第四十三話 救援
「グオォォォォ!」
「くっ」
レイは必死で【巨足】の攻撃を避け続けていた。
今のレイは、ランによって【心理能力】を封じられた状態だ。
生身で【巨足】の攻撃を喰らえばひとたまりもない。
あっという間にミンチにされてしまうだろう。
かと言って、逃げ続けるのにも限界があった。
【巨足】はその図体にそぐわぬほどの敏捷性を備えており、凄まじい速度で攻撃を繰り出してくるのである。
【心理能力】を失ったレイがここまで逃げ切れているのは、彼女が生まれつき高い身体能力を備えているからだった。何キロ全力疾走しても息切れしないスタミナと、50mを数秒で走り抜ける走力、ドアノブを歪めてしまうほどの膂力。
人外じみた身体能力ではあるが、文字通り人外の化け物である【外魔】が相手となるとかなり厳しいものがあった。
そもそも、身体能力が高いと言っても、頑丈さは普通の少女と変わらないのだ。
一撃でも喰らえば、それでお終いである。
しかし、いつまでも逃げ続けているわけにもいかない。
この極寒の気候と吹雪のせいで、彼女のコンディションは極めて悪い。
それに加えて、積雪のせいで足場も最悪だった。
いくらスタミナがあるとは言え、人間ではある以上、少しずつ体力は失われていく。
(ええい、ままよ!)
レイは、とうとうここで腹を括った。
逃げ続けるのをやめて、【巨足】と正面から向き合う。
「グオォォォォ!」
即座に突き出される【巨足】の拳。
レイは、その類稀なる動体視力によって、【巨足】の動きを捉えた。
(――ここだ!)
紙一重で【巨足】の拳撃を回避すると、素早く拳を繰り出す。
ズンという音と共に、レイの拳は【巨足】の腕に食い込んだ。
「グゥゥゥゥゥ!?」
予想外の痛みに、【巨足】が呻き声をあげる。
素の状態で鋼鉄さえ捻じ曲げるほどの膂力を持つ、レイのパンチだ。
例え上級の【外魔】とはいえ、何も感じないというわけにはいかない。
しかし、【外魔】の表皮も鋼鉄並に頑丈である。
対してレイの拳は、耐久力だけ見れば普通の少女のものだ。
そのようなものを力任せにぶん殴れば、レイの方もタダでは済まない。
はず、だったのだが……。
(……ん? あまり痛くない……?)
かなりの痛みを覚悟していたレイだったが、予想とは異なり、それほど大きな痛みはなかった。不思議に感じた彼女であったが、すぐに理由に辿り着く。
(これは……〈魔力〉が、私を守っている?)
その気配は、ランによって封じられたはずの、彼女の【心理能力】の痕跡だった。
それと同時に、レイはランのセリフを思い出した。
彼女は、【心理能力】をオフにした、と言ったのではない。
【心理能力】の射程をゼロにした、と言ったのだ。
つまり、彼女は【心理能力】を使えない、というわけではない。
レイの【心理能力】である《魔女》は、不可視のエネルギーを生み出し、操作するもの。
これまでは体外で生み出し、鎧や刀、銃弾のように使ってきた。
しかし……〈魔力〉を生み出すのが、体内であれば?
レイは、この状況を脱却するヒントを得たような気がした。
「グオォォォォ!」
痛みを堪えるように吠えた【巨足】が、素早く次の攻撃を繰り出してくる。
考えている暇はない。
レイは、素早く〈魔力〉を体内で練り上げるイメージを浮かべる。
そして、【巨足】の拳を掻い潜るように懐に潜り込むと、猛スピードで拳を繰り出す。
ドガン!
轟音と共に、【巨足】の5mもある体がぐらついた。
「グォ……ッ!?」
【巨足】の口から、苦痛に塗れた呻き声と共に、油っぽい血液が溢れ出す。
レイの拳は、間違いなく【巨足】に大きなダメージを与えていた。
(……いける! これなら……!)
彼女が行ったのは、至極単純な「身体強化」である。
不可視のエネルギーである〈魔力〉を体内で練り上げ、一点に集中。
ただでさえ高いレイの膂力に〈魔力〉によるエネルギーがプラスされ、拳撃の威力を爆発的に高めたのだ。
「グオォォォォッ!」
苦し紛れに【巨足】が繰り出した蹴りをひらりと躱すと、次にレイは自身の脚に〈魔力〉を込めた。そして、【巨足】の顎目掛けて、思い切り蹴り上げる。
ゴガン!
更なる轟音とともに、その巨体が僅かに浮いた。
「グアァァァァ!」
【巨足】のあげる絶叫は、明らかに苦痛に満ちていた。
蹴り上げられた口元から、血液と砕けた歯のかけらがパラパラと散る。
【巨足】の身体がぐらつき、僅かに後ずさる。
それは、戦いが始まってから、初めての後退だった。
「……逃げるのですか?」
「グ……グオォォォォッ!!」
レイの呟きが聞こえたかのように、【巨足】が怒鳴り声を上げた。
そして、感情のままにレイに向かって突っ込んでくる。
それを闘牛のようにひらりと躱すと、レイは〈魔力〉を込めた突きを放つ。
ズン、という音と共に指先が【外魔】の表皮に食い込み、【巨足】は更なる負傷を負った。
そこからしばらくは、ペースを掴んだレイが優位に立って戦いが進んでいった。
【巨足】はジワジワとダメージを負い続ける一方、レイは未だ無傷。
しかし、この優位性はあくまで薄氷の上に存在するものだ。
レイは一撃でも喰らえば、ゲームオーバー。
一方、【巨足】は持ち前の頑強さと生命力で、レイの攻撃に耐えることができる。
しかし、【巨足】がレイに怯えを見せ始めているのに加え、レイが終始冷静に対応しているために、戦況は彼女に味方していたのだった。
しかし、そんな中、とびきりの不運がレイを襲った。
【巨足】の蹴りを飛び退いて回避し、反撃しようと踏ん張った瞬間、その身体がぐらりと傾いたのである。
(――しまっ……!)
吹雪のせいで、視界は最悪だ。
また、積雪のせいで、足元も悪い。
そんな状況で戦っていたせいで、吹き溜まりの上に着地してしまったのだ。
地面の穴にズボッと足を取られ、レイの動きが一瞬だけ緩慢になる。
文字通り、彼女は薄氷を踏み抜いてしまったのである。
その隙を、【巨足】は見逃してはくれなかった。
「グォォォォォ!!」
【巨足】は傷だらけの拳を、レイ目掛けて思い切り振り抜いた。
掬い上げるような【巨足】の拳撃は、正確にレイの身体を捉える。
直後、少女の身体が宙を舞った。
***
(……くっ!? 身体が……!)
【巨足】に思い切り殴られたレイの意識は一瞬だけ途絶えたが、持ち前の身体能力の高さが幸いして、即座に気を取り戻していた。
しかし、正面から【巨足】の攻撃を喰らったせいで、身体が痺れたように動かない。
それどころか、あちこちが酷く痛んだ。あちこち骨折しているか、良くても骨にヒビが入っているだろう。控えめに言っても重傷である。
レイの優れた身体機能にかかれば、これだけの重傷でも直ぐに動けるようになるだろう。しかし、いくらなんでも重傷を負っても平気、などとというわけではない。
実のところ、上級【外魔】の一撃を喰らってもバラバラになっていない方がおかしいのだが、レイはそのことに感謝できるような心境ではなかった。
「グッ、グッ、グッ……!」
【巨足】は笑い声を上げながら、地面に倒れ伏しているレイを覗き込んだ。
彼女が逃げられないのを分かっていて、痛ぶるつもりだろう。
(くそ……!)
もはやこれまでか、とレイが覚悟を決めた、その時だった。
ジュッ! という微かな音と共に、純白の吹雪の中を一条の紅い熱線が駆け抜けた。
「グアァァァァッ!」
その紅いラインは【巨足】の胸元を貫通し、直後、絶叫が上がった。
(いったい、何が……?)
レイの疑問は、即座に氷解した。
「大丈夫か? 【死神】の……レイ、だったか?」
吹雪の向こう側から姿を見せたのは、真紅の衣を纏った長身の女。
【紅】第七部隊の隊長、吉良 響だった。
その傍には、《跳躍》の使い手である乾が控えている。
おそらく、自身の【心理能力】で吉良を連れて急行してきたのだろう。
レイは、痛みに霞む視界の端で、吉良が【巨足】に向かって指を構えるのを見た。
「――〈一指・炎銃〉」
吉良が手を鉄砲のような形に構え、人差し指を【巨足】に向ける。
直後、その先端から真紅の光が迸った。
「グアァァァァ!」
その光線は先ほどと同様に【巨足】を貫き、再び悲鳴が上がった。
胸元からプスプスと白煙を上げながら、【巨足】は穴の空いた胸を掻きむしる。
高崎の【火球】では傷一つ負わなかった【巨足】が、明確に傷を負っていた。
それを為したのは、吉良の【心理能力】。しかし、彼女の能力は何も突飛なものというわけではない。それどころか、彼女の能力の本質は高崎と変わらない。
彼女の【心理能力】は、【火】。
ごくごく単純な、火を発生させるというだけの【開放型心理能力者】だ。
しかし、高崎のように巨大な火球を発生さえると言ったこともできない。
文字通り、火を起こすことができるだけの能力なのである。
高位の火炎使いともなれば、周囲を火の海に変えられるほどの、大規模な【火】を操ることができる。
しかし、吉良にはそのような真似はできない。
それどころか、彼女が【火】を灯すことができるのは、自身の爪の先だけ。
ごく小さな範囲でしか【火】を操ることのできないという、【紅】の隊長にはおよそ似つかわしくない、極めて使いにくい能力なのである。
【心理能力】に目覚めた直後は、当然のように一等級で、本当に小さなライター程度の火力だったのだ。
しかし、彼女は諦めなかった。
吉良は考えた。
爪の先にしか灯すことができないのなら、その熱を凝縮させれば良いのでは、と。
毎日、血の滲むような努力を続けた彼女は、とうとう8等級まで上り詰めた。
そうして吉良は、その小さな【火】を唯一無二の技にまで昇華して見せたのである。
先ほどの〈一指・炎銃〉は、爪の先に灯した【火】を凝縮し、熱線として放つ技だ。
吉良にとっては最も基本的な技であり、同時に彼女の奥義でもある。
特に貫通力に優れ、その熱は、下位の【心理能力】を無効化する上級【外魔】にさえ、容易に風穴を開けるほど。当初はライター程度の火力だったなどと到底思えないほどの威力を誇るのだ。
しかし、貫通力にこそ秀でてはいるものの、攻撃範囲は狭い。
5mもの巨体を誇る【巨足】には、いささか効き目が弱いようだった。
「グオォォォォッ!!」
流石に2度も胸元に風穴を開けられれば、新たな敵に気付くというもの。
【巨足】は目を怒らせながら吉良の方を振り向くと、猛然と飛びかかった。
「……なるほど。〈一指〉では仕留めきれんか。ならば……」
吉良は、人差し指と中指を揃えて、ピンと伸ばした。
そして、揃えた2本の指を腰だめに構えると、突進してくる【巨足】目掛けて、素早く振り抜いた。
「――〈二指・炎刃〉」
刹那、鋭さを増した真紅の閃光が【巨足】を両断した。
【巨足】は、どこかキョトンとした顔で吉良のことを眺めていたが、やがて、その上半身がずるりと零れ落ちた。
ズシン、という地響きを立てて、両断された【巨足】の死体が雪原に転がる。
しばらく残心していた吉良であったが、やがてチラリと地面に倒れたままのレイに視線を向けた。
「……助けは要るか?」
「……お願いします」
危ういところを救われたレイは、羞恥と申し訳なさで、思わず顔を伏せた。
【黒】として任務に赴いた先で、【紅】に討伐対象を代わりに退治してもらうなど、前代未聞であろう。
しかし、ひとまず事件は解決したようだ。
あれだけ強かった吹雪も、少しずつ収まりつつある。
レイは、小さくため息をついた。
そして、未だ力の入らない拳をグッと固める。
なぜなら……。
「やー危ないところやったな! たはは!」
レイに縛りプレイを強要した挙句、全てが終わってからノコノコと現れたランのことを、思い切りぶん殴ってやろうと思ったからである。




