第四十話 接敵
(ふぅ……今日も素晴らしい夕食でした)
夕飯にグラタン3皿を平らげたレイは、少し早めにベッドに潜り込んでいいるところだった。寒風吹き荒ぶ中、夕方まで【氷都】を歩き回っていたため、いかにフィジカルオバケのレイと言えど、疲弊するのは避けられなかった。
ぶるっ、とレイの身体が震える。
彩華には分厚い毛布を用意してもらったのだが、レイの用意してもらった部屋そのものが冷えるのだ。
彩華の好意により、この【篝火】を拠点にすることができたのは僥倖だった。
食事も一流ホテルに負けないぐらい美味しいし、暖炉も暖かい。
しかし、レイの与えられた部屋(ランにもう一方の部屋を取られてしまったせいだが)だけは、少しばかり環境が良くなかった。寝泊まりできる場所があるだけで十分だし、レイもそれ以上を望むのは贅沢だと分かってはいたが、この陰気な部屋だけは、どうしても好きになることができないのだった。
レイはベッドの中で寝返りを打った。
そして、ふと何の気なしにカーテンを捲り、壁に嵌め込まれた小窓から外を見た。
その瞬間、レイは、“そいつ”と目が合った。
小窓がいっぱいになるほど、巨大な眼球だった。
どこまでも黒い、ガラス玉のような目。
真っ白な長髪の中からギョロリと飛び出した眼球は、どこかユーモラスでもあり、しかしそれ以上に不気味だった。
「……【巨足】!?」
レイは飛び起きると、慌てて小窓に向き直った。
小窓からカーテン越しに部屋を覗き込まれていたのだ。
ましてや、ここは2階である。
目玉の大きさからしても、敵の身長は5mを超えているのは間違いない。
「……【着装】ッ! 音声認識:【レイ】!」
慌てて腕輪を起動し、黒い軍服を着装する。
しかし、そのほんの一瞬で、【巨足】は窓から見えなくなっていた。
レイは慌てて1階に降りると、すぐさま外へと飛び出した。
レイの部屋の真下には、巨大な足跡が残っていた。
しかし、本体の【巨足】そのものは、既に影も形もない。
レイの感覚は鋭い。あれだけ巨大な生き物が接近してきているのに気が付かなかったと言うのは考えにくいから、やはり敵は瞬間移動の真似事ができるのかもしれない。
慌ててレイが周囲を見回すと、月夜に照らされた巨大な影が、北門の方向へと跳ねていくのが見えた。
「逃すかッ!」
レイは己を奮い立たせるように叫ぶと、【巨足】の逃げていく方向へと走った。
***
「……鹿狩彩華とかいう少女は、嘘を言っていたようには見えなかったが……」
「……何も出ないっすね。本当に北門に来るんですか?」
レイが【巨足】の影を追っていた頃、【氷都】の北門付近で、そんな風にぼやいている二人組がいた。
いずれも、目の覚めるような真紅の軍服を身に纏っている。
二人は【紅】のメンバーだ。
片方は、ホテルでランやレイと揉め事を起こしかけた少女、乾美春。
柔らかなボブカットと150cmの体躯が特徴的な、【紅】第六部隊の副隊長だ。
もう一人の方は、小島 葉。乾の後輩に当たる少女で、まだ若いが今回の精鋭部隊に引き抜かれるほどの実力者でもある。ちなみに、彼女の方が背は高い。
二人は警戒を緩めることなく、夜の【氷都】を巡回していた。
しかし、ここ数日、何も成果は出ていない。
少しばかり気が抜けてしまうのも、無理はないと言えた。
その時だった。
「がっ……!」
小島がいきなり吹き飛ばされ、【氷都】の外壁に叩きつけられた。
巡回していた2人の元へ、何者かが凄まじい勢いで飛び込んで来たのである。
乾は咄嗟に回避できたが、小島は跳ね飛ばされ、意識を失っている。
「何者だッ! ……貴様は!?」
乾の声が驚きで途切れたのは、そこにいた人物が黒い軍服を身につけていたからだ。
それは、【黒】のトレードマーク。【死神】の証だった。
どうやらフードをかぶっているため、人相までは分からない。
しかし、フードから溢れ出した艶やかな黒髪に、乾は見覚えがあった。
彼女は、ホテルでレイやランと揉めた時のことを、しっかり覚えていた。
乾は優秀な人間だ。一度でも目にした人物であれば、基本的に忘れるようなことはない。また、その時、ランと一緒にいた少女が、「レイ」と名乗っていたことも、しっかり覚えていた。
そのため彼女は、黒髪と体格から、目の前のフードをかぶった黒い軍服の人物のことを、“レイ”であると認識した。
「確か“レイ”とか言ったな! なんのつもりだ、貴様ッ!」
乾は怒号をあげた。
目の前で部下を攻撃されたのだから、この反応は当然だろう。もちろん、彼女が【黒】を嫌っていると言うのも、彼女の怒りに油を注いだ理由の一つではあったが。
しかし、目の前の“レイ”は無言だった。
“レイ”は身を翻すと、乾の前から走り去った。
「……待てッ!」
乾は近くで倒れている小島に一瞬だけ視線をやったが、逡巡はしなかった。
彼女は即座に“レイ”の後を追って、【氷都】の裏路地へと入っていった。
***
「……チッ! 逃しましたか!」
一方、突如として「篝火」に出没した【巨足】を追っていたレイであったが、彼女にしては珍しく、敵を見失っていた。
あれだけ巨体の相手を見失うなどということはあり得ないのだが、しかし、相手はまるで蜃気楼のように消えたり現れたりするのだ。
【巨足】を追い詰めたと思ったら、代わりに野良犬がいたり、怯えた住人がいたりと、レイに決して尻尾を掴ませなかった。
諦めて「篝火」に戻ろうかと考えていた、その時だった。
「――見つけたぞッ!」
背後から浴びせかけられた突然の怒号に、レイは慌てて振り向いた。
そこにいたのは、ホテルで揉めた、ボブカットで目つきの鋭い少女。
彼女は、忘れもしない、【紅】の第六部隊副隊長、乾であった。
「いったい、どう……」
「小島の仇だッ! 《跳躍》ッ!」
どうしたのか、と最後まで言い切ることも許されないまま。
乾が、刀を構えたまま、凄まじい勢いで突っ込んできた。
瞬きする間もなく、既に乾はレイの正面に移動していた。
「――ッ!?」
乾による急襲を、レイは慌てて回避した。
それはシンプルな刀による突き。
しかし、凄まじい速度で放たれたそれは、不意打ちと言うこともあって、レイの反応速度を以てしても、回避はギリギリだった。
しかし、相手は自分の攻撃に余程自信があったのだろう。
乾はレイに必殺の一撃を回避されたことに愕然とした表情を浮かべると、今度は身体を大きく回転させて切り払いを見舞おうとする。
しかし、レイもその攻撃は読んでいた。
今度は余裕を持ってひらりと乾の刀を躱すと、その勢いのまま跳躍し、ひらりと離れた場所に着地してみせた。
「……突然、どうしたのですか。【紅】第六部隊、乾副隊長」
「なんだとッ! 貴様、とぼけるのかッ!」
そんなふうに怒鳴られても、レイには心当たりがなかった。
【巨足】を追いかけてきたら、乾に斬りかかられたと言うのが実際のところなので、これは当然の反応だと言えるだろう。
だから乾が、この直前にレイによく似たフードの女に襲われ、追跡してきた先でレイと遭遇したのだと言うことも、もちろん分かるはずもなかった。
しかし、乾は「惚けられた」と受け取った。
これもまた、彼女の立場からすれば、当然のことと言えるかもしれない。
「……惚けるも何も……。いきなり切りかかってきたのは貴女でしょう」
「――ふざけるなッ! 今、成敗してくれるッ! 《跳躍》ッ!」
レイと乾の距離は、約7m。
しかし、乾が《跳躍》と叫んだ直後、いきなりレイの目の前に乾が出現した。
これは乾の【心理能力】である。名称はそのまま《跳躍》。
凄まじい速度で突進するだけのものだが、非常に優秀な能力でもある。
まず、この能力は回避が難しい。ほとんど瞬間移動に近い速度で突っ込んでくる乾の動きを初見で見切るのは、かなり困難だ。
合わせて、彼女の攻撃には、突進の勢いがそのまま乗ると言うメリットもある。
《跳躍》によって生じた運動エネルギーが、そのまま乾の剣戟の乗せられるのだ。
この強力な【心理能力】によって、乾は【紅】第六部隊副隊長という地位についた。
しかし、レイの相手をするには、少々力不足だったようだ。
少なくとも、レイは乾の《跳躍》を初見で見切っていた。
これは彼女の凄まじい反射神経と俊敏性にものを言わせた結果なのだが、乾の【心理能力】が通用しないという点では同じことだ。
加えて、レイには人外じみた膂力も備わっている。
そのため……。
「――ッ!? なんだとッ!?」
……こういった事態が起こる。
レイは、《跳躍》によって突っ込んできた乾の刀を無造作に掴み取ると、そのまま力任せに放り投げたのだ。
数m以上もぶん投げられた乾は、慌てて受け身を取ったが、強かに地面に身体を打つつける羽目になった。
《跳躍》のデメリットとして、移動中は身体が硬直してしまい、周囲の変化に対応しにくいというものがある。
自分でもコントロールしきれない速度による弊害なのだが、今回はそれがモロに裏目に出ていた。少なくとも、《跳躍》の最中に放り投げられるなどという事態を、乾は予測すらしていなかった。
「ぐ……ッ! くそッ!」
何とか立ち上がった乾。
しかし、その足取りはかなり怪しい。
「も……もう一度ッ! 《跳躍》ッ!」
(……面倒ですね)
再度、《跳躍》を使用し突進をかけようとする乾に対して、レイは既にかなりぞんざいな気持ちになっていた。具体的には、乾を気絶させてしまおうと考えた。
レイにしてみれば、通り魔に遭遇したようなものだ。
その上、相手はこちらの話を一切聞くつもりもない。
(そっちがその気なら……)
最初にであった時の印象の悪さも合わせて、レイはかなり冷淡な気分になっていた。
彼女は、《跳躍》してくる乾の鳩尾めがけて、手加減しつつも意識を飛ばすつもりの威力で、拳を叩き込んだ。
否、叩き込もうとした。
「あーはいはい、そこまでや」
その拳は、突如として出現した、ランによって受け止められていた。
レイにしてみれば、気配もなく、レイの半分本気の攻撃を苦もなくいなしてみせたランは、やはり恐ろしい相手だった。
もちろんレイの方だけでなく、乾の刀も、ランがしっかりと受け止めていた。
それも、グローブ越しとはいえ、刃の部分を素手で握りしめている。
……こちらもこちらで無茶苦茶だった。
その証拠に、乾は、怪物でも見たかのような表情でランのことを見上げていた。
ランは、いつも通りの笑顔を浮かべて言った。
「レイちゃん、あとはウチに任せて、もう帰り」
「し、しかし……」
「もう、帰り」
「わ、わかりました……」
レイは不気味さを押し殺して、何とか返事を絞り出した。
既に彼女の中で、ランに対する苦手意識が着々と醸成されつつあった。
享楽的で気まぐれ。
端的にランという人間を表するなら、それが最も的確な言葉だろう。
軽薄な言動に、浅薄な振る舞い。
確かに、ヘラヘラと笑うランの姿からは、エルのような凄みは全く感じられない。
しかし、レイにはそれが一番恐ろしかった。
ランは常に笑っている。
だが、普段から笑顔を浮かべているため、逆にその表情が読めない。
まるで笑顔の化粧で顔を隠したピエロのように、彼女自身の感情が一切伝わってこないのである。そのためレイは、ランを見るたびに少しだけ不気味な気分にさせられるのだ。
レイは彼女のことをネコに喩えたが、実際のところ、その正体は愛らしい愛玩動物などではなく、差し詰め狡猾な猛獣といったところだろう。
なぜなら細められた彼女の目の奥は、油断なく周囲を観察する、冷静にして残忍な狩人のそれだからだ。
猛獣に睨まれたレイは、その後の対応を全てランに丸投げすることにした。
レイが夜中近くになって「篝火」に戻ると、彩華が目を覚ましており、大層心配されたものの、こっそり作ってくれた夜食のおかげで、レイはぐっすり眠ることができた。
翌日、何もなかったような顔で「ぐっもーにん!」とランが挨拶するのを見て、一層不気味に感じてしまったのは、仕方ないことだろう。




