第四十四話 暴露
【巨足】が討伐される一部始終。
その様子を、少し離れた丘の上から眺めている2人組がいた。
片方はガリガリに痩せており、かなりの長身だ。
レンズが丸く小さいメガネをかけているのが特徴的である。
もう一人は、長身の方とは対照的に、小柄な女だった。
こちらは、柔らかな明るい茶髪と、細い一重瞼が特徴的だ。
小柄な方が言った。
「どうやら【巨足】は退治されてしまったようだな」
それに対し、長身の女が答える。
「まあねぇ。とはいえ、必要なサンプルは採れたから、問題ないけどねぇ。……それにしても、あんなに虐めることはなかったんじゃないかねぇ?」
「別に虐めていたわけではないのだがな。本気では無かったとはいえ、私の〈呪縛骨〉が砕かれたんだぞ? 弱らせねば〈採血〉はできなかったろう?」
「まぁねぇ。途中で逃げられちゃったからサンプルの量はちょっと少なめだけどねぇ。……しかし、ジャンプして逃げるとはねぇ」
「強靭な肉体に、冷気への耐性。今回の実験は、中々上手くいっていたと思うんだがな」
「そうだねぇ。元の人格が消滅してしまったことを除けば、【外魔化実験】は上手くいっていたと言えるんじゃないかねぇ」
「……嫌味なやつだな。それを言うな。……それで、次の実験場はどこだ?」
「南だねぇ。早速ラボに戻って、新たな【外魔剤】を作らなくてはねぇ」
「このサンプルが最後のピースなのか? 確か、最強の【外魔】を作るんだったか?」
「……そう聞くと随分陳腐に聞こえるがねぇ。まぁ、これで〈寒冷耐性〉は獲得できるんじゃないかねぇ」
「何はともあれ、ボスに報告しなくてはな」
「急ごうじゃないかねぇ。我ら【紋黒蝶】の悲願のためにもねぇ」
***
レイとランの止まっているレストラン、【篝火】のホールにて。
何とか雪山から生きて戻ってきたレイは、全く反省する様子のないランに対して雷を落としていた。
「全く……何を考えているんですか!」
「いやー、まだ頭がガンガンするわ。あない本気で殴らんでもええやん」
「まだまだ叩き足りないですけどね!」
「まぁまぁ……そんなに怒ると健康に悪いで?」
「こっちは死にかけたんですが!?」
「生きとるやん。良かった良かった、今日はハッピーデー♪」
「……もう一回、ぶん殴りますよ?」
「や、やめて! レイちゃんの本気はホンマに痛いんやから!」
レイの怒りに満ちた視線を受けたランが、大袈裟に騒いで見せる。
そして、それを眺めていた彩華が、ほんわかと呟く。
「仲良しさんですねぇ〜」
「違います!」
「ええー! 違うってひどいやん! こーんなに仲ええのに!」
「ちょっ! くっつかないでください!」
へばりついてきたランをぺいっと引き剥がすレイ。
ランは一応レイの上官なのだが、そんなことは彼女の意識から抜け落ちている。
それどころか、今なお、レイの怒りはおさまっていなかった。
【紅】第七部隊の隊長である吉良が【巨足】を退治した後も、色々と大変だったのだ。
【巨足】の一撃をまともに喰らったレイは、全身打撲で動けなかった。
全身の骨にヒビが入っているレベルの重傷だったレイだが、彼女の身体能力は人外じみている。1時間もしないうちに自力で歩けるようになったのだが、それまでの間、ランに背負われながら下山という、屈辱的な体験をする羽目になったのだ。
【紅】の面々にも情けない姿を見られるやら、ランにまで散々揶揄われるやらで、レイのストレス係数は一気に加速することになった。
そのため、ランにおぶわれていたレイが真っ先に実行したのは、上官であるランの頭を思い切りぶん殴ることだった。
勝手に【心理能力】に制限をかけた挙句、どこかへ姿をくらませた罰としては、いささか軽すぎたかも知れない、とレイは思っていた。
というのも、その場では大袈裟に痛がって見せたランであったが、数秒後には、けろりとした表情でスキップしながら下山し始める始末だったからである。
ちなみに、レイは結構本気で殴ったので、ランが平気な顔をしているのが少しだけ悔しかったりした。彼女の本気は、文字通り岩をも砕くレベルである。それだけの力で殴られても顔色ひとつ変えないランは、やはり腐っても【死神】の一員なのだろう。
レイにとっては、全くもって業腹なことではあるが。
そうしてようやく【篝火】に戻ってきて、彩華に再会した二人は、レストランのホールで暖炉にあたりながら、わちゃわちゃしている、というわけなのであった。
【巨足】が倒された、というニュースは、既に彩華も知るところとなっている。
家族の仇が討伐されたと聞いた彩華は、どこか空虚な表情で「そうですか」と呟いただけだった。急な知らせに、心の整理が上手くついていないのだろうと、レイは思った。レイは孤児だったので、自身の両親の顔を知らない。しかし、大切な人を失う悲しみは、誰よりもよく知っていた。だからこそ、彩華の心情を慮ることができる。
「あ、彩華ちゃん! コーヒー淹れてぇな! 熱々で頼むで!」
「ふふふ……。分かりました、ランさん」
……約1名、彩華の気持ちなど考えていない人物も、いるにはいるが。
彩華が入れてくれた熱々の紅茶を啜りながら、ランは言った。
「いやー面倒だったわー。やっぱり、【紅】に任せとけば良かったやん」
その言葉と表情に、レイはムッとして言い返す。
「それは結果論です! 元々は【黒】の任務なのですから……」
「ま、結局【紅】がやってくれたんやし、良かったやん」
「……まぁ、それは確かに……。とりあえず、良かったです。事件が解決して」
「ん? まだ事件は解決してへんで?」
ランが言った。
「……は?」
レイは呆然と聞き返した。
あっけに取られているレイを横目に、ランは言葉を続けた。
「だって、【巨足】はもう一匹おるもん」
「――はぁ!?」
レイは思わず絶叫した。
窓の外では、再び吹雪が勢いを増していた。
***
「……【巨足】が2匹って……冗談ですよね?」
「冗談やないよ。【巨足】は2匹おる。おそらく【外界】から侵入してきて、レイちゃんが戦った個体。それから、【氷都】ん中で暴れとった個体や」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ここで、我慢しきれずにレイは口を挟んだ。
「ランは、まだもう一匹、【巨足】が存在していると言うのですか!?」
レイは慌てていた。
事件が解決したかと思われていたのに、まだ終わっていなかったと告げられたのだ。
しかも、ランの言うことが正しければ、生き残っている個体は【氷都】のなかに存在すると言うことになる。それでは、この街で発生している連続食害事件は、これからも続くということになってしまう。レイが焦るのも、無理はなかった。
しかし、ランは落ち着いたものだ。
「うん、まだ【氷都】ん中におるよ」
このような爆弾発言をさらりとしてしまえるほどに。
いっそう慌てたのはレイである。彼女は、顔色を変えて叫んだ。
「なっ!? ば、場所はわかっているのですか!?」
「うん。……だって、そこにおるからね」
「……は?」
ランが指差した先にいたのは……。
「えっ? 私ですか?」
二人がお世話になっているレストラン“篝火”の若き女主人、鹿狩彩華の姿だった。
***
ランが指差した先にいたのは、彩華だった。
慌てたのはレイである。
彼女には、途方に暮れていた二人に泊まる場所を提供してくれたと言う恩がある。
その恩人に対して無礼なことを言ったランを、レイは慌てて嗜めた。
「ちょっと、ラン! タチの悪い冗談は……」
「冗談ちゃうよ? だって彩華ちゃんが、今回の事件の犯人やもん」
「――はあっ!?」
レイは驚愕の表情を浮かべる。
今回の事件の犯人は【巨足】だと、彼女は今の今まで思い込んでいたのだ。
「彩華ちゃんは、たぶん、自分の姿を変えることができる【心理能力者】なんや」
「……それは、【顔剥ぎ】のような?」
自身の姿を変えることができる【心理能力者】としてレイが真っ先に思い当たったのは、【水端】で出くわしたSレートの犯罪者、【顔剥ぎ】のことだった。
その正体は、褐色の肌に、【紋黒蝶】のタトゥを入れた若い女で、レイはまんまと彼女に逃げられてしまっている。【顔剥ぎ】は、文字通り被害者の顔の皮膚を剥ぎ取ることで、その人物に変身することが出来る能力者だった。
ランは、彩華が【顔剥ぎ】と同系統の【心理能力者】だと言っているのだ。
「いや、【顔剥ぎ】とは別系統の能力や。おそらく、対象を視認しただけで変身できるような、もっと汎用性の高い【心理能力】やと思う」
「……その【心理能力】で、【巨足】に変身していたと、そう言うことですか?」
「そうや。……そうやろ? 彩華ちゃん」
ランがそう呼びかけるも、当の彩華は困惑したような声を上げるばかりだった。
彼女は、片づける前の食器を抱えたまま、ランに問い返した。
「えっと……。なんのことだか、分からないんですけど……」
「そうですよね、彩華さん。……ラン、やはり、何か勘違いしているのでは……?」
「まぁまぁ、全部説明するから」
「はぁ……」
ランは自信ありげにそう言っているが、レイは困惑しきりだった。いきなり彩華が犯人などと言われても、はいそうですかと受け止められるものではない。
しかし、そんなレイのことを尻目に、ランは説明を始めてしまう。
「まずは、【氷都】で最初の被害者が出た日のことから整理すんで」
「……わかりました」
「最初に、【氷都】で被害者がでた日。その晩は、【氷都】への外出者はいないことになっとる。……でも、実はおったんよ。記録に残ってないだけでな」
「そんなことが……」
「あの晩の担当は、久本康夫っちゅう不良警邏の男や。レイちゃんも知っとるやろ?」
「……ええ。分かります」
その男は、レイも資料で読んだため、よく知っている男だった。
久本康夫とは、【氷都】における【巨足】の最初の被害者とされている男の名前だ。
ランの話と【巨足】事件の奇妙な符合に、レイの眉が顰められる。
「……それがどうしたというのですか?」
「まぁ、聞きや。久本は不良でな、賭博にのめり込んどったんや。これも、レイちゃん知っとることやろ?」
「……ええ」
そのことは、久本康夫の職場に聞き込みをした際、彼の同僚から聞いていた。
大した情報ではないと、レイは考えていたのだが……。
「そんでな、こっちにきてから知り合ったマフィアのお友達にも聞いたんよ。そのにーちゃんも久本のことはよう知っとってな。色々話してくれたで?」
と、ここでランは含み笑いをした。
意図が分からなかったレイが首を傾げると、ランは笑い混じりに続けた。
「や、すまんな。元気一杯のお友達やったから、ちょい思い出し笑いをしただけや。……そんでな、久本の兄ちゃんは、時々明らかに自身の稼ぎよりも大きな額でギャンブルに臨んだそうや」
「……典型的な、破滅型のギャンブラーだったのでは……?」
レイが慎重な反論を行うと、ランは首を振った。
「ちゃうみたいやで? 久本は博打に弱くて、よく全財産スってたらしいんや。それでも小遣いが消えないもんやから、探りを入れてみたやつがおってん。ま、借金でもしとったら取り立てんのが面倒やろうからな。……そんでな、久本が吐いたところによると、時折、違法な副業をしとったらしいんよ。久本が担当の夜に、【氷都】のゲートをこっそり開けて、物品を密輸入する仕事や」
「……そうだったのですね」
あまりの意外さに、レイは驚いていた。
久本康夫が違法な副業に手を出していたことが、ではなく、ランがここまで入念に久本のことを調べ上げていたことに対して、である。
遊びまわるか、だらだらしていただけに見えた彼女だったが、真剣に任務に臨んでいたとでもいうのだろうか。
「ある晩、久本はいつも通り、こっそりゲートを開けた。そんで、【氷都】からあるものを運び出しとるんや」
「……あるものとは?」
「久本のロッカーにあった帳簿によれば、その晩は、“豚一頭”を運んだらしいで」
その時、ガシャン、という破壊音が響いた。
近くで話を聞いていた彩華が、手に持っていた紅茶のポットを取り落とした音だった。
彼女の手は、ブルブルと震えていた。
「彩華さん、大丈夫ですか!?」
「だい……じょうぶです」
明らかに大丈夫そうではない彩華の様子に、レイは慌てて椅子から立ちあがろうとした。しかし、それを静止したのはランだった。彼女は言った。
「大丈夫やって言うんやから、大丈夫なんやろ。……座ったら?」
「ええ……そうします」
レイはしばらく椅子に座り込んだ彩華の方を気遣わしげに見ていたが、やがてランの方へと視線を戻した。
「……それで……その豚一頭がどうしたんです?」
「おうおう、話が途中やったな。……でも、不思議やない?」
「何がです?」
「夜中に、わざわざ豚を一頭運び出しとることが、や。普通、危ない薬とか、禁制の品とか、そういう換金価値の高いものを扱うはずやろ? 帳簿によれば、この取引で久本が得た金額は15万。……豚一頭を運び出しただけで、こんな金額になるかな?」
「なるほど……」
レイは唸った。
彼女はその裏帳簿とやらに目を通してはいない。
しかし、そのデータから、微かな違和感を抱いて調べたと言うのなら、ランは見た目によらず、かなりのキレ者と言うことになる。
……普段の姿からは、とてもそうは見えないが。
「面白いのは、こっからやねん。その豚一頭の搬出を依頼したのは、なんと驚き、鹿狩夫妻だったんや!」
「鹿狩夫妻が……!?」
【氷都】で2番目に犠牲になったと言われている、鹿狩彩華の両親だ。
最初に犠牲になった久本と、2番目に犠牲になった鹿狩夫妻。
この奇妙な符合は、一体なんなのだろうか。
「裏帳簿を見てみるとな、時折、豚一頭とか、動物の搬出を大金かけて請け負っとった。単なる動物に、これだけの大金は普通出さんよね? ……これ、多分やけど、“死体”のこと言っとるんとちゃうか?」
「……」
胸糞の悪い話だった。
遺体を豚などと呼んでいることへの怒りと、そんな仕事を賭博のために請け負っていた久本への嫌悪感とが、レイの胸中を満たした。
しかし、今の論点はそこではない。
問題なのは……。
「そう、問題なんは、その次や。……鹿狩夫妻は、一体誰の死体を運んだんやろうな?
……ウチは、それが“彩華ちゃん”の死体やと思っとる」
「――ッ」
ランの言葉に、近くの椅子に座ったままの彩華が息を呑んだ。
「し……しかし、彩華さんは今もここに……」
「うん、ここにおる。ここからがややこしいところやねんけど……。
……たぶん、鹿狩彩華は、2人おる」




