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紋黒蝶は月夜に舞う〜元死刑囚のお仕事は、超能力で悪人を裁くことです〜  作者: 少林 拳


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第三話 釣り

水端(みずばし)】。


 神聖皇国の南東部にある、人口10万人程度の街である。

 聖池地区に属するこの街の主な産業は、周辺の果樹園と水田による農産物や、近郊の河川から採れる水産物。

 近郊にはそこそこ広い森林地帯もあり、こちらでは林業も盛んに行われている。

 全て合わせればそれなりの産出量になるが、強大な国力を誇る神聖皇国においては、相対的にそれほど大きな都市とは言えない。


 ただ、この街には他の場所にはない強みがあった。

 それは立地である。

 東部と南部を繋ぐ貿易路の中央に位置するこの都市は、交易が盛んであった。

 そのため、都市の端には農家や漁家が立ち並ぶ一方、中央に進むに従って、近代的かつ高級感のある建造物が増えていく構造になっていた。

 そういう事情で、ここ【水端】を訪れる商人や小金持ちも多いため、宿泊施設やレストラン、歓楽街などが充実している。石造の美しい街並みは、そういった外から来た人間への、商業的かつ対外的なアピールにもなっているのだった。


 だが、そう言った構造は、同時にこの街における「闇」を育んでもいた。

 交易が盛んであるということは、人やモノ、金銭の流動も激しいということ。

 当然ながら、周辺からは「禁制品」も集まってくる。

 加えて、周辺と中央とで二分化した社会構造によって、産業に従事する国民と、中央でモノとカネとを動かす国民とに住み分けが為されてしまっており、犯罪組織が跋扈するには格好の場所になってしまってもいた。

 そのため、一見すると街の表側は小綺麗で美しく見えるが、光の当たらない場所の治安は極めて悪かった。改築と増築とを繰り返した弊害で、裏路地や空き店舗なども多い。

 つまり、行政も把握できていないデッドスペースが、夥しいほど存在するのだった。


 そんな対照的な二つの顔を持つ街の中にある、とある喫茶店で。

 窓際のテラス席に座っているレイは、表面上は美しい街並みを眺めながら、小さくため息をついていた。


「あら、どうかしましたか? ……紅茶、美味しくありませんでしたか?」


 向かいに座っていたエルが、若干しょげたように言う。

 それを見たレイは、美しいポーカーフェイスに焦りを滲ませながら、慌てて弁解する。


「違いますよ! 紅茶はとっても美味しいです。流石はエルのおすすめですね」


「あら、嬉しいことを言ってくれますね♪ ……では、どうしたのですか?」


「いえ。……こんなところで呑気に寛いでいていいのかな、と」


 ここ数年、【水端】近辺では、女性の失踪事件が相次いで発生していた。


 そして秘密裏に調査を進めた結果、ある犯罪組織が女性を誘拐し、“商品”として人身売買しているということが判明する。その拠点が【水端】にある、ということも。

 しかし、どうやら件の組織は【水端】の権力者とも太いパイプがあるらしく、通常ならば事件解決に当るはずの部隊でも、容易に手を出せずにいた。

 そして、先月、ついに【水端】に密偵を送り込んだわけだが、その者とも通信が途絶。腕利きのエージェントであったが、とうとう彼女は戻ってはこなかった。

 このままでは、そうこうしているうちに、更に被害が大きくなってしまう。

 業を煮やした責任者の方から中央に申請が行き、そして【死神】と呼ばれる集団である【黒】にお呼びがかかった、という訳である。

 法的な手段ではなく、強引に事件の解決を図るために。


 つまり、二人がこの街に赴いた理由は、「この街を拠点にしている犯罪組織の壊滅」及び、「彼らが扱っている“商品”の流通ルートの遮断・排除」という任務を受けてのことだった。



 話は変わるが、レイが【死神】に加入したのは、およそ三ヶ月前のことである。

 その間、彼女は「研修生」として、エルと組んで幾つかの任務に当たってきた。

 しかしながら、いずれも皇国内で発生した中級「外魔」の討伐や、小規模な盗賊団の殲滅など、簡単な任務しか与えられなかった。

 つまり彼女にとっては、今回が初めての【死神】として動く任務になる。


 そしてレイは、意外と根が真面目だった。

 この街に着いたレイは、エルに許可をとった後、さっそく調査を開始し、わずか数時間で犯罪組織の拠点を割り出した上、奇襲をかけるに至った。


 それが昨晩の出来事である。

 結果として実動部隊は全滅させることはできたものの、攫われた女性たちを発見することはできなかったのだった。


 実動部隊、すなわち彼女たちを誘拐して売り捌くための人員がいたのだから、“商品”である女性は、必ずどこかに囚われているはず。


 つまり、この街に蔓延っている犯罪組織を完全には排除できてはいない、ということだ。それどころか、昨晩の襲撃によって、敵はいっそう警戒を強めたことだろう。

 下手をすれば、進展のないまま、逃げられてしまうかもしれない。


 それなのに、2人が今日したことと言えば、私服で観光者向けのブティックで服を買い、その後は喫茶店で(昨晩、エルが勧めていた店だ)紅茶を飲んだだけ。

 服装も、全く戦闘向けのものではない。

 というか、傍目から見ればは完全に観光客そのものだ。

 何せ今は、先ほど購入した私服を、そのまま身につけている状態である。

 いつもの黒と銀のチョーカーを除けば、【死神】としての装備は、それぞれが手首に巻いているお揃いのブレスレットくらいのものだ。


 もちろん彼女たちとて、四六時中【死神】の黒服を身につけているわけではない。

 実のところ、あの黒い軍服は一般的には認知度が低い。(死刑囚ばかりを集めた特殊部隊などという存在は、流石に大っぴらにはできない)

 その反面、犯罪者や賞金首などには、抑止力として意図的に情報が流されているため、彼女たちの黒い軍服は、裏の世界では広く知られている。

 昨晩、レイが始末したチンピラのような下っ端クラスでも、噂話程度には認知しているほどだ。

 つまり、黒い軍服を身につけて街中をウロウロしてしまえば、今回のような潜入任務においては、かえって逆効果になってしまう、と言うことである。


 とは言え、任務中だというのに、こんな浮ついた格好でいてもいいのかと言う居心地の悪さは、どうしても付きまとう。レイの目の前に置かれた紅茶のカップも、彼女の漠然とした罪悪感をチクチクと刺激していた。


 こんな調子で、大丈夫なのだろうか……。


 先ほどのレイの言葉は、そんな彼女の不安が滲み出した故のもの。

 しかし、それに対するエルの反応は、至極あっさりとしたものだった。


「ああ、そのことですか♪ 大丈夫ですよ? しばらく、ここでのんびりしましょう♪」


 今回の任務では上官にあたるエルの言葉を聞いても、気が楽になるどころか、ますます不安が募るレイであった。


 レイは改めて美しい【水端】のメインストリートに目を向けると、今度はエルに聞こえないように、もう一度、小さくため息をついた。


 本当に大丈夫なのだろうか……という焦りを、再び微かに滲ませながら。

 ***


「……掛かりましたね♪」

「……えっ?」

 向かいに座るエルが突然そう言ったのは、二人が紅茶を3回お代わりし、追加で注文したクランベリージャムをたっぷりかけたスコーンを食べ終わった頃だった。

(ちなみに、レイはスコーンもしっかりと3回お代わりした。山盛りで)


 思わず聞き返すレイに、エルが小さく「静かに」というジェスチャーをする。

 それを見たレイは瞬時に言葉を飲み込むと、注意深く、かつ目立たないように、周囲の気配を探りにかかった。


 本気で意識を集中したレイの五感は、非常に鋭い。

 野生動物並みに研ぎ澄まされた彼女の感覚は、やがて観光客とは明らかに異なる気配を漂わせている、複数の人間の気配を捉えた。


 それも、直接2人に視線を向けるのではなく、数十m以上離れたところから、ガラスや鏡の反射を利用しつつ、こっそりと様子を伺っているようだ。明らかに素人ではない。


「……気がつきませんでした。もしかして、エルはこれを狙って……?」


 2人のいる喫茶店は【水端】のメインストリートに面しており、人の往来もそれなりにある。レイは意識していなかったが、テラス席にいる2人は非常に絵になり、多くの通行人の目を引いていた。


 ちなみに、レイは飾り気のない黒のロングコートの下に、シンプルなグレイのスカート。一方エルはピッタリとしたロイヤルブルーのニットに白いスカートを合わせ、その上に紺のコートを羽織っている。(孤児だったレイにとっては、生まれて初めて購入した「よそ行きの私服」ということもあり、こっそりテンションを上げていたが、それは乙女の秘密である)


 このエルの服装は、ボディラインがハッキリと分かるものだったので、彼女はレイから見ても、どこか背徳的な色気に溢れていた。そういう意味でも、“釣り餌”としては充分な効果を発揮したはずだ。


 僅かな驚きと感嘆を滲ませた声でレイが問うと、エルは悪戯っぽく笑った。


「ふふふ……これでも私、この【死神(おしごと)】、それなりに長いんですよ♪」


「ですが、実動部隊は、昨晩……」

「ええ、そうですね。ですが、それはあくまで委託先の下部組織でしかありません。言ってしまえば、いくつかあるトカゲの尻尾のうちの一本。切ってもどうせまた生えてきます。私たちの任務は、大元の組織の壊滅。……ならば、頭を潰しちゃいましょう♪」


 それを聞いたレイは、思わず顔を顰めそうになった。

 そもそも、この喫茶店に来たのはエルの提案によるものだ。

 昨晩、エルは呑気に「紅茶が美味しいお店を見つけた」などと言っていたが、その時点で既にこうするつもりだったに違いない。

 レイのことを「流石は期待の大型新人」などと言っていたが、これではまるで道化ではないか。


 そんなレイの心情を読み取ったのか、エルは再び悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「ふふ……。もう、レイったら可愛いですね♪」

「……何がですか」

「そんなにむくれないでくださいな♪ 昨晩、レイが大暴れしてくれたおかげで、その間、私は邪魔な羽虫どもを気にせず、お仕事できたんですよ? クズのお掃除だって、無駄ではありません。私は感謝してますし、それに貴女に期待してるのも本当です♪」


「……はぁ、もう、分かりました」


 可愛らしく両手を合わせるエルを見て、レイは心の中で白旗を振った。

 これだけ無邪気な笑顔を向けられては、怒る気も失せるというものだ。

 それに、昨晩レイが潰した構成員も、下っ端とはいえ、多くの女性を不幸にしてきたことには変わりない。そう考えれば、無駄骨だったとも思わない。


 ……とはいえ、少しばかり脱力してしまうのは避けられなかったが。



 その後も、しばらく取り止めもない会話を続けていると、遠くから男性がこちらに近寄ってくるのが見えた。

 気配からして、2人を見ていたのとは別の男だ。恐らく、女性を上手く人目につかないところまで連れ出す役目の構成員だろう。


 それに気付いたレイは、小さな声で囁く。


「……来ましたね」

「ええ、一本釣りです♪」


 エルも、手をクイっと動かすジェスチャーを返してくる。


 2人はあくまでリラックスした雰囲気を作りつつ、男が声をかけてくるのをジッと待った。


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