第三十八話 鹿狩彩華
「やー、満腹、満腹! 絶品やったわぁ」
「……そうですね」
満足げに腹をさするラン。
ちなみにレイの返答が遅れたのは、先程の出来事を少しだけ引きずっていたからである。その内心を知ってか知らずか、ランは彼女に話しかけてきた。
「んで……こっからどうする?」
「どうする……とは?」
「いや、お腹は満たされたけど、相変わらずウチら宿無しやん」
「……そうでしたね」
レイは内心、頭を抱えた。
大きなホテルには、もはや二人を泊めてくれるような場所は残っていない。
霜倉副支部長の熱心な嫌がらせの賜物である。
かといって、民宿のような小さな宿泊施設は、【巨足】出現の煽りを受けて、ほとんどが閉業中だった。レイも暖かい場所なら野宿ぐらいできなくもないが、ここ【氷都】でそんなことをすれば、一瞬で体温を奪われ、朝になっても起きることはできないだろう。文字通り命取りになる。
頭を悩ませる二人。(ただし、ランには不思議と悩んでいるような様子はない)
そこへ助け舟を出したのは、思わぬ第三者だった。
「あのぅ……泊まる場所でお困り、でしょうか?」
それは、先程レイに話しかけてくれた、レストランの従業員だった。
一人でこの「篝火」を経営していると言う、鹿狩彩華と言う少女だ。
「もしお困りでしたら……この家にお泊まりになりますか?」
「良いのですか?」
思いがけぬありがたい提案に、レイは喜色を浮かべる。
「ええ、まぁ。……その、両親の部屋が、今は空いているので……」
しかし、それに続く彩華の言葉に、レイの顔が曇る。
両親を失った少女に「部屋に空きがある」などと言わせてしまい、何とも申し訳ない気持ちにさせられたのである。
「おっ、助かるわ! おおきにな!」
しかし、ランは全く気にしていなかったようだ。
彼女はいかにも軽薄な態度で、彩華の申し出を受けた。
あまりの無神経さに、レイは思わずランのことを睨みそうになったが、寸前で耐えた。
二人は【紅】にホテルを追い出された身である。(正確には、副支部長の霜倉のせいだが)他に泊まる場所の目処も立っていない以上、拠点となる場所を提供してもらえるというのは思いもかけぬ僥倖だった。
結局のところ、レイも彩華の申し出を受けざるを得ないわけで、ランと同じく泊めてもらわないと非常に困る状況だ。厚かましいランのことをとやかく言えるような立場ではない、と思い直したのである。
申し訳なさを飲み込んだレイは、彩華に向けて、しっかりと頭を下げた。
これが彼女にとって、この場で示せる最大限の感謝の気持ちだった。
***
亡き両親に代わって、「篝火」を一人で切り盛りしている彩華の申し出に従い、二人はレストランの2階にある寝室に通されていた。
二人に食後の紅茶を提供した後、2階で軽く片付けをしてくれたようで、かなり片付いている。それどころか、むしろ内装も生活感がないほどさっぱりとしていたので、彩華の両親は元から持ち物が少ない人物だったのかもしれない。
それぞれ、ランが父親の寝室、レイが母親の寝室を借りることになった。
理由は簡単で、父親の寝室の方が、ベッドが大きかったからである。
ランが部屋に入った途端、「こっちの方がベッドが広い! ウチはこっちな!」などと大騒ぎしたため、面倒になったレイがそのまま譲ったのだ。
なお、レイが泊めてもらうことになった母親の寝室は(言葉を選ばずに言えば)かなり質素で、父親の部屋以上に、何も物が置かれていなかった。
ベッドもみすぼらしく、家具は洋服箪笥ぐらいしか置かれていない。
窓も小さなものが一つあるだけで、どこか薄暗く、陰鬱な印象を見るものに与える部屋だった。そのくせ、ドアには小窓が設置されており、廊下から覗き込める構造になっている。レイは少しだけ、この部屋で寝泊まりすることに抵抗感を抱いたが、好意で留めてもらう立場で文句を言うわけにもいかず、我慢せざるを得なかった。
……おそらく、ランが父親の部屋を先に取ったのは、この薄暗い部屋を嫌がったからだろうと、レイは睨んでいた。
その証拠に、先ほどからわざとらしく「こんなええ部屋に泊まれるなんて、ウチは幸せモンや!」などとほざいているからである。
なお、彩華は苦笑していたし、レイはそれを完全に無視していた。
こうして、【死神】2人は、【氷都】で活動を継続するにあたっての拠点を手に入れた。
***
【氷都】の【銀】本部。
その最上階は(と言っても5階までしかないが)、支部長である氷室涼子の執務室になっている。それほど高級なものではないが、上品な内装が落ち着いた雰囲気を醸し出しているこの場所で、氷室の怒号が響き渡っていた。
「――この馬鹿者! なぜ【紅】の件を私に相談しなかったのだ!」
怒りの行き先は、副支部長の霜倉景である。
彼女は支部長である氷室を通さず、独断で【氷都】に【紅】を招いていた。
それも、既に【黒】が到着しているにも関わらず、である。
もちろん【黒】が来る前に打診していなければ、このタイミングで【紅】が北端のこの街にまで来られるはずがない。【紅】は神聖皇国の中でも、【外魔】の討伐にかけてはプロ中のプロ。そうそう簡単に招聘できる相手ではないのである。
「……反対されるかと思いまして」
「当然だ!」
控えめな霜倉の反駁に、怒声で応える氷室。
演技ではなく、彼女は怒っていた。
勝手に【紅】を呼んだことに、ではない。
既に【黒】に任務が委託されている状態で、軽率な行動をしたことに、氷室は怒っていたのである。
彼女は、【黒】……即ち、【死神】の脅威を正しく理解していた。
だからこそ、霜倉が彼女たちを刺激するような真似をしたことが許せないのである。
それに、【黒】を【巨足】事件の担当として選んだのは、他でもない神聖皇国の中央政府だ。非合法な存在である【黒】を動いていると言うことは、当然、その裏で強い権力が働いている、と言うことになる。元死刑囚を集まりである彼女たちの出動にあたっては、複雑な手続きが必要だ。霜倉の独断行為は、神聖皇国そのものへの背信に等しい。
「……しかし! 本来【外魔】への対処は【紅】の領分であるはずです! 【紅】の方が、間違いなく【巨足】を討伐してくれるかと!」
そのため、この的外れな反論を聞いて、氷室の怒りが急速に萎んだ。
もちろん、霜倉を許したわけではなく、代わりに呆れと情けなさが去来したからである。
あれだけ【黒】の脅威を説いたのに、未だ理解できていない霜倉の危機感の無さに、氷室はすっかり失望していた。
「……もういい。既に呼んでしまったものは仕方ない。だが、副支部長の権限を逸脱して行動したことは事実。追って沙汰を下すことになる。覚悟しておけ」
「もちろん、覚悟の上です!」
お前の首一つで済む問題ではないのだぞ、という言葉を、ギリギリで氷室は飲み込んだ。
既に散々怒鳴りつけていたし、【黒】の脅威についても理解されないだろうと言う諦めも彼女の中にあったからだ。
霜倉が秘密裏に各宿泊施設に働きかけ、【黒】の締め出しを図っていることを知っていれば、きっと彼女の怒りが再燃したことだろう。いや、直接的に【黒】にちょっかいをかけようとしていることを聞いたら、今度こそ本格的に手が出たかもしれない。
しかし、幸か不幸か、氷室は霜倉の陰謀(と呼ぶにはいささか稚拙なものであるが)に気がつくことはなかった。
しかし、この小さな嫌がらせじみた企みが、【巨足】をめぐる事件の進展を大きく左右することになるのだが……そのことは、この段階では、誰にも知る由もないことだった。
***
「ぐっもーにん! ええ朝やね!」
「……おはようございます」
快活にすぎるランの挨拶とは対照的に、レイの声はやや疲れている。
昨晩から泊まっている彩華の母親の部屋なのだが、薄暗いだけでなく隙間風が入っているらしく、夜はかなり冷え込んだ。それに加えてベッドも質素なものだったため、彼女にしては珍しいことに、あまり寝つきがよくなかったのである。
「おはようございます、お二人とも。……よく眠れましたか?」
彩華も、レイの寝室が貧相であることは分かっているのだろうか。
二人に挨拶するその声は、少し申し訳なさそうだった。
「そんなことは……」
「めちゃんこ良う寝たわ! 朝までぐっすりや! ほんま、おおきにな!」
控えめなレイの言葉も、ランの騒がしさの前で霧散して消えてしまう。
彩華の方も、昨晩からランの様子を見ているので、その人となりが分かってきたのか、苦笑している。
「あっ、朝食はどうされますか?」
ただし、この彩華の問いに対しては、
「いただくわ!」
「いただきます」
二人の声が綺麗に重なった。
元気なランと、食いしん坊のレイ。
そんな2人の様子を見て、彩華の苦笑は、微笑ましいものを見る目に変化する。
その変化を感じ取ったレイは、少しだけ顔を赤らめた。
***
「篝火」の朝食は、堅焼きパンにスープと言うメニューだった。
パンはかなり硬いものであったが、薄くスライスされており、その歯応えもあまり気にならなくなっている。それだけでなく、チーズが乗せられて、こんがりとトーストされていたため、薄くてもしっかりとした食べ応えがあった。香ばしい香りが食欲を刺激してくれるようだ。
スープの方も、煮込まれた腸詰の旨みが煮汁全体に溶け出しており、しっかりとしたコクが感じられた。
具材のじゃがいもとにんじんは昨晩のシチューの残りだろうか。ごろごろと大ぶりにカットされながらも、中までしっかりと熱が通っており、優しい甘味とホクホクとした食感が楽しめた。
相変わらず、切られた具材は不揃いであったが、それはご愛嬌である。
そんな朝食に舌鼓を打ちながらも、【黒】ふたりの話題は、やはり任務のことに移っていった。と言っても、真面目なレイが話を進め、不真面目なランが聞き流しつつ相槌を打つ、といった調子だったが。
「やはり、待ち伏せでしょうか?」
「どこで待ち伏せんの? 【氷都】も広いで?」
「……北門に張り付いている、と言うのはどうでしょう」
「うーん……いつ出るかも分からん【巨足】を外で一晩待つん? しんどいなぁ……」
「あのですね――」
「――えっ!?」
やる気のないランを一喝しようと口を開きかけていたレイだったが、そこに第三者の声が参加した。もちろん知らない人物ではなく、たまたまコーヒーを淹れにテーブル近くまできていた彩華の声である。
彩華の手が震え、コーヒーの黒いシミがテーブルクロスに広がる。
「ご、ごめんなさい!」
彩華は慌てて台拭きを取りに厨房へ引っ込んでいくが、急ぎすぎていたのか、その途中で躓く。そして、バタン! と言う派手な音を立てながら、そのまま転倒した。
「大丈夫ですか!?」
慌ててレイが駆け寄るが、彩華は恥ずかしそうに自分で起き上がった。
「いたた……すみません」
そのまま、恥ずかしそうに顔を覆うと、再度駆け出す。
そして、もう一度躓いて転んだ。
(しっかり者に見えて、ドジっ子だったのか……)
そんな下らないことを考えながら、レイは再び彩華に駆け寄った。
次は流石に、彩華も無事に厨房に戻ることができた。




