第三十七話 篝火
「うーん、美味いなぁ……。北部に来たら、やっぱりコレやな」
ランの言葉を聞いて、コクコクとレイは頷いた。
返事をしなかったのは、彼女が料理を口いっぱいに頬張っていたからである。
ようやく辿り着いたレストラン。
そこは個人経営店らしく、それほど大きな店ではなかったが、内装も小綺麗で、価格もなかなか良心的だった。
何よりも、味が良い。
二人が頬張っているのは、じっくりと煮込まれたシチューだった。
木製の深皿からは濃厚なミルクの香りと数種類のスパイスの香気が立ち上っており、それが一層レイの食欲を掻き立ててくれる。
とろりとしたスープには深いコクがあり、いつまでも味わっていたくなるような独特の旨味が、ぎゅっと閉じ込められているようだった。
具材は玉ねぎ、にんじん、じゃがいもと言った甘みの強い根菜類に、柔らかくなるまで煮込まれた香ばしい兎の肉。
形はどこか不揃いながらも、ごろごろと投入された具材はかなり食べ応えがある。
付け合わせのパンは硬く、お世辞にも高級品とは言えない出来栄えだったが、それでもこのシチューに浸して食べると、何とも言えない満足感があった。
ここ北部は、酪農と狩猟、それに寒さに強い根菜類を対象とした農業によって成り立っている。
つまり、ミルクや根菜、獣肉といった食材をたっぷりと使用したこのシチューは、北部ならではの郷土料理なのだ。
レイも別の場所で「シチュー」を食べたことがあるが、あれはどちらかと言えば「牛乳スープ」とでも言うべき料理だった。
味は悪くなかったが、目の前のシチューと比べると、どうしても見劣りしてしまう。
店に入ってすぐにランが勝手に注文してしまったため、食べるものを自分で選びたかったレイは内心かなり不満だったのだが……そんなことも気にならなくなるぐらい、このシチューは素晴らしい出来栄えだった。
レイが夢中になって料理を口に運んでいると、すぐ側からくすくすと小さな笑い声が聞こえた。
レイが口をもぐもぐさせたまま顔を上げると、一人の少女がそこに佇んでいた。
先ほどシチューを持ってきてくれた子だ。
フリルのついた給仕服から見ても、このお店の従業員だろう。
彼女はレイと目を合わせると、はにかみながら言った。
「……ふふ。そんなに美味しそうに食べてくれるなんて、嬉しいです」
可愛らしい少女だった。
明るい色の髪に、ぱっちりとした大きな目。
長い足に、大きな胸。
もちろん容姿も優れているのだが、何よりもその慎ましい笑顔が、彼女の雰囲気をいっそう可憐なものにしていた。
彼女の通う学校でも、さぞかし男子にモテていることだろう。
(レイは「女子校」出身なので、実際のところはよく分からない)
そんな彼女が可愛い服を着て佇んでいると、それだけでその場が華やぐようだった。
レイは口の中のものをしっかり噛んで飲み込むと、目の前の少女に尋ねた。
「この料理は、貴女が?」
「はい! たくさん食べてくれるので……ふふっ、嬉しくて思わず来ちゃいました」
確かに、既にレイは四杯目のシチューに取り掛かっているところだった。
ちなみにランは、レイのように頬張ったりせず、少しずつシチューを掬っては、お上品に口に運んでいる。
同時にレイは、シチューの具材がどこか不揃いであることに強い納得感を覚えていた。
おそらく、家族を失いながらも、この少女が一人で作ったのだろう。
不器用ながらも思いやりの詰まった料理は、不思議と先ほどよりも美味に感じられる。
レイは木製のスプーンを置いて、目の前の小さなシェフへと視線を向けた。
「本当に美味しいです。素晴らしい腕前ですね」
「わぁ、ありがとうございます!」
レイの言葉を聞いた少女は両手を合わせると、パッと顔を輝かせた。
その表情は本当に嬉しそうで、彼女の可愛らしい反応に、思わずレイも和んでしまう。
何せ、ここ数週間の間、継続的に心労を与えてくる厄介な先輩がずっと隣にいたのだ。
目の前の少女が見せた素直な反応は、レイにとって一種の清涼剤にも感じられたのである。
「喜んでもらえて、本当に良かったです。……実は、今は私がこのお店を切り盛りしているんです。一人で料理するのは慣れていなくて、ちょっと心配だったんです」
「え? ……お一人で、ですか?」
少女の見た目はかなり若い。
まだ10代だろう。
せいぜい高等部の学生ぐらいにしか見えないのに、一人でお店を経営しているというのが意外で、レイは思わずそう聞き返した。
「あ、はい。そうなんです。……今はお客さんが少ないので、何とかやれてますけどね」
確かに、お店は開店休業中とでも言うべき状態だった。
夕食時だと言うのに、今もレイとランの二人だけしか店内にいないぐらいだ。
しかし料理の味は、空いているかどうかとは関係ない。
少なくともレイは、目の前のシチューを堪能させてもらっている。
こんなに美味しいのに、とレイが内心首を捻っていると、少女は寂しそうに言った。
「……“あれ”が来てから、すっかりお客さんがいなくなっちゃったんです」
その言葉に、僅かにレイはその身を堅くした。
先ほど少女の口からこぼれ落ちた“あれ”と言う存在。
間違いなく、【巨足】のことだろう。
その討伐こそが、今回レイとランがわざわざ北部まで派遣されてきた理由である。
目の前の少女には、分かりようもないことだが。
レイが僅かに考え込んで言葉を切ると、その続きをランが引き取った。
「一人でお店をやってんの? そりゃ大したもんやなぁ」
「ありがとうございます」
「うんうん、偉いわぁ。……ウチはラン。こっちの食いしん坊がレイや。よろしゅうな」
「むぐむぐ……失礼な! ……よろしくお願いします」
「ふふ……。よろしくお願いしますね」
「ちなみにお嬢ちゃんは、何て名前なん?」
「えっと……“鹿狩 彩華”です」
ランがシチューを突きながらそう尋ねると、少女――彩華はそう答えた。
カガリと言う耳慣れない響きの苗字に、レイは思わず彼女の名札を確認してしまう。
少なくとも、東部では聞いたことがない苗字だ。
レイの視線の先、彩華の胸元にある名札には、小さく「鹿狩」と書いてあった。
鹿を狩る、と書いてカガリと読むらしい。
聞き慣れない苗字ではあったが、レイは字を見て納得した。
ここ北部では狩猟も盛んであり、その獲物の中には鹿も含まれると言う。
なるほど、北部ならではの苗字というわけだ。
ここにきて、レイはようやく思い出した。
カガリという響きに聞き覚えはなかったが、鹿狩という字面には見覚えがあった。
【銀】から提供された資料に記載されていた名前だ。
確か、この街で2番目に犠牲になった夫婦の苗字が、鹿狩と言ったはずだ。
ちなみに最初の犠牲者は、賭博に溺れていた不良警邏の男である。
ランも彼女の苗字が気になったのだろう。
意外そうな顔で、彩華の名札をまじまじと見る。
「……カガリ アヤカね。珍しい苗字やね」
「そうなんですよ。ちなみに、ここの店名も苗字に掛かってるんですよ?」
「はぁー、なるほどなぁ。確か、店名は……」
「“篝火”です。小さいけれど柔らかく人を温める、そんな火のことなんですよ」
「うん、ええ名前やなぁ。……ちなみに、さっき「今は一人で切り盛りしてる」って言っとったけど、何でなん?」
「……それは」
彩華はちょっとだけ言い淀んだが、少しばかり寂しそうに微笑むと、小さな声でランの疑問に答えた。
「……元は両親が経営していたんですけど、先月亡くなりました」
「ほーん。そりゃあ大変やったなぁ」
レイは思わず、正面で呑気な相槌を打っているランを睨む。
傷心中の少女に対して、いくら何でも無神経だと思ったからだ。
それに加えて、鹿狩という苗字を見ても事件との関連性に気づかないという事は、【銀】の資料をろくに読んでもいないということでもある。レイの怒りには、そういった苛立ちも含まれていた。
しかし、ランはレイの様子に気づいていないのか、灯里に対してさらに不躾な質問を投げかけた。
「やっぱし、例の【巨足】の仕業?」
「……そうです」
「お、そうやったん? そりゃあ災難というか……」
「――ラン」
もはやレイは怒りを隠さず、無神経な自分のパートナーを睨みつけていた。
確かに彼女たちは【死神】としてここにいる。
その任務を遂行するためには、時に非常な手段を採ることもある。
しかしそれは、その他の人々のことを蔑ろにしても良いということではない。
本来レイたちが守るべきものは、虐げられ、不幸な目に遭っている人々である。
所詮、彼女らは死刑囚だ。
大罪を犯し、【死神】などという忌まわしい名前を背負わされて、殺人だの破壊工作だのといった非人道的な行いに日々勤しんでいる。
――だからこそ、せめて目の前の哀れな少女のような存在を守るべく、任務にあたるべきではないか。
レイはそう考えていたのである。
それだけに、親を失ったと言う少女の傷を抉るような質問を繰り返すランに対して、レイは怒りを露わにしたのだ。
明確な苛立ちを滲ませて睨み付けるレイを見て、ランがヘラヘラと笑った。
「ウチの相棒が怒ってるから、この辺にしとくわ。や、美味い料理をありがとさん!」
ランが手を振りながらそう言うと、彩華は引き攣った笑みを浮かべながら、店の奥へと引っ込んでいった。その途中で躓いて転びかけていたから、余程気が動転していたに違いない。
「……ラン。さっきのは、あまりにも……」
「やー、ウチが悪かったって! な、機嫌直してよレイちゃーん」
「はぁぁ……分かりましたよ」
美味しそうにシチューを頬張っている姿からは、全く反省しているように見えない。
だがそれ以上の追求は無駄と悟り、レイは気を取り直して食事を再開することにした。
レイの気分は先ほどと比べかなり悪かったものの、相変わらずシチューは絶品だった。




