第三十四話 暴君
「へー、大した自信やんか」
色付きメガネの男の言葉に、ランが興味なさげに相槌を打つ。
それを無視して、男は言葉を続けた。
「さっきのパンチも、ナイフを弾いたのも、全部お前の“手”が引き起こした現象だ。つまり、テメエの【心理能力】は強力だが、その分、範囲が狭い。……違うか?」
「…………」
ランは黙っている。
その表情に余裕のなさを見出した色付きメガネの男は、得意げに言葉を続けた。
「クク……。図星みてぇだな。つまり、拳銃を頭にでもぶち込めば、テメェは死ぬ」
「…………」
実際、【心理能力】は発動条件が厳しかったり、範囲が狭かったりする方が、より強力な効果を発揮する場合がある。
ランの場合は、“手”に限定して、規格外の能力を発揮できたのではないか、と色付きメガネの男は言っているわけである。
「勝負あり、ってか? ……オラ、両手を上げろ!」
「…………」
ランは黙って、両手を上げた。
それは、男の言葉が正しいと言うことの証左に他ならなかった。
「クク……相手が悪かったな。――死ねや!」
そして男の拳銃から、銃弾が発射された。
轟音と共に銃身から飛び出した鋼鉄の塊は、回転しながら、正確にランの眉間めがけて飛んでいく。
そして、寸分違わず、ランの頭部へと命中した。
ランの細身の身体が、後方に向かって大きく仰け反る。
それだけでは済ませないとばかりに、周囲の男たちも一様に拳銃を抜くと、ランの細身な身体に目掛けて、一斉に引き金を引いた。
何度も銃弾がその身体に吸い込まれてゆき、彼女の胴体はパペットのようにグラグラと揺れる。
ようやく怪物を始末することができたと、男たちがホッと息をつく。
しかし、その安息はほんのひと時しか続かなかった。
頭部を銃弾で穿たれたはずのランの身体が、倒れない。
大きく後方に向かって傾いでいるものの、彼女の両足は、しっかりと地面を踏み締めたままだった。
男たちの間に、微かな動揺が広がる。
「――ぷっ! あは、あははははは!」
とうとう堪えきれないとばかりに、ランが再び笑い出す。
同時に、後方に傾いでいたランの身体が、がばっと再び元の位置に戻ってきた。
露わになったその顔には、銃創はおろか、一滴の出血さえない。
彼女は、無傷だった。
「また騙されてやんの! ホンマ、いい顔すんなぁ! あははははは!」
笑い転げているランに向かって、色付きメガネの男が怒鳴る。
「な……何をしやがった!」
「あはははは! はー、笑える。……そんで? 何をしたかやって? ウチは別に、なーんにもしてへんで?」
「て、てめえの【心理能力】は、“手”を強化するものだろう! それがなぜ……!」
「誰もそんなこと言ってないやんか。勝手に、にーちゃんが勘違いしたんやで?」
ランは、嘘はついていない。
先ほども彼女は、ただ黙っていただけだ。
色付きメガネの男は狂乱状態にあった。
ナイフを弾き、一撃で頭部を粉砕できる膂力を発揮するほど強力な【心理能力】が、まさか手だけでなく、全身をカバーしているなどとは、到底信じられるものではなかった。
それが、銃弾さえも無効にするレベルのものであれば、なおさらである。
「て、テメェ! いったい何者だ!」
色付きメガネの男のセリフは、明確な回答を期待してのものではなかったろう。
思わず反射的に問いかけてしまった、と言った様子だった。
しかし、その問いには意外にも、当の本人から答えがもたらされた。
「何者か、かぁ。……じゃーん! これ、な〜んだ?」
そう言いながら、ランがコートの袖を捲る。
そこには、大鎌と識別子が組み合わさった、黒いタトゥーが刻まれていた。
「それは!……まさか、お前は……!」
「そっ! ウチ、【死神】の一員なんや! びっくりした?」
色眼鏡の男は、【白牙】でも高い地位にいたため、不幸にも知っていた。
【死神】の存在も、彼女たちの役割も。そしてもちろん、その恐ろしさも。
しかし、だからこそ違和感が残る。
【死神】……これは通称で、司式名称は【黒】だが……が出てきるのは、どうしようもないほど状況が膠着したり、場が煮詰まったりした時か、【紅】や【蒼】と言った特殊部隊が対処できない相手が出てきた時だけだ。
北端のケチなマフィアのために、わざわざ【死神】が乗り込んでくるとは考えられなかった。それならむしろ、【銀】の精鋭部隊か、せいぜい【蒼】が介入してくるぐらいが席の山のはずだ。
「わ……わざわざ【死神】が、俺らを潰しに来たってのか!」
「そんなわけないやん」
恐怖と絶望に苛まれ絶叫する男に向けて、ランがあっけらかんと言い放つ。
その返答を聞いた色付きメガネの男は、思わず訝しげな表情を浮かべた。
「なに……? ならば、なぜ……!」
色付きメガネの男は、「なぜ、こんなことをするのだ」と聞きたかったのだろう。
ただ、後半は恐怖と焦燥にとでひどく掠れてしまっており、男は台詞を全て正確に発音することができなかった。
必死な思いで放たれた誰何の言葉。
しかし、ランの返答は、実にあっさりとしたものだった。
「んー。ただの……暇つぶし?」
淡々と紡がれたランの言葉に、思わず呆然とする色付きメガネの男。
目の前で惨殺された部下たちの死が、単なる暇つぶしによるものだと知って。
そして、容易くそれを実行できてしまう、【死神】の理不尽さを再確認して。
「うわぁぁ!」
「おい! 逃げるな!」
とうとう【白牙】構成員のひとりが悲鳴をあげて、一つしかない出口に向かって走り出した。既に武器を投げ捨てているところを見ると、恐怖に心が焼き切れてしまったのかもしれない。
しかし、ランはそんな逃走などを許してやるほど生優しい性質ではなかった。
ゆらり、と陽炎のようにランの姿が揺らめいたかと思うと、その場から彼女の姿が掻き消える。ただ、男たちがランの姿を見失ったのは、ほんの一瞬のことだった。
彼女は、既に逃走を図っていた男の前方に出現していた。
「どっこ行っくの〜?」
突如としてドアの前に出現したランの姿を見て、慌てて立ち止まる男。
しかし、ランは容赦なく、その男に向かって手を伸ばす。そして、その首元をむんずと掴み上げると、ネックハンギングの要領で空中にぶら下げた。
ランは痩せ型だが、身長は175cmとそこそこ高い。
だから彼女と同程度の身長でも、吊り下げるにあたって、高さは問題ない。
ただし、筋肉質な男性一人を片腕で吊り下げる彼女の膂力は、やはり普通のそれではなかった。
「は、放せ! 放せぇぇ!」
暴れる男の手足が、時折ランにぶつかっているが、彼女は微動だにしない。
それどころか、髪の毛ひとつ乱されてはいなかった。
「自分、勝手に逃げたらあかんやん。萎えるわ〜」
白けたように呟くランは、そのまま男の喉を握りつぶした。
ごきりという嫌な音を、喉を潰された男のゴボゴボという湿っぽい呻き声が追いかける。倉庫の床で虫の息になっている男を見下ろすランの瞳からは、ネズミをいたぶる猫のようにサディスティックな喜悦が見え隠れしていた。
――殺しを、愉しんでいる――。
そう悟った【白牙】の男たちは、一斉に震え上がった。
これまで数多くの人々を食い物にしてきたマフィアの男たち。
彼らの仕事の中には、当然ながら非合法なものも含まれていた。
時には依頼のあった相手を痛めつけることもあったし、相手を殺すことすらあった。
しかし、この場にいる誰一人として、死にゆく相手を見て喜悦を覚えるような悪趣味な趣味を持つ者はいなかった。彼らは根っからの悪党ではあったが、人間として壊れてはいなかったのだ。
しかし、目の前で楽しそうに虫の息の男を眺めている女は違う。
彼女は明確に殺人を愉しんでいた。
高揚感をもって忌避感を麻痺させるのでも、作業化して罪の意識を忘れるのでもなく、心の底から人を殺すことそのものに快楽を見出している。
普段はおちゃらけているように見えても、ランは【死神】の一員なのだ。
神聖皇国の暗部に組み込まれた元死刑囚にして、国によって殺人許可証を与えられた、【黒】の名を関する非合法のエージェント。
そんな皇国の闇にどっぷりと浸かった女は、口の端を釣り上げるようにして嗤う。
「さてと! お次はおにーさん方の番やな!」
「ま、待て……」
ランにイカサマポーカーを仕掛けた色付きメガネの男が、冷や汗を滲ませながら言い募る。
「おん? 何を待つっちゅーねん」
「取引! そう、取引と行こうじゃないか」
それを聞いたランは冷笑を浮かべる。
「取引っちゅうのは、互いに望むもんを提供できる場合にだけ、成立するんやで?」
「お……貴女の望むものは、何でも用意しよう! 俺なら、どんなものでも用意できるんだ! この【氷都】にもツテがある! 信じてくれ!」
「そうそう、一個、聞いときたいことがあったわ」
「なんだ? 何でも言ってくれ!」
「確か……ポーカーの取り決めは、「負けた方が、何でもいうことを聞く」ことやったやんな?」
「それは――!」
恐怖と絶望に歪む男たちの顔を見て、ランは邪悪に嗤った。
「ウチの名前は、ラン。【暴君】のランや。……ウチを、楽しませてな?」
人気の無い倉庫に、男たちの絶叫と、人体を壊す音が折り重なるように満ちていく。
狂乱の宴は、時計の針が更に一周するまで続いた。
***
レイは寝付きのいい方である。
ベッドに入ったら、わずか数秒で眠りにつくことができるのは、彼女のいくつかある特技のうちの一つだ。
……まぁ、これを特技とは言わないかもしれないが。
加えて、眠りも深い。一度でも眠りにつけば、基本的に朝まで目を覚ますことはない。
ただし、そんな彼女にも、緊急事態的に目を覚ますポイントがいくつか存在している。
近くで誰かが殺意や害意を抱いたときや、一定の範囲内に他者が近づいたときなどが、それに該当する。優れた五感を持つレイは、こういった気配や殺気といったものにも鋭敏な感覚を有しているのだ。
もちろん、彼女が目覚めるきっかけになり得るタイミングは他にもある。
例えば……今のように、血の匂いを察知したときとか。
眠っていたレイは、深夜をまわった頃、慌ててベッドから飛び起きた。
彼女の宿泊している部屋で濃密な血臭を感知したためだ。
(――【巨足】が出たのか!? 今夜、ここに!?)
急いで黒の軍服に着替えようとしたレイは、暖炉の前でコートを脱いで寛いでいるランと鉢合わせた。
ランは、切羽詰まっている様子のレイに向かって、のんびりと話しかけた。
「んあ? そんなに慌てて、どーしたん? お化けでも出たんか?」
「非常事態です! 血の匂いが――どこに行ってたんです?」
後半は、レイの感知した血臭が、目の前で寛いでいるランから漂ってきていることに気付いたが故の問いかけだ。
レイは不審そうな態度を隠そうともしない。
夜中、いきなり外出して、血生臭い匂いを漂わせながら戻ってきたのだ。
当然、レイはランのことを信用していない。
ただでさえ人間として壊れている【死神】のメンバーの中でも、ランはひときわ享楽的かつ愉快犯的な性格をしている。
事と次第によっては、ランのしでかしたことをこの場で問いたださねばなるまい。
レイの発言は、そのような覚悟を持ってのものであったが、そんな真剣な様子の彼女を見て、ランは苦笑気味に返すばかりだった。
「そんな心配せんでも、悪いことなんか何もしてへんで?」
「……ですが、どこかで戦ってきたのは事実ですよね?」
「戦いっちゅーか……。まぁ、ちょっと遊んできただけや」
「…………」
半目でレイが睨め付けると、ランは焦ったように弁解した。
「……だいじょーぶやって! ちょっと聞きたいことがあって、一悶着あっただけや! 相手はカタギやなかったし、面倒なことにはならへんってば!」
「……本当でしょうね?」
これっぽっちも信じていない様子のレイに、ランは今度こそ本気で苦笑した。
「信用ないなぁ……。ま、ウチも相手はきちんと選んどる。安心してや」
「……分かりました。ですが、こういうことは、今後控えてくださいね?」
「へいへい……」
真剣な表情のレイと、気の抜けたような返事をするランの対比が著しい。
しばらくランのことを軽く睨んでいたレイであったが、気を取り直して、すぐに自分のベッドへと戻った。
……ランが人を殺めてきたことは確定的だというのに、相手が一般人でないなら良いやと納得できるレイもまた、やはり人間としてどこか壊れていた。




