第三十五話 一悶着
翌日。
「おはようさん」
「おはようございます」
レイとランは、朝食の席で再び顔を合わせることになった。
ベッドルームは別とはいえ、同じ部屋に寝泊まりしているのだから、これは当然である。
朝食はよく焼いたソーセージとベーコンエッグ。
それに、こんがりと香ばしい香りを漂わせるバタートーストだった。
痩せ気味のランは、朝は食が細いようで、付け合わせのポタージュと熱いコーヒーのみ、少しずつ口へと運んでいる。……必然的に、残りはレイの胃袋に収まることになった。
猛スピードで(ただし上品に)皿を空にしていくレイの様子を見て、ランはゆったりとコーヒーを啜りながら、ほのかに苦笑していた。
もちろん、レイはそれを見て見ぬふりする。
羞恥心と食欲とがぶつかり合った結果、食欲が勝ったのである。
レイは、悠々と2人前(以上あった)朝食を平らげにかかった。
「……よっしゃ。そんじゃ、資料と睨めっこの時間や!」
すっかりテーブルの上が綺麗になったころ(口を動かしていたのは、ほとんどレイ一人だったが)、ランが背伸びをしながら言った。
しかし、それに対するレイの返答は、
「昨日までの分は、あらかた頭に入っています」
「お仕事熱心やねぇ……」
既に資料を暗記しているといったものだった。
レイはかなり記憶力が高く、読んだものを忘却するようなことは滅多にない。
まぁ、肝心な時に思い出せない、と言うことはあるが。
……時折、うっかりするようなドジなところはあるものの、それはご愛嬌である。
「確かこの後、追加の資料が届くのですよね?」
「うん、資料は午後に届く予定になっとるよ。向こうさんは、かなり渋っとったけどな」
ケラケラとランが笑う。
先方が資料提供を渋っていたのは、半分以上はランのせいだと、レイは決めつけていた。
【銀】のお膝元であれだけ好き勝手されれば、相手の態度も硬くなるというものだ。
実際のところは、【氷都】支部の【銀】No.2の霜倉が、レイを含めて【黒】そのものを嫌っているせいなのだが、知らぬは仏と言ったところだろうか。
「その資料、直接【銀】の本部まで受け取りに行きませんか」
だからこそ、このレイの台詞は、【銀】にこれ以上悪印象を持たれないようにするための方策でもあった。先方に届けさせるよりも、自分たちで取りに行った方が少しは心象もマシになるだろうという判断である。
それに昨日の担当者の様子では、時刻通りに資料が届くかどうかも疑わしい。
それならいっそ直接受け取りに行ってしまえ、というのが、レイの提案だった。
「……ほんまに熱心やね」
それに対するランのセリフは、いささか呆れまじりだ。
とはいえ、反対するつもりもなかったようで、億劫そうに椅子から立ち上がる。
「ほな、行きますか」
「……まだ朝ですが」
「向こうさんも寝ぼけて資料早出ししてくれるかもしれんやろ」
「……行きましょう」
全く納得していないレイであったが、時間を無駄にするのは、彼女も本意ではなかった。
一方は軽快に、やや釈然としない顔で、二人はそれぞれ席を立つのだった。
***
「失せろ」
「……は?」
【銀】の【氷都】支部。
その中枢となる建物まで向かった先でレイとランが告げられたのは、明確な拒絶の言葉だった。
「早く到着し過ぎてしまったことは謝罪します。しかし、捜査のための資料は……」
「失せろ、と言っているのだ。耳だけでなく頭も悪いのか?」
とりつくしまもない、とはまさにこのことだ。
先ほどから二人に向かって否定的な態度をとり続けているのは、副支部長の霜倉だった。昨日、この場所を訪れた際、ランのことを睨みつけていた女だ。
実のところ、【黒】のIDを見せることで【銀】の門をくぐる事自体はできたのだが、本部棟の入り口で霜倉女史に捕まってしまった、というわけだった。
先のような益のないやり取りは、レイも本意ではなかった。
しかし、彼女たちだって、【巨足】による食害事件を解決するために、はるばる【氷都】まできたのだ。ここまできて「では帰ります」などという選択肢はあり得なかった。
しかし、約1名、そのあり得ない選択肢をとることのできる人物がいた。
「あ〜あ、めんどくさ。……帰るで、レイちゃん」
「――な!? ……ちょっと、ラン!」
もちろん、そんなことができるのはランしかいない。
彼女は口に出して面倒だと言い放つや否や、そのまま背を向けて帰り始めたのである。
慌てたのはレイだった。ランは一応、彼女の上官ということになっている。
L彼女は上官の命令と自身の職務とを天秤にかけ、去っていくランの背中と、目の前で小馬鹿にしたような表情を浮かべる霜倉を交互に見た。
しかし、やがて諦めたて、そのままランの背中に追随する。
確かに埒が明かない状況だったし、レイ自身、霜倉との不毛なやり取りに疲弊していたのである。それに、また出直すこともできるし、そもそも資料は午後になればホテルに届く予定なのだ。この場で焦る必要なないと思い直したのだった。
【銀】に背を向ける【黒】の二人が正門をくぐって外に出るまで、霜倉は侮蔑に満ちた視線を送り続けていた。
「……いったい、何だったのでしょうか?」
時間が経つと、レイも霜倉の強硬な態度に疑問を抱くようになっていた。
彼女たち【黒】は、正式な命令書を持ってこの【氷都】を訪れた。
もちろん本来は【銀】の職務であるから、それを横から攫われたような気分なのも分かる。しかし、【巨足】のことを何とかしたいのは、レイも同じだ。
共闘する必要はないが、協力ぐらいしてくれてもいいんじゃないか、というのが、レイの感想だった。
一方、それに対するランの反応は冷めていた。
「ま、ウチらのことが気に入らんのやろな。【銀】がその気なら、別にええやん。ぼちぼちやろうや」
「そんなわけにはいかないでしょう! 【銀】と協力体制を取れない状態で、【巨足】の捜査は……」
「しゃーないやん、午後になれば、資料も届くんやし。それにな」
ここで、ランは意味ありげな視線をレイに送った。
「この仕事はな、色々と目の敵にされやすいんよ。【銀】だけちゃうで。他にも【黒】のことを面白く思わへん連中は、ぎょーさんおる。そんなんといちいち戦ってたら、本番前に疲れてまうで?」
「…………わかりました」
達観したようなランのセリフに、渋々といった様子で頷くレイ。
しかし、この直後に、ランの言った「他の【黒】のことを面白く思わない連中」と一悶着起こすことになるとは、彼女は夢にも思っていなかった。
***
霜倉と無益なやり取りをして疲弊していたレイは、1秒でも早くホテルの部屋で休みたい気持ちだった。何せ、【氷都】は寒い。今日は吹雪いていないとはいえ、外はやはりひどく冷え込んでおり、頑丈なレイでも震えが抑えきれないほどだった。
暖炉の前でコーヒーでも飲んで落ち着きたい、と言う思いでいっぱいだったのだ。
しかし、結論から言うと、それは叶わなかった。
彼女たちが昼前にホテルに戻ると、すぐに部屋から閉め出されてしまったのである。
「納得いきません! 先に数週間分は予約しておいたはずです!」
「しかし、私どもにも、どうにもできない状況でして……」
度重なるトラブルに、普段は冷静なレイも苛立ちを隠し切れずにいる。
どうやら、別の団体がレイとランの泊まっているフロアを貸切にするらしく、ダブルブッキングになってしまったようだ。
そしてホテル側の要望としては、料金を返還するから今すぐに出ていってほしい、とのことだった。
しかし、それに納得いかないのはレイである。
ダブルブッキングしてしまったのは仕方ないとしても、先に予約している方が優先されるべきだし、既に滞在しているのだから、追い出されるのはおかしいのではないか。別に部屋を移動するのはやぶさかではないのだから、別のフロアに移れば良いだけの話であって、断りもなくチェックアウトしろというのは、いくら何でも無礼ではないか、と言うのが、レイの主張である。
これは極めて論理的かつ常識的な主張ではあったのだが、何故かホテル側も譲れないようで、ここでも霜倉とのトラブルに続いて、軽い口論になってしまったというわけだった。
ホテルの非常識な対応に加えて、ホテルの支配人のこちらを見下すような態度が、更にレイの怒りに油を注いでいた。
昨日までは丁寧な対応だったのに、一体どうしてしまったのだろうか。
(ちなみに、こんな時でもランは退屈そうにソファにもたれながら天井を眺めていた)
剛を煮やしたレイが、ガツンと言ってやろうと一歩踏み出した時、彼女の背後から声がかけられた。
「見苦しいぞ。とっとと荷物をまとめて出て行け」
ただでさえ不愉快な状況でかけられた、非友好的な言葉。
レイが思わず顔をしかめて振り向くと、そこには、傲然とこちらを見下す女が立っていた。見下すと言っても、身長はレイの方が高い。相手の身長は150cm半ばといったところだろう。
そこそこ美人だが、キツい目つきがそれを台無しにしている。
柔らかなボブカットの髪型も、小柄な体型も、その刺々しい雰囲気を緩和できていない。
そして、何よりも特徴的だったのは、その服装であった。
レイが戦闘時に身につけているのと同じ、神聖皇国の軍服。
それも、炎を思わせるような、目にも鮮やかな真紅の軍服だ。
それを見た途端、レイは相手の正体が分かった。
それどころか、目の前の女が所属している部隊名さえ、正確に言い当てることができた。
「――【紅】……!」
そこに立っていたのは、神聖皇国の【外界】に対する切り札にして、【外魔】を駆除するために特快した特殊部隊、通称【紅】のメンバーだった。
「おい、聞こえていなかったのか? 早く部屋を引き払ってくれないか? お前たちがチンタラやっているせいで、我ら【紅】が待ちぼうけを食っているのだ」
呆然とするレイに向かって、更に言葉を重ねる【紅】の女。
その無礼な物言いに怒りが湧くよりも先に口をついて出たのは、単純な疑問だった。
「なぜ……【紅】が、【氷都】に……」
「ふん。学のない者は、やはり物を知らんらしい。我らは、Aレートの名持ち【外魔】である【巨足】を討伐しにきたのだ」
【紅】の女の言葉は、レイへの侮蔑を隠していない様子だった。
しかし、レイの意識は、それ以外のものへと向いていた。
【巨足】の討伐。
それは、【黒】が請け負った任務ではないのか。
そこに、なぜ【紅】が入ってくるのか?
困惑が隠せないレイに代わって、ここでようやく退屈そうにしていたランが会話に参加する。しかし、こちらも相手に負けず劣らず、喧嘩口調だった。
「おーおー、相変わらず偉っそうやなぁ、【紅】サマは!」
ソファにぐでんともたれたまま、首だけ【紅】の女の方へ向けて、ランは言った。
それを見た【紅】の女は、その表情を一層厳しいものに変えた。
そこには、レイに向けていた侮蔑だけでなく、激しい敵意が混じっていた。
「……貴様もいたのか。ここは貴様らのような薄汚い罪人が来るような場所ではない。野垂れ死ね、ゴミめが」
それを聞いたランは、気分を害する様子もなくケラケラと笑った。
「ウチらのお仕事は、あんたらの尻拭いやで? 【黒】が嫌いなら、きちっと仕事しいや」
「……ふん、相変わらず不愉快な女だ」
「……おりょ? なんか見覚えあると思うたら……。あん時の泣き虫お嬢ちゃんやないか! こんな遠くまで来られて、偉いやん。……ひとり? 保護者同伴ちゃうの? ママはどしたん?」
ランの言葉を聞いた瞬間、【紅】の女の表情が変わった。
先ほどから隠しもしていなかった敵意が、殺意へと塗り替えられていく。
女は腰に佩いた刀に手を伸ばしながら、唸るように言った。
「……犯罪者風情が。この場で、斬り殺してやろうか?」
上官であるランが会話に参加してくれたものの、状況は明らかに悪化しつつあった。
いや、むしろレイが矢面に立っていた時よりも、むしろひどくなっている。
【紅】の女の傲岸な言い方にも問題があるのは否めないが、ランの物言いは相手を挑発しているとしか思えないものだ。女が激昂するのも、無理はないといえた。
しかも、どうやらランと目の前の女は顔見知りらしい。
そのこともまた、場の空気を急速に悪くしている原因だろう。
見るからに気の短そうな【紅】の女と、争いを好み、自らトラブルを引き起こしにいく体質のラン。どう考えても、今の状況は悪い。
このままでは、本当に戦闘に突入してしまうかもしれない。
そこまで考えて、強引にレイが割り込もうとした時だった。
「――よさんか、バカもんが!」




