来て、言ったんです。「私の【心理能力】が伸びないのは、お前のせいだ」って。「お前が【禍為子】だからだ」って……。そのとき私、つい言い返してしまったんです。そんなわけないって。そんなの、当たり前ですよね? ……ですが、私ごときに言い返されて頭にきた姉は、いつも通り、私のことを思い切り殴りました。そして私は、ベッドの柱に、思い切り頭を打ち付けだんです。その時、当たりどころが悪くて、思い切り血が吹き出しました。そのまま、私は気を失ったんです。
……次に目覚めた時には、既に家の外にいました。きっと、両親は私が死んだと思ったのでしょうね。こっそり、外に埋めようとでもしたのではないでしょうか。意識が朦朧としていましたが、門番の男に金を渡して、【氷都】の外に出たことも分かりました。
でも、途中で私が目を覚ましたことに気付いたあの人たちは、怖くなったのか、逃げ帰ってしまったんです。……血を流して倒れている私を真冬の雪山に放置したまま、ね。
……私は、途方に暮れました。そうして、夜の雪山を彷徨っているうちに、私は出会ったんです。【巨足】に……」
ここで、灯里は壮絶な笑みを浮かべた。
「……今では、両親に感謝もしてるんですよ? あいつに食われかけて、ようやく私は【心理能力】を手に入れたんですから!」
【禍為子】と呼ばれる子どもたちは、通常、【心理能力】を獲得できないまま死んでいく。
しかし稀に、壮絶な体験を通じて、非常に強力な能力に覚醒するような者も、ほんの一握りだが存在する。かくいうレイも、そのほんの一握りの【心理能力者】だ。
そして目の前の少女もまた、両親に捨てられ、【巨足】に食われかけるという壮絶な体験を通じて、覚醒能力を手に入れたのだろう。
鹿狩灯里の独白は、まだ続いている。
「私の手に入れた力は、相手の姿をコピーすると言うもの。私は、私を食おうとしている【巨足】に変身してその場を逃れると、そのまま【氷都】まで戻ってきました。そして、目覚めた【心理能力】を使って、まずは門番の男……久本でしたか? そいつを殺しました。“豚一頭”ですって? アイツの方こそ、豚のように泣き喚いていましたよ。
……次に、姉を攫って、両親を【氷都】の外に誘き出しました。そして……とうとう、ぶっ殺してやりました! 泣き喚いて、いい気味でしたよ! あははははは! ……こうして私は、ようやく復讐を遂げることができたんです」
灯里は、うっとりとした顔で天井を見上げた。
その表情はどこか、ゾッとするほどの妖艶さに満ちていた。
その異様な雰囲気に呑まれかけながらも、レイは言葉を絞り出した。
「それなら……復讐は、終わったのでしょう? 何故です!? 他の人々は、なぜ殺したんですか!?」
灯里は狂気に満ちた表情で、にっこりと笑った。
「何故? 当たり前じゃないですか。……憎かったからですよ」




